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 夜明けの決闘


 向かい合う、二人の騎士たち。
 今にも戦闘体制に入ろうと、腰を沈め、構えを取っていた。
 片方の騎士が戦闘開始を告げるように、言った。
「今夜の飲み代を賭けて、勝負っ!」
「――はあっ?」
 夜明けに突如として始まった決闘の、事の発端から語るとしよう。


                   ***


 眉間に刻んだ皺とつりあがった目尻、きつく結ばれた唇。凶悪な人相が浮かび上がった鏡面に、カズ・フライトはため息を吐き出した。
 顔に負った怪我が元で、顔面神経が駄目になり麻痺症状が残った。
 そのせいで、カズの端整な顔は本人の思いもよらない表情を作ってくれる。
 どうしても拭えぬ違和感をため息として吐き出す以外、どうしようもないとわかっている。命が助かっただけ、幸運だったのだ。
 黒色部隊の隊員の半数近くが、今回の任務中の事故で命を落とした。
 その中で生き残った……この幸運を厳粛に受け止めよう。
 それが死んでいった仲間に対する、せめてもの供養だ。そう自身に言い聞かせる端で、別の思考が持ち上がってくる。
 ……あのとき、止めていられれば。
 カズは洗面台から離れ、寝室へと戻る。クローゼットから宮廷騎士の制服を取り出して、着替える。襟元を正して、身支度を整えると、部屋を出た。
 広い廊下の傍らに並んだ窓の外、暗がりから昇り始めた朝日の光にカズは赤銅色の瞳を細めた。
 現在、午前五時。少しばかり早く起きすぎた。
 しかし、今日はカズが現場に復帰する第一日。新しい隊長の下、新生黒色部隊が活動を始める始動の日だ。新たな気持ちで挑む日に、寝坊なんてできない。憂鬱な顔なんて、似合わない。
 明るく笑って、皆の気負いを払って――国のために尽くす騎士たちの背中を押してやる。それが副隊長である自分の役目だと、カズは心得ている。
 ……二度と繰り返さない。それが俺にできることだろう?
 先の任務の失敗は、先代の隊長の不手際に寄るものであった。危険な作戦を宮廷魔法師団の助力を得ず、自分たちだけで実行しようとした結果だった。
 作戦強行を主張する先代隊長を意固地にさせたのは、他でもない自分だったのではないだろうか?
 カズはそっと唇を噛んだ。
 既に、先代隊長への信頼を固持することができなくなっていたカズは、慎重に隠していたつもりでも彼に不信感を感じさせていたのかもしれない。
 反対意見を口にしたカズに耳を傾けることなく、先代隊長は作戦を遂行させた。そして、あの悲劇。盗賊団が根城にしていた廃坑に奇襲を仕掛けたまでは良かったけれど、元々岩盤の弱い地域だったから落石の危険性は最初からあった。だから、宮廷魔法師の助力を前提とした作戦を立ち上げたカズに、先代隊長は宮廷魔法師の協力を拒否した。
 盗賊団を追い詰めた先で、廃坑が崩れた。隊員の半数が生き埋めになり、そのまま命を落とした。カズも落石を受けて、顔に大きな傷を負った。外傷は魔法医師の治療により、跡形もなく消えたが、神経治療には時間が経過しすぎていて、麻痺症状が残ってしまった次第だ。
 先代の隊長は宮廷魔法師団団長ディード・クエンツに対して、思うところがあった。王宮に古くから身を置く者たちの感情は、ディードに頑なだ。それはディードの父親が犯した謀反事件に由来する。
 自分たちが命を賭して守ろうとする存在を、殺し王位を奪おうとしたその罪は絶対に許されるものではないし――事件が未遂に終わり、数年が経とうと寛容に流せるものではなかった。
 カズも騎士団に身を置いて数年経つが、事件後の新参者であること故か、古参の者たちの感情を正確には把握しかねていた。
 ……だって、団長殿は何も悪くないだろう?
 罪を犯したのはディードの父親であって、ディード自身ではない。当時、十一歳の少年が事件に関与した様子は一切ない。
 だから、ディードが事件の責任を背負う必要は一つもない。それは亡くなった先代国王の遺志でもあったのに、いまだに割り切れない感情が残り、くすぶり続ける。
 今回の任務の失敗は、遺恨を軽視したカズのミスでもあった。
 宮廷魔法師の協力を前提とした作戦なんて、上げるべきではなかった。または、宮廷魔法師の助力を拒否した時点で、作戦自体を取り下げるべきだった。
 絶対強行を主張した先代隊長を止め切れなかった――それがカズのミスなのかもしれない。
 その責任を誰も責めやしない。だけど、カズ自身は自分のミスを自覚している。
 だから、繰り返さない。
 そう心に刻み込んで、廊下を歩き出すカズは少し先、一つの部屋の前でたむろする数人の騎士たちを目に留めた。
 彼らが着ている騎士服は青色。宮廷騎士団<<五色の旗>>はその名が示す通り、五つの部隊によって構成され、部隊は黄色、青色、白色、赤色――そして、カズが所属する黒色の五色に色分けされていた。
 青色部隊の騎士たちが、互いの身体を小突きあい「お前が」と何かを譲り合っているのは、青色部隊副隊長クレイン・ディックの部屋の前だった。
 それで、事情を全て察してしまうのはカズの良いところなのだろうか?
 カズは騎士たちに声を掛けた。
「クレインを起こすのか?」
「あっ、フライト副隊長っ! お早うございます」
 振り返った騎士たちはカズを見て、挨拶をし、頭を下げた。そうして、顔を上げた彼らの表情に微かな戸惑いを、カズは見つけた。
 それは怯えにも似た表情で、自分たちが置かれた状況に困っているという感じと言うよりは……。
 ……俺に怯えている?
 戸惑いの色を読み取って、今度はカズが戸惑った。
 どこぞの副隊長のように、カズは寝起きが悪いと言うわけではない。朝から、少し騒いでいた輩がいたところで、腹を立てたりしない。
 しかし、目の前の騎士たちはカズに対して、恐縮している。
 ……何を?
 と、問いかけようとしたところで、カズは鏡面に映った自分の顔を思い出した。笑顔を作れなくなった顔は、それはそれは不機嫌そうで――凶悪だった。
 ……ああ、そうか。
 本人にそのつもりはなくても、見ている者には怒っているように見えるのだろう。この顔は。
 カズはスッと視線を横に逸らしつつ、言った。
「クレインを起こすのか?」
 ありもしない眼力に怯えていた騎士の一人が頷くのが、視界の端に映る。
「緊急出動命令が出たので、副隊長を起こしに来たのですけれど……」
 消沈する声は、どうしましょう? と、言外に問いかけていた。
 青色部隊副隊長のクレインの寝起きの悪さは、王宮で知らない者はいない。一部では、寝起き爆弾と称しているほど。
 一応、定時になれば一人でも起きてくるが、彼の覚醒時間は午前九時。まだ、彼が一人で起き上がるまで四時間もある。
 このタイミングで、クレインを起こそうとすることは、爆弾に火をつけるようなもの。不用意に近づけば鉄拳が飛んでくること、間違いなしだ。
「デニスは?」
 カズは青色部隊隊長の名を口にした。
 緊急時にクレインを起こす役目はいつしか、彼の仕事となっていた。
「隊長はもう現場へ……」
「……それでお前たちが?」
「はい……そうなんですけど」
 爆弾が爆発するとわかっているところへ、飛び込んでいける者は、余程の勇者か、馬鹿。はたまた……お人よしか。
 最後のそれに該当する自分を自覚しているカズは、ため息を吐き出しつつ言った。
「わかった、俺が代わりに起こしてやるよ。現場はどこだ?」
 騎士たちが告げる場所を頭に刻み込むとカズは、騎士たちに先に現場へ向かうように指示した。
 重荷を捨てたかのように、軽い足取りで去っていく騎士たちを見送って、カズはクレインの部屋のドアと向き合う。
 とりあえず、指の関節を鳴らす。肩をぐるりと回して、戦闘準備を整える。
 飛んでくる鉄拳を避ければ、何も怖いことなどない……はずだ。
 カズはドアをノックする――が、この程度で起きてくれる相手ではない。いや、もう少し大きな音を立てれば、彼の耳にも届くだろうが、騎士団の寮内で騒音を立てるのは好ましくない。
 早起きしたカズを例外に、他の者はまだ眠りの中だろう。
 ドアを開けて部屋に入る。最初の部屋は居間で、その奥に寝室に繋がるドアがある。外のドアをノックしたところで、なかなか、届かない。
 カズは寝室のドアを開けて、一応、ドアを内側から叩く。
「クレイン、起きろ」
 ベッドの中、頭からシーツを被った相手に呼びかける。
 しかし、返ってくるのは微かな寝息。
 ……ま、これぐらいで起きてくれたらさ。誰もここまで、嫌がったりしないだろうさ。
 予想通りの反応に、カズはベッドへの距離を縮め、シーツに手を掛けた。
「オイ、起きろって。しご――」
 仕事だぞ、と続けようとした声は下から振り上げられた拳に遮られた。
 刹那に反応して、上半身を後ろに反らし、カズは拳をかわした。そうして、二歩、距離を取って顔を上げると、ベッドの上にユラリと立ち上がった人影が目に映る。
「どこのどいつだっ? 俺の安眠を妨害する奴は殺されても文句なんて言えねぇっての、知ってんだろうなっ?」
 片手に握った拳を震わせ、視線だけで人を殺しそうな迫力を薄紫色の瞳に宿して、クレインはカズを――この寝ぼけた相手が、こちらのことをどれだけ認識しているのか、かなり怪しいことこの上ないが――睥睨した。
「そりゃ、死んだら……文句なんて言えねぇだろうさ」
 カズは頬が引きつるのを自覚した。それは麻痺症状によるものではないだろう、恐らく。
 ……こいつ、本気で寝起きは別人だな。
「テメェかっ! いい覚悟だ、そこで死ねっ!」
 ダンと足踏みすると、クレインは飛び蹴りして来る。ギョッと目を剥いて、カズは喚いた。
「そこまで動けるならっ、さっさと覚醒しろっ!」
 カズは身体を横に反らす。頬をクレインの足の爪先が掠っていく。
 そのまま壁に激突するかと思われたクレインは持ち前の反射神経で、壁を足場にして身体を捻ると、再びこちらに飛び掛ってくる。
 反応が遅れたカズは襟首をとられ、ベッドへと押し倒された。
「ちょっと、待てっ!」
「待ったなんぞ、あるか。男なら覚悟決めて、死ぬっ!」
「勝手に殺すなっ!」
 顔面へと突っ込んでくる拳を受け止めると、カズはクレインの腕を絡め取り、横へなぎ倒す。
 ベッドから転げ落ちるクレインに、カズは素早く身を起こすと反対側への床に降りて身構えた。
 ゆっくりとベッドの陰から立ち上がったクレインは、薄紫色の瞳でカズを見据えると腰の位置を落として、彼もまた構えを取って告げた。
「今夜の飲み代を賭けて、勝負っ!」
「――はあっ? お、お前、起きてるだろっ?」
「何のことさ?」
 白々しくとぼけるクレインだが、彼の口調には先ほどまでの刺々しさはなかったが、しかし。
 カズが問い質す前にクレインは、問答無用でベッドへと飛び上がると、その高さから飛び蹴りを再び食らわせてくる。
 カズは腰を沈め、クレインの蹴りを頭上に受け流した。背後に着地するクレインに足払いをかけると、彼は背中から倒れ込みそうになりながらも床を蹴り、バック転をする形でカズと距離を取った。
「クレイン、お前なっ!」
 声を荒げるカズに、クレインは拳を打ち込んでくる。
「――っ!」
 カズは迫る拳を右へ左へと打ち流す。が、息つく間もなくクレインは中段から横蹴りを放ってくる。それをカズは腕を立てて受け止めたが、勢いが殺せず、上体が傾いだところを、クレインは抜け目なく回し蹴りを放った。
 カズはその足を掴んで引っ張ると、クレインの身体を床に叩きつけた。
 横たわる身体に跨って、カズはクレインを組み敷くことで、その動きを拘束した。
「俺の勝ちだ」
 相手の顎を捉えてカズが勝利宣言を下すと、唇の端を持ち上げてクレインは笑った。
「身体はなまっていないみたいだね」
 現場を離れていたこちらを試したとでも言うのだろうか? 
 クレインのセリフにカズは顔を顰めた。
「一週間、現場を離れていたと言っても、ベッドの上で寝ていたのはたったの一日だ。そう言うお前のほうこそ、鈍ったんじゃないか? 俺に負けるなんて」
 クレインは宮廷騎士たちの中でも、なかなかの強者として名が通っていた。カズはというと、真ん中辺りだろうか。
 対等に戦えば、カズの方が実力的に言って、弱い。
 その現実を見透かしたように彼は笑いながら言った。
「格闘術なら、アンタの方が強かったよ。剣術なら、間違いなく俺が勝つけどね」
「負け惜しみを言ってろよ。何にしても、今夜の飲み代はお前持ちだからな」
 拘束を解いて立ち上がりつつ、カズは返した。
 確かに、剣を握ったらカズはクレインに勝てなかっただろう。素手での格闘術だから、こちらに分があった。起き抜けという状況を考慮したら、勝って当たり前なのだろう。
 しかし、親切心から起こしに来て、いきなり勝負を吹っかけられ朝っぱらから、運動につき合わされたのだ。勝ちは勝ちとして、酒代はきっちり支払って貰っても罰は当たるまい。
 床の上で上半身を起こしたクレインは砂色の寝癖頭を掻くと、一瞬の間を置いて口を開いた。
「――おや、不機嫌さん、お早う」
 乱れた襟元を直していたカズは、のんきな声を吐き出したクレインに絶句しかける。
「…………お前、今、目が覚めた振りして勝負の件、なかったことにするつもりだな?」
 呆れ顔を覗かせるカズに、クレインは薄く笑った。飄々とした青色部隊の副隊長は、なかなか一筋縄ではいかない。
「何のことさ?」
 再び、白々しくとぼけてみせるクレインにカズは首を振った。
 このまま、クレインの思う通りにはさせない。
「しらばっくれようとしたって駄目だからな。お前のツケで飲んでやる。……っていうか、不機嫌って何だよ?」
 何だよ? と、問いかけながら、カズは「不機嫌さん」という呼びかけが、他ならぬ自分に付けられたクレイン特有のあだ名だとわかっていた。
 このクレインという男は、人の名前を覚えないことも、寝起きの悪さと並んで有名だった。国王陛下の名ですら覚えられないというのだから、筋金入りだ。そんな彼が誰かに呼びかけるとき、その相手の特徴を端的にとらえたあだ名をつけた。
 童顔の少年には、坊や。
 超絶美形には、別嬪さん。
 紅一点の女性には、お花さん。
 そして、カズに与えられたあだ名は先日までは――姐御であったはずだ。
「だって、姐御って言ったら怒っていたじゃん、アンタ」
「当たり前だろっ? 俺は男だし、第一に、お前のほうが俺より年上じゃないか」
 実際年齢より幾つか若く見られるクレインは、傍から見ればカズとは同い年に見えなくもない。しかし、カズの方が二つ年下だった。
「別に不機嫌さんが女だとは思っていないよ。アンタの面倒見の良さから、姐御って呼んだだけさ」
「だから、何で姐御なんだよ? その場合、兄貴でも構わないだろ?」
「いや、それは構うよ。知らない奴が聞いたら、不機嫌さんが俺の兄貴だと思うかもよ?」
「……姐御って呼ばれる俺を見て、知らない奴が俺のことを男装している女だと勘違いするかもしれないとは考えないのか、お前」
「いや、それはないよ。不機嫌さんみたいにガタイのいい女なんて、実際問題、いないと思うね」
 と、クレインがいうように、カズの背丈は成年男子の平均身長を軽く超えていた。
 ここまで大柄な女性というのは、探そうとしてもなかなか見つからないに違いないと思うが……。
「……何で、不機嫌?」
「怒ったような顔をしているよ、アンタ」
 そう指をさされて、カズは己の顔に手を這わせた。
 眉間に刻まれた皺と、きつく結ばれた唇が手のひらでわかる。
 怒っているわけではないのに、怒ったような顔。不機嫌そうな面差し。
 それは姐御というより、確かにカズの特徴を端的にとらえていると言って良いだろう。
 第三者に「不機嫌さん」と言っても、全く通じないということはないだろう。
「……好きで、こんな面になったわけじゃないんだぜ」
 カズはため息を吐きつつ、言った。
「わかっているけどさ」
 クレインは床から立ち上がると、ベッドに腰掛けた。
 欠伸をこぼす彼を横目に、カズは寝室を横切りクローゼットを開いた。青色の騎士服を取り出すと、それをクレインの方に放り投げた。
「緊急出動命令が出たって、お前の部隊の奴らが言っていたぜ。副隊長のお前がいないと駄目だろ?」
 頭の上に乗っかった制服をクレインは引っ張り下ろすと、薄紫色の瞳でカズを見上げる。
「不機嫌さんってば、ホント、面倒見がいいんだから」
「悪かったな」
「悪くはないよ。それが不機嫌さんのいいところ、まさに姐御だね。でも、時々、思うよ。真面目すぎて、全部自分で背負い込みそうだ」
「……は?」
「……多分、怪我をしてなくても、アンタ、不機嫌な面をしていたと思うよ」
「何だよ、それ?」
 カズは笑い返すが、声を吐き出そうとする喉の奥が強張るのを自覚した。
「あの事故は、アンタのせいじゃない」
「…………」
「あのオッサンが悪かったんだよ」
 クレインは黒色部隊の先代隊長をオッサンと称していた。自分より十も年上相手、しかも相手は隊長職に就いている人間対してである。
 本当に、豪胆だ。
 こいつには、怖いものはないのか? と、カズは考えるが国王の名前すら覚えないところを垣間見れば……怖いものなんて、ないのだろう。
 クレインなら、先代隊長を止めていられたのではないだろうか?
「不機嫌さんが立てた作戦を勝手に書き換えたのはあのオッサンでしょ」
 騎士団の隊長はいわば、部隊の顔、象徴であって、実際に部隊を機動運営しているのは副隊長である。
 カズが駄目だと判断した時点で、その作戦は白紙になるはずだった。隊長の決定がどうであろうと。
 だが……。
 決定権をカズは、先代隊長に預けてしまった。
 現場の危険性を目にすれば、まだ引き返すだけの判断力を持っていると甘く見ていた。
 ……全てが自分の甘さで。
 ……実際に死んだ奴もいて。
 ……それでどうして、何もなかったフリなんてできるという?
 俯いたカズにクレインの笑い声が響いた。
「ホント、アンタってばいい人だよね。坊ちゃんもさ」
 ――突然、出てきた「坊ちゃん」というのは、宮廷魔法師団団長のディードに対してクレインが付けたあだ名だ。
 童顔を気にして止まないディードに対し、面と向かって「坊ちゃん」と言ってのけるクレインの神経をカズはもう数年の付き合いになるがいまだに理解できない。
 ディードの魔力を持ってすれば、一人の宮廷騎士を瞬殺することなど、造作もないというのに。
「団長殿がなんだって?」
「今回の、黒色の作戦失敗は自分にも責任があるって、だからアンタを処分するなって、王様に談判したって。知らなかった?」
「……団長殿が」
 初耳だったカズは目を見張った。
 クレインは寝巻きを脱ぎ捨てると、騎士服に着替えながら続けた。
「王様はそんなことをしなくても、アンタを外したりはしないさ。損得にはきっちりしている人だからね、有能なアンタを手放すはずはない。無能なオッサンは即行、追放っていう判断から見てもね」
 王位に就いたばかりのジルビアは昔から臣下を振り回す悪癖を持っていて、そのせいで執政対して不安を覚える人間も王宮内には少なくない。
 だが、クレインが言うとおり、土壇場では誰よりも国王に相応しいと、カズはジルビアが王であることに対し一つも不安を感じてはいない。問題を覚えるのは、国政から外れた一個人としてのジルビアである。
 カズは人の本質を見抜く目だけは、自信を持っていた。
 先代隊長に対して、信頼を置けないということも見抜いていた。
 もう、彼に隊長職を預けておくのは限界だろうと感じていた。象徴として、飾られるだけは満足せず、隊長という肩書きを持って口を出してくるようになった時点で、カズは彼に見切りを付けていた。
 口を出してくるのは構わない。問題はその内容に中味が伴っていないことだ。
 石ころを金色に塗って金塊だと言っているような、子供染みた虚栄心。いかにも訳知り顔で、口出す内容には何一つも責任を負ってはない。
 責任を背負えない人間に何を任す?
 そう思う。だからこそ、カズは先の失敗を繰り返さないように肝に銘じて、自らの責を自覚しなければならないと思うのだ。
「おっかないね」
 クレインの声に我に返ると、身支度を整えた彼は薄紫色の瞳にカズを映して薄く笑った。
「ただでさえ、怖い顔がますます怖いよ」
「だから、これは……神経が」
 笑いたくても笑えないんだ――そう言い訳しようとして、カズは止めた。
 少なくとも今は、笑える心境じゃない。
「真面目なのもいいけどね。人の責任まで背負っていたら、潰れちゃうよ?」
「……お前は少しくらい、重石を背負ったほうがよさそうだな」
 飄々として、つかみどころがないクレインに、カズは皮肉を吐いた。
「軽そうに見えるみたいだね、俺って」
「責任感なさそうだ」
「そんなことないよ。少なくとも、俺は俺の選んだことに迷いを持たないようにしているからね」
「……自分に対してだけかよ?」
 呆れるカズに、クレインは小首を傾げた。
「それぞれが、自分の責任を負っていれば、何も間違いは起きないと思うけどね」
 それは究極の真理だろう。
「だけど……」
「ま、だから、不機嫌さんみたいなお人よしがいるわけか」
 クレインは結論を出すように言って、腰に剣を携えた。
 人間はそんなに強くない。だから、誰かの助けが必要なのだと思う。
 自分の知らないところで、こちらの責を肩代わりしようとするディードの優しさとか。
 クレインなりの慰めだとか。
 お節介でお人よしなのは自分だけじゃないな、と思う。
 それを知ることで、軽くなる心があった。
 助けられたと思う。
 カズはそっと笑った。
 ――今、笑える自分がいた。
「また、怖い顔して、怒った?」
 生憎と、麻痺が残ったカズの顔は笑顔を作れなくなってしまったが……。
 カズはクレインに視線を返しながら、いかにも怒っているであろう、顔を向けて言った。
「いや、今夜の宴会に誰を呼ぼうかと思ってな。俺の復帰第一日目を祝すわけだからな。まあ、費用はお前が出してくれるから心配ないが」
「――何のことさ」
 クレインは眉をひそめながら、問い返してくる。とぼけるというより、このままでは本当に酒宴の費用を払わされそうな予感に警戒しているようである。
 ……まあ、半分ぐらいは出してやってもよいか、とカズは思う。
 人がいいと皆は呆れるが、人に施した優しさが巡り巡って自分に帰ってくるのならば、それは悪いことではないはずだ。
「だから、宴会。ああ、今晩九時にいつもの酒場でな。別に、お前が来なくても、お前のツケで飲んでおくから、安心しろ」
 カズはクレインに急行すべき現場を告げると、アッサリと背を向け部屋を出る。
「ちょっと、不機嫌さん? マジ、怒ってんの?」
 こちらの表情が読めなくなったせいで、クレインには冗談になっていないらしい。
 焦ったようなクレインの声に、カズは肩で笑ってドアを閉じた。
 そして、窓から外を眺める。いつの間にか、暗闇は朝日によって払われていた。
「今日もいい天気だな」
 朝の光りを顔に受けて、カズは呟く。
 それはすがすがしい一日の始まり……なのだろう?



                                「夜明けの決闘 完」

                         
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