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 鏡よ、鏡?



「アールの黒髪って綺麗だよね」
 アレンの唐突な発言に、俺は目を丸くした。
 いきなり、何だ?
 展開が読めねぇっていうか……これは、何か? 何か、裏があるのか?
 俺は口にしていたパンをゴクリと飲み込んだ。喉元を通り過ぎるそれが一瞬、詰まりそうになって、俺は慌てて紅茶を入れたカップに手を伸ばす。
 そして、一口、紅茶を口に含んでそのまま吹き出した。
「ぶっ!」
「何? 何なのっ? アールってば、汚いなー」
 危うく、俺が吹き出した紅茶を全身に浴びそうになった――寸前で、脱兎のごとく椅子から退いた――アレンは、水色の瞳で俺を睨んだ。
「お、お前のせいだろがっ!」
 俺は口の周りを拭いながら、紅茶のカップをテーブルに戻した。
 俺のこの醜態は、他でもない。アレンが入れてくれた紅茶に塩が入っていたことによる。
「お前、コレ、塩入ってるぞっ?」
「何、言っているの? そんなことないよ」
 と、アレンは椅子に腰掛けなおすと、逃げるときも放さずにいたティーカップを優雅に傾け、涼しげな顔で紅茶を口に含んだ。そして、表情を一つも変えることなく、静かに嚥下する。
「普通の紅茶じゃない。言っておくけど、これって最高級茶葉なんだよ? ちゃんと、味わって飲んだらどうなの」
 ……この味覚オンチが。
 せっかくの最高級茶葉を台無しにして、何を言う?
 大体、紅茶をいれる手順からして、アレンの奴は間違っているんだから……最高級茶葉も泣くぜ。
 俺はティーカップをそっと遠のけた。
「……お前さ、さっき、何て言った?」
 そして、先程のアレンの言葉の真意を探ろうとする。
 だってさ、おかしいじゃん。アレンがあんなこと言うなんて。
 いや、……そうでもないのか? たまに俺の顔を綺麗だと言うからな。
 母親譲りの俺の顔はまあ、人並み以上に見えるけれど。超絶美形のアレンに比べたら、どうってことはない。
 そんなアレンは自分自身の美貌を自ら大絶賛するような、ナルシスト。
 自分を綺麗だ、一番だと言う、アレンが他人を褒め称える真意っていうのは、いまだ想像つかない。
 今回は、そんなアレンの真意を探る良い機会なのかもしれない。
 そう思う俺に、アレンは小首を傾げる。淡い金髪が微かに音を立てて、さらりと流れた。
「味わって飲んだら?」
「その前」
「最高級茶葉? あっ、そうだった。アール、お茶代よろしくね」
「何でっ?」
 思わず目を剥いた俺を、アレンは心外そうに見返してきては、顔を顰めた。
「何を驚くの? アールだって、お茶を飲んでいるんだから、茶葉の半分がくらい負担すべきでしょ?」
「お前が勝手に買ってきて、入れてるんじゃねぇかっ!」
「だって、この家には茶葉がないから、僕が調達してきてあげたんだよ」
「……しょうがねぇだろ? 俺は貧乏なんだから」
 毎月、ギリギリの生活費で暮らしている俺にとって、茶葉を買う余裕すらないときもある。そんな俺から、金をせしめようなんて、アレンは何か? 俺が憎いのか?
「二千ゴールドね」
 俺の言い訳もどこ吹く風で、アレンは白い手のひらをこちらに差し出してきた。
「……つ、次の仕事の報酬が入るまで待て」
 俺は目頭が熱くなるのを堪えて言った。
 に、憎いんだな、俺が?
 俺、何か……アレンに憎まれるようなことしたか?
 それこそ、俺がアレンを恨むならともかく……。
 ああ、もしかして……。
 俺はふとした考えに、ひらめきのようなものを覚えた。
 つまり、こういうことか?
 自分が綺麗だと、のたまうナルシストのアレンは、ちょっと見目のいい俺の存在が許せないとか?
 ……まさか、そんなことはないだろうと思うけど。アレンならあり得そうだと、妙に確信できるところが末恐ろしい。
「……その前って、黒髪が綺麗だね?」
 アレンは両手のひらをポンと打ち合わせると、小首を傾げて、上目遣いに見上げてきた。
 長い睫を淵に飾った空色の瞳。穏やかでいて、柔らかな青。そんな宝石を並べたアレンの顔は、とにかく美形、美人。自分を自画自賛したい気持ちはわからないでもない。
 だから、まあ、アレンはナルシストになるべくして、なったのかもしれない。
 その場合、他人を褒めるっていうのは……ありなのか?
 何か、裏があるような気がしてならない。
「……この髪が?」
 俺は自分の髪を摘んで、問い返す。
「うん、真っ黒で綺麗だね。混じりけのない純黒ってさ、綺麗だと思うよ」
「……本気で?」
「何? アールってば、自分の髪が嫌いなの? そう言えば、綺麗な顔とか言うと、嫌そうな顔をするよね」
「男が綺麗だなんて言われても嬉しくないだろ?」
「僕は嬉しいよ」
 そう言って、アレンは無意味に胸を張った。
 そりゃ、お前はな。自分を綺麗だってのたまう神経の持ち主だからさ。
 でも、普通男としてはカッコいいねだとか、強そうだとか、言われる方が嬉しくないか?
 ……まあ、今はそんなことは問題にしているんじゃないけれど。
「アレンってさ、何気に、他人に対しても綺麗とか言うよな」
「綺麗なものを綺麗って言ったら駄目なの?」
「……そんなことはないが」
「あのね、アール。世の中には綺麗なものは沢山あるんだよ?」
「……まあ、それはそうだろう」
「それに対して、綺麗って言ったら駄目っていうわけ?」
「いや……そんなことはない」
 ただ、自分を綺麗だとか、言っている口でさ。
 ナルシストって、結局、自分のことだけよければいいんじゃないのか?
「あのね、アール。綺麗なものを素直に綺麗って言える心が大事なんだよ」
 アレンは首を振って、しょうがないなー、と言いたげに口を開いた。
 ……お前に心の大事さを、説かれたくはないがな。
「綺麗なものを、妬むわけでも僻むわけでもなく、素直に綺麗って言える、その心が綺麗なんだよ、わかる?」
「……つまり、何か?」
「僕って、心の中まで綺麗ってこと」
 ニッコリと微笑むアレンの美貌に、俺はあんぐりと口を開けながら、呟いた。
「…………それが言いたかったのかっ?」
 どこまでも……どこまでも、自己への絶賛で締めくくる。
 でも、アレンってさ、腹の中は結構、黒いよな?
 それでいて、心も綺麗って…………。
 …………あ、もしかして、腹黒さもまた、純黒なら美しいとか?


                               「鏡よ、鏡? 完」 
 

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