明日はどっちだ? 「アール、宝探しをしようよっ!」 何の前置きもなく告げられた言葉に、「いいな、それ」と、応えられたのは遥か昔。 楽しげな響きの「宝探し」に喜んで頷くにはいささか、現実を知り過ぎている今日びの俺、アール・メトール、十九歳。 上級魔法使いの称号を持つ、魔法師――もうすぐ二十歳になる、いい大人だ。 一攫千金を夢見たい貧困生活を送っているが、現実の厳しさを具現化した相手を目の当たりにすれば――きっとこの心の訴えを聞けば、奴は「それ、誰のこと?」とすっとぼけるだろう――甘い幻想は、どこまでも幻想でしかないということで。 パタンと。 俺は一瞬前に開いたドアをそのまま閉めた。 ガチリと。 ついでに、鍵を掛ける。 戸締り用心、火の用心。 死んだ両親が唯一残してくれた財産を、不注意から失くしてしまってはこれから先の人生、真っ暗である。 ――まあ、貧乏という暗黒色が俺の未来を塗りつぶしているが。それが何か? 人間、生きていているなら、まだ希望は残っている。 残って…………残っているよなあ? 俺は誰ともなく問いかけてみた。……誰も応えてくれないけど。 だって、俺はそのために茨の道を――まあ、この辺の事情は、今回は省く――歩くことを決めたんだから。 きっと、残っているはずだ――と。 顔を上向かせたところで、グウッと空腹に腹が鳴る。 生活費がギリギリの綱渡り生活の俺が、夕食に選んだのは薄い塩味のスープに(湯に塩を溶かしただけ)三日前に買ったパン(何とか、カビが生えずに持ちこたえてくれた)一切れ。 寂しい食卓を思い出せば――同情するなら、金をくれ――心の内側に芽生えた強気は、刹那になえた。 そうして俺は、仕事の合間に水をやり忘れて、枯らしてしまった野菜の芽をボンヤリと思い出した。 成長すれば、俺の腹を満たしてくれるはずだったニンジンやらジャガイモは、庭先の畑で現在、干からびている。 俺は悲しい気持ちを無理矢理、別方向へと捻じ曲げた。 「くそっ! 高級牛肉を食い損ねたっ!」 俺は憤りながら、寝室へと踵を返す。 説明するのも虚しいが、高級牛肉を食するというのも――眠りの狭間に見た、甘い幻想だよ。文句あるか? 日々の生活費を切り詰めている俺に、高級牛肉なんて、一生口に出来ない代物かもしれない。 せめて、夢の中でだけでも味わっていたいと思ったっていいだろっ? 俺は誰ともなしに訴える。……誰も耳を傾けてはくれないけど。 もう一眠りすれば、夢の続きは見られるだろうか? 現実で夢見ることは厳しいが、眠りの夢ならば甘い幻想を求めても、罪にはならないだろう? そう、今度は自分に言い聞かせて、寝室へのドアノブに手をかけたところで、 ドガッ――。 大地を揺るがすような振動が俺の背後で起こった。 肩越しに振り返れば、暴力という悪しき力によって、半壊されたドアが視界に入ってきた。 ……ああ、俺の財産が。 修理費を思うと涙が零れて来るんだが。……な、泣いてもいいか? 呆然とする間もなくドアを壊したと思われる人物が、傍若無人に室内に踊りこんできては、開口するやいなや叫んだ。 「ちょっと、アールっ! 一体、どういうつもり? 僕をこんな真夜中に締め出して、凍死させる気?」 透明な声を響かせて騒ぎ立てるのは、美貌の青年――アレン・ジーナス、十九歳。もうすぐ二十歳の、俺の相棒である。 淡い金髪に、春の空のような穏やかで透明な青い瞳。 目元を飾る長い睫に、白磁のように艶やかでキメ細かい白い肌。 繊細な筆で丹念に描かれた絵画のように、細部にわたって完璧と言って良いほど、崩れたパーツはない。 均等に並んだ宝石のような双眸。真っ直ぐに伸びた鼻筋。優美なラインを描く柳眉に柔らかな頬、そして顎。 華奢な身体はしなやかで薄い筋肉を貼り付け、肢体はバランスを崩さない程度に長く、細い指先は優雅さを感じさせる。 その身を包むのは、流行最先端の高級スーツ。わざと崩したように結んだ首元のリボンタイが、違和を感じさせるどころか、逆に完璧すぎるこの美貌の麗人を人間という枠に押入れ、見る者に現実だと認識させた。 もし、その一点の崩れがなかったら、それこそ、この目の前の麗人は絵画のように、別次元に属してしまう。 人間とは思えない絶世の美貌を――アレンはしていた。 少なくとも外見だけならば、神々の存在を引き合いに出しても遜色がない。 断っておくが――外見だけならば、の話である。 今先ほどの、アレンの発言を聞いた者ならば、説明する必要なんてないと思うんだが。 一応、説明するか? 誤解されて、俺が悪者にされるのも納得がいかないからな。 「どういうつもり」も、何も。 そのセリフを、そっくりそのまま、アレンに返したい。 「真夜中」に、高級牛肉にありつこうという俺の、ささやかな眠り夢を無残にも引き裂いて、現れたのはアレンである。 しかも、アレンが口にしたのは「宝探しをしよう」という一言。 テメェは一体、何歳になるガキだっ? ――と、俺が叫んだところで責められるいわれはないだろう? そうして俺は、反射的に叫びだしそうになった言葉を、常識という理性でねじ伏せた。 現在、真夜中。こんな時間に大声を上げれば、近所迷惑も甚だしい。 常識人なら穏便に対処する。迷惑な客にはお帰り頂くのが、一番。 というわけで、アレンを玄関先にそのまま放置して、締め出した。 俺の対処に、なんか不備でもあるか? ちなみに「凍死させる気か」と、アレンは俺を詰ってくれたが。俺たちが居を構えている南西区エルマはフォレスト王国では南に位置し、一年中気候が穏やかな地域だ。 貧乏な俺が白いシャツ一枚に黒いズボンという、実に経済的で、懐に優しい服装で生活していられる天国のような――神々が住んでいるという天界は、それはそれは住み心地の良い場所らしい――場所だ。 もしも「凍死」するような寒波がやって来ようものなら、それこそ俺は一週間ほど絶食して冬用の外套を購入しなければならない事態に陥る。 つまるところ、この地方で「凍死」する人間なんて、そんなにいない――勿論、絶対にいないとは言いきれないけれど。 ……ここまで説明すれば、アレンの言動がいかに我侭であるか知れるだろう。そういう人間が心も清いなんて、信じる奴はいないよな? というわけで、説明終わり。 事態に向き合うべく、口を開けば、 「――アレン、お前な……」 反論しようとした俺の声は、力がなかった。 あー、もう。説明だけでどっぷり疲れた――っていうか、俺は誰に説明したんだ? クシャリと、俺は自らの黒髪を掻きあげた。 「……宝探しって何だよ」 俺はアレンの肩越しに半壊した玄関のドアを見つめて思う。 ああ、初めからこうしていれば……少なくとも、ドアは壊れることはなかったんだろうなー、と。 後悔先に立たずと言うけれど。 俺の人生、まさに後悔の連続だ。 * * * テーブルの上に置かれたのは、古色蒼然とした地図だった。 もう今現在に流通しているような紙ではなく、紙の繊維が均等ではなくむらがある。表面を触れば、ボロボロと崩れそうだ。 それを保護するためにか、地図は額縁に収められていた。 ガラス越しに見る地図は、インクはかすれ、文字もよく目を凝らさないと読み取れない。 「これが、宝の地図? どうしたんだよ、コレ」 俺は片目を眇めて、アレンを見やった。 アレンは勝手知ったる――なんとやらで、人の家の台所をあさっては、茶を用意していた。ポットに、アレンが持ち込んだ――俺も幾らか、払わされた――高級茶葉をスプーン一杯落として、熱湯を注ぐ。そして、そのままカップに移した。 抽出時間なんて、まるで無視もいいところ。……高級茶葉が泣くぜ。 居間に戻ってきたアレンは、香りも何もしない湯に僅かに色が着いただけの紅茶を、俺の前に差し出してくれた。 そして何を言う間もなく、アレンは俺のカップにスプーンで白い粉を落としてくれた。 ……それ、塩なんだが。 塩は人体には必要不可欠なものだ。ということで、砂糖は切らしても塩は切らさないようにしていた。 ……だから、俺の家に今ある唯一の調味料は塩だけで。砂糖なんて、探したところで見つからないわけだが……。 カップの容量に、塩の量が多すぎた。塩味のスープどころの話じゃない。 俺はせっかく淹れてもらった紅茶のカップを、悟られない程度に遠のけながら、答えを待つ。 「貰ったの」 アレンもまた自分のカップに塩を入れて、涼しげな顔で紅茶――それを紅茶と称しては、紅茶に申し訳ない気がするんだが――口にした。 顔色一つ変えずに飲み込むのは、さすが味覚オンチのアレンだから出来る芸当だろう。 「誰から?」 「クーガさんから」 ……誰だ、それ。 全く、聞き覚えのない名前だ。それを前置きもなく、口に出してくるところがアレンのアレンたる所以だ――ようするに、自己中心的。 俺がその「クーガさん」を知っていて、当然という考えで話を進める。その結果、認識の相互がおかしく、後で困ったことになった場合、全てを俺の責任にするために、アレンはあえて説明しようともしない。 真夜中に叩き起こされ、空腹が骨身に染みる現在の俺には突っ込む余力はない。 ああ、塩味の紅茶でも良い気がしてくるから……怖い。 俺は意識を目の前の地図に集中させることにした。 ……この時点で、アレンの手ひらの上に乗ってしまっている自分も……怖いが。 気づかないふりをしておこう。それが精神衛生上、健康的だ。 俺はどの辺りの地図か、確認するために文字を読み取ろうとした。 文字は大陸共通文字だな。この文字は大体、千年ぐらい前から使われているから、年代を計るのは難しい。 でも、解読は出来る。インクのかすれ具合を計算に入れて、文字を図にする。それを自分が知っている文字と重ねて、読んでいけば簡単だが……。 「……アレン、この地図……」 俺はそのとき、顔に疑問符を浮かべていただろう。文字は読めるのだが、そこに書かれているだろう地名がわからない。 勿論、このフォレスト王国の地名に精通しているわけじゃない。だが、この国は地名に一種の法則がある。南西区エルマに属する都市には、「エ」で発音される地名が命名されているのだ。 この第一音の法則は、広大な国土に置いて、その地区が王家及び七家のどの支配下に置かれているのかを示す重要な役割を果たしており、この国が建国された折に全ての都市名がそれまであった地名を変えた。もう七百年以上の歴史がある。 つまり地名の頭文字を読み取り、その第一の音からどの区に属する都市なのか、わかるという。 しかし、俺が読み取った文字の発音は、この国の都市名に共通するものではない。 フ、ロ、ス、ク、サ、ラ、エ、カ――全部で八つの音が、地図に書かれている地名にはことごとく当てはまらないのだ。 ということは、この地図はフォレスト王国の地図ではない。 宝を探す以前の問題になってくるというわけだ。 「……もしかして、建国前の奴か」 俺は声をひそめて尋ねた。嫌な予感がヒシヒシとする。っていうか、アレンが俺のところへこの話を持ち込んできた時点で、怪しいことこの上ない。 と、思っていたら案の定、アレンはニッコリと微笑んだ。 色香が匂いたつような、艶やかな微笑。空色の瞳の煌めきは、この世に春の精というものが存在するのなら、目の前の麗人こそがそれではないかと、確信させるような――。 とにかく、見た者の魂を引き抜くような笑顔がそこにある。 …………でも、騙されるな? これはあくまで、アレン・ジーナスという美貌の青年の外見に限った印象だ。 ピンク色の唇を開いて言葉を語れば、あっさりと化けの皮が剥がれる。 「――さすがは、アールだね。僕の見込みどおりだ」 「お前に見込まれるなんて、最悪だな」 「照れないでいいよ。アールってば、直ぐにそうやって謙遜するんだから」 「謙遜じゃねぇよ」 真実、俺はアレンと仕事上の契約をしたことを後悔しているんだ。 まあ、後悔したままだと何も解決しないから、とりあえず同じ過ちを繰り返さないよう、俺は前を歩いていくしかないんだけどな。 「これはね、クーガさんから借金の形に貰ったの」 ……ホラな、もう化けの皮が剥がれたぞ。 「……借金ってどれくらい?」 「十万ゴールド」 一ヶ月の生活を賄うことができる――生活レベルにもよるだろうが――金額ではある。踏み倒されるのは、なかなかに痛い話ではあるが、それは俺のような生活に貧窮している話で……。 毎日、新しいスーツを着ては――俺はアレンが同じスーツを着ているところを見たところがない――仕事料の四割を平気で掻っ攫っていき――紹介屋は普通、三割報酬なのだが――さらに溜め込んだ貯金は既に大台にのっているという人間にとって、十万ゴールドなんてはした金だろう。 ……偏見か? これは貧乏人の偏見かっ? どっちにしろ、踏み倒されてやれよ、と思わなくもない。 ……アレン相手に、踏み倒せるとも思えないけどな。 この男は清麗とした見た目と違って、腹黒い守銭奴だ。自分のためになら、どれだけだって金を使うが、他人のためには一ゴールだって使いたくないと言い切ってしまう。 捨て子だった過去が、他人なんて信用できない。信じられるのは、自分と金だけだと、アレンは思っているのだ。 ……気持ちはわからなくもないけどな。 もっとも、俺自身が大切な人間を裏切ってしまったものだから、アレンにその考え方は間違っているなんて言える立場でもない。 だから俺としては、今抱えている問題がどんなに辛くても、二度と放り出さないという決意が嘘でないことを、我が身をもって証明するだけ。 もう一度、やり直せることを信じるしか、俺にはできないから。 「その十万ゴールドの借金の形に、この地図を貰ったのか?」 脱線しかけた思考を引き戻して、俺はアレンに問いかけた。 「そういうこと。僕だって、宝の地図より、現金で返してもらった方が良かったんだけどね。でも、この地図には十万ゴールド以上の価値があるはずだからって。それに宝探しって、面白そうじゃない?」 ニッコリと笑って、アレンは楽しそうに頬を傾けた。 ……元手が回収されて、それで宝探しというお楽しみがついていたから、アレンはあっさりと地図を引き取ったんだろうな。 アレンは心霊スポットを巡ったりするのが、好きだったりする。これもその一環なのだろう――かなり、種類が違う気がするが。 「で、この地図のどこに宝が埋まっているのか、聞いたのか?」 「うん。ここだよ」 アレンは、整った爪の先を地図の真ん中に当てた――のは、いいんだが。 そこに記された地名が現在、どの地域に当たるのかわからない。 「この地区にあった公園の一番大きな木の根っこのところに、宝石箱を埋めたらしいよ」 「埋めた場所がわかっているんなら、掘り返せばいいだろ?」 「クーガさんって、実は元々は南西区貴族だったんだけど。借金作って、社交界にいられなくなったらしいんだ。そうして、夜逃げしている途中に、手元に残った財産をそこに埋めたんだけど……色々な街を逃げ回っていたらしくて」 「……どの街でのことだったのか、忘れたのか」 「そういうこと」 ……忘れるくらいだから、大した財産じゃないんじゃないか? 「でも、アールは物知りだからさ。古い地図でも、大丈夫でしょ?」 至極当然といった感じで、アレンは俺の顔を覗いてきた。 ――大丈夫なわけ、ないだろ? 幾ら俺が、魔法学校に在籍していた時代、書物を読み漁るのに忙しかったとはいえ。古い、建国以前の地図を丸暗記しているはずがない。 それこそ手元に資料があれば、ともかく。 「無茶言うな。そんなの直ぐにわかるわけないだろ?」 「直ぐにってことは、時間があればわかるってこと?」 「……まあ、そりゃ。魔法学校の図書館とか、王立図書館辺りで資料をあされば」 でも、それらの施設は中央区にある。気軽に出かけられる距離じゃない。 だから――諦めろ、という言葉が俺の口から出るより先に、衝撃が襲った。 言わずもがな、アレンが俺の意識を見事に奪ってくれたわけだ。 …………ああ、俺の人生、本当に真っ暗だ。 * * * 俺の両親は馬車の事故で死んだ。そのときのトラウマが原因かどうか、わからないが。俺は乗り物に滅法弱い。馬車なんて、三十分も揺られていたら、酔ってしまう。 そんな俺は当然の如く、遠出なんてしないで済むならしたくない。 だから、個人での遠出の際は移動魔法を使うようにしているが――この移動魔法は、精神力を多大に消費する高等魔法な故に、余程の理由がある場合。または、時間的に余裕がある場合においてしか――休む時間があるような場合――俺としても使わない。 第一に、他人の借金回収のために遠出するなんて、俺には一切の得にもならないことのために、疲れる魔法なんて使っていられるか。 ――それが俺の言い分であることは、アレンとしても見越していたのだろう。 見越していたからこそ、アレンは強硬手段に出た。 口を開かせる前に、意識を奪う。混濁した俺を馬車に乗せ、強制的に移動。目が覚めた俺が王立図書館を前にして帰ろうものなら……この後頭部を悩ます鈍痛は、ヤラレ損ということになる。 ……これってさ、悲しくないか? だからさ、宝物が見つかった場合、半分を貰うことにした。これくらいの報酬があってもいいだろ? 正直に言ってしまえば今月はもう、生活費が底をついているんだよ。 アレンは定期的に仕事を入れてくれるが、その金は王立医院に入院している妹のために当てられるので――費用が馬鹿高い貴族病棟に入院させたのは、俺の自己満足だし。それで、俺がどれだけ貧困に陥ろうと、全ては俺の責任ではある――俺は、俺の生活費を確保すべく、努力しなければならない。 だからさ、これは決して貧乏に負けたわけじゃないんだ。 俺は労働力を売って、アレンから報酬を貰う。これは、正当な取引だ。 決して、「宝が見つかったらアールにも、分け前を上げるよ」という一言に――ちなみに、この段階での俺の取り分は二割だった。何とか交渉して、半分まで引き上げた――負けたわけじゃないからなっ! ……って、言い訳する自分が、もの悲しいけど。 ――ということで、俺は王立図書館で古い書物をあさって、古地図に書かれた場所を突き止めた。 そして、宝とご対面することになったわけだが……。 * * * 結論から言えば、宝はあった。 目的の地に辿り着く過程で、「ドキドキするね」というアレンの気持ちは、俺にも理解できた。 宝探しなんて、ガキみたいだと思っていたけれど。 いざ、宝を目前にすると興奮するものなんだな。 人間って、結構、単純な生き物なんだと思わされる。 土を掘る重労働による疲れも、宝石箱を目にした瞬間、ぶっ飛んだ。 中を開けば、金銀のブレスレットや、赤色、青色、緑色という宝石がはめ込まれたブローチやら、ネックレス。タイピンなどといったものが、収められていた。 十万ゴールドなんて、それらアクセサリーを一つ売れば、帳消しに出来るだろう。 …………ただし、それが本物だったならの話である。 「高く見積もっても、八万ゴールドだね」 宝を換金するために持ち込んだ質屋の店主は、宝石を鑑定するためにかけていたメガネを外して言った。 「……えっ?」 俺は思わず身を乗り出していた。もうこの時点で、アレンの借金の形だとか関係なく、それは俺の生活費だった。 俺の惨めな食生活を潤してくれるものだった。 宝石箱を目にした瞬間、分け前が半分だったとしても一年ぐらいは真っ当な食生活を送れるぐらいの価値を見出していた俺にとって、「八万ゴールド」という金額は俺の意識を奈落の底に突き落とす。 ちょっと、待て。 今のは、俺の耳が聞き間違えただけだよな? うん、そうだ。 「ええっと、八万ゴールド?」 俺は頬を引きつらせつつ、質屋の店主に問いかける。 虚しい抵抗だと頭の隅では理解しているけれど、認めたくない現実っていうのも、存在するわけさ。 「そう、八万」 そうして実際に虚しい抵抗だった場合、どうやって気持ちを立て直したらいいんだろうな? 「これは贋物だよ。出来が良いから、値をつけるけれど、八万以上は出せないよ」 ……俺の取り分は、四万ゴールド? 十日ぐらいは食いつなげる……っていうか、家の玄関ドアの修理代を出したら、殆ど残らねぇんだがっ! 「――アレンっ!」 俺は思わず振り返っていた。この守銭奴がこの程度で承知するわけないよな? だって、アレンだぞっ! 人を馬車馬のようにこき使うアレンが、四万ゴールの取り分しかないなんて、こんな結末を許すはずがない。 だって、借金を回収できていねじゃねえか。 人の生き血を啜る吸血鬼の如く、アレンは金に対して人から搾り取れるだけ搾り取ろうとする、守銭奴だぞ。悪鬼だぞ。 「ねぇ、アール」 水色の瞳が俺を見上げると、華やかな笑みを浮かべて、 「この地図、買わない? 今なら何と、十万ゴールドだよ」 額に入った地図を俺の方に差し出してきた。 「――――買えるわけねぇだろがっっっ!」 俺の絶叫は虚しく轟く。ああ、俺の未来は真っ暗だっ! * * * 「はい、アール。これはこないだの宝探しの取り分ね」 翌日、水で腹をタプタプに膨らませていた俺の前に現れたアレンは、四万ゴールドをテーブルの上に置いた。 とりあえず、今夜の食事にありつくことは出来そうだと、俺は紙幣を拾い上げた。 その指先は、空腹のあまり震えているんだが……頼むから、見なかったことにして欲しい。 それにしても……。 俺はアレンの上機嫌そうな顔に首を傾げた。幾ら、宝探しを楽しんだからって、四万ゴールドの取り分なんて、アレンが納得する額じゃないと思うんだが? 「アレン、一つ聞いていいか?」 「何?」 アレンはまた勝手に台所を漁って、紅茶を淹れながら、首を傾げた。 「借金との差額なんだが、お前……どうするつもりだ?」 アレンの性格上、絶対、黙っていねぇと思う。 なんてったって、アレンだ。 アレンがアレンである限り、アレンはアレンだから――って、何か、自分で言ってて意味不明になってきたんだが。 うっ、栄養不足は脳まで深刻なダメージをもたらすのかっ? 「ああ、それね。別に何もしないよ。クーガさんからは、きっちり利子もつけて返してもらったからね」 「――へっ? ……返してもらったって、どうやって?」 「だから、宝の地図。あれって、歴史的資料として、かなり価値があるんだって。けど、ビックリしたね。五十万ゴールドで売れたときは。とりあえず、十万ゴールに幾らか利子をつけて取り戻せれば、僕としては十分だったけれど」 「――五十万っ?」 思わず目を剥く。 丸儲けじゃないかっ! 「アレン、だったら俺の取り分も」 もう少し分けてくれていいだろう――と、訴えれば、アレンはやはり涼しげな顔で塩入紅茶を啜りながら、首を傾げる。 「何で?」 「何でって」 「アールに払うのは、宝探しの取り分だよ? 僕が地図を売って、得たお金はアールには全くもって、無関係でしょ?」 「いや……でも」 「それこそ、あの地図の所有者がアールだったならば、話は違ってくるけど。折角、譲ってあげようとしたのに、断ったのは誰だったかな?」 俺はパクパクと口を開閉させた。 譲ろうとしただと? 譲ろうとしたんじゃなくて――一ゴールドの余裕もない貧乏人に、十万ゴールドで地図を売りつけようとしたのは、どこのどいつだよっ? そう叫びかけた俺を遮って、アレンは言った。 「ああ、そうそう――立て替えてあげたドアの修繕費は返してね」 ニッコリと、頬を傾けて春の精霊かくやというような可憐な微笑を浮かべる。 アレンの細い指先が、俺の手から四万ゴールドを攫っていく。そして、アレンは胸ポケットから百ゴールド紙幣を取り出し、俺の手のひらに乗せてくれた。 アレン・ジーナスという人間の辞書には、「慈悲」なんて言葉は存在しないらしい。 そうして俺、アール・メトールは負け犬の遠吠えを咆えた。 「――宝探しなんか、大っ嫌いだっ!」 俺に明日は来るのかよっ? 「明日はどっちだ? 完」 |