入団審査会 「ロベルト・エミリー、二十歳にカイ・ギドール、十八歳」 二枚の書類に付属された写真を見比べて、国王ゼノビア陛下は笑みをこぼした。 「十八歳には見えないね」 そう言ってエメラルドグリーンの瞳の視線が横頬に突き刺さるのを、俺は実感した。 「何か?」 自分でも自覚しないでもない童顔を、写真のカイと比べられているのは想像がつく。 が、自覚しているといっても認めたくない俺の声は、自然に刺々しくなっていた。 「……い、いや、何でもないよ、ディード」 国王はちょっと口元を引きつらせ、俺から視線を逸らした。童顔を強調する俺の顔だが、怒るとたいそう剣呑な面相に変わるらしい。 「それで、この二人は宮廷魔法師として王宮に上がることを承諾してくれたの?」 十九歳の長男を筆頭に五人の子持ちとは思えない国王は小首を傾げるようにして、宮廷魔法師団<<十七柱>>の副団長であるフォルテ・リッチに首を巡らせる。 「はいぃ。お二人ともぉ、快くお引き受けくださいましたぁ〜」 まのびした口調で答えたのは白髪の青年。他人の苦労まで買って背負い込むようなお人好しのフォルテは元々黒髪だったが、王宮に上がって暫く、一晩で髪を真っ白に変えてしまった。まだ、年は二十七歳だというのに……。 そして、その横でフォルテの髪を真っ白に変えた最悪の元凶が口を開く。 国王の長男ジルビア・フォレス、十九歳だ。亡くなった王妃そっくりの女顔に背中まで伸ばした金髪にサファイアブルーの瞳。ドレスでも着せれば、深窓の姫君といった様相だが、例え、世界中から女が消えても、俺はジルビアを女と認識することは絶対にないだろう。 「ギドールと言えば、ホテル産業で財を成したフェリス・ギドールの血縁ではないか?」 ジルビアの問いにフォルテが頷いた。 「はいぃ。カイ君のお父様はぁ、フェリス・ギドール様ですぅ〜」 貴族階級に属していないが、その資産額は上流階級貴族を悠にしのぐと言われている。だから、俺だってその名前は知っていた。確か、フェリス・ギドールには五人の娘と一人息子がいたはずだ。その一人息子がカイだと言うのなら……。 「跡取り息子が宮廷魔法師?」 「お父様の事業はぁ、五人のお姉様方の何方かがぁ、お継ぎなるそうですぅ〜」 「そうなの?」 「はいぃ。カイ君はぁ自分には商才がないからとぉ、魔法学校に入学される前にぃ、お父様とお話し合いをされていたそうですぅ〜」 「フォルテ君と同じだね」 国王は笑う。 フォルテの実家も、リッチ商会と言って国内で手広く商売をしていた。フォルテもまた跡取り息子だったが、お人好しの彼が人に物を売りつける仕事に向いていないのは俺でもわかる。フォルテの性格だったら、無償で商品を与えてしまいそうだ。 国王の視線にフォルテは苦笑を返して頷いた。 「私もカイ君もぉ、周りのご理解があってよかったですぅ〜。長男だからと跡を継ぎましてもぉ、私はきっと家を潰していたと思いますしぃ〜」 「それに、君が家を継いでいたら優秀な宮廷魔法師が一人いなくなって、私としても困っていたと思うよ」 「そんなぁ、私なんてぇ、とてもとても〜」 と、フォルテは謙遜する。 まのびした口調と、度がつくほどのお人好しのフォルテだが、その世話好きの性格が功を奏して、皆をまとめるという副団長にはまさに適任だった。 フォルテがいるから、謀反人の息子という忌々しい肩書きを持っている俺も何とかこの王宮でやっていけていると言っても過言じゃないだろう。 俺の父親が犯した謀反事件。そのときの当事者である国王やその息子、娘たちは俺と兄弟のように育ってきたために俺を簡単に受け入れてしまったけれど、それ以外の者たちには俺の存在は目の上のたんこぶみたいに嫌でも事件を思い出させるものだ。 自分たちの主を、自分たちが命懸けで守ろうとしているものを、俺の父親は王位を手に入れるために殺そうとしたのだ。それはなかなか、感情で割り切れるものじゃない。そういった奴らと俺との間にフォルテが入ることによって、奴らは俺の存在を無視することができるわけだ。衝突するよりは無視されたほうが俺としても楽だった。 「謙遜は美徳だと思うけどな、褒められたら素直に喜んどくもんだぜ」 ジルビアの言葉にフォルテは目を丸くした後、「はいぃ」と朗らかに微笑んだ。その笑顔だけ見ると、もうすぐ三十になる大人には見えないが。 「じゃあ、こっちのロベルト・エミリーってのは? 西区カインの中流階級貴族ってことじゃないか。この書類を見る限り、跡継ぎはこいつだけだろ?」 俺は話を戻して、フォルテに問いかけた。 今日は魔法学校を卒業する二人の上級魔法使いを、宮廷魔法師として迎えるかどうかの審査会だ。 国王と王太子であるジルビア、それに魔法学校に直接、二人をスカウトに行ったフォルテ、そして魔法師団の団長であるカトラスの爺さん──おしゃべりではない爺さんは、会議が始まってまだ一言も話していない──そして、何でか俺が呼ばれた。 宮廷魔法師団の中で俺の魔力が一番強く、魔法使いは年功序列ではなく実力主義だと言っても、まだ十七歳でしかも入団一年の俺がこの場にいること自体、何か裏があるような気がしないでもない。 「ロベルト君はお家を継がれないと言ってましたぁ〜」 「まあ、宮廷魔法師は貴族階級第一位と同等の身分が保証されるわけだから、中流階級貴族の家に固執する必要もないだろうが。だとしたら、二人とも問題なしというわけか?」 だったら、もう審査する必要なんてないだろう、と俺は言った。途端、フォルテの顔に何かしらの感情が過ぎるのを俺は見つけた。 「どうした?」 「あぁ〜えぇっと、カイ君にはちょっと困ったぁ問題がぁ……」 「何だ?」 「それが女性恐怖症なのだそうですぅ〜」 「えーと、それは……女の子が怖いということ?」 国王が小首を傾げて問うのに対して、フォルテは「端的にぃ、言ってしまえばその通りですぅ」と少し困った顔で頷いた。 「……女が怖い? 具体的に何が怖いって……」 まあ、男女の思考の差異は俺も認めるし、何を考えているのかわからん女は怖いと思うが……。 「それがぁ、女の人と言うだけで怖いのだそぉですぅ〜。視界に女の人が入っただけで、動機息切れに眩暈がするとかぁ……」 「……何だって、また」 「それがですねぇ、何でもお姉様方のご影響とかぁ」 「確か、五人の姉貴がいるとか?」 「はいぃ。カイ君は一番下でぇ、そのぉお姉様方にかなり溺愛されていたようでしてぇ。そのぉ、カイ君のお話によりますとかなり豪傑なお姉様方のようでぇ」 「……豪傑って」 女に対して使うような言葉だろうか? 「全然、駄目なの?」 「少し距離を置いてでしたらぁ、会話できないこともないとのことでしたから……」 「魔法学校って共学だろう? そこで、生活できていたなら大丈夫なんじゃないか?」 「……そうですよねぇ、大丈夫ですよねぇ」 「カイ君は王宮に上がることについて不安はないの? 彼に不安ないのだったら、私は彼を王宮に迎えてもいいと思うよ。皆はどう思うの?」 国王は組んだ手の上に顎を乗せて、視線で一同を見回した。 「カイ君は真剣にぃ、自分の魔力を役立てることを望んでいますぅ〜。勿論、王宮仕えは恐怖症を克服しないと難しいと思いますけどぉ、私にできることでしたらぁ、カイ君をお助けしたいと思いますよぉ〜」 フォルテがまのびした口調ながらも、舌を回して勢い込んで言った。 ジルビアが唇の端に笑みを浮かべて国王を振り返る。 「俺は大歓迎だ。何だか、面白いことになりそうじゃないか」 「カイ君をからかったりしたら、駄目だよ。ジルビアはすぐ、人をからかっちゃうんだから」 国王が釘を刺すのをジルビアは軽く肩を竦めて応える。信用はできないな。 半眼で国王親子を見ていると、ずっと黙っていたカトラスの爺さんが重々しい声で言った。 「わしは陛下のご意志のままに」 「うん、ありがとう。それで、ディードは?」 エメラルドグリーンの瞳が俺に問う。 「は? 俺には意見を言う権利なんてないでしょう」 「権利とか、関係ないでしょう? ディードの意見が聞きたいんだよ、私は」 「……俺は別に構わないと思いますけど」 「そう。じゃあ、カイ君は決定だね。それでロベルト君は問題ないの?」 「はいぃ〜、彼に関しては担当教官にお話を聞きましたが、特に問題はありません。直接、お会いしました感じでも無口であるなぁ〜とは思いましたけどぉ」 「じゃあ、ロベルト君も決定ということでよいかな?」 再び、一同を見回す国王に俺は頷き返した。フォルテ、カトラス爺さんも頷く。 一人、頷かなかったジルビアに国王が首を傾げる。 「どうかしたの?」 ジルビアは手にした書類をヒラヒラと泳がせて言った。 「死んだ魚みたいな目をしてる奴だなと思ってさ」 「死んだ、魚?」 どういうこと? と重ねて問う国王に、ジルビアは意地悪そうな笑みを返して「見たまんまだろう」と言う。 国王は書類に付属しているロベルト・エミリーの写真に目を落とす。俺もつられるように自分の手元の書類を見た。 薄茶色の髪に淡い緑色の瞳……雪に凍りついた緑の葉色みたいな目だ。冷たいとは思わないが、暖かい眼差しというのはこの写真に限ってはあり得ない。ただ、目の前にあるカメラのレンズを見ているだけの無感情な瞳。これが死んだ魚の目? 「親父殿は死んだ魚を見たことないのか?」 女のような顔をして男のような――いや、正真正銘の男なんだが――口をきく。 俺はもう慣れたが、ジルビアに女みたいな、という第一印象を持った奴は、この言葉遣いにジルビアが男だという現実を知って打ちのめされる。 ……まあ、これだったら、カイ・ギドールがジルビアを女と誤認することはないだろうけど。 「見たことないね。泳げなかったから、水辺に近づくのを禁じられたんだよ。危ないからって。だから、魚釣りなんてしたことなくて。……でも、ジルビアも魚釣りなんてしたことないよね? 私は連れて行った記憶なんてないよ」 国王でありながら子育てまで王妃と共にきっちりこなしてきたその人は、頬に指を当て記憶を探るように目を瞑る。 「ないね」 あっさりとジルビアが答えを口にする。 「じゃあ、どこで死んだ魚なんて見たの? もう四十年近く生きてきたけど、私は調理された魚しか見たことないよ。不勉強だと思うけど」 不勉強……なのか? 執政に係わる者が魚の生態なんて知る必要はないだろう。生物学者になるわけでも、料理人になるわけでもないのだから。 かく言う俺も死んだ魚なんて見たこともない。 「死んだ魚って、どんな目をしているの?」 「虚ろで空っぽ……何も望まない何も映さない」 「どこで見たの?」 「そりゃ、市場で」 「市場に行ったの?」 「ああ」 「……誰と?」 ここにきて、国王の質問が尋問じみてきたことにジルビアは気付いたようだ。一瞬、黙った後、「一人で」と答えた。 「一人で? 駄目じゃない、王宮ならともかく、外を護衛なしでなんて。それに何で、私を連れてってくれないのっ!」 「親父殿も行きたかったのか」 「お出かけするなら、皆で行こうよ。ジズリーズもウィラードもセイラもミシェルも、皆でお出かけしたらきっと楽しいよ」 ジルビア以外の我が子の名前を並べ立てた国王に、 「馬鹿だろっ! アンタら」 と、俺は思わず喚いていた。 「王族だぞ。その命を狙う奴らが五万といることを忘れてんだろう、アンタらはっ!」 「ああ、そうだった。ディードも一緒に行こうね」 にっこりと笑ってくる国王に俺は眩暈を覚えた。天然か、この人は。 「何で、俺が一緒に行かなければならんのだ? もう、勝手にしてくれ」 「だって、家族だもの、私たちは」 「俺は違う」 「家族云々はともかくとして、宮廷魔法師なら護衛として国王に同行するのは当たり前だろ。んなことも忘れたか、お前は」 ジルビアの指摘に俺はこめかみの辺りが引きつるのを自覚した。 「それこそ、俺が宮廷魔法師であろうが、なかろうが関係なく、勝手に市場見学会なんて計画するな。第一に何が目的で市場なんて見学したがるんだ?」 「市井の現状を把握しておくのは執政者としての勤めだろう? 市場はそれこそ物価水準を把握するに手っ取り早い学習場だ」 「ジルビアは偉いねー」 素直に感心する国王を俺は睨んだ。 もっともらしいことをぶちまけてくれているが、ジルビアの行動の根底にあるのは面白そう、という至極単純なものだ。 護衛や付き人たちの目をくらまして、お忍びと称して遊びに行くのがジルビアは好きで、その市場見学も他ではない遊びだ。そうしてまいた護衛たちが慌てふためくのを遠めに見て面白がっている。そういう奴だ。 「それで、お前はこいつの入団に反対なのか?」 俺は強引に話を戻す。 ジルビアに対してはある程度、強気で出られる俺だが国王に対してはそうもいかない。このままだと勢いで家族を引き連れて市場の見学旅行を実行されそうだ。そうなったら、間違いなく俺も巻き込まれる。仕事ならともかく、その場合、俺は家族の一員として頭数に入れられるだろう。それだけは、避けたい。 俺が王宮に戻ってきたのは宮廷魔法師としてだ。もう事件が起こる前のように、王族としてジルビアたちと対等ではない。 …………まあ、俺もガキだから、感情に引きずられて昔みたいにぞんざいな物言いをしてしまうけれど。 「別に、反対とまでは言っていない」 ジルビアは横目で手にした書類を見やり続けた。 「こういう奴が存外に扱いやすいだろうよ。シリウスみたいにな」 「……はあ?」 いきなり出てきた名前に俺は間の抜けた声を上げた。 シリウス・ダリアは宮廷魔法師の同僚だ。俺より五つ年上で、どんな奴かといえば氷のような奴だ。育った家庭環境のせいか、とにかく人間不信で誰にも心を開かない。生き別れていた双子の弟リゲル・ダリアに対しても、冷たく拒絶する。宮廷魔法師として、仕事はきっちりこなすが、付き合いにくい相手であることは間違いない。 まあ、……俺はシリウスのこと嫌いじゃない。少なくとも、シリウスは誰に対しても冷たいわけで、俺が謀反人の息子だからと特別視しないから。 「シリウス君の目が……死んだ魚みたいな目をしているの?」 「シリウスは違うな。あいつは誰対しても期待はしてないが、絶望もしていない。でも、こいつは……」 ジルビアは「駄目だな」と首を横に振った。 「拒絶するだけの根性も持ち合わせていない気がする」 「……でも、それはお前がこの写真を見ただけの感想だろ。実際にこいつがお前の言うような奴とは限らないだろ」 「だから、反対とは言っていない。後は、お前次第だ、教育係」 「……教育係?」 何だ、それは? と目を剥く俺に、フォルテが言ってきた。 「実はぁ、ロベルト君とカイ君のぉ新人教育をディード様にぃ、お願いしたいのです〜」 「何で、俺っ? そういうのはフォルテが得意だろ」 「はぁ〜、それが二人を王宮に迎える日のぉ翌日から〜、ジルビア殿下の視察旅行に同行しますのでぇ〜」 一年のこの時期は国王が、王家と共にこの国を統治している七家の統治区を視察するのが恒例だ。今回は、少し前から国王は伏せがちであるために──見た目には元気そうだが、長旅はさすがにキツイだろうと言うことで──ジルビアが国王の名代として出向くことになっている。となれば、王太子付きの守役であるフォルテが同行するのはいたし方のないことだ。 「……でも、俺も言ってしまえば一年前に入ったばかりの新人もいいところだぜ?」 「だからこそぉ〜、一番初めに覚えておくことをよくご存知かと思うのですぅ〜」 「だけど……」 お役をごめんしようと言葉を探しているところへ、しわがれたそれでも威厳のある声でカトラス爺さんが言ってくる。 「これは命令だ」 口数が少ないくせに、適所できちんと言うべきことを言ってくるあたりはさすが団長殿か。実力主義の決まりから、入団したての俺を団長に据えようとする動きがあったが、それが間違いであることを随所で見せ付けてくれる。 俺としては、使い駒であるほうが楽ではある。まあ、命令の一言を出されたら逆らえないのが面倒といえば面倒だけれど。 「……わかったよ」 「ではぁ〜、卒業と同時にぃ、お二人を宮廷魔法師として王宮にお招きするということでぇ、よろしいですねぇ〜?」 フォルテが柔和な笑みを浮かべて、確認するように一同を見回す。 「ああ、決まりだね」 「それではぁ、お披露目となる入団式はやはり〜殿下がお帰りになってからですかねぇ〜?」 「そうだね。皆が揃ったところで、紹介したほうがいいね。視察旅行には宮廷騎士団のほうからも護衛がつくから。彼らと再度、顔合わせの場を作るよりは。皆が揃っているところで紹介してあげよう」 「はいぃ〜。そうしたら、ディード様ぁ〜、お二人のことをよろしくお願いしますねぇ〜」 俺は不承不承、頷いた。 こうして、二人の宮廷魔法師が誕生することになった。 ジルビアの「死んだ魚の目」という言葉を、俺がロベルトに対して実感するのは、この少し後になるが、それはまた別の話だ。 「入団審査会 完」 |