「思い出談 かくれんぼ」 一千年の時を生きてきた不死の魔法使いレイテ・アンドリューが命の欠片にも似た赤い瞳の赤ん坊を拾って、四年が過ぎた日のこと。 「ルー? ルビィ・ブラッド? どこです? おやつの時間ですよ」 レイテは皮を剥いた果実を皿に盛り付けて、幼女に与えた部屋にやって来た。 小さな寝台を備え、子供が喜びそうな玩具を集めた室内に、いつもはせわしなく動き回っては、レイテを見つけると直進してきて、体当たりを食らわせる元気な幼女の姿はなかった。 「……ルー?」 レイテは今しがた自分が入ってきたドアを振り返った。 そういえば、このドアは開いていたような……。 「……出て行ったのですか?」 まさか、と思う。 手にした皿をテーブルの上に置いて、レイテは寝台の下を覗いた。 寝相が悪い幼女は寝台から落ちては僅かな隙間に入り込むということがあった。 それだけではなく、この間も、かくれんぼといって、寝椅子の下に入り込んでは出られなくなり、亀のように手足をばたつかせていた。 本人はそれが思いほか楽しかったらしく、笑い声をキャッキャッと響かせていたが、レイテは軽い眩暈を覚えたものだ。 かくれんぼを教えたのは他でもなくレイテだった。書物を読む時間をルーに邪魔されたくなくて、彼はこの遊びを教えた。遊びを開始すれば、ルーはレイテに見つからないように隠れた。その遊びを実行している間は、幼女はレイテに近づいてこなかった。 彼の目論みはここでは成功したと言っていい。 しかし、最近では遊びを宣言していないのに、かくれんぼを開始してはレイテを困惑させる。 ただでさえ、広い城内を遊び場にしたら隠れる場所なんて数え切れないほどある。幼女の行動範囲などたかが知れているだろうが、ルーという幼女はレイテの想像範囲を超えていた。 先日のかくれんぼにしても、捜索に半日を費やした。 「……また、かくれんぼですか?」 ルー本人にはかくれんぼのつもりかもしれない。しかし、レイテにしてみれば迷子になった彼女を捜索することに、うんざりしてしまう。 ため息を吐きつつ、レイテは幼女の気配を探ろうとする。しかし、まだ彼女の気配を掴むことがままならない。通常なら容易に見つけられる。やたらと、騒々しい気配を手繰ればそこにルーがいる。しかし、かくれんぼの意識が強いと、ルーは無意識に気配を消してしまうようだ。 そうなると幼女の存在は、手のひらから簡単に零れ落ちてしまう砂粒に似て、掴んだと思った端から消えてしまう。 「全く、あの子は」 レイテは部屋を飛び出した。 何で、あの子を育てようと思ったのか。 思い返しても、レイテには自分の心理がわからなかった。 一人で生きてきた自分が……死を望む自分が……これから生きようとする命を育てようとするなんて。 矛盾していて、滑稽で、狂っているとしか思えない。 孤独を理解して共に暮らしてくれた女性がこの世を去って数百年。また、一人取り残された。 生贄を捧げられることによって、人外に祭り上げられ。人間社会と完全に隔絶されて、忌み嫌われた。 もうここには絶望しかないのに、死ねなくて。 過ぎ行く日々に自分は、再び自覚がないままに狂っていたのだろう。 正常な判断が出来なくて、赤ん坊を育てられると間違った判断を下した。 ……今からでも……遅くない。 手離してしまえ。心の声がそっと囁く。 その方が、あの子のためでもある。 ……でも。 ルーを拾って、赤ん坊の身の回りのものを用意するため、レイテは街へと降りた。 類稀なる美貌は人目をひいたけれど、レイテ・アンドリューと名乗り上げさえしなければ、普通に行動できた。 街に出たときに、レイテは孤児を引き取って育てている施設を覗いた。一言で言ってしまえば、酷い状況だった。どんな事情があるのかわからないが、子供の数は多く、それでいて世話をする人間の手が圧倒的に足らない。 これなら……自分が育てた方がまだ、あの子にとっては良いと思った。 そして、四年。 赤ん坊は自らの足で歩き回るようになった。何が楽しいのかレイテには全く理解できないが、ルーはよく笑う。キャッキャッと響くその笑い声を聞いていると、心のどこかで一人ではないことに安心している自分がいた。 廊下を出て、一つ一つ部屋を覗いていくレイテは静寂に焦りを覚えた。 「ルー、ルビィ・ブラッドっ! 出てきなさい。かくれんぼは、お終いです」 ついキツイ口調で、声を響かせる。 「ルビィ・ブラッドっ! 出てこないと怒りますよ? おやつ抜きですからねっ?」 声を張り上げて、廊下を行く。一通り見回って、この階にはいないようだと結論を下す。レイテは階段へと向かった。 二階へと昇る途中の踊り場で、レイテは足を止めた。 そこに横たわった小さな身体があったのだ。 「……ルーっ!」 まさか、階段から落ちたのか? 階段の高低にレイテは青ざめた。一番上から落ちたとなればとても無事では済まない。 踊り場に広がった幼女の赤い髪はまるで血のようだ。 レイテは幼女の側に跪き、震える手をルーへと伸ばす。ピクリとも動かない肢体。指先に触れる体温はまだ温かいのに……。 「嘘でしょう、ルー。ちょっと待ってくださいよ」 呼びかける声が震えた。 まだ四年しか生きていないのだろう? それがこんな簡単に……。 死にたい自分は、生きているのに。 「どうしてっ! 君がっ」 小さな身体を抱き上げたレイテの胸で、 「ズビーブビー……バフッ」 まるで溜め込んだ空気を小さな穴から漏らすように、幼女は寝息を吐き出した。 恐らく、ルーはこのだだっ広い城内を歩き回って疲れた果てに、この踊り場で寝入ったのだろう。 寝ているので動き回る気配を掴もうとしても掴めるわけはない。 いつもは眠っていても転げまわる幼女が、全く動かなかったから死んだと勘違いしてしまった。それはレイテの早合点でしかないのだが。 「――――っ! こ、…………こんなところで……」 レイテはこめかみに血管が浮かび上がるのを自覚しつつ叫んだ。 「寝てはいけませんっ!」 「ひゃー」 奇妙な声を上げて幼女はパチクリと目を見開く。 真っ赤な瞳はレイテを見つけると、キラキラと宝石のように輝かせて、短い腕で抱きついてきた。 「パパっ」 肌に伝わる温かい感触にレイテはそっと声を返した。 「……ルー、僕は君のお父上ではありません」 「……パパ」 「……違いますよ」 「じゃあ、パパは?」 「どこにいるのでしょうね?」 レイテは胸の中でしょんぼりとうなだれる幼女の頭を撫でた。その姿を見ればルーの人騒がせな行為に怒る気も失せる。 このところ、幼女はやたらとレイテに父親役を求める。家族物の童話を話聞かせたのがいけなかったのか。 「ルーのパパは?」 こんなときは、嘘でも自分が父親だと語れば良いのだろうか? そうすれば、この子に悲しげな表情をさせずに済むのだろうか。 答えが見つからない。どうすれば、この子を幸せにできるのだろう? 「…………今は遠いところにいらっしゃるのですよ」 君は捨てられたのだと、いつか真実を告げなければならない日が来るだろう。告げなくても、その事実をこの幼女が自ら把握するときが来るだろう。 でも、今は……。 「それまで、僕が……」 そう、いつか、この子は自分の手から巣立つときが来る。だから、そのときまで……。 果てることのない命の幾ばくかの年月をこの子にくれてやっても……。 本当は、自分が寂しいだけなのかもしれない。でも、孤独に付き合わせるのではなく、共に生きるのなら、誰よりも彼女を慈しもう。愛してやろう。 「君の親代わりです」 「ほんと?」 首を傾げるルーにレイテは笑顔を返した。 「いやですか?」 「せんせ、大好き」 ルーはキャと声を響かせた。鈴の音のように響く声にレイテは幸せを感じる。今ここに感じる幸せをこの子にも返してあげよう。自分にできる全てでもって。 レイテはそっと心に誓った。 「さて、おやつにしましょうか、ルー」 「ひゃっほー」 レイテの腕の中で飛び上がった幼女が、転げ落ちそうになって、レイテは青くなった。 しかっと小さな身体を抱きしめて、苦笑をこぼす。 「…………本当に、君は」 彼女と過ごす月日は退屈しないですむことだけは予感できた。 「かくれんぼ 完」 |