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「title.10」〜「title.12」ユージン視点


 破滅に導かれし我、嘲笑うは君


 煌めく銀の刃が、黒衣の腹に埋め込まれる。
 腹から背へと貫かれた冷たい剣の切っ先から滴る赤い鮮血が、石牢の床に血だまりを作った。
『……シエナ様っ!』
 叫んだ自らの声を、どこか他人事のように遠く聞いていた気がしていた。
 崩れるシエナの身体が血の海に横たわるのを、呆然と見つめ凍りついていた自分……。
 ――もしも、あの時。
 彼を止めていれば、運命は変えられただろうか?
 後悔はしていないはずなのに――記憶は過去を振り返らずにはいられない。

* * *

 ホールに響くは饗宴のざわめき。
 仮面の下に本音を隠した世辞が飛び交い、哄笑が響く。楽団が奏でる音に合わせて、紳士と淑女がくるくるとドレスの裾を揺らしながら、円舞する。
 そんな広間から抜けて、ユージンは宴の主役となる人物を捜した。
 回廊の一角、城の中庭を覗く窓辺に佇んで、彼は外を見上げている。
 白い星々を従えて夜空に浮かぶは黄金の月。太陽にとって代わり、天を支配するそれは、約束の時が満ちたことを告げていた。
『――シエナ様』
 ユージンがそっと声を掛ければ、黒い影が肩越しに振り返った。
 黒の衣装に、漆黒のマントを羽織っている彼の、衣擦れの音すら立てぬように殺された気配は、既に彼の中で戦闘準備が出来上がっていることを示していた。
 漆黒の夜闇を侵食し、煌々と輝く満月の光。
 窓の外にある色をそのまま塗り込めたような漆黒の髪に金の瞳の、秀麗な面差しの青年は、ユージンの呼びかけに『ああ』と、静寂に落ち着いたこの場の空気を揺らし、低く頷いた。
『宴の様子はどうだ』
 一点の揺るぎもない、抑揚のない声が問う。
『はい、滞りなく。姫様がシエナ様を捜しておいででした』
 恋人を捜す何も知らないアルデリアの姿を思い出せば、ユージンは己の舌に僅かばかりの苦さを感じた。そんな感傷を切り捨てるように、シエナの声は淡々と響く。
『皆は――』
『定位置についております』
 宴を盛り上げている楽団の中にも、フレムデテーネの解放を願う同胞が紛れている。彼らは合図があれば、楽器を剣に持ち替える手はずになっていた。国王直属の護衛隊も、既に半数近くの人間がシエナの息のかかった者である。都合上全員をこの場に揃えることは出来なかったが、場に立ち会えなかった者には、外へ逃れる者がいないように見張りについて貰う。
 仲間以外の人間は誰一人として、生かしてはおけない。
 ――後に必要となるアルデリア姫を除いて。
『後は、シエナ様の合図を待つばかりです』
『では、我が愛しの姫君のもとへ参ろうか』
 そう告げたシエナの口元に浮かんだ嘲笑に、ユージンは緑の瞳を微かに伏せた。
 その言葉のどこまでが、彼の本音だろう?
 胸の内に沸き上がる疑問に、唇が震えた。
 今ならまだ間に合う――と、シエナを止めれば、彼は復讐を止めるだろうか?
 その答えを求めるように、ユージンは口を開いていた。
『……よろしいのですか?』
 広間へと向かいかけたシエナが、立ち止まってこちらを見据える。
『――何が?』
 感情を殺した声が、逆にユージンの意を問う。
 視線を上げたユージンに、黄金色の瞳は「愚問だろう」と、暗に語っていた。
 ――そう。愚かな問いかけだ。今さら、引き返せるはずもない。
 この日のために、何年もの月日を費やした。その間に犠牲にした命は、敵も味方も数知れない。
 復讐を心に誓った日から、きっと自分たちは破滅の道を選んでいた。
 全てを失うことになろうとも、復讐を果たす。
 その果てに、祖国の解放を――。
 結んだ誓いは、ユージンとシエナだけの問題ではない。多くの人間の悲願でもある。今さら私情で、全てをなかったことに出来やしないのだ。
『止めたいのか?』
 シエナが重ねて問うのを前に、ユージンは目を瞑った。
 手のひらに蘇るのは、最初に人を殺した時の感触だった。肌に浴びた返り血の生温かいぬめりを思い出す。
 頭蓋を打ち砕いた斧の柄から伝わってきた振動。実際に、身体が震えるように指先が戦慄わななく。
 今さら――。
 ユージンは手のひらに指を握り込み、拳を作った。
 誓いは変わらずに胸にある。祖国を解放するにはアッコールトの現国王は邪魔だ。彼の王の暗殺が、例え私怨だとののしられようとも……。
『――止めません。王の命は、フレムデテーネに捧げられるべき贖罪です』
『ああ。そして、アルデリアは俺に玉座を与えるための駒』
 ユージンとシエナは、自らに言い聞かせるように呟いた。
 引き返す道を塞いで、破滅へと向かう。その先に安らぎはないと知っていても……。
 そうして優雅な饗宴は、殺戮さつりくの宴へと変わった。

* * *

 シエナの口元を飾っていたわらい。彼が嘲笑ったのは果たして、誰であったのか。
 ユージンは今ようやく、わかった気がした。
『――俺は許したかったっ!』
 アルデリアが自害を図った牢獄にこだました、彼の慟哭。
 あの満月の夜にもっと強くシエナの真意を問いただしていれば、このような結果にはならなかったかも知れない。
 今さらだと思った。
 そんな告白は、今さらだろう、と。
 アルデリアが自ら死を選んだというのに、今さら許しを請うたところで……。
 だから、望むままにシエナに死を与えてやろうとした。アルデリアと共に、死に逝けばよいと思った。
 だが……彼が死んだら、フレムデテーネ解放はどうなる?
 一時的な混乱を過ぎ冷静さを取り戻せば、ユージンの中で、シエナもまた祖国を取り戻すための駒となり果てていた。
 もうシエナには、死を選ぶことなど許されやしない。彼の双肩にはフレムデテーネの未来が圧し掛かっている。
 シエナが倒れることは、王位簒奪からこちら、祖国解放へと進めてきた計画が頓挫とんざすることを意味する。
 突き動かされるままに、ユージンは倒れたシエナの傷口を確かめた。剣が食い込んだ傷口は、恐らく刃を抜いてしまえば、出血が今以上に酷くなるだろう。処置ができる場を整えなければ、動かせない。
 ユージンは次に牢を開けてアルデリアの生死を確認した。出血の割に、心臓の鼓動はしっかりしていた。手早く止血を済ませ、人を呼んで、それぞれを城へと運ばせ、治療に当たらせた。
 王宮は混乱を来した。国王であるシエナが瀕死の重傷を負っているというだけでも、一大事であるが、長年行方不明だったアルデリアもまた発見されたとあっては、ユージンに事の真相を問い質さんと、人が殺到した。
 何が起こったのかと問いかけてくる重臣たちに「今はお二人の命を助けることが重要でしょうっ!」と、怒鳴り退けた。
 二つ並んだ部屋にシエナとアルデリアを収容し、治療に携わる者だけに入室を許可して、ユージンは二人が意識を取り戻すのを見守る。
 ――死んでもらっては困る。
 血の気を失い昏々と眠るシエナを前に、ユージンは拳を握った。
 ……シエナ様だけがフレムデテーネを救えるのです。
 だからこそ、彼を生かす。彼女を生かす。それが二人にとって、どれほど残酷な生の道になろうとも。
 ――罪を贖わなければならないのなら……私の命を喜んで差し上げる。
 だから、生きてくれと願う。祖国の人たちを救って欲しいと祈る。
 それによって、シエナも救われればいい。
 きっと、あの夜にシエナを止めたかったのは、自分自身が終わりにしたかったからだろうと、ユージンは自覚した。
 復讐を建前に、祖国解放を言い訳に生にしがみついた自分を、ユージンは誰かに断罪して欲しかった。
 そして、シエナもまた終わりたかったから、アルデリアの後を追ったのだろう。
 止めるに止められず、破滅の道を選んだのは――我であり、君。
 鏡を映すように彼もまた破滅を選んだから、シエナはユージンを嗤い、自らを嘲笑っていた。
 似た者同士であるからこそ、シエナの今後をユージンは憂いた。
 復讐しか選べないほどに、自分たちは真っ直ぐにしか歩けなかった。愚かな道と知りつつ、その先には破滅しかないとわかっていても、他の道を選べなかった。
 ……だが、貴方は……。
 彼と自分が唯一、違うものがあるとすれば、アルデリアだ。
 シエナは仇の娘であるアルデリアを愛した。
 幼いときにすべてを失った戦災孤児が、無垢な愛情を与えられ、そこに縋りついたとしても責められない。アルデリアの愛情表現は第三者のユージンから見ても、真っ直ぐで眩しかった。
 泥にまみれ、黒煙漂う灰色の空、血に染まった世界の記憶しか残っていないようなシエナには、あまりにも眩し過ぎた。
 そして、憎みたいほど世間を知らない姫君は、疑うことなくシエナを愛した。
 アルデリアがいとも簡単に手中に堕ちたから、シエナは逆に戸惑い、心を揺さぶられたのだろう。
 婚約者に差し向けていた甘い微笑は、彼の真実ではなかっただろうかと、ユージンは今にして思う。
『許したかった』と叫んだ彼は、アルデリアの住む穏やかな世界で、争うことなく生きたかったのだろう。
 それでもシエナは復讐を選んだ。それは彼が、自分が背負ったものを知っていたからだ。
 復讐を糧にしなければ、生きられなかった弱き者たち。シエナ自身がそうやって生を支えていたから、同じく復讐を糧に生きている仲間を切り捨てられなかった。
 ユージンや同胞の願いに目瞑り、アルデリアとの幸福を選び取れないシエナの生真面目さが、彼自身を追い詰めた。
 ならばきっと、これからユージンが課せる十字架と、アルデリアの存在はシエナの命綱になるだろう。
 共に生きればいい。
 罪を背負い、苦しくとも、辛くとも、最期のときまで。
 いつか、許されるときが来るまで――救われるときまで……。
『姫様、どうか私の代わりに、シエナ様をお願いします』
 目覚めたアルデリアを前に、ユージンは願いを託して告げた。
 
 もう一人の私を――。
 あの懐かしく穏やかなフレムデテーネへの地へ導いてください、と。


                    「破滅に導かれし我、嘲笑うは君 完」


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