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 シンデレラ綺想曲


 彼女はとことん、お人好しだった。
 自分がどれだけお人好しなのか理解していないくらい、お人好しだった。
 誰かに施す行為を、それは誰もが同じくやっているものだと思っていて、自分が人に良いことをしているなんて、全く考えてもいない、信じられないくらいのお人好しだった。
 どんなに人間が善くっても、他人のために暖炉の灰まみれになりながら、黒ずんだ指輪を探すか?
 使い物にならなくなった指輪を自分が燃やしたわけでもないのに、「弁償しろ」と言われて、なけなしの貯金を崩して新しい指輪を買ってやるお人好しは、世界中を探したって彼女一人しかいないだろう。
 そうして、新しい指輪を手に入れた継姉がほくそ笑んでいるのを見て、良かったなんて、素直に喜んでいるお人好しは、彼女だけだ。
 ――はっ? その娘は、馬鹿じゃないかって?
 言葉を慎めよ。彼女を愚弄することは許さん。
 騙されているなんて欠片にも考えないほど、彼女はお人好しなんだ。
 善良なんだよ。彼女の純真無垢な穢れなき心は、この世における至高の宝と言っても、過言ではないだろう。
 そのせいで、継母や継姉たちにいいように利用されているなんて、思ってもいない。
 彼女の父親が死んだ途端、威張り散らし始めた継母と継姉たちが、我がままを言うたびに、彼女は継母や継姉たちが父親の死の悲しみをそうすることで忘れようとしているのだと、善良に解釈してしまう。
 底値なしのお人好しだ。
 使用人に金を払うのが嫌になって、追い出した継母の吝嗇を節約と翻訳してしまう。彼女の脳内には悪い意味の言葉が何一つ入ってはいない。
 ――知恵が足りない?
 何度も言わせるな。彼女を愚弄することは許さんぞ。何なら、手袋を貴様に投げつけてやろうか。彼女の名誉を守るためなら、無二の親友である貴様と決闘することになったとしても、我が人生に後悔なし。
 ――冷静になれだと? 私は常々、冷静だ。
 のぼせてなど……、うむ。確かにそういう意味では、私は彼女にのぼせているだろう。
 わかった。この剣は鞘にしまおう。
 蒼い顔をするな、何を怯えている?
 たかだか、上着を一枚切られたくらいで。首を斬られなかっただけ幸いと、そう神に感謝しろ。
 私の寛容さに床に額を擦りつけて、ひれ伏すがいい。
 ――偉そうだと?
 ああ、認識を改めてくれたか。ズボンが台無しになったが、気にしないでやろう。
 貴様の太ももなど、何の慰めにもならんが、面白いものが見れた。どうでもいいが、下着にピンクは感心しないぞ……。
 男なら、情熱の赤だろう!
 ――何、ちょっと違う気がする? ピンクの貴様が言うな。
 前置きが長くなったが本題に入ろう。我が親友よ。そういうことだ、協力を頼む。
 ――何のことか、わからない? 貴様の方こそ、知恵が足りないのではないか?
 ここまで話したら、何故、理解しない?
 理解できない貴様は、さては恋というものを知らんな?
 …………汚い。
 図星を突かれたからと言って、茶を噴き出すな。思わず、条件反射で剣を突き出してしまったではないか。危うく我が親友の死体が一つ出来上がるところだった。
 代わりにソファが台無しになったな。革を張りかえれば使えるだろうか。
 むっ、背凭れに穴があいてしまっているな。これでは使えんか。
 ――手加減しろだと? 私は全てにおいて、全力を尽くすことを心情にしているんだ。
 まあいい、貴様の言い分を聞こうか。
 ――恋愛経験だけなら、私より豊富だというのか? ほう、ふむふむ。むっ、あの令嬢とも? それは知らなかった。難攻不落と言われた、かの令嬢と付き合いがあったなどとは。なるほど、前言は撤回してやっても良い。常々、忘れそうになるが貴様は二十五になるのだから、それなりに経験があって当然か。
 しかし、それだけの数をこなして置きながら、真実の愛に辿り着いていない貴様は、やはり恋愛敗北者と言っていいのではないか?
 ……疲れた? 何を疲れたと言うのだ。ときおり、わからんことを言う奴だな。まあ、いい。単刀直入に言おう。
 私は彼女を妃に迎え、幸せにしたい。
 というわけで、貴様は彼女を私の誕生パーティーに連れて来るんだ。
 できれば、当日まで彼女の参加が誰にもばれないように、他の参加者に紛れ込ませろ。
 やはり彼女を父上や母上に紹介するにはドラマチックに演出する必要があるだろう。私にとってこれ以上相応しい相手はいないと思わせるような、劇的かつ心に残るシチュエーションには、やはり大舞台が相応しいだろうからな。
 そこで私は彼女に初めて出会ったようなふりをして、運命の出会いを演出しよう。
 彼女の灰をかぶった淡い金髪や今は荒れているが真珠のような肌は、磨けば光り輝く宝石のような美しさを見せるだろう。天を映したような青い瞳も思わず啄みたくなるような薔薇色の唇も、愛らしい。
 彼女は美の神に愛された天使。かのような美しき女人をいずれ国母と仰ぐこととなる国民たちは、宝石の原石を発掘した私に感謝することになるだろう。
 貴様はその場の一端に関与することになる。胸を張れ、光栄に思うが良い。
 ――無理だ? 何故、やってもいないうちから、そんなことを言う?
 庶民にパーティーの参加は認められていないなどということは、既に承知している。だからこそ、貴様に命令しているんだ。ありとあらゆる手を尽くして、彼女を参加させろ。
 後のことは、私が自分で片を付ける。私の情熱を知れば、皆も彼女が私の運命の相手と感じるだろう。
 そう思わせてしまえば、後は簡単だ。私の辞書に不可能という言葉はないのだからな。
 ――協力? そんな言葉を使ったか? 忘れた。
 命令だ、命令。言い訳は聞かない。問答無用。
 何が何でも、彼女を参加させるんだ。
 実行不能だった場合、私の性格を知っている貴様なら、語るまでないだろう?
 ああ、そうだな。確実に首が飛ぶな。


☆       ★       ☆


 王子は疑いを知らない人間だった。
 高貴な生まれであるから、手に入らないものは何一つないと疑っていない。
 ある意味、無垢な人だろう。そして、馬鹿だ。
 王子である身で、庶民の娘に恋をするなんて。
 しかも幸せにしたい?
 身分差の恋がどれだけの悲劇を生むか、知らぬわけではないだろう。
 過去、後宮では王の寵愛を一身に受けた踊り子が毒殺された。王のお手つきになった侍女が王妃のいじめに耐えかねて、自殺を図った。時には、王の寵愛を巡って側室たちが殺し合いをしたりと。
 そんな話は山と聞く。君も知っているな。そう。だから、後宮制度は数代前に廃止になった。
 故に、王子の妃選びは慎重にならなければならない、国の未来をかけた一大行事と言っていい。
 十八歳になられる王子の誕生を祝う式典は、王子の花嫁選びの場であることはさすがの王子も気づいていたのだろう。
 勝手に決められる己の花嫁に反発して、自ら花嫁探しに城を抜け出したわけだ。
 今思い返しても、腹が立つ。
 ――あの、馬鹿王子が。護衛役を務める俺を置いて行きやがってっ!
 王子の失踪が知られて、俺がどれだけ上から大目玉を食らったのか、あの王子は全くこれっぽっちも理解していないだろう。
 ああ、そうさ。運命の相手を探すという前提が、間違っているとは思っていないから、自分の行いが責められる行為だとは欠片にも疑っていない。
 大体、何の照れもなく「彼女は至高の宝」だとか、真顔で言う正気が知れん。馬鹿としか思えない。
 その馬鹿具合は、お人好しで自分が利用されているなどまったく疑いもしないという、王子の想い人といい勝負だ。
 断言していい。さぞかし二人はお似合いだろうよ。絶対無敵のバカップル誕生さ。
 もっとも、二人の間には身分の壁がある。これが実に厄介だ。
 この難解な問題を解決かつ、王子の恋を成就させ、娘をお妃さまの位に座らせること。
 これが王子の幼馴染みで親友かつ護衛役かつ面倒事処理係である俺のお役目だというから、代々王家に仕える侯爵家に生まれた自分を呪うよ。
 どうやって、彼女を王子の妃にするんだよ?
 大体、俺に頭脳系を求めること自体、おかしいよ。政治より剣を握っている方が合っていたから、騎士の道を選んだのに。
 ……まあ、それで王子の護衛に選ばれたんだから、呪われた腐れ縁という奴か。
 根本的に自分より強い王子を俺が護衛するのっていうのが、おかしな話なんだが。
 いや、俺は言うほどに弱くはないぞ。少なくとも、騎士たちの中では一番の実力を俺は認められているからな。そういうことだから、要するにこの国で一番強いのは王子だということになる。
 俺なんか、要らんだろ?
 ああ、話が逸れたな。何で、彼女が妃にならないと思うのかって?
 普通の女は、王子の妃になるなんて夢物語で誰もが憧れるところだろうよ。貴族の腹黒く陰険な世界を知らないだろう庶民の娘は、純粋に憧れるだろうさ。
 王子の想い人である娘は、きっと王宮の人間関係がどれだけ歪かなんて、どんなに話聞かせたところで信じやしないだろう。継母や継姉たちのいじめを疑りもしない、お人好しだから。ある意味、彼女こそ王子に相応しいと思うよ。きっと逞しい王妃になるだろう。
 うん? あ、言っていなかったか? 俺は王子の計画には基本的に賛成さ。
 身分差だろうがなんだろうが、本人たちが愛し合っていればそれでいいと思っているよ。
 俺自身もね……いや、脱線させてすまない。俺の話は……今は関係ないな。
 王子と娘のことだけれど、問題が滞りなく進んでいたなら、俺は君に相談を持ちかけていないだろうよ。
 ――そう、王子の誕生パーティーの招待状をその娘に送れば、娘はパーティーの招待状を貰えなかった継姉たちに強請られて、あっさりとくれてやったんだよ。
 パーティーの招待状があれば、庶民でも式典に参加できる。もっとも、その招待状には数に制限があるんだ。色々と裏から手を回して、ようやく庶民の参加を認めさせたのは、他でもない俺だ。苦労したんだぜ。
 あの人やこの人の秘密を楯に……な、何だよ? こっちも王子のためにだな。ない知恵を絞りに絞って、考えたんだ。
 とにかく、王子の花嫁候補選びの場に、当然ながら庶民参加なんて、王も王妃様も許しはしない。貴族のお偉方は自分の娘を王子の花嫁に選ばせたいんだから、当たり前だろう。
 初めから、出来レースなんだよ。もう既に、五人ほどに、候補は絞られている。だから、その候補から娘が外れたお偉方としては、面白くないだろうから、くすぐっただけだよ。
 ともかく、その辺りのことに王子は反発して自分で花嫁探しに出かけてしまった。そうして、運命の相手を見つけてしまったんだから、何だかなって感じだよな。
 何で、こう身分差だとか、色々と面倒くさいことが多いんだろうな。
 それが人生だって? 君は達観しているな。
 まあ、簡単にことが片付いてしまう世の中なら、確かに、退屈でつまらないかもしれない。いやいや、別段、暗躍するのが楽しいってわけじゃないぞ?
 説得力のない顔をしている? まあ、ちょっとは、楽しいかな。こんな機会じゃなけりゃ、君に相談にのってもらうこともなかっただろうからな。
 いつでも、相談にのる? よく言うよ。俺の話はつまらないからって、毎日、つっけんどんに追い返すのはどこのお嬢さんだろうね。
 今回は君の知り合いの娘だったから、君は俺の話を聞いてくれたんだろ。つれないったらないね。
 話を戻せ? はいはい。えっと、どこまで話した?
 そうそう、パーティーの招待状だな。
 折角、庶民の参加を上に認めさせ、招待状の枚数を確保したにも関わらず、その招待状が肝心の娘に届かないだから、俺としてはどうして良いか、わからないんだよ。
 ――また、送ればいい?
 送った。送ったよっ!
 二人の姉に継母の手に招待状が渡って、今度こそと四枚目を送ったさ。
 ハッキリ言って、三度目の正直と思っていたところ、彼女が継母に招待状を譲った時点で、この展開は予測できていたけれどな。
 ああ、彼女はパーティーに出席したがっていた友達にプレゼントしたんだ。
 どこまで、お人好しなんだっ!
 困ったことに、俺の手元に残っている招待状は後一枚しか残ってないんだよ。
 他の参加者に紛れさせろと言う命令だから、庶民の娘たちに適当にばらまく必要があったんだよ。君のところにも一枚送っただろう。彼女を王子の前に連れていくまで、隠すためにもぜひとも参加してくれよ。嫌だ? そう言わずに。エスコートは俺がするから。
 何にしても、警備の目もあるから、彼女が招待状を持っていないとパーティーに参加させるのは無理だよ。なのに、肝心の彼女が招待状を受け取ってくれないんだから話にならん。
 俺が直接、持って行ったところで彼女に参加する気がなければ、きっとまた誰かに譲る気がして、渡すに渡せない。
 大体、年頃なんだから、自分だってパーティーに参加したいだろうに。君だって、そうだろ? 自分は違う? そうやって、意固地になるところは改善した方がいいよ。
 どんなに無関心を装ったって、わかるよ。君のドレス作りが何よりの証拠だろ。
 あ? 単なる趣味だ? 趣味で店まで持つかい。
 一応、君は末端ながら、貴族階級の娘だろう。普通にしていれば幾らでも華やかなドレス一杯の舞踏会にも参加できたのに、それを何だって……そんなに俺が嫌いなのかと。
 えっ? ああ、聞こえなかったら、聞こえなかったでいいよ。
 いや、だから。
 それを自ら家を出て、こんな下町でドレスの仕立屋をしているなんて。勘当されて、当然だって言ったんだ。
 本当は君もここまで、怒られるとは思っていなかっただろう。見込みが甘かったね。えっ? 未練なんてない?
 そう言いたければ、言っているがいいよ。何にせよ、綺麗なドレスに興味があるってことは、パーティーに出たいってことだろ。
 ああ、だから。彼女の話だよ。君の話じゃない。
 この間、彼女はこの店の店頭に飾られていたドレスをぼんやり眺めていたのさ。
 どうしてそんなことを知っているのかって? 見てたから。
 いやいやいや、君を見ていたわけじゃない。彼女の行動を見ていたんだよ。しょうがないだろ? 何にせよ、この問題を解決しないことには俺は城に帰れないんだよ。
 彼女と王子を結婚させられなきゃ、俺は首を切られる。言っておくが、これは比喩なんかじゃないぞ。あの王子は確実に、俺の首を切るだろう。自分自身の首を切ってな。
 運命の恋が成就しないはずがないと、疑っていないんだ。
 それが叶わないとなったら、王子の世界は壊れる。間違いなく、死ぬよ。
 王子は無茶苦茶で問答無用なんだ。だから、そういうところは融通が利かない。
 王子が俺を殺すんじゃない。王子の死の責任を追及された結果、王子の死が俺を殺すんだ。
 狂ってる? 貴族の世界は往々にして、狂っているよ。家柄や格式にこだわって、好きな相手とも結ばれない。
 だから、沢山の悲劇が生まれた。今回も悲劇になってしまうのかな。
 諦めるな? 俺だって諦めたくないよ。俺の人生が掛っているんだ。
 なあ、君。そこまで言ってくれるのなら、俺に協力してくれないか?


☆       ★       ☆


 わたしは嘘つきだったわ。
 あなたには恋を諦めるなと言ったのにね。
 わたしも恋をしているの。あなたと同じ、苦しい恋。ねぇ、話を聞いてくれる?
 ありがとう。優しいのね、あなたは。
 きっと、あなたの優しさに王子も惹かれたのよ。でも悲しいわね。身分の差があなたたちの間にある。わたしも同じなの。
 初めて会ったときから、あの人が好きだった。だけど、わたしとあの人の間には身分の差があったのよ。
 一応、わたしは貴族の娘だったの。でも、成り上がりの商人だった父がお金で爵位を買ったのよ。そんな身の上だから、本物の貴族であるあの人と向き合うのは、恥ずかしくてしょうがなかったの。
 それにね、実際、侯爵家はわたしをあの人の妻にはできないと言ったの。父がね、持参金を積んで話を持ちかけたのよ。父にしてみれば、由緒ある侯爵家と縁続きになることで、成り上がりと馬鹿にされるのを回避しようとしたんでしょうね。
 もっとも、そんな思考が成り上がりと言われて仕方ないと思うわ。そうして、わたしは駄目だと言われた。決定的だった。
 父はそれなら他の貴族にと言うけれど、わたしは他の人となんて結婚したくなかったから、家を出たの。
 昔から舞踏会に出るより、自分でドレスを縫っている方が楽しかったから、親類に援助して貰って店を出して父から独立したわ。
 父はカンカンに怒って、勘当されちゃったから、今では本当にあの人とは釣り合いなんてとれないわ。
 最初から、望んではいけない人だったのね。
 だから、家を出て違う世界に住むことで、諦めがつくと思ったのよ。
 なのに、偶然あの人が私の前に現われて……それから、毎日顔を見せてくれるようになった。わたしの事情を知っているから、放っておけなかったのね。優しい人だから。
 そう、初めて行った舞踏会で、どうしていいのかわからずにいたわたしに、あの人が声を掛けてくれたときから、あの人は私に優しかった。
 いずれ、侯爵家を継ぐ身分だと言うのに、気さくで。
 けれど、わたしはあの人が笑いかける度に、わたしはあの人を遠ざけた。近づきたくなかった。最初から結ばれない恋だもの。諦めたかったのよ。
 ええ、ごめんなさい。あなたには偉そうに、諦めるなと言ったわね。
 わたしの恋は叶わないと思っていたの。
 わたし自身、こういう性格でしょ? つい心にもないことを言ってしまうの。
 帰って欲しくないのに、帰ってと言う。あの人が帰ってしまうと、寂しくて泣きたくなるのに、どうしても言ってしまうの。
 そして、あの人がまた来てくれて、嬉しくてしょうがないのに、可愛くない態度をとってしまう。
 えっ? わたしが難攻不落の高嶺の花? そんな風に言われているの?
 確かに誰にもなびかなかったわ。肝心の相手にさえ、なびきやしないんだもの。
 でも、高嶺の花なんて大げさだわ。そんなことないわよ。あなたに比べたら、わたしなんて。
 あなたの髪は本当に綺麗ね。春のお日さまのように柔らかな金色。頭に被った灰のヴェールさえ、あなたの真の美しさを隠せやしない。
 それにしても、今度は何を暖炉から探したの?
 ネックレス? また、買ってあげたの? お金は? 自分のドレスを売って? 本当に、お人好しね。
 お継姉さんはそそっかしい? そんな言葉で片付けてしまうあなたには本当に感心するわ。
 でも、喜んでくれたから嬉しい?
 ふふふ。あなたみたいに、他人の幸せを祝福して上げられる人間だったら、良かったわ。
 そうしたら、わたしはあの人を愛し続けて、そして静かにあの人の幸せを願ったでしょうね。
 会いに来て欲しいなんて、心の底で我がままなんて言わずに。
 わたしだけを見ていて欲しい。あの人が誰とも結ばれませんように、なんて願わずに。
 ねぇ、酷い女だと思わない?
 いっそ、あの人がお仕えする王子の不興を買って、身分なんて剥奪されてしまえばいいなんてことまで考えた時期があったのよ。
 ……怖い女よね。
 でもこの間、……あの人がね、今度の任務に失敗したら首が飛ぶかも知れないと言ったの。
 別に職を失うくらい、あの人にとっては痛くも痒くもないだろうと思っていたけれど、首って言うのは比喩じゃないって言うの。
 死ぬだろうって――暗い顔をして言うのよ。凄く真面目な顔して言うから、わたしは怖くて震えたわ。
 王子はあなたと結ばれなければ、自殺すると言うのよ。そして、その責任をあの人は負わなければならないと言うの。
 ねぇ、あなたの知っている王子は本当に、恋に殉じるような、そんな人に見えた?
 わからない? でも、とても一途にあなたが好きだと言ったのね?
 だから、あなたは王子に惹かれたのでしょう? その想いが真剣だとわかったから。
 ああ、泣かないで。わたしはあなたを泣かせたいわけじゃないのよ。
 そのとき、わたしは思ったの。あの人に死んで欲しくないって。
 わたしとは違う誰かとあの人が結ばれることになっても、あの人には生きていて欲しいって。だから言ったの。わたしに協力させてって。
 ごめんなさい、あなたの意志を考えずに勝手に約束しちゃって。
 ええ、これは王宮で行われるパーティーの招待状よ。お願いがあるの。あの人のために、王宮のパーティーに行ってあげて。
 えっ? 行けない? どうして?
 場違いだなんて……ああ、身分の差だなんて。そんなことっ!
 いえ、そうね。わたし自身、そう言ってあの人を遠ざけた。
 そんなわたしが、あなたに何か言う資格なんてないわね。
 でも、だからこそ、言わせて?
 失くしてしまってからじゃ遅いのよ。
 そうね、わたしは後悔しているわ。ちゃんと、真正面からあの人に向き合っていれば……あの人ね、身分なんて気にしないと言っていたわ。
 諦めずに告白していたら、あの人はわたしを好きになってくれたかもしれない。
 結婚は叶わなくても、そう――恋はできたのかもしれない。
 わたしはその可能性さえ、自分で潰してしまった。そして、今もあの人に心を打ち明けられずにいる。
 もし、もう一度、あの人に会えたら……ええ、好きだって伝えたいわ。例え、結ばれなくても心だけは伝えたい。
 約束? わたしがあの人に告白するのなら、招待状を受け取ってくれるというの?
 ええ、約束するわ。命の次に大切にしているこのお店をあなたにあげてもいい。
 だから、お願い。パーティーへ行ってくれる?
 ――ありがとうっ! 何だか、あなたを脅すみたいな感じになってしまったけれど、あの人から聞いた話では王子はあなたに真剣に恋をしていると思うわ。
 きっと、幸せになれる。ドレスは私に用意させて。
 せめてものお礼に。ううん、いいの。あなたのおかげで、私もあの人に告白する勇気が持てたから、お代はただよ。
 え、お金は払うから、ドレスを二枚?
 ―― 一枚は…………わたし?


☆       ★       ☆


 あたしが好きになった人は王子様でした。
 王子様もあたしを好きになってくれました。
 頭に灰をかぶって、薄汚れた服を着ているあたしを好きだと言ってくれました。
 あたしをお嫁さんにしたいと言ってくれました。
 あたしは嬉しくて、嬉しくて。でも、頷けませんでした。
 だって、あたしは知っていたんです。身分差の恋は苦しいと。
 あたしは毎日、薄汚い恰好をしているけれど。別に、こんな格好が好きというわけじゃありません。ドレスにも憧れます。お家の近くにある仕立屋さんの店頭に飾られたドレスを眺めるのが、あたしの毎日の楽しみでした。
 そんなお店では綺麗なお姉さんが毎日、ドレスを縫っていました。
 元は貴族のお嬢さんだったというお姉さんの元に、毎日通ってくる男の人――そう、騎士様のことです。
 王子様にお仕えする騎士様だとか、お家は侯爵家だとか、後々、王子様の片腕としてこの国を担うお方だとかいうことは、お姉さんから聞きました。でも、ごめんなさい。お姉さんに聞く前に、王子様から聞いていました。
 そんな騎士様とお話しているお姉さんは、いつも怒っているようでした。だけど、騎士様が帰ってしまうと、寂しそうな顔をして、顔を覆って泣いていました。
 騎士様は知らないでしょうけれど、私と王子様は知っていました。
 そして、あたしにはわかりました。お姉さんが騎士様を好きだということに。
 だって、その頃にはあたしも王子様に恋をしていましたから。
 騎士様の後をこっそり、心配そうについて来た王子様と出会ってからずっと、毎日窓の外から二人の様子を覗いている日々は楽しくて、いつの間にか、あたしは王子様を好きになっていたんです。
 だって、王子様は幼馴染みの騎士様のことを心配するお優しい方で。灰かぶりの格好を笑わずに、あたしの話を聞いてくれた。
 あたしが毎日するお家のお仕事の話を飽きずに聞いてくれて、そうして偉いなと、手が汚れるのも構わずに、あたしの頭を撫でてくださいました。
 王子様があたしの頭を撫でてくださる度に、辛いなとか、疲れたなとか、そんな嫌な気分はあっという間に吹き飛びました。
 何だか、すごく幸せな気分になりました。
 お父さんが亡くなって、幸せだと心の底から感じられたのは、王子様に出会ってからです。
 それからは一日が終わるのが寂しくて、また明日が来るのが嬉しくて。毎日が充実していました。王子様といつも一緒に過ごせたら、どんなに素敵だろうと思いました。
 だから、王子様があたしを好きになってくれて、嬉しかったけれど、この恋はお姉さんと同じで苦しい恋になると――わかっていたから、直ぐには頷けませんでした。
「返事を」と言う王子様に、あたしは首を振りました。
 だって、あたしは王子様とは住む世界が違う人間なんです。騎士様とお姉さんみたいに、うまくいかないって。
 そう諦めようとしたあたしに王子様は言いました。
 ならば、あの二人をうまく結び付けられたら、もう一度、考え方を改めてくれと。
 それからあたしは王子様に言われたとおり、お姉さんに王子様のことを相談して、パーティーの招待状を受け取りませんでした。
 後は……騎士様とお姉さんの知っての通りです。
 ――あ、王子様が呼んでいます。
 騎士様、お姉さん、行きましょう。皆の前で、二人の婚約を発表しなくっちゃ。


☆       ★       ☆


 ――騙したなんて、人聞きの悪いことを言うな。多少の嘘はついたが、それは貴様も同じだろう。私と彼女の間にある身分差をさも重要な問題のように大袈裟に語りおって。
 第一に、貴様に頼んだのは出会いの場であり、結婚までの道のりまで気を回せなどと言ったか? 後のことは自分で片を付けると言っただろう。貴様のような鈍感男に任せるつもりは端からない。
 それを身分差があって、厄介などと。
 身分差を気にしていたのは、貴様の想い人だろう。それをわかっていながら、振られるのが怖くて、遠回しに自分は「身分差など気にしない」と素知らぬ顔して、ほざいたのは誰だ? 小心者の、嘘つきが。
 ――話をすり替えるな? 何を言う、私は事実を……泣くな。だから言っただろう。
 彼女は、とことんお人好しだと。
 身分差なんて、本当は気にしちゃいない。そんなことを私が気にさせると思うのか?
 ああ、彼女のことを愚弄する輩は貴族だろうがなんだろうが片端から、この剣の錆にしてくれる。
 そのことは話し合わなくても、直ぐにわかってくれた。私がどれだけ、彼女を愛しているかを。私の情熱を一目見て理解してくれた。私たちの間に、壁など存在しない。
 灰に汚れていようが、身分が低かろうが、私が愛したのは彼女の高潔な精神だ。彼女が純真であれば、私の純愛は揺らがない。
 ――砂を吐く? 砂なんぞ食うから、気持ち悪くなるんだ。馬鹿ものが。
 話をもとに戻してくれ? 言われずとも、元に戻す。
 大体、貴様が話の腰を折ったのではないか。
 そうだ。彼女は貴様が恋心を抱いている難攻不落の令嬢のことを気にしていた。自分だけが幸せになって良いのかと、そう苦しんだ。
 その頃はまだ令嬢と知り合ってもいなかったというのに。
 まったく、人が良いにもほどがある。まあ、それが彼女の魅力だ。私をこのように動かした彼女に感謝しろ。おかげで、貴様も長い片想いから解放されただろう?
 令嬢に対して、身分差で私との間の恋に苦しんでいると彼女に嘘をつかせ相談させたのは、他でもない。
 令嬢と貴様の間にある問題を身近に感じさせることで、令嬢の心を動かそうとしただけだ。
 私と彼女が上手くいけば、令嬢も貴様のことを考え直すも知れんと考えてな。令嬢には黙っているが良かろう。
 しかし、貴様も見栄張りだな。かの令嬢と付き合っていたなどと、よくも出鱈目を。単に毎日、令嬢の店に顔を出していた冷やかしの客ではないか。それで付き合っているように見せかけて他の男たちを牽制していたというのだから、腰ぬけが。それでも騎士か? 貴様の嘘を聞いた私は笑いを堪えるのに大変だったぞ。泣いて、詫びろ。
 しかも、後を付けていた私に気づきもしないで、勝手に失踪などと騒ぎおって。貴様が大騒ぎした一件以外は、誰も私が城を抜け出したことなど、気づかなかったのに。
 ああ、かれこれ、半年ばかりなるか。……本当に毎日、後を付けたぞ。
 どうやって、城を抜け出した? 簡単だ。貴様の後を付いて行っただけだ。周りには、お前を護衛にして、市井について見聞を広げる勉強だと言っていたからな。私と貴様が揃って、城を空けていても誰も何とも思わない。
 貴様の後を何食わぬ顔で付いていけばいい。勿論、王子として身分がばれては問題だから、変装したが。
 いくら令嬢の元へ通うのに気もそぞろだったとはいえ、真後ろを歩く私に気づかないとは……。
 貴様、騎士の肩書を返上したほうが良いのではないか?
 ――痛い? この程度のいじめで、私の怒りが収まると思っているのか?
 ……よもやと思うが、貴様は私の怒りに気づいていなかったのか。
 馬鹿か、常時において剣を振り回すなど、どんな危険人物だ。すべては貴様への怒りがあってこそだ。
 貴様がクズクズしていたせいで、私は彼女に危うく振られそうになったのだぞ?
 愛し合っている私たちが、何故、貴様のせいで別れなければならない?
 それよりも、騙したと私を責めるが、貴様も令嬢に私が首を切って死ぬと騙したではないか。私の可愛い嘘より、貴様の嘘の方がたちが悪いだろう。
 大体、私が彼女と結ばれなかったら、悲嘆にくれて自殺する玉に見えるか?
 いざとなったら、王子の身分など捨ててくれる。彼女を攫って駆け落ちするのも厭わん。貴様と違って、私は彼女に愛を告げたときから、覚悟は決めていた。
 どこかの腰抜けと一緒にするな。
 ふん、事なきを得たから、許してくれる。
 私と彼女の婚約発表に紛らせることで、貴様の方もうまくいって良かったな。
 王子である私が庶民の娘を妃に迎えたのだ。侯爵家とて、面と向ってお前の結婚に文句は言えないだろう。
 令嬢が貴様の奥方になれば、彼女も友人ができて、王宮での生活も過ごしやすくなるだろうからな。
 わかっているだろうな? ああ、そうだ。彼女が寂しがっているときは、貴様の奥方を借りるぞ。
 うるさい、問答無用だ。貴様の新婚家庭など、知ったことか。
 すべては――我が愛しき、シンデレラのためだ。我慢しろ。


                           「シンデレラ綺想曲 完」



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