月明かりに罪を隠して 例え、この手で花を散らそうとも――。 冷たい石の階段を、シエナは靴音を響かせ昇った。 王城の一角に建てられたこの塔の、展望室からは城内はもちろんのこと、城下を一望できる。 日に日に膨らみつつある夜空の月は、煌々と輝き金の光のヴェールを広げ、夜に眠る街並みを包んでいた。 肩から背中へと流れる曙色の長い髪は、月明かりを受けて黄金色に輝いている。 その光は月よりも眩しくて、闇しか知らないシエナを時に燃やし尽くさんとしていた。 彼女と共にあると、シエナは胸に宿りし復讐の誓いを瞬きの間、忘れてしまうのだ。 それほどに強い熱を持った彼女は、闇の中にあっても輝く――太陽か。 空に昇る刻を間違えているかのように、彼女はシエナの闇の中に侵入してくる。 その きっと、恋することのあやまちを知らないからこそ、彼女は無垢に光り続けるのだろう。 そして、いつしか太陽の光は自分の闇を本当に焼き払ってしまうのではないか、と。 ひそりと胸に広がる不安を払拭すべく、シエナは唇を開いた。 「――姫」 声に導かれるようにして、彼女が肩越しに振り返る。宝石のような青い瞳の双眸が、シエナの姿を捉えて微かに笑む。 麗しき姫君の こちらへ差し向けられる恋慕の情は、何のてらいもなく真っ直ぐに、シエナへと捧げられる。 「――姫はよほど、こちらがお気に入りのご様子。何か、面白いものが見えるのですか」 「月がよく見えるの」 「――月」 「月は、シエナの瞳と同じ色をしているわ。だから、月の光を浴びていると、シエナに見守られているような気がして、安心するの」 「私本人では、役不足ですか?」 一歩距離を縮めれば、姫君もまたこちらへと歩み寄って来た。 衣ずれの音は、さらさらと耳に心地よい繊細な楽を奏でて、恋人たちの宵を演出する。 「月を見るというのは、口実よ。ここならば、シエナと二人きりになれるから。いつ来てくれるのかと、待っていたのよ」 彼女は薔薇の花弁のようにふっくらと潤った唇を解き、甘えるような声で告げた。 「まるで、 「皆が捜しているのに、シエナが一番に私を見つけ出すのね」 差し出された白い指先に、シエナは自らの指を絡める。 「姫様のことは他の誰にも譲れませんから」 胸の奥に息づく想いを殺しながら、シエナは偽りの仮面を彼女へと傾けた。 一見すると穏やかに見えるシエナに、姫君は警戒することなく身を預けてきた。 「二人のときは、アルデリアと呼んで」 姫君の望みのままにシエナは、彼女の名を口にし、 「……アルデリア」 薔薇の花弁へ、口づけを落とす。 白いドレスをまとった無垢なる花は、シエナが仇と狙うアッコールト王の愛娘。 大陸でも名の通った大国を継ぐ、ただ一人の後継者は何と世間知らずの娘であることか。 己が父親に復讐を誓う者に、恋をするなど。真実を知ったとき、アルデリアは自らの愚かしさに泣くだろうか? もし涙が流されたとして、はたして涙は誰がために流されるのだろうか。 ただ一つの命で、何千何万という命を奪った そうとは知らず、復讐者を愛してしまった己を? それとも、彼女から全てを奪う偽りの婚約者を恨んで、憎しみの涙をこぼすのか。 彼女の背中に手を回しながら、シエナはアルデリアの髪に、嘲りが浮かぶ顔を埋め、月明かりから隠す。 今はまだ、この胸に巣食う闇を知られてはならない。 月が満ちるときまで、いましばらく。 心の仮面を外してはならないと、シエナは自らに戒める。 恐らく、偽りの罪を自覚するからこそ、あまりにも太陽は眩しく、この目に輝いて見えるのかも知れない。 胸の奥に焦げ付く熱にシエナは唇を噛んだ。 しかし、偽りとは―― 一体、誰に対してのものだろう? 答えを出すことをシエナは無意識に避けて、腕の中の花をきつく抱き締めた。 「愛しているわ、シエナ」 シエナの背中に回った姫君の手が、同じような強さを持って、シエナの心を締め付けた。 「――愛しています、姫」 絶望の深淵へと突き落とさんがための謀りの言葉を吐き出しながら、姫君から立ち上る甘い花の香りに、何もかも忘れて溺れられたのなら――どれだけ幸せだろうと、シエナは夢見る。 だがそれは、決して手に入れることが叶わぬ―― 望んではならない―― 夜が明けて、月が満ちればすべては 古傷が疼き続ける限り、夢に心をゆだねることも、また罪であることをシエナは知っていたから、月明かりに心が晒されるのを厭い、目を瞑った。 例え、この手で花を散らそうとも――願うことは、ただ一つと決めたから……。 この刹那に願った罪は、誰にも知られてはならない。 「月明かりに罪を隠して 完」 |