後日談 「ジョナサンの逆襲」 類は友を呼ぶという。 まだレイテが人であった頃――不死の魔法により、死なない存在となる前のことだ――学友だったジョナサンを「変わった人間」と見ていた。 ならば、彼を友と言う自分もまた、「変わった人間」であったということなのだろうか。 ……不死の魔法使いとして、異端視されるのならば、ともかくも。 「変人」は嫌だと、レイテは思う。 「変態」よりは、マシかもしれない。 だがしかし。やはり、「変人」は嫌だ。 レイテは「常識人」でありたいと願う。 非常識街道を爆走中の弟子、ルビィ・ブラッドの師匠として。また、養い親として。 「常識人」の看板を背負い、ルビィこと、ルーの非常識さを自分とは別次元の問題としたい。 自分の育て方が間違ったせいで、ルーが「非常識」なのだと思われたくない。 「常識人」の自分は、正しくルーを育てた。 しかし、ルーは「非常識」に育ってしまった。 答えは間違ってしまったが、式は何の不備もない。 そういうことにしておきたい。 だから、「変人」は嫌だ。 なのに――、 「ジョナサンなのですか?」 ゴキブリに、昔の学友の名を呼びかけているレイテがいた。 ――何故だ? 「お、さすが。我が友、レイテだね。姿が変わろうと、俺がわかるんだ?」 嬉しそうな声が聞こえて、レイテは頬を引きつらせた。 「喋るゴキブリが、そう沢山いたら……」 (――困ります) レイテは眉を顰めて、机の端で触覚を揺らすゴキブリを水色の瞳に捕らえた。 かつて、生まれ変わるならゴキブリになりたい、と言った友人がいた。 彼の名はジョナサン・クール。レイテが「変人」と認定付けた相手だった。 とにもかくにも彼は、女性が大好きで。スケベだった。 覗き行為に最適だろうということで、転生するなら「ゴキブリ」を選び、さらにその欲望を満たすために、透明人間化の魔法を実行し、失敗して命を落とした。 そんな彼を「変人」と呼ばないのなら、どんな人間に「変人」の称号を与えればよいのか。 彼ほど「変人」という称号が適切かつ、適合する人間を、レイテは知らない。 故に、彼と同じ「変人」にだけは、なりたくない。 「でも、俺がゴキブリに生まれ変わったなんて、よく見抜いたよな?」 「少し前に、貴方の夢を見たのですよ――」 懐かしかった過去の夢。 夢のままで終ればよかったのに、と。レイテは頭を抱えたい衝動を堪え、ため息を吐いた。 「ふーん」 声を発するたびに、ゴキブリの触覚がユラユラと揺れる。 友人の転生した姿だと思えば………………嫌悪感はない、とは言えなかった。 ぬめった黒光りする胴体。動き回るたびに机を引っ掻くその足音は、神経を逆撫でする。 カサカサカサと近づいてきたゴキブリが、机の上に置いた指の先に迫ってきたのを目にして、背筋に鳥肌が立つのは健全な精神の持ち主なら、致し方あるまい。 レイテはゆっくりと指を引っ込めつつ、ゴキブリ――もとい、ジョナサンに話しかけた。 「それにしても、本当に、ゴキブリに転生するとは思いもよりませんでした」 しかも、自我を前世と変わらず維持して、なおかつ言葉も喋れるとあっては。 この事実は、驚嘆に値する。 「うん、俺もビックリよ。でもさ、さすが俺って感じがしない?」 「そうですね。君は昔から思い込んだら一直線で」 「もう後先なんて考えられないっていうか」 魔法結界が敷かれてある女子学生の寮に、無謀にも覗きに侵入したところから見て、あまりにも短慮、短絡的行動。 きっと、死に間際に何も考えず、ゴキブリに生まれ変わることだけを願ったのだろう。それがどんな結果をもたらすのか思い巡らせることもなく。 ただ、覗き放題だという欲望を満たすために。 「思考能力が薄いのですね」 「そういう奴を何ていうんだっけ、単純? 単細胞?」 「世間的に言えば、やはり馬鹿。……ご自身の短所を素直に認めるその神経は、間違いなくジョナサンですね」 「そうそう、馬鹿。って、あれ……なんか馬鹿にされてない? 俺」 「気のせいですよ。馬鹿に馬鹿と言ったところで、それは馬鹿にしたことになりません。犬を犬と言っているようなものです」 「ああっ! そうだよな」 (……やはり、馬鹿だ) どうしよう、とレイテは思う。 こんな相手を、友人と呼んでいた自分がとてつもなく恥ずかしく思えてきた。 もし、過去がやり直せるとしたら、自分はジョナサンとの親友関係を抹消したいかもしれない。 レイテはそう考えてしまった思考を振り払うように、話題を変えた。 「ですが……ゴキブリの身では不自由はありませんか?」 「どうして?」 「いえ。ゴキブリは人類の大敵」 そこまで大げさではないだろうが。 その姿を目にしていると、叩き潰したくなるのは人間の本能だということにしたい。 (だって、相手はジョナサンなのにっ!) レイテは心の葛藤を笑顔の裏に隠して、続けた。 「害虫として、貴方を害そうとする人間がいるでしょう」 「ああ、いるね。ちょっと姿を見せただけで、プチッと潰されちゃったり」 (声を聞く前に、潰せば良かった) ――などとは、ゆめゆめ思ってはならないはずだ。 親友ならば。 レイテは己の思考に心の内で悶絶しつつ、笑顔を絶やさなかった。 「それは、お気の毒に」 「でも、なんていうの? 自分で言うのもなんなんだけど。生命力があるっていうか、しぶといっていうかさ。なかなか死なないんだよね、これが」 (ゴキブリですからね) 「それに死んだとしても、気がついたらまた、ゴキブリに生まれ変わってるのよ」 「……嫌な輪廻転生ですね」 「そう? 何か、あっけなさ過ぎて死んだ気にならないところは、割といい感じ」 「……君を前にしていると、生死に拘っていた僕が、馬鹿馬鹿しくなってきますね」 不死の命を得て、終らない人生に絶望しては、確実に死ねる魔法の研究に費やしていた日々が砂の城のように崩れていく。 虚しい。……何だろう、この虚しさは。 「それにしても、レイテも変わらないな。っていうか、不死になったってホント?」 「ええ、色々とありまして」 「大変だな」 (ゴキブリに同情されるとは……) 夢にも思わなかった。 何故だろう、自分がこの上なく不幸な境遇にあるような気がする――確かに、幼少の頃から病に侵され、望まないまま不死になって、一千年の時を生きてきた――けれど、そんな過去と向き合い、ルーというかけがえのない存在を得て、今はそれなりに幸福なはず。 だが、ゴキブリと向かい合っている現状を見れば、やはり不幸なのかもしれない。 「それで、ゴキブリ生活はどうですか?」 「うーん、なんていうか。思ったより、行動範囲が狭くってさぁ」 目を瞑れば日に焼けた健康的な肌の少年が、肩を竦める姿が瞼の裏に浮かび上がるが、目を見開けば、ゴキブリがユラユラと触覚を揺らしている。 「……ほう」 レイテは水色の瞳をさりげなく逸らす。 「この城で覗こうと思っても、あの赤毛の女の子しか覗けねぇじゃん」 「それはそう……何ですって?」 レイテは聞き捨てならない言葉を聞いて、ジョナサンを振り返った。 「君は、ルーを覗いているのですか?」 「おう。でも、あの子はヤバイね。俺を見つけると魔法をぶつけて来るんだぜ。この間なんて、火達磨にされちまったよ――おかげで、あの子の入浴シーンはいまだ見れず」 見ていたら、叩き潰してやるところだ。 如何に、ルーが非常識な奇行に走る娘だとはいえ、一応、乙女である――はずだと、レイテは信じたい――ゴキブリとはいえ、男視点のジョナサンに風呂場を覗かれるなんて、屈辱以外のなにものでもあるまい。 (そのまま灰になれば良かったのに) ――などとは、ゆめゆめ思ってはならないはずだ。 親友ならば。 レイテは頬を引きつらせながら、ジョナサンに問いかける。 「……それでも生きていたわけですか?」 「うーん、さすがに死んだと思うよ。でも、また生まれ変わったんだな。で、別の場所かと思ったら、またここだったわけ」 「この間と言いましたね。その言を聞けば、ルーの入浴を覗こうとしたのは一度ではない?」 「百回ほど、挑戦したね」 「それで、百回死んだわけですか?」 「うん。凄いね、あの子。敏感っていうか、靴は投げてくるわ、ほうきで叩き潰されるわ。俺の身体はバラバラの木っ端微塵よ」 「……まあ、ルーですから」 他には鈍感でも、ゴキブリには過剰反応示すところは、ルーらしい。 死体が残る形で仕留めたあかつきには、自慢するようにその死体をレイテの前に持ってくるかもしれない。 ――止めて欲しい。 例え、それが友人の死体であっても……ゴキブリはやはり、嫌だ。 「そこでさ、レイテに相談なんだけど」 百回もこの城で転生していて、今頃顔を出してきたことを詫びもせずに、ジョナサンは言う。 「もっと女が一杯いる場所に飛ばしてくれない? これじゃあ、せっかく、ゴキブリに生まれ変わった意味ないよ」 (全女性のために、生まれ変わらずに死んでいてください) ――などとは、ゆめゆめ思ってはならないはずだ。 親友ならば。 レイテは頬を引きつらせながら、ジョナサンに話しかける。 「…………残念ですが、ジョナサン。さすがの僕も、女性たちの敵になりたくはありませんので、お断りします」 「ええっ? そんなこと言わずにさっ!」 ビュンと空気を裂いて、黒い物体がレイテの顔へと迫る。 何かを考えるより先に、レイテの手はそれを床へと叩き落とした。 「――ハッ」 我に返って床を見下ろす。 身体を反転させて、足をひくつかせているそのおぞましい姿を目にして、レイテは条件反射的に――視界から抹消すべく――ジョナサンを踏み潰していた。 靴の裏側に感じる、僅かな感触に――再び、我に返ったときはもう遅い。 「……いえ、これは。全人類の女性の為に」 人類の女性の為にという――大義名分があれば、この罪は許されて……。 レイテはそう自分に許しを与えようとした瞬間、背後から声が聞こえた。 「ヒデェよ、レイテ」 振り返ると机の端から顔を出すゴキブリが一匹。 「友達を踏みつけるなんてさ」 レイテは恐る恐る足を持ち上げた。床には潰され、足がちぎれたゴキブリの死体。 「――もう、生まれ変わったのですかっ?」 「うん」 コクリと頷いたつもりなのか、触覚が揺れる。 「早すぎるっ!」 そう言って、目を見張るレイテの視界に、世にも恐ろしい光景が映った。 室内を侵食していく黒い影。 ゾロゾロと、室内のあちらこちらから現れたゴキブリが、レイテの視界を黒く染め上げていくのだ。その数は数千にも及ぶだろうか。 そうして、それらのゴキブリは口を――口なんてあるのか――揃えて言う。 「しかも、分裂しちゃった!」 「ありえないでしょうっ!」 悲鳴を上げながら、レイテは火炎魔法を放った。 「先生? 先生、大丈夫ですか?」 ルーが呼びかける先、寝台の上で眠っているレイテの横顔は歪んでいた。 「先生っ? どうしよう、グレースさんっ! 先生が、このまま死んじゃったら」 「いや、嬢さん。……若様をそんなに簡単に殺したら駄目スッよ」 グレースは今にも泣き出さんばかりのルーを慌ててなだめる。 少女の泣き声で師匠が目を覚ましたらきっと、――僕を勝手に殺さないで下さい、と鉄拳が飛んでくること間違いなしだ。 「でもー」 「熱もないみたいスッから、単に夢見が悪いだけスッよ」 「そうなの?」 「大体、若様は不死スッからね。簡単には死にませんよ」 第一に、簡単に死ねるようなら、レイテは一千年の時を生きてはいないだろう。 「そ、そっか」 「それよりも、若様が倒れたって聞いて、ビックリしたスッよ」 「俺もビックリしたよ」 「一体、何があったか、わかるスッか?」 「うーん、やっぱりアレかな?」 「心当たりがあるスッか?」 考え込むルーに、グレースが問う。 少女は首を捻りながら話した。 「あのね、この間、ゴキブリを仕留めたんだ。それで、先生に褒めてもらおうと思って、見せたの」 ……そんなものを見せたのか? グレースは、思わず声が出そうになって、息を詰めた。 ルーの奇行は、今に始まったことじゃない。 「そしたら、先生ってばゴキブリに向かって、ジョナサンって叫んで、慌ててた」 きっと、師匠の奇行も今に始まったことではないだろう。 レイテは「常識人」を自負しているようだが、「常識人」は自ら女装などしない。 まして、城の中で世間を知らずに育ってきたルーが手本にするのは、ただ一人しかいないのだ。 「もしかして、先生ってば、俺に内緒でゴキブリを飼っていたのかな?」 ……それはないと思うが、しかし。 この弟子の師匠であるならば……と、グレースがレイテを見やれば、彼は眠ったままうなされていた。 「……ゆ、許してください……ジョナサン。これも、全人類のためなのです……」 彼は一体、何と戦っているのだろう。 「ジョナサンの逆襲 完」 |