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 キラキラの星


 風にそよぐ緑の木の葉が、まるで歌うように鳴っていました。
 さらさら、と。
 願い事を書き記した色とりどりの短冊が、風に揺られて踊っていました。
 ゆらゆら、と。
 沢山の飾りで着飾った七夕祭りの笹の葉が、わたくしの目の前で輝いていました。
 きらきら、と。
 それは、七月七日の出来事です。


                   * * *


 ――シャリン。
 ドアベルが開かれた扉の動きで耳に心地よい音を奏でます。
 カウンター前のスツールに腰掛けていた日向さんが、その音に釣られるように肩越しに振り返りますと、買い物袋を沢山抱えたマスターがドアの影から顔を覗かせました。
 冷房が効いた店内に入ってくる際、マスターの短く刈り込んだ黒髪がドア枠に触れそうでした。
 見上げるほどに背が高く、そして広い肩幅に、厚い胸板。
 その外観は大柄で、小さいわたくしには、最初お会いしたときは思わず腰を引いてしまうほどの恐ろしさを感じました。
 しかし太い首の上にのった顔は、頑強そうな顎を除けば、黒々とした太い眉は下がり気味で、その下に並んだ目は丸く。鼻の頭も少し丸みを帯びていて、この前、テレビで見ましたパンダに似ているように思います。
 大きな身体に、人懐っこそうな愛嬌ある表情で、マスターはとても人が良さそうな笑みを浮かべます。
 もっとも、わたくしのご主人様である日向さんは、マスターにも負けないくらいの人の良さそうなお顔をしています。
 顔の半分を占めるような瞳を――さすがに、この表現は大げさかと思われますが。それぐらい、目が大きくて。他の方々からは、少し年の頃より幼く見られます――細め、ニッコリと白い歯を覗かせて、お日様のような穏やかな笑顔で、言いました。
「マスター、開店前なのにお邪魔しています」
「ああ、日向君。ネコちゃんとお散歩かい?」
 マスターは七夕飾りの下で、ちょこんと座っていたわたくしを――飼い主である結城日向さんが、わたくしに下さった名前は「ネコ」ですが、正真正銘の犬である――目に留めますと、大きな手を伸ばしてきました。
 そうして、わたくしの頭を撫でてくださいました。きっと、林檎などを片手で潰してしまえるほどに力が強いだろう指先に、繊細な気遣いを乗せて。
 優しく毛並みを撫でるその手に、わたくしは嬉しくなって、尻尾を振ります。
「――こんにちは、マスター」と。
 ご挨拶すれば、どんなに人語を理解していようと、悲しいかな犬であるわたくしの喉を通れば言葉は、
「――ワン」
 という鳴き声に変わります。
「ネコちゃん、元気かい? 夏も本番だからね。夏バテなんか、してないかい?」
 腰を屈めて、わたくしの目を覗き込んでは、心配そうに眉を下げます。
「んな、心配ない、ナイ。聞いてくれよ、兄貴。日向ってば、日傘に水筒なんか持って出歩いてるんだぜ」
 粗野な声が飛びますと、奥の厨房から顔を出したのは髪を金髪に染めた男性でした。
 Tシャツの上に、ライトブルーのエプロンを身に付けたその青年は、日向さんの幼馴染みであり、マスターの弟さんでもある星野天河さん、十八歳。大学に通いながら、空いた時間にご実家の家業を手伝っていらっしゃる――外見では、どこか軽薄な印象を受けますが――真面目な男性です。
 口の悪さが玉に瑕――と、いうのが周囲の評判――なのですが。
「日傘?」
 マスターは――満天さんと言います。満天と書いて、ミソラと呼ぶそうです――ドアから入ったすぐ傍にある傘立てを振り返りました。
 鉄の枠組みで作られた武骨なまでにシンプルな傘立てにあるのは、白地にレースフリルのついた明らかに女性用の日傘が一本。
 それから満天さんの目は流れるように動いて、カウンターに置かれた水筒を視界に納めました。
 そして、不意に視線を落とせば、わたくしの前に置かれた、水が一杯に注がれた水筒のカップを見つけます。
「……夏の日のお散歩に……水筒を持って出るなんて、日向君は気がつくね。……脱水症状は危険だものね……」
 日向さんを振り返った満天さんは、笑いました。その頬が引きつっているように見えるのは、わたくしの目の錯覚でしょうか?
 そんな満天さんに、天河さんが言いました。
「それがさ、コンビニに買い物に来たって言うんだぜ。ネコ連れて」
「……コンビニ?」
「そう。何でも、お袋さんが旅行に出かけてるから、飯買いにって」
 コンビニエンスストアの前で日向さんは天河さんとお会いして、そう会話を交わしましたところ。
 天河さんが「昼飯ぐらい奢ってやるよ」との一言。
 日向さんとわたくしは、その言葉につられて、楓町商店街の一角にあります喫茶店「ベガ」にやってきました。
「ベガ」という店名は、満天さんや天河さんの名前からわかりますように、お二人のお父様である先代マスターが星好きだったことから、名づけられたそうです。
「ネコちゃんを連れて……日傘に、水筒……」
「しかも、ネコを歩かせるわけじゃなく腕に抱いてだぜ」
「だって、熱くなったアスファルトを、ネコちゃんに歩かせるわけにはいかないだろ? クロ焦げになっちまう」
 日向さんが冗談じゃない、と。声を荒げました。その言葉を聞いて、わたくしは目を見張りました。
 く、クロ焦げになってしまうのですかっ! 
 そ、それは恐ろしいっ!
 わたくしは思わずブルリと身体を震わせます。
 夏のお散歩に、日向さんが早朝と真夜中の時間を選んでいるのは、わたくしのことを思ってくださってのことなのですね。
 沢山の愛情と気遣いに生かされているのだと知れば、小さなこの我が身もとても尊いものに思えるから、不思議です。
 ――要らない、と。
 真冬に川原の土手に捨てられていたわたくしの命も、この世に生きていて良いのだと。様々な人の優しさに触れるたび、許される気がします。
「オレが雑誌を買いに行ったそこで日向のイカれた姿を見たときには、我が目を疑ったぜ。マジ、信じらんねぇっての」
「何だよ、何かおかしいか?」
 日向さんが首を傾げて、不機嫌そうに唇を尖らせました。
 わたくしもまた、首を傾げます。
 天河さんは、何が信じられないというのでしょう?
「オカシイも、何も。普通、十八にもなる男が、女物の日傘をさすこと自体、ありえねぇだろが」
「何で?」
 日向さんは大きな目をパチパチと瞬かせました。
「……日向君、それ、本気で聞き返しているの?」
 少し声を潜めて、満天さんが日向さんに尋ねます。
「はい? いや、まあ。俺だって、別に好きこのんで、女物の日傘をさしたわけじゃないですよ」
 満天さんの表情は真顔で、そういう趣味があるのか? と、問いかけていました。
 日向さんは慌てて、弁明します。
「じゃあ、何だよ?」
「だって、直射日光が強かったからさ。危ないだろ、日射病になったら」
「それで、日傘? キャップ、かぶれよ」
「俺はそれでもいいけど。ネコちゃんが陽に当たるだろ」
「……ネコちゃんのために?」
「それ以外に、さすがの俺も女物の日傘なんてさしませんよ」
 誤解しないで欲しい、と語気を強くして、日向さんは言いきります。
「あのさ、コンビニに買い物に行く間ぐらい、ネコを留守番させたら?」
「何言ってんだよ、天河。そうしたら、一人寂しいだろ?」
「……いや、ネコだって」
 一人で――わたくしの場合、一匹なのですが――留守番できるだろ? と、天河さんが口を開きかけたところを、日向さんが遮りました。
「俺がっ!」
「――――お前かよっ?」
 日向さんのボケに絶妙のタイミングで、天河さんがツッコミました。
 なるほど。さすが十年来の幼馴染みです。


                    * * *


「日向君も、願い事を書いてみる?」
 そう言って、満天さんが赤い短冊を日向さんに差し出してきました。
「これ、始めたのは、満天さんですか?」
 日向さんは短冊を受け取りながら、喫茶店の店内に飾られた七夕飾りを指差しました。
 エアコンの吹き出し口から流れる冷気が、笹の葉を揺らします。
 さらさら、と。
「まあ、店の名前にちなんで――と、言いたいところだけど。商店街の企画でね」
 フフフっと、満天さんが微笑めば、パンダに似た顔立ちが優しい雰囲気をかもし出します。
「ああ、織姫でしたっけ……ベガは」
 日向さんはスツールから降りると、七夕飾りへと近づき、天井まで届く七夕飾りを見上げました。
 笹の葉を飾る色とりどりの短冊には、様々な願いが書き込められていました。
 受験生である――日向さんは諸事情で、現在浪人中です――ご主人様のお傍で育ったわたくしは日本語なら少し読むことが出来ます。
 最も、犬であるわたくしは、字を書くことは出来ませんし、人間の言葉を喋ることも出来ませんが。
「恋愛成就」という可愛らしい文字の短冊は、女子高生が書いたものでしょうか?
「家内安全」、「家族が健康でありますように」というのはお父様、お母様方のお願い事でしょうか。
 お店のお客様の年齢層からみれば、どの文字もなかなかに達筆です。
 しかし中には、神様へ向けて「かみさま、ぱぱにしてください」と拙い字で、書かれてあるものもありました。
 日付入りなのでしょうか、七々とそこだけ漢字で書かれています。
 やはりこれをお書きになったのは、お子さんなのでしょう。七月七日と書くべきところを間違えているようです。
 しかし、このお子さんは、大人になりたいのでしょうか? 
 それとも、お父様のようになりたいのでしょうか?
 お子さんの言葉の選択は、ときに突飛です。だけど、子供らしさが伝わってきて、ほのぼのとします。
 日向さんもその短冊に気がついて、淡く微笑みました。
「叶うといいね」
 そう囁く日向さんとわたくしが、人様の願い事を覗き見していますと、厨房から再び、天河さんが顔を出しました。
「兄貴、バニラエッセンスを買い忘れてるぞ」
「ええっ? 確か、買ったはずだけど」
 驚いたように、満天さんは天河さんを振り返ります。
「瓶を間違えたんだろ、これ。オレンジエッセンスだ」
 と、天河さんは手にした茶色の小瓶を横に振ります。
「別にこれでも使えるけど、どうする? 子供相手だったら、バニラの方がいいと思うぜ?」
 天河さんの一言に、満天さんは慌てたように店を飛び出していきました。
 シャリンシャリシャリン――ドアベルの音が、満天さんの慌てぶりを現しているようです。
「どうしたんだ、満天さん?」
「ケーキさ。知り合いの子供が誕生日なんだよ、今日。それでケーキがプレゼントさ。兄貴、菓子作りのほうは全く駄目だから、オレが作ってやってんの」
 こう見えて――というのは、失礼でしょうか――天河さんは、「ベガ」で出されるお菓子を一手に引き受けて作っているとのことです。
「それで、あの慌てぶり……?」
「まあ、その子の母親が美人なんだ。母子家庭なんだけどな。子供が近所の幼稚園に通ってて、母親と帰り道によくうちの店に来てくれて――まあ、そこまで言えば、わかるだろ?」
「誕生日会に誘われる仲なんだ?」
 日向さんはニヤニヤと笑いました。
「とはいえ、兄貴はさ、あのガタイに反した性格だから、いまいち押しが弱いんだ。もう一年になるってのに、子供の反応が怖くて告れねぇの」
 しょうがない、と言いたげに天河さんは肩を竦めました。
「脈は確実にありそうなんだがな」
 それから思い出したように、紙の箱を日向さんの方に差し出してきました。
「これ、カツサンド。おごりだ」
 天河さんは律儀でした。言葉通りに、お昼を奢ってくださるようです。
「それから、これはネコ用」
 そして、もう一つ、小ぶりの箱を上乗せしてくださいました。
 何とっ! わたくしの分まで?
「ありがとうございますっ! 天河さん」と、言葉にすれば、
「ワンっ!」
 やはり声は鳴き声にしかなりません。
「鳥の肉をすりつぶして、豆腐と混ぜた団子だ。から揚げしているから、食感が楽しめると思うぜ。ああ、言っておくけど、日向は食うなよ? 犬用に味を薄くしているから、人間が食ったら、味がしねぇ」
 犬であるわたくしにまで、細心のこの気遣い。
 口の悪さが突出していますが、天河さんは日向さんに負けず劣らずのお人好しです。
「口は悪いけど、いい奴だよなー、天河は」
 日向さんはお土産を受け取りますと、少し考えるような間を置いた後、天河さんに言いました。
「奢ってもらってばかりじゃ何だから、一つ魔法の言葉を教えてやるよ。これをマスターに言ってみるといいよ。ハッピーエンドだ」
 片目を瞑って、日向さんは笑うと、魔法の呪文を唱えました。


                    * * *


 初夏と呼ぶに相応しい熱気を夜風で冷ました、一日の終わり。
 満天の星が煌めく夜空で、一年に一度のこの日だけ、天の河で彦星様と織姫様が出会うことが許された日だとか。
 そんな七夕の夜に、人々は願いごとを星に託します。
 静謐な夜の川原。緑の草が夜露に濡れているのも構わずに組み敷いて、わたくしたちは空を仰いでいました。
「一年越しの再会か。ロマンチックだね、ネコちゃん」
 そう、うっとりとした声で呟くのは、日向さん。
 小さなわたくしを両腕に抱いて、日向さんはキラキラと瞳を輝かせて、夜闇のなかでガラスのように煌めく星々に、感嘆の吐息をこぼします。
 少し夢見がちなご主人様が短冊に記した願い事は、
「当然、大学合格――そして、新たなる出会いに恋が芽生えること、そして、幸せな人生。宝くじが当たれば文句なし」と。
 幾ら七夕の夜とはいえ、そんなに沢山の願いを叶えてくださるのでしょうか? と、首を傾げてしまいますが。
 ですが、特別なこの夜に、幸せを願うことはそう悪いことだとは思いません。
 いつもの真夜中のお散歩に見上げる星空も、このときだけは違って見えるから、不思議です。
「男が七夕にロマンを語るなよ、気色悪ぃ。っていうか、まだ真夜中の散歩してたんだな。 そのうち、変質者に間違えられるぞ」
 せっかくの雰囲気を台無しにする無粋な声が突然、頭上から降ってきました。
 日向さんはムッとして、肩越しに振り返ります。
 わたくしも、日向さんの肩によじ登って声のした方を見ますと、星明りに金髪を輝かせた天河さんが呆れたように、わたくしたちを見下ろしていました。
「男が星にロマンを語って、何が悪い? この広大な宇宙の神秘を前に、ロマンを求めない奴が変だぞ」
 日向さんは唇を尖らせます。
 同い年のはずなのに、天河さんの前では何だか、子供のようなご主人様です。
 しかし、怒っているように見えて、目が笑っているところを察すれば、日向さんは天河さんとの会話の掛け合いを楽しんでいるご様子。
 やはり、幼馴染み故のものでしょうか。少し羨ましく感じます。
「宇宙の神秘ならともかく、お前が語っているのは織姫と彦星のことだろ。あのな、それって間違いなく女の思考だぞ?」
「女心を理解しているからの発想さ」
「でも、彼女はいないんだよな」
「あぐっ」
 日向さんは呻きました。
 大学に入学すれば、彼女が出来ると信じていた日向さんは、受験に失敗した現実を思い出しているのでしょう。
「来年こそは、彼女を作ってやる!」
 宣言するように日向さんが拳を作れば、天河さんが冷めた口調で言いました。
「別に、来年じゃなくても、明日でもいいだろ? 女を作るのは」
 勝手にやってろよ、と。ヒラヒラと手を泳がせます。
 そんな天河さんに、日向さんが悲鳴染みた声で即答しました。
「出来ない相談は止めてくれっ!」
「……出来ないのかよ」
 あまりの潔さに――諦めの早さに――あんぐりと口を開けて、天河さん。
 それから、我に返ったように急ぎ足で近づいてきました。
「なあ、お前。どうして、兄貴の相手がわかったんだ? オレ、相手の名前も子供の名前も、一言だって口にしてねぇだろ?」
「あー? ああ、首尾はどうだった?」
 日向さんは詰め寄ってきた天河さんに一瞬、戸惑いました。
 しかし、話の焦点がどこにあるのか理解した様子で、白い歯を覗かせて笑いながら、逆に問い返しました。
「ナナちゃんに――七々ちゃんに認めて貰えたって…………有頂天で帰ってきた」
「成功だったんだ? やっぱりね」
「何、一人でしたり顔してるんだよ? っていうか、誕生日プレゼントに『パパになってあげる』って、普通だったら引くだろ?」
 天河さんが口にした『パパになってあげる』というのは、日向さんが満天さんに授けた魔法の言葉です。
 日向さんは、満天さんにその言葉を誕生日プレゼントとして、お子さんに言うようにと助言していました。
 天河さんはわけがわからないながらも、それをそのまま、満天さんに伝えたのでしょう。そして、満天さんもまた、勇気を出してお子さんに言ったのでしょう。
『七々ちゃん、パパになってあげようか?』――と。
 結果、七夕の夜に満天さんの恋は成就したようです。
 何と、喜ばしいことでしょう。
 きっと、天の河の彦星様と織姫様も、我がことのように喜んでくださっているのではないでしょうか?
 だから今夜は、特別に星が綺麗なのかもしれません。
「何で、七々ちゃんが『パパ』を欲しがっているって、わかったんだ?」
 天河さんがズイッと身を乗り出して、日向さんに問いかけます。
「そりゃ、店の短冊に書いてあったからさ」
 当たり前のことのように口にしました日向さんに、わたくしは首を傾げました。
 七夕飾りの短冊に書かれてあった願い事。
 日向さんが言われるものに一番近いと思われる願い事は『ぱぱにしてください』というもので、けっして、満点さんに『パパになってほしい』とは書いていなかったはずです。
 第一にどうして、願い事を書いたその短冊が、満天さんの想い人のお子さんのものであると日向さんにはわかったのでしょう?
「もしかして、『ぱぱにしてください』っていう、短冊か?」
 天河さんもお店に飾られていた短冊を読んでいたようです。
 それでも、眉間に皺を寄せながら、納得しかねるという顔をなさっています。
 そのわけは他でもない。今夜、天河さんとの会話のなかで初めて、日向さんがお子さんの名前が『七々』さんだと知ったということでしょう。
 疑問視する天河さんとわたくしを前にして、日向さんは快活な笑みを見せながら、星空を指差しました。
「答えは、今日さ。七夕だよ」
「はあ? わけわかんねぇよ」
「だから、今日は七月七日だろ。ナナっていう名前、普通だったら『七』の一文字で事足りるだろう? でも、その子の名前は『七々』――二つの文字を並べたのにはきっと意味がある。そう考えれば、答えは見つかるだろ?」
 てっきり、日付を書き間違えていたのかと思いましたが――名前だったようです。
 そして、その名前の由来は、
「七月七日に生まれたからかっ!」
 天河さんが驚いたように声を張り上げました。
「そう。そうしたらもう、後は芋づる式でわかるだろ? 今日が誕生日の七々ちゃんが、七夕の短冊に願い事を書く。それは今一番、欲しいものじゃないか? 何てったって、誕生日なんだからさ」
「でも、待て。それが兄貴のことを指しているなんて、どうしてわかるんだよ? 他の誰かかも知れねぇだろ? もしかしたら、幼稚園の先生かもしれない」
「だったら、そう書くだろうよ。七々って、自分の名前を漢字で書くような賢い幼稚園児なんだから。でも、書かなかった。書く必要がなかったのさ」
「何で?」
「七々ちゃんの目の前に、自分のパパにして欲しい相手がいるんだ。神様には伝わるだろう?」
 全ての謎の解答を提示して、日向さんは誇らしげに胸を張りました。
 天河さんは目を見開いて、言葉もありませんでした。
 一体、どのように紐解けば、そのような素敵な答えが見つけ出せるのでしょう。
「……何か、今日のお前、いつもと違って見えるな?」
 やがて、唸りながら、天河さんは唇の端を緩めました。
 幼馴染みである天河さんは、夢見がちでお人好しな日向さんを知っているつもりでいただけに、鮮やかに謎を解いた日向さんには驚いているようです。
 ちょっとだけ、わたくしは嬉しくなりました。わたくしは探偵をなさっている日向さんを知っていましたから。
 十年来の月日には勝てませんが、わたくしが日向さんを思う気持ちは、天河さんには負けません。
 こんなことで、勝った、負けたなどというのは、おかしなことなのかもしれませんが。それでも、誰よりも日向さんのことを知っているという自負が、わたくしを幸せな気持ちにするのです。
 そうして、わたくしは日向さんの肩の上で、尻尾を振ります。
「ああ、そうか。今日は七夕だからか」
 ポツリと、天河さんが呟きました。
「何だよ?」
「ネコが願ったんだな、と思ったのさ。お前の頭が良くなるように、って。だから、今日は妙に頭の回転が速かったんだな」
「何だよ、それ」
「そのままの意味だろ?」
 天河さんは意地悪そうに唇の端を引き上げますと、
「とりあえず、兄貴からの伝言。ありがとう、ってさ」
 やがて、皮肉を解いて柔らかく笑いました。
 満天さんの幸せを喜んでいるのがその表情から見て取れます。天河さんはその実、とてもお兄さん想いなのです。
 口が悪いので、そう見えないかもしれませんが。
 先代マスターがお亡くなりになってから、一人で店を切り盛りして学費を出してくれた満天さんを、天河さんは尊敬しているのだと、日向さんがこっそり、わたくしに教えてくださいました。
「なあ、お前さ、欲しいものとかあるか?」
「愛が欲しい」
 天河さんの問いかけに、即座に答えた日向さん。
「アホか。せっかく、礼に何かくれてやろうと思ったのによ」
 苦笑した天河さんは、軽く握った拳を日向さんにぶつけました。
 ご自身の言葉で、日向さんに面と向かって、お礼を言うのが照れくさいのでしょう。
「七夕だから、別に礼はいいよ」
 日向さんは、拳をぶつけられた頭を撫でつつ、そっと星空を眺めて言いました。
「七夕が関係あるのか?」
「願い事をする日だからさ。その願い事は、別に自分のためじゃなくったっていいはずだし」
「……なるほど。七夕なんて、子供か女のもんだと思っていたけどな、オレは」
 軽く肩を竦めながら、天河さんも星空へと目を向けます。
「みんなのものだよ。自分のため、他人のため、公然と願い事を口にできる日さ。恥ずかしがることはない」
「……その言葉に乗って、兄貴の幸せを願ってやるか」
「いつだって、願っているくせに。こんな日じゃないと、天河は素直になれないんだから、七夕も捨てたもんじゃないだろ?」
「日向らしくないカッコいいこと言うな」
「……それって、カッコ悪いのが俺らしいってことかよ?」
「そのままの意味だ」
「ひでぇっ!」
 ムッとして唇を尖らせた後、日向さんは声を立てて笑いました。
 天河さんも空を眺めながら、笑っています。
 わたくしもまた、星空へと目を向けながら、願います。
 どうか、わたくしの大好きな人たちの笑顔がいつまでも失われることがありませんように。この夜空に輝く星のように、いつまでもキラキラと輝いていますように。
 七夕の夜に、想いを込めて。

 ――祈りましょう、あなたの幸せを。


                                   「キラキラの星 完」


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