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閑話・ディアマン視点

 瞳に宿る殺意


 それはとある日の、うららかな午後のこと。
 昼を過ぎた日差しは少し温度を下げて、午後の休息についたローズ様の肩に、柔らかく降り注いでいた。
 そんなローズ様の脇を固めているのが、女王陛下の夫となる「太陽」と「月」の騎士――ブランシュ様とヴェール様だ。
 バルコニーに置かれたテーブルには、真っ白なテーブルクロス。中央に置かれた花瓶には、庭園で庭師がローズ様に捧げるために丹精(たんせい)込めて育てた薔薇が活けられていた。
 その周りには、グリシーヌ殿が腕をふるって焼いた菓子が香ばしい香りをはなっていた。
 ローズ様の専属侍女として王宮に上がって来たグリシーヌ殿は、王宮厨房の料理人たち顔負けの料理の腕を持っていた――孤児院を出て、ローズ様お付きの侍女として王宮に上がるまでの間、グリシーヌ殿は貴族専用の料理店で見習いとして働いていたということ。そうして、地球での十六年でさらに磨きがかかった腕は、私も太鼓判を押す。
 そんな彼女が作る菓子や料理をローズ様はこよなく愛しておられたので、今では、お茶の時間に出す菓子類を一手に引き受けている。
 今日も、簡単そうに見えて実に手の込んだ菓子類がのった皿が、テーブル上を占領し並んでいた。
 その大方はヴェール様の腹に収まるだろうと思われる。故に、これほど大量の菓子を焼いたのだろう。
 グリシーヌ殿も……ご苦労なことだ。
 それらの甘い香りは、紅茶の優雅な香りとまじりあい、思わず口元が緩んでしまうような空間を演出していた。
 とろりと砂糖蜜をふりかけた果物のタルトは、太陽の陽ざしを黄金色に反射させている。眩いその輝きに、ローズ様のお顔が喜色に染まった。
 見ているこちらの心を揺さぶる愛らしさで、思わず心の内側で拳を握り、グリシーヌ殿に礼を述べている自分がいることは、内緒である。
 女王という立場にあっても、先だってまで十六歳の女子高生であったローズ様。
「甘い物は女の子にとって、敵よね」
 と、呟きながらも、その甘い魅惑に屈してしまうのは、年頃の少女として自然なあり方でしょう。
 良いではありませんか。
 ローズ様の幸福に満たされた笑みに、癒される男がいるのです。その男のためにも、ここは一つ、誘惑に負けてくださいませ。
 恐れ多いことに、私ディアマン・アンブルは、ローズ様の――あちらでは真姫という、大変愛らしいお名前であった――父親として、十六年の月日を共に過ごすことが出来た。
 その時間、私は女王陛下にお仕えする騎士としてではなく、父親と接してきた。時に、ローズ様に触れることもあったが――今現在の私の立場は、ブランシュ様配下の一介の騎士である。
 護衛という任務にあたって、こうしてお傍に仕えていても、共に席に着くことは許されない……のだが。
 背筋を伸ばし、周りに気を払い直立不動で立っている私を目に留めると、
「お父さん……いえ、ディアマンも一緒にお茶しない?」
 可愛らしい笑顔でローズ様が小首を傾げた。
 あちら側で親子を演じていた頃ならば、相好を崩して一にも二にも頷くところであるのだが……如何せん、今の私は一介の騎士。
「いえ、それはなりません」
 きっちり、線を引かねばならないと、私は心に決めていた。
 あちらでの親子としての習慣を引きずっていては、他の騎士たちにも示しがつかない。
 何より、気易く接することを許されてしまったら、私の感情はきっとローズ様に多くのことを求めてしまうだろう。
 娘としてこの十六年見守って来たローズ様に恋情を抱くということは、親子としてのきずなに信頼を寄せてくださっているローズ様を裏切ることに他ならない。
 例え、女王陛下をお守りする騎士団の一員として選ばれるずっと以前から、私の心が天真爛漫な女王候補に奪われていたとしても。
 今のローズ様にとって、私はやはり父親であった存在。
 それに、ローズ様には既にブランシュ様とヴェール様という、ご夫君が居られる身。それが議会の政令に基づく婚姻であったとしても、三人の間に築かれた信頼関係は固い。
 私などが横やりを入れようなど……出来るはずもない。
 第一に、ブランシュ様もヴェール様も、騎士としては非常に優秀な方々だ。その強さは訓練の際、剣を打ち合わせて骨身に沁みている。どうあがいても、勝てないと思われるスピードに翻弄され、気がつけば息を切らせて片膝をついている始末。
 それなのに、ブランシュ様もヴェール様も続けざまに他の騎士たちの手合わせに付き合っても、息一つ乱していない。別格だった。
「太陽」と「月」の称号は、真実、それを手にするに相応しい者へ与えられたことを実感する。まさに女王陛下の夫として、申し分ない。
 ヴェール様は表情があまり変わらなく、いつも不機嫌そうにしておられるせいか、少々人付き合いの点で問題があるものの――ローズ様を好いていらっしゃることは、誰の目にも明らか。
 ブランシュ様については、不満点を語るところなどない。何と言うか、乙女たちが求める理想の男性像を地で行くようなお方だ。
 そのような二人に愛されるのであれば、ローズ様の幸せに私などが口を挟む必要などないだろう。
 それはとても寂しいことだが、私の娘であった真姫は少女たちが好む小説を読んでは、騎士に守られる姫君たちのロマンスに――一応、親の務めとして、娘がどのようなものに興味を抱いているのか心配だったので、読んでみた――同じように心弾ませ夢を見ていた。
 きっと、現状に慣れれば、戸惑いも幸せに変わるだろう。
 私は父であった者として――ただひたすらに、それを望むだけだ。
 それが今の私に許された在り方ならば、私は父として貴女の幸せを望みます――ローズ様。
 ですから、どうか。私のことはただの騎士として、それ以上は気に掛けないで頂きたい。
 私が願うのは、貴女様の至福の笑み。どうぞ、お幸せに微笑んでいてください。
「お茶ぐらい、いいでしょう?」
 尚も言い募るローズ様に、私は首を振った。
「いえ、駄目です」
 手を伸ばせば触れられると、錯覚してしまわないように……。
 淡い期待を抱いてしまわぬように……。
「ローズ、ディアマンを困らせないで。彼は、仕事に実直な人間なんだ」
 ブランシュ様が口を挟んで、助けてくださった。
「そういうところ、お父さんらしいと思うけど」
 少し唇を尖らせて、不満をあらわにされるローズ様の、何と愛らしいこと。
 そのお顔を目にすることができる距離に存在している、それだけで私は満足なのです。
「仕事に真面目なディアマンは嫌いかい?」
 ブランシュ様が頬を傾けて、ローズ様に尋ねられる。
「いいえ、大好きよ。私、結婚するならお父さんみたいな、責任感の強い男の人と結婚したかったのよね。というか、小さい頃の夢はお父さんのお嫁さんになることだったわ」
 無垢な笑顔が問いに答えられた。
 それは本当に無垢で純真かつ裏表のない――要するに、他意など存在しない、心からの本音であるだろう。
 結婚しても良いと思えるほど、自慢の父になれたということだろうか。もしそうであるのなら、喜ばしいことだと思う反面、しかし、父親と娘が結婚できるはずがないという前提を前に成り立った答えは、虚しいことこの上なく、私を落ち込ませてくれるのだが……。

「――――へぇ」
「――――ほう」

 二人の騎士は何を誤解したのか。
 肩越しにこちらを振り返ると、酷く凍えた青と殺意のこもった翠の瞳で、私の心臓を貫いた。
 ひやりと、私のこめかみを冷たい汗が伝う。
 ……あの、お二方。
 …………本気で、視線が痛いのですが。
 そんなお二人の様子など気にした風もなく、ローズ様は幸せそうなお顔で果物のタルトを頬張っていた。
 ああ、愛しのローズ様。
 お願いですから罪作りな発言はお止めください。
 …………わ、私の寿命が削られそうです。


                           「瞳に宿る殺意 完」



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