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 クレインの引退宣言



「俺、騎士団辞めるわ」
 淡々と、宮廷騎士団<<五色の旗>>青色部隊副隊長――最も、この肩書きは引退を宣言した今は、頭に元がつく――クレイン・ディックは告げる。
 それを受けても、青色部隊隊長デニス・ルカーヴは表情一つ変えやしなかった。鉄仮面と言われるほど、デニスには表情がない。
 クレインとしても、もうかれこれ八年ほどの付き合いになるのだが、デニスの相好が崩れるのを目にしたことはない。
 愛想笑いの一つでも覚えれば、この世の女全てを虜にできそうな美貌を有しているというのに、端整な顔立ちは無表情にクレインを見下して、頷く。
「王子様よ、少しは顔色を変えてくれても良いんじゃねぇの?」
 クレインは薄く笑って、一応上司に当たるデニスを見上げた。
 王子様と言うのは、人の名前を覚えるのが苦手なクレインがデニスに付けた呼び名だった。金髪碧眼の王子様的ルックスと、部隊隊長ということで、彼への信望者が多かったことによる。
 まるで、王族貴族が偉い者だと信じて疑わない民衆の愚かさを――クレイン自身は、現在フォレスト王国を治める王家や七家に対して、不遜な感情はない――デニスの信者たちにかけて。少し皮肉を込めた。
 何しろ、デニスという人間は人間として欠陥が多い。
「……すれば良いのか?」
 静かな声で王子様が問い返してくる。
 それはデニスには珍しい所業だった。必要最低限のことすら喋らないような、黙っていろと言われたら、それこそ墓に入るまで黙っていそうな無口な男なのだ。
 そのデニスの問いかけに、クレインはフッと鼻で笑った。
 デニスが顔色を変えたところで、何も事体は好転しない。
「そうだった。王子様が泣いたり笑ったりしたところで、俺の腕は戻ってこないね」
 そう言って、クレインは右肩へと左手をやった。肩から先、腕が一本丸々、失われていた。
 このアンバランスなシルエットに腕を切り落とす手術に立ち会った医師たちは、皆が一様に目の奥に同情の色を浮かべた。それを見るたびに、クレインは自分が酷く哀れな生き物のように思えたが、今回は違う。
 デニスのストームブルー――嵐の日の空色――の瞳には、何もない。
 まるで鏡のように、片腕を失ったクレインを静かに写している。
「全く、俺としたことがドジっちまったね」
 失くした腕を惜しむように、肩を撫でてクレインは苦笑した。
 デニスは黙ったままだ。この男は相槌すら知らない。愛想笑いもできやしない彼に、返事を期待するだけ無駄なことはクレインには長年の付き合いで承知済みだ。
 ただ、自分に言い聞かせるように続けた。
「副隊長の俺は、作戦をたてて、それに見合った人間を選出して後は書類整理でも大人しくやっていれば良かったんだ。それなのに、前線なんかに出張ってさ、利き腕を失っていたら笑えないね」
 一応、騎士団に身を置く者として剣はそれなりに使えるという自負があった。実際、部隊の中では五本の指に入る。勿論、隊長クラスとは比べ物にならないものではあるが。
 だから、街中で暴れている暴漢一人くらいなら、自分で十分だと思った。応援なんて必要ないと、パトロール中の足で現場へ向かった結果、片腕の損失。しかも、利き腕だ。
 剣を握る腕を失くしては、騎士としてやっていけない。
「……防護服……」
 ふと、思い出したようにデニスが問う。圧倒的に言葉が足りないため、他の者なら彼が何を問いたいのか、わからない。しかし、クレインはもう八年の付き合いを重ねている。
 防護服とは魔法が編みこまれた騎士服のことを言う。上着の下に着込んだ黒い大きな襟のシャツは、剣の斬撃を弾く鎧の効果を持っており――衝撃そのものは殺せないので、骨などはダメージを受けるが、肉を切られることはない――普通なら、クレインが腕を失う自体にはならないはずだった。
「手のひらを突き出す形になったのさ。わかるかね?」
 クレインは残った左腕を持ち上げ、手のひらをデニスに見せた。
「そこを突かれて、それから服の袖口から切っ先が入ってズブリと。防護服が逆に仇になったな。剣の攻撃を防ぐ魔法の服だ。簡単に破れたらそれこそ意味がない」
 デニスは無言でクレインを見つめた。
「筒状の中に俺の腕があって、そこに剣を突っ込まれたら、後は俺の肉を裂く以外、動かせやしない」
 肉を裂かれ、大量の出血。その激痛には、さすがのクレインも呻き声を上げた。腕を引くことにより、また筒状の中に固定された形の剣の刃は肉をそぎ落とし、神経もやられた。それでも、腕は繋がっていたのだが、問題は治療が遅れたこと。
 早く、魔法医師の下へと駆け込んでいれば、多少、麻痺症状が残っても腕は繋がっていたし剣も握れただろう。
 しかし、痛みと出血に気を失っていた。
 暴漢は逃げていた。倒れたクレインの出血の多さから、死んだとでも思ったのか。
 病院に担ぎ込まれたときは、魔法医師の治癒魔法で処置できる限界時間を過ぎていた。
 腕の傷口はズタボロで、雑菌が入り込んでいた。腕を切断しなければ、命の危険があると言われてはクレインとしても首肯せずにはいられなかった。
 利き腕を失えば、騎士を続けるのは不可能だとわかっていても、命には代えられない。
「利き腕じゃなかったら、まだ続けようって気にもなるが。左一本じゃ、一から剣を覚えなきゃならんからね。字だってまともに書けやしないし、副隊長の仕事にも障りが出てくるだろし、引退するしか道はないよ」
 目を上げたクレインを、デニスは無感動に見つめ返してきた。
「だから、辞めるわ」
 もう一度、繰り返したクレインにデニスは頷いた。
「次の副隊長は、前々から目をつけていた姫さんにやらせようと思う」
 クレインはそう告げて、笑った。
 自分の跡を継がせるのは、まだまだ先のことだと思っていた。もう直ぐ、三十になるが現役としてはあと十年、続けるつもりだったというのに。
「ホント、やってらんないね」
 ポツリと、クレインは愚痴をこぼした。



                             「クレインの引退宣言 完」


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