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 バレンタイン・チョコレート/2009


 これはお空の上の、誰も知らない天国でのお話。

      ☆      

 北から吹雪いてくる冷たい風に、いつの頃からか甘いチョコレートの匂いが混じり始めた二月の暦も十日ばかり数えた頃。
 もう既に語るまでもないことと思いますが、あえて確認のために添えておきましょう。
 二月と言えば、バレンタインです。
 一昔前は、乙女が恥じらいながら意中の男性に想いを告げる一大イベント――でありましたが、最近では、義理チョコは当然のこと、感謝チョコや友チョコなどが流行り出しては、男性から女性へ贈る逆チョコなるものが出てまいりました。
 もっとも、日本という国以外では、バレンタインは感謝と愛情を伝えあう日でありましたから、今さら男性から女性に贈るなんてこと、特別珍しがる必要もないことでしょう。
 そもそも、バレンタインにチョコレートを贈って告白という事柄自体が、お菓子会社の戦略が作り出したブームであるのなら、ブームは去り、バレンタインデー本来の形に戻りつつあるのかも知れません。
 まあ、何にせよ、それは人間世界の話であるはずなのですが、地上を見守る天国にてこのバレンタインデーのイベントを待ち構えていた方がいました。
 天国の頂点にお立ちになる神様はこのイベントに乗じて、天国で神様以外の住人であり部下である天使様との関係を円滑なものにすべく、チョコレートの贈り物を用意することを計画していました。
 過去のバレンタインに天使様から、

「貴方からチョコなんて頂きたくもありませんが」

 と、きっぱり言われたことを神様は忘れることにしました。
 ええ、喉に魚の骨が刺さったように、なかなかに厄介な痛みを残してくれたその一言を、神様は綺麗さっぱりと忘れることにしたのでした。
 一年経ったのですから、きっと天使様も忘れてくださっているはずです。
 忘れてくれているといいな、と神様は思います。
 それについて、こだわっているこの時点で神様の心にはしっかりと傷跡が残っているわけですが、そこは見ないふりをしてあげてください。
 第一に、あれはきっと天使様の照れ隠しの一つではなかったのではないだろうかと、神様は考えるのでした。
 実に都合のいい思考回路をお持ちの神様です。
 しかし、これぐらい図太い神経をお持ちでなければ、神様などというお役目は務められないでしょう。
 最近、神様が知ったところに寄れば、人の世には「ツンデレ」なるキャラ属性があるとのことです。なかなか素直になれないツンツンキャラも、シチュエーションによってはデレるといいます。
 きっと、天使君はツンデレキャラなんだ。そして、デレるタイミングを探しているに違いない――神様はそう結論付けたのでした。
 ――ならば、デレるシチュエーションを作るまで。
 実に的外れな神様の思考は、今に始まったものではありませんから、ここは生温かい目で見守ってあげましょう。
 バレンタインデーが近づいているなど気づいていないふりをして、さりげなく天使様にチョコを贈る。
 思っていなかったところへ感謝と親愛こめたチョコを受け取れば、日頃はぞんざいな扱いをしてくれる――ぞんざいな扱いをされているとの自覚はちょっぴり、神様にもあるようです――天使様も神様を見直してくれるかもしれません。
 贈り物で見直して貰おうと考えている時点で、かなり姑息な計画とも言えますが、それだけ神様の天使様に対する求愛が――神様や天使様にとっての「愛」とは人間が言うところの人類愛であって、深い意味はありません――切実であるのだと、ご理解ください。
 そうして神様は、この計画を実行すべく、下準備を整えていました。
 本当は両手一杯のチョコレートを天使様に贈りたいところですが、昨年のホワイトデーでは山のようなプレゼントを贈ったのですが、天使様は喜んでくださいませんでした。
 ライターを取り出して、プレゼントの山を灰に変えたあの出来事を思い出せば、神様もさすがに考えるところがあったようです。
 昨年のホワイトデーに神様が天使様にプレゼントをお返しすることになったそもそもは、バレンタインデーに天使様からチョコレートを頂いたことにありました。
 そのチョコレートは神様がねだり、天使様が面倒くさがると同時に、それを口実にお休みを貰うことにした結果でしたが――当然ながら、神様はそのような裏があったなどとは思っていませんので、この部分は内密にお願いします。
 量より質なのかもしれないと、神様は考えました。
 天使様から頂いたチョコも、一粒のチョコでした。
 たった一粒のチョコでした。
 たった一粒しかないチョコでしたが、それは大変美味なチョコでした。
 たった一粒しか貰えなかったことに当初、神様が切なさを覚えたなどとは、言及しないでおきましょう。
 そして、本当は大量に高級チョコを購入していた天使様が、神様に贈るのが惜しくなって、一粒しか贈らなかったという真実は、どうぞ皆様の胸にしまっておいてください。
 そうして、様々な角度から検討した結果、神様はとびっきりのチョコレートを天使様に贈ることにしました。
 材料を厳選し、じっくり、丁寧に手作りして愛情を込めた、天国でたった一つのチョコレートを作るのです。
 この特別感は、きっと天使様のお心を感動の渦に巻き込んでしまうに違いないと、神様は夢想しました。
 妄想もよいところです。
 何にしても、そんな計画が実行されていることなど、バレンタイン当日まで天使様には気づかれてはなりません。
 神様はいつも通りを装って、お仕事に励もうとしたところで、肝心の天使様のお姿がいないことに気づきました。
 いつもなら地上を映す球体の前で、地上を監視しながら書類整理をなさっている天使様の姿が見えません。
「天使君?」
 きょろきょろと辺りを見回しながら、天使様に呼びかけます。
 そして、バレンタインで盛り上がる地上を映しだす球体に、白い紙が貼り付けられているのを神様は見つけました。
 そこには流暢な天使様の字で、


 ――暫く、旅に出ます。探さないでください。
 尚、チョコレートを用意する旅に出たわけではないことを、ここで釘をさしておきますので、誤解されないよう。
                               天使より――


 どうやら、天使様は神様の計画を見通し、対応することの面倒臭さに、逃亡した模様です。
 計画に心浮き立たせ、いつもより仕事を真面目に取り組んでいた神様に、天使様が普段に比べてちょっぴり割増しで仕事を回し、数日の休暇をとっても支障がないようにしていたことを……残念ながら、神様は気づけませんでした。
 そうして、一人ぼっちのバレンタインを迎える神様とは別のところで、天使様が悠々と温泉に浸り、英気を養っていたことをここに記して、今年のバレンタインのお話は締めくくることにいたしましょう。


                    「バレンタイン・チョコレート/2009 完」



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