「後日談 愛の歌を歌おう」 「〈坂道を転がるようにぃ〜、僕は君に落ちたのさぁ〜♪〉」 彼は声を朗々と張り上げ、高らかに歌い上げる。 「〈もぉ〜、誰も止められないぃぃ〜♪〉」 周りの者たちがはやし立てるように手拍子を打ち鳴らす。 「〈僕のハートは君だけのものぉ〜、イェェェェェイっ!〉」 歌いきった感慨を身体で現すように、彼は拳を突き上げた。そして、目の前の事象に絶句していたグレースを振り返り、問いかけた。 「どうですか、若頭。これで奥さんは若頭にメロメロですよ」 「……………………」 グレースは自信満々に胸を張る、自警団の団員であるギャビン青年からそこはかとなく、視線を逸らし言った。 「………………却下」 「何故っ?」 発端はその日の朝。自警団でも古株の男性が、顔中を傷だらけにしながら出勤してきたことに始まる。 グレースを筆頭に、自警団事務所に詰めていた者たちは暴漢に襲われたのかと、色めき立った。 フラリスの街は比較的、治安は良いほうであるが、それでも酒に酔った者たちの喧嘩や流れ者たちが巻き起こす荒事もそれなりにあった。 それぞれ、出動態勢に入る団員たちに、男性は顔を赤らめながら言い訳した。 何でも、奥方の誕生日をスッカリ忘れていたことによる夫婦喧嘩の末の、傷だというのだ。 自分に非があるため、抵抗しなかったところ、爪で引っ掻かれ、クッションで叩きのめされ、食器類を投げつけられたという。 たかだか、誕生日を忘れたぐらいで……何もそこまでしなくても、と団員たちは心の中で男性に同情した。 しかし、男性は結婚してからこの方、奥方の誕生日どころか、結婚記念日すら祝ったことがないという。さらに、間が悪いことに奥方は、結婚記念日十周年を記念して、旦那から宝石つきの指輪をプレゼントされたと、近所の者から自慢話を聞いていた。 こうなってくると、旦那の自分への愛情を試したくなる奥方は話の端々に、自分の誕生日を示唆していたという。だが、男性はそれを聞き流していた。 そして、誕生日当日は仲間たちと酒を飲んでしまった。 奥方がご馳走を用意して待っていたというのに。その日の朝、奥方から「早く帰ってきて」と言われていたにも関わらず。 ここまで聞くと、さすがに男性に同情する気は失せてくる。むしろ、奥方に同情的になった団員たちは口それぞれに、男性を責め始めては、自分の行いを顧みた。 「やっぱり、誕生日を忘れるのはいかんでしょう」 「そうだよね、駄目だ。最低だよ」 「女ってイベントが好きだからさ」 「せめて、そこら辺り、気を配るのが男の中の男でしょ」 「うんうん。美人の奥さん貰っておいて、まさか、若頭、ミーナさんのお誕生日を忘れたりしていないでしょうね?」 不意に問いかけられたグレースは、口ごもった。 (……ミーナの誕生日って、いつだ?) 目を泳がせたグレースに団員たちの目がジトリと粘りつく。 「……まさか、若頭」 「忘れているんじゃないでしょうねっ!」 「俺たちのミーナさんを奪っといてっ!」 口々に非難して詰め寄ってくる団員たちにグレースは目を剥いた。 「奪うって、何だっ?」 ミーナがフラリスの街の中でも筆頭の美人で、性格がよろしく、男たちの間でも人気があったのは知っているつもりだったが、ここまでとは。 「若頭はズルイですよ、女の人には興味ないって感じでいたのに」 「あっさりとミーナさんを嫁さんに貰って」 「俺たち、密かに狙っていたんですよっ!」 勢い込んでくる団員たちに、グレースは気圧される。 「…………そ、それは」 「それを、ミーナさんの誕生日を忘れたっ?」 「信じらんないっ!」 「それでも男ですかっ!」 「……いや、忘れたって言うか……」 (……そもそも、知らないし) 何か、基本的なところで情報不足であることを実感する。幼馴染と言うことで、全てを知っている気がしていたけれど。 「ミーナさんの誕生日は十日後ですよ」 「ちゃんとお祝いしてあげてくださいよっ!」 (何で、こいつらが知っているんだっ? っていうか……) 「十日後っ?」 急な展開に絶句する。 「ちょっと待て、ホントに?」 「本当ですよ。何でこんなことで嘘をつかなきゃならないんですか?」 「そりゃ、ミーナさんが若頭に愛想を付かして、フリーになるって言うんなら、俺たちだって」 「うんうん」 「でも、ミーナさんはそういうことしなさそうだし」 「もう若頭がどんな駄目になっても、付き添いそうだし」 「そうそう、それがミーナさんだし」 「はあ〜、何でミーナさん結婚しちゃったんですよぉ〜」 団員たちは額をつき合わせて、ため息を吐いた。そして、憧れの女性を奪った張本人を見やれば、グレースは財布の中身を覗いて顔色を青くしていた。 「……若頭、もしかして」 「プレゼントを買うお金がないとか?」 「……あっ、えっ?」 問いかけられて動揺としたグレースは財布を取り落とした。パサリ、と軽い音を立てるそれに、団員たちは口を噤む。 「………………」 「いや、あの……その……な?」 「この間、給料日だったですよね?」 「ミーナさんから小遣いを貰っているんですよね?」 「……うん……えっと」 大食漢のグレースはミーナが作ってくれる弁当だけでは足りずに、買い食いをしていた。 食欲の赴くままに買っていたら、もう金欠状態だ。 とてもではないが、宝石の付いた指輪なんて買えるわけない。 「どうするんですかっ!」 「ミーナさんをガッカリさせちゃ駄目ですよっ!」 「そうですっ! そんなことをしたら、俺たちが呪いますよっ!」 噛み付いてくる団員たちにグレースは頬を引きつらせた。 「いや……うん、わかっている。プレゼントは……用意する。金はないけど」 果たして、お金を使わずにミーナに喜んで貰えるプレゼントなんて何があるだろう? 考えを巡らせるグレースの肩を叩く手があった。 「若頭」 振り返った先にあったのはギャビン青年のにんまりとした笑顔。 微かに嫌な予感を覚えたグレースに、ギャビン青年は告げた。 「歌いましょうっ! 歌って愛を伝えるんです、若頭っ!」 そうして、冒頭に戻るわけだ。 「というわけなんスよ、どうしたらいいと思うスッか?」 「……何故、僕に聞くのでしょう?」 グレースの問いかけに、レイテは困ったような顔を見せた。 いきなり移動魔法で現れたグレースは、妻のミーナの誕生日が近いと言い、彼女のために金がかからないなりにも心のこもったプレゼントを用意したいのだとレイテに訴えた。 グレースは魔法の師匠であるレイテを信頼していた。きっと、彼ならいい案を出してくれるだろう。 「その、歌は?」 傍で聞いていたルーが興味津々のていで尋ねてきた。 一応、グレースの兄弟子と言う立場にあるこの少女は、歌を歌うのが好きだった。しかし、その歌はギャビン青年の歌を模したものなので――世間を知らずに十七年間生きてきた少女は、他に歌を知らない――かなり評判が悪かったりするのだが、本人は全く自覚がない。 「駄目スっ! あの歌は駄目スッ!」 グレースはブンブンと首が引きちぎれそうな勢いで、頭を振った。 「そんなに酷い歌なのですか?」 「ヒドイっていうか……ヒクでしょう、あれは」 「試しに歌ってみてくださいよ」 面白半分で持ちかけたレイテは、グレースが渋々歌ったそれを聴いた後、そこはかとなく目線を逸らした。 「……だから、言ったじゃないスッか!」 顔を真っ赤に染めたグレースはレイテの反応に、半泣き気味で抗議した。 「すみません。いや、素敵な歌でしたよ。でも……そうですね、ミーナさんに贈るのは少し考えものですね」 「どうしましょ? 何か、いい案がないっスかね?」 「そうですね……パーティを開いてはどうですか?」 「パーティ?」 「お誕生日パーティです。料理を用意して、お祝いしては如何でしょう」 「パーティっ! いいスッね。あっでも、オレ、料理はできないスッよ」 「あなたに料理を作れとは言いませんよ。ミーナさんを殺す気ですか? 僕が作ります。グレースさんはお手伝いをしてください。心を込めてお祝いしてあげること、これが何よりもミーナさんへのプレゼントになると思いますよ」 「はいっ! オレ、何でもやるスよっ!」 パァッと顔色を輝かせるグレースに、レイテは笑みを返す。 「ケーキは失敗すると大変なので、アップルパイなど作ってみましょうか。パイ生地さえミスしなければ簡単ですからね。食卓にお花を飾って……ミーナさんの好きなものはわかりますか?」 「ミーナの好みスか? 野菜が好きですね。よく野菜サラダを食べているスよ」 「では、野菜中心のメニューにして……そういえば、銀食器がありましたから、それを使いましょう。グレースさん、ちょっと食器を磨くのを手伝ってください」 「はいスッよ」 席を立ち上がるレイテに従って、グレースも椅子から立ち上がった。廊下に出た二人は台所に向かおうとした。 そこへ、ルーが追いかけてきては、グレースのシャツを引っ張った。 「グレースさん、グレースさんっ! あのね、二番を考えたの」 「ん? 何スか、嬢さん? ……二番?」 小首を傾げたグレースを前に、赤毛の少女はいきなり身体をくねらせ始めると、 「〈グレースはミーナにラブラブなのさぁ〜♪〉」 両手の親指と人差し指でハートマークを作っては、それを左右にちらつかせながら声を高らかに歌い始めた。 「〈もちろん、ミーナもグレースにラブラブなのよぉ〜♪〉」 「……………………」 「〈そうさ、二人はアツアツなのねぇ〜♪〉」 ゆらゆらと腰を左右に振る奇妙なダンスを披露して、ルーは自信満々に言い放った。 「これでミーナさんは、グレースさんにメロメロになるねっ!」 ニッと白い歯を覗かせて笑い顔を見せた、その瞬間――。 後方から風がそよいだかと思うと、猛烈な突風が少女の身体を馬鹿広い城内に、長々と延びる廊下の最果てへと吹き飛ばした。 それは坂道を転がり落ちるが如くの勢いで。 アッという間に視界から消え去った少女に、グレースが恐る恐る師匠の顔色を伺えば――今のは間違いなく、レイテの魔法による突風だろう。 「………………」 「さて、グレースさん。当日のメニューは野菜をたっぷり使ったスープなど如何でしょう?」 微風に銀色の髪をなびかせながら、レイテは超絶美貌でさわやかに微笑む。 どうやら先ほどの事象を、なかったことにしたいらしい。 グレースとしても、正直、ここまで来ると――ルーの世間知らずゆえの、行動の数々を今まで何度も目撃してきたので多少のことなら、驚かないつもりでいたが――どういう反応をしていいのかわからなかったので、レイテの言外における提案を受け入れることにした。 (さらば、嬢さんっ!) 星となった兄弟子に心の中で別れを告げて、グレースはレイテと共に台所へと向かうのだった。 「あー、野菜スープは良いスッね、良いスッよ」 後日、レイテがルーに対してどのようなフォローしたのか、気になったものの、グレースは聞かないことにしておいた。そのほうが精神衛生上、良い気がしたのだ。 そして、ただひたすら、レイテとルーの愛が壊れないことを祈るばかりである。 「愛の歌を歌おう 完」 |