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 黄昏の声


 薄暗く陰る黄昏時。
 そこに響く笑い声に、俺が思い出すのは、つまらない自分。


                  * * *


『最初から、死んでいたんだ』――と、そいつは言った。
 陽は沈んでいたけれど、まだ僅かに明るい西の空を背景にして。
 青白い顔で淡々と、呟くようにそいつは吐き捨てた。
 痩せた印象が病的だった。
 美術室に飾られた石膏像のような白い肌。そして、間違って頬の部分を削り取られたかのような、直線的なラインを描く頬。尖った顎には、余計な肉がない。
 細い首に乗っかった顔は、制服の淡いブルーのワイシャツに同化したように、血の気が薄く顔色が悪い。
 折れそうな印象を与える細い手足に、制服はダブり気味だった。ベストの片袖がなで肩からずり落ちている。
 屋上の鉄柵に預けた腕はまるで寄りかかるように伸ばされて、必死に身体を支えているような印象がする。
 その姿は……病んでいる、と。誰もが一目で見破るだろう。
 俺は一端、目をコンクリートの床に落とし、後ろを振り返った。
 コンクリートブロックの隙間を埋め込んだタールで升目を描いた床に延びる鉄柵の影。俺から延びる黒い人影。
 それを確認して、茜色に染まった空を透かすように目を細め、俺はそいつを見つめ返した。
 影を持たない、そいつを。
 本当に、いたんだな――と、俺は苦虫を噛み潰すように、顔を顰める。
 俺――春木誠人には、小さい頃から死人が見えた。
 死人、つまりは幽霊だ。この体質はお袋から姉貴、俺へと受け継がれた。でも、お袋も姉貴も霊感──あくまで霊を感じる能力だけで、俺のように霊視──死人をハッキリ見ることはない。
 そして、俺は困ったことに見えすぎて、時に人間と死人の区別がつかないことがままあった。
 しかし、今回は間違いなく、目の前にいるそいつが死人だということはわかる。
 人間が影を持たないなんて、ありえない話だ。どんなに質量感を伴った姿をしていても、影がなければ生きている人間じゃない。
 つまるところ、影を持たないそいつは――幽霊という奴だった。


                  * * *


 話は昼休みに、学校に付きものの怪談話から始まった。
 第二校舎の屋上に、この学校で死んだ生徒の幽霊が黄昏時に現れるという。
 夜じゃないから――夜間は当然、屋上への出入りは禁止だから――結構、目撃者がいるらしい。
 目撃者たちは、俺のようにハッキリと幽霊が見えるというわけじゃないようだった。霊を感じて、見た気になった。だから、噂は曖昧に暴走する。
 自殺した生徒だとか、殺された生徒だとか、過去をあさっても、在籍中に自殺した生徒も殺された生徒もいないというのに尾ひれがついて、呪いだの何だの。
 もっとも、創立何十周年という私立校としては古い歴史の中には――病死した生徒はいたが。
 それを確認しようと、肝試しが計画された。
 十七にもなる高校二年生が肝試しかよ、小学生じゃあるまいし、と。
 俺は心とは裏腹に、表面では笑っていた。
「面白そうだな、それ」
 生まれてから十七年、死人には慣れていた。
 むしろ、うんざりしていた。ちょっと霊感があるというくらいなら、笑い話で済むだろうが、俺の場合はちょっとというレベルじゃない。死んだ奴のリアルな姿が、生きている奴と変わらずに見えるんだ。
 交通事故で頭を潰された奴、首をかき切って自殺したOLなどなど。トラウマになりかねない凄惨さを前にして、肝試しなんて笑えない。
 でも、そんな風に幽霊が見える奴なんていないから、俺は自分の異様さを隠すために、愛想笑いで周りに取り繕っていた。
 ただでさえ、俺の見てくれは良い方だから因縁をつけられやすい。協調性なんて、面倒臭いことこの上ないが、要らぬ難癖をつけられるのはごめんだ。
 だとしたら、上手な生き方は皆の中に埋没してしまうこと。個性を主張せず、当たり障りなく笑って同調していれば、疎外されることはない。迫害されることはない。
 そんな生き方が楽しいとは思わないけれど、無難に生きようとするなら、一番賢い選択だと思っていた。
 だから、笑った。
 死んだ奴を見物しようだなんて趣向は、反吐が出るくらい悪趣味だと思っても。おくびにも出さずに、笑って。
 そうして、一番乗りで屋上へとやって来た。
 もし、本当に死人がいたのなら……。
 多分、俺だけがその死人に言葉を掛けられるはずだったから。
 そいつの死に様を笑う奴が来る前に、何とかこの場から退場して貰おうと思った次第だった。
 だってさ、誰だって好きこのんで死んだわけじゃないのに――それを幽霊だ、呪いだなんて。笑われるのは、堪ったもんじゃないだろ?
 笑いたくもないのに笑うのと同じで。笑われたくないのに笑われるのも、きっと辛い。しんどい。
 ……だから。
 俺は階段を一人で昇った。
 結果――屋上に、そいつはいた。


                  * * *


「死んで未練があるのはわかるけど、さっさと成仏した方がいいぜ」
 俺が声を掛ければ、そいつは驚いたようにこちらを振り返った後、フッと息をこぼすような笑みを唇に浮かべた。
 そして、
『最初から、死んでいたんだ』
 と、そいつは言った。
「――は?」
『オレは、最初から死んでいたんだよ。死んでいた奴に、未練なんてあるわけないよ』
 意味がわからんことを言う奴だな。
 何だよ、それ?
「未練がなかったら、何でこんなところに残っているんだよ?」
 俺が睨みつけると、そいつは軽く肩を竦めた。
 薄い胸板。細い肩。
 一年前に病気で死んだ三年生がいたことは、もう調べてある。
 武藤という名前のそいつは、俺より年上になるはずだが、痩せた身体つきから見れば、年下にも見えなくはない。
『それがわからないから、ここにいるんだ』
 ちょっとだけ困ったような顔を見せて、武藤は俺から視線をそらす。
 少しずつ闇に溶けていく茜色の空をバックに、鉄柵に身体を預けるというより、支えるようにして呟く。
『余命なんて聞かされても、動揺一つしなかった。ああ、やっと終るのかって。それが第一印象だったんだよ』
「――生きるのに飽き飽きしていたってことか?」
 淡々と吐き捨てられた言葉を拾って、俺は武藤を理解しようと努めた。
 どんな言葉を掛ければいい? どうやったら、こいつを成仏させられる?
 俺には幽霊の姿が視えても、成仏させられるような霊能力なんて何もない。憑かれるということもない代わりに、俺は幽霊に対して何も出来ない。
 死んだ姿のまま彷徨い続ける死人たちを前に、何も出来ない俺は、何のためにこんな能力を持ってここにいるんだろう?
 取り繕って笑う日々に、嫌気を覚えながら。
 俺はこれからも、笑いたくもないのに笑って、死人たちを前にしながら生きていくのか?
 ――そんな自問自答は、もう飽きるくらい繰り返していたけれど……。
 答えは見つからず、今も何を語ればいいのかわからない。
 視線を上げて目の前の死人に答えを求める俺に、武藤は笑う。
『最初から、死んでいた。何もかも、どうでも良かった。周りの同情も憐憫も、何も。明日も、明後日も。生きていようと、死んでいようと……誰が死のうが、生きようが』
 関係なかったんだ――と。武藤は風が吹けば掻き消えてしまいそうな、か細い声で応えた。
 多分、死に至る病を患っていた武藤の周りには、同じような病を抱えている人間もいたんだろう。
 誰が死のうが、生きようが――という言葉から、その辺の事情を読み解くことは難しくない。
 生死の狭間にいて、きっと武藤の感情は麻痺したんだろう。
 麻痺させなければ、刻々と削られていく命を前に、平然と生きていられるわけがない。
 諦観が、未来を拒否して。
 希望に、目を瞑って。
 ――どうでもいいフリをした。
 死んでいく自分に執着すれば、ますます死ぬのが怖くなることを本能的に知っていたんだろう。
(見えることを認めても、俺には何も出来ないから……)
 だから、初めから生きていなかったのだと、うそぶいて。
(何も出来ないのだと自分に言い聞かせて、何も見なかったフリをして)
 死んでいたことにして、生を放棄した。
(……普通のフリをする)
 武藤の思考と俺自身の在り方が、頭の中で重なる。
 似た者同士という単語が浮かんでは、泡のように消えた。
「――でも、生きることを感じたんだろ?」
 俺はゆっくりと息を吐き出しながら、言った。
(普通のフリをしようとしながら……それでも、死人を前にすると)
 武藤の頬が傾いて、俺を見つめる。
 静かな瞳は、感情の揺れなんて一つもなく、静かに笑う。
 死の宣告を受けたときも、恐らく武藤は穏やかに笑ったんだろう。
 初めから決まっていた事実と受け止めて、受け入れようとした。
 ――でも。
『……ああ、そうかもしれない。指先を動かすことすら、ままならなくなって……』
(笑いたくもないのに――笑って)
 何でもないフリをしていたのに……。
『……なのに、痛みだけは変わらずにあったんだ。……痛みなんて要らないのに』
 死ぬことを受け入れ、未来を拒否したときから、痛みもまた不要だったはずなのに。
 蝕む病は武藤の身体に、痛みを与え続けた。
 そのときになって、初めて武藤は知ったんだろう。
 自分が生きているということに……。
 身体の内側で疼く痛みに、生きているということを無視できなくなった。
『……痛いと感じる分、きっと他のことも感じられたのにと思ったら』
「――未練が生まれた」
(……見過ごせないんだ)
 一時期、俺は死人を受け入れることが出来なくなった。
 何も出来ない自分が堪らなく嫌で、どうしようもなくって。外に出るのが億劫になった。
 そんな俺を見かねた姉貴の荒療法で、何とか普通の生活をするまでに慣らされた――現在。
『……やっぱり、未練になるのかな』
 困ったような顔をして、武藤は首を傾げては俺を見た。
 全ての感情を拒否してきたから、自分をこの場所に留めている感情の正体がわからなかったんだろう。
「未練だよ」
 俺は端的に告げた。
(……未練なんだ)
 割り切ったつもりだった。
 けれど、俺はまだ自分に何か出来るんじゃないかと求めている。そうじゃなかったら、普通に笑って暮らせる日常が欲しい。
 笑いたくもないのに、笑うんじゃなく。
 笑いたいから、笑うようなそんな日常だけでいい。
「――未練だよ」
 繰り返した言葉を前に、武藤は『そっか』と短く呟いて、笑う。
『……生きていたんだ』
 そう最後に一言口にした瞬間、武藤の姿は淡雪が手のひらの上で溶けるように、消えた。
 武藤が隠していた茜色の空が藍色を滲ませ、俺の視界を暗く染めた。
 呆気なく、奴は消え去った。
 自分が「未練」という感情を抱くぐらいには、生きていたことを知って、そうして自分が死んだことに納得したんだろう。
 生まれた意味とか、生きている意味とか。
 そんな難しいことを考え出したら、答えなんて見つからない。
 ただ、わかっている事実に目を向ければ、答えはそんなに難しくない。
 ――生まれてきたこと、生きていくこと、死んでいくこと。
 最初から死んでいる人間なんて、いやしない。
 生まれてきたから生きて、そして死んでいく。
 人間っていうのは、ただそれだけの生き物だ。
 生きていく中で、恐らく人は己の意味などを探すんだと思う。
 でも、死んでしまった武藤には今さら、生きた意味なんて関係なかった。
 自分が「生きていたこと」を知れば、それだけで良かったんだろう。
(生きている……それだけで、満足できれば人間は易いんだけどな)
 生きることは容易く、でも、人間として生きていくのは難しい。
 色々な経験を重ねて、思い悩み苦悩することを簡単に割り切れないから、答えを探して戸惑い、難しく考える。そうして、人間は何かを求めて生きようとするから、生きることを難しく思う。
 求めるものを手に入れるのは、容易じゃないから。
 ……本当に、生きる……ただそれだけなら、簡単なんだ。
(息をして……割り切って……作り物の笑顔を貼り付けて……媚びて)
 誰もいなくなった空間を眺めて、そっと息を吐き出す俺の耳に、能天気な声が割り込んできた。
「――オイ、誠人。何やってんのさ? もしかして、マジで幽霊とか、いたのかー?」
 振り返ると、階下へ続くドアが開いて、クラスメイトたちが顔を覗かせる。
 少しずつ侵食していく闇が、黒い影を作って、誰が誰だかわからない。
 黄昏を、誰彼――とはよく言ったものだと納得しながら、俺はそちらへと歩み寄る。
 端から幽霊なんて信じていやしないくせに、それでも見えたら面白いと思っている無責任な笑顔の群れが、校内に点灯した蛍光灯の下に見えた。
 生きるとか、死ぬとか、そんなことを意識の下に隠しているのか、忘れているのか。
 ケラケラと笑う声が、俺の耳を撫でていく。
 多分、俺なんかが考えるよりもずっと、器用に生きている奴らなのかもしれない。
 それとも、俺が生者と死者の狭間に立っているから、人より生死について考えてしまうのか。
 そんなことを思う俺は、やっぱりちょっとだけ、異端者で。
 だけど……孤高を気取って、一人で生きていけるほどに強くはないから。
「――バーカ。幽霊なんていねぇよ。さぁ、帰ろうぜ」
 俺は反射的に笑いをつくろって、声を返した。
 簡単な生き方のはずなのに、俺の内側で何かが軋む。
 そっと後ろ手に閉じたドアの向こう、駆け抜けた風の音が、俺を嘲笑っているかのように聞こえた気がした。


                  * * *


 くすくすと、微かな笑い声が空気を柔らかく震わせた。
 その僅かな振動に、俺の意識は優しく起こされる。
 冷たい天板に頬を預けるようにして眠っていた俺は、まどろみにぼやけた視界の向こうで笑いあう二人を見つけた。
 残光が窓の外、暗くなった空を僅かながら赤く染めていた。そんな遅い時間の教室で――その二人と一緒に帰ろうとして、待っているうちに俺は眠っていたらしい。そうして、今度は俺が起きるのを待っているのだろう、二人。
 一人は、漆黒の艶やかな髪をサラサラと揺らして、小さく笑っている。
 目を見張るような美貌に、強烈な印象的を見る者に与える魅惑的な双眸を細め、高宮夏月は微笑んでいた。
 その和やかな瞳の先にいるのは、目尻が少し垂れ気味の人の良さそうな男。
 漆黒の髪と顔立ちの良さで、夏月との血縁を間違いなく感じさせるそいつは、体重などないように中空を浮いていた。白色の蛍光灯に照らされた足元には残念ながら、人の証である影がない――死人、いわゆる幽霊だ。
 十年前に財産目当てで叔父に殺された夏月の兄貴であるそいつは、高宮秋良。永遠の十七歳である。
 秋良は幽霊という単語から連想させる、悲愴感など全く感じさせない表情で夏月に話しかけていた。
『――実際、ビックリしたんだよ? あっと言う間に、沖に流されちゃって。母さんなんか、まるでムンクの叫びみたいにホッペに両手を当ててね』
 と、秋良は両の頬に手のひらを当てて、有名絵画のポーズを真似た。そうして、身体をくねらせる。
 絵画に見る殺伐とした雰囲気はなく、ただ可笑しさだけがそこにあった。
 夏月は秋良を見上げると、こぼれだす笑みを必死に押さえるように口元に手を当てた。
 声はなく、ただ震える肩が楽しそうに小刻みに揺れている。
 長い間、声を封印していた夏月は、悲しいことに声を殺すことが習慣になっていた。
 少しずつ、感情を表に出すようにはなっていたが、まだ声を出すということに慣れていない。
 それはこれから時間を掛けて、慣れていくしかないんだろうな。
『――笑い事じゃないんだってばっ!』
 叫びながらも、秋良自身の表情には楽しげな笑顔が溢れている。
 少し前まで、心を殺していた妹が今は惜しげもなく――それは秋良と俺の前だけだが――感情を表す。それが嬉しくて堪らない様子だ。
 声の問題はあるけれど、心を閉ざしていた夏月を長年見てきた秋良にとっては、笑うだけでも大きな一歩に思えるんだろう。
 そう考えると、二人だけで生きて積み重ねてきた時間が酷く重たく感じる。
 誰にも省みられずに、誰にも信じてもらえずに。
 たった二人だけの月日は、寂しくて。
 これからは、もっと笑わせてやりたいと、俺の中に芽生えるものがあった。
『もう、一生の終わりだと思ったんだよ? でもね、波の流れが変わったと思ったら、今度は逆に流れ出して。驚いたままの母さんの下に、スッーて流れ着いたの。皆は僕が流れに逆らって泳いで戻ってきたと思ったみたいで、偉かったとか、褒めてくれたんだけどね?』
 それは過去の思い出話らしい。秋良は幼い頃の海水浴の思い出を、面白おかしく夏月に語って聞かせているようだった。
 身振り手振りで、声も明るい。
 その姿が宙に浮いていなければ、誰が見ても秋良が幽霊だなんて信じやしないだろう――最も、秋良の姿を見ることができるのは、俺と夏月だけだが。
 ただ一人残された妹を守るため、そうして心を閉ざしてしまった妹が、いつか笑うことを信じて。
 秋良は死んでからも、笑い続けた。
 十八年の人生で、俺は様々な死人と遭遇してきたが、秋良ほど明るい死人は見たことなかった。本当に殺された過去を持つのかよ? と、思ってしまうほどだ。
 しかし、よくよく考えれば、秋良の精神力の強さには驚かされる。
 普通、殺されたのなら、殺した相手に怨嗟の言葉を吐いてとり憑くところだろう。幽霊となった秋良には、それが出来たのだから。
 だけど秋良は、人を恨むのではなく、大事な妹を守ることを選んだ。
 そんな秋良だったから、新生活を求めて転校して来たこの地で、再び幽霊に悩まされる日常を、俺は受け入れることが出来たんだろうな。
『夏になったら、海に行きたいねー』
 秋良がしみじみと言って、夏月が微笑みながら頷く。
『あの海はとっても綺麗だったんだよ。交通の便が悪かったから、人も少なくって。だから、水も澄んでいてね。今も綺麗かな? いつか、夏月を案内してあげるね。あ、でも、車がないとちょっと行けない場所だったからなー』
 少し残念そうに響く秋良の声に被せて、俺は言った。
「車なら、俺が出すぞ。夏休み、そこへドライブに行こうか」
 割り込んだ俺に、驚いたように二人が振り返る。
『わっ、誠人君。いつの間に、起きたの? あ、もしかして、僕の声がうるさかった?』
 心配そうに曇る表情。百面相の如く、感情に合わせて表情が次から次へと変わる。ここまで感情に率直な奴は本気で見たことがねぇぞ。
 周りに合わせて媚びつくろっていた俺には羨ましいまでの、自由さだ。
 これが幽霊なんだから、全くもって呆れるぜ。
「お前がうるさいのは、今に始まったことじゃないだろう」
 笑い飛ばした俺に、秋良は『それを言ったら、僕の立つ瀬がないよー』と、少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
 うるさいという事実を認めている辺り、実に秋良らしい。
『それより、ドライブって……いいの? 誠人君は受験で夏休みは勉強、大変じゃない?』
「それだったら、夏月だって同じだろう?」
『夏月は大丈夫だよ。もう、進学先は決めているし、先生からのお墨付きも貰っているもの。ねぇ?』
 秋良の問いかけに、夏月は首肯した。成績は学年首席だということだった。
 夏月は、幼い頃幽霊が見えるという事実をそのまま口にしたことで、周りから浮いてしまった。
 秋良が殺されたことを皆に訴えたのだが、誰にも信じて貰えずに、心を閉ざして声を封印していたそんな夏月には、友達がいなかった。
 休日に遊びに出かけるでもなかった夏月に、秋良は勉強を教えていたという。幽霊である秋良には、生きている夏月には触れることが出来ない。必然、遊び相手を努めるには無理があった。
 そこで秋良は夏月の勉強を教えることにしたらしい。これなら、二人の間に教科書を広げるだけで済む。
 秋良の教え方が上手かったのか、夏月の頭が元々良かったのか、教師なんて必要ないくらいに夏月は良い成績をとった。
 だから、言葉を喋らない――傍から見れば、反抗的とも取れる態度だろう――問題児であった夏月は教師からも放任された。
 呪いの噂が立ったこともあり、触らぬ神に祟りなしといったところだったんだろう。
 故に、進路にもあまり口を挟まれることなく、地元大学への進学をすんなり了承されていた。夏月の成績なら、学校側としては有名大学に進学させて学校名を売りたいところだろうが。
「俺だって、大丈夫さ。夏月と同じ進路だぜ?」
 ちなみに、俺は持ち前の要領の良さを発揮して、先のテストでは学年五位に食い込んだ。このレベルなら、地元大学は悠々の合格ラインだ。
 俺のほうは、教師陣が少しうるさいが。知ったことか。
『誠人君が夏月と同じ進路を選んでくれたのは嬉しいけれど、ねぇ、本当にそれでいいの? もし、夏月や僕のために今の進路を選んだのなら……』
「あのな、俺は元々こっちの大学への進学希望で転校してきたんだぜ」
『そうなの?』
「一年で、向こうに戻るつもりなら、親父について来たりしなかったって」
 自分を誤魔化し続ける日常に辟易していた。田舎なら、死人を見る機会も少ないと思った。
 渋るお袋や姉貴を黙らせて、親父の転勤話に便乗した。そうして、こっちの大学を志望した動機は、他人から見ればくだらないかも知れない。
 教師陣たちは、納得しやしないだろう。
 それでも今、俺が俺らしく生きるためにはこの地でないと、駄目なのだと思う。
 秋良は僕たちのためにと言ったが、俺は俺のために選んだ。
 他の誰のためでもなく――俺が此処にいたいんだ。
 夏月や秋良の傍で、笑いたいときに笑う。
 そんな日常が、今の俺にとってはこの上なく尊くて。誰にも譲れない。
 これは俺のわがままだ。未練だ。欲だ。こんな風に何かを望めば、生きることは途端に難しくなる。他人と衝突することも多くなるだろう。
 それでも、俺はもう諦めたくない。自分を偽れない。
「ドライブ、行こうぜ。俺が行きたいんだ。夏月を連れてさ。だから、案内しろよ」
 俺が目を向ければ、夏月は優しく微笑んでくれた。
 秋良は明るく笑顔を作り、声を響かせた。
『うん、そうだね。行こう行こうっ!』
 黄昏に響いた笑い声が、俺の記憶を塗り替えて。
 未来を鮮やかに彩り始める。


                            「黄昏の声 完」



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