暗黙の了解 手のひらに電撃が走ったような、痺れを感じた。 重い一撃が剣を通して、指先を麻痺させる。思わず握っている剣を落としそうになって、オレは慌ててもう片方の手を添えた。 そうして、再び振り下ろされる 「――くっ」 オレは両腕に走る衝撃に呻いた。 「これぐらい、弾き返せよ。アメティスト」 激しい打ち合いに乱れることのない声がオレに語りかけてくるけれど、言葉を返す余裕なんて欠片にもない。 両手でも受け止めきれない。何て、重たい剣なんだ。 見た目はオレと背丈も変わらない。肩幅も、体重だってそんなに違いやしないだろう。 なのに、次元が違う。 これは、幼い頃から騎士になること前提に育てられた人間と、生活のためにこの道に入った人間の差か。 オレが剣を握るようになって、数年。筋がいいと言われ、騎士団に引き抜かれたけれど、本物の騎士との差は決定的だった。 唇を噛んで、じりじりと圧してくる剣を受け止める。 間近に迫った翡翠の瞳。色合いは透明で、だけど深い翠の瞳は狙った獲物を逃さない 指先の痺れが限界だ……。もう、受け止められない……。 思考に過った弱音を見抜かれたように、剣が絡めとられる。 指先が力に抗えずに解けた瞬間、剣が宙を飛んだ。銀の閃光が空を踊り、やがて石畳の床を削って、突き刺さる。 思わずそれを目で追いかけて、オレは息を呑んだ。視線の先には剣の切っ先。あと少し突けば、それはオレの目玉を抉っていただろう。 こめかみに冷や汗を流して、凍りつく。 「――勝負あり、そこまで」 穏やかな声が訓練場に響けば、緊張が解けたようにあちらこちらでざわめきが立った。 ゆっくりと眼前にあった切っ先が下ろされると、フンと不機嫌そうな顔で団長はオレを睨む。 ヴェール・リュンヌ・ノワール―― 一応、オレが属するリュンヌ騎士団の団長、「月」の騎士だ。 「星」と呼ばれるこの国の女王ローズの夫の一人であるヴェール団長は、元々、あまり愛想がいい方ではないのだけれど、ここ最近はオレに対する風当たりが冷たい。 それは他でもなく、オレが少し前まで女王ローズを亡き者にせんと企んでいたグルナ前議長の一派に属し、実際、暗殺計画に深く関与していたからに他ならない。 ローズがオレを許したことによって、オレの罪は不問とされた。本来なら極刑も免れなかっただろうから、オレとしてはローズに恩義を感じている。 二度と、あいつを裏切ったりしないと心に誓っているし、あいつを守るためならどんな厳しい訓練でも受け入れようと思っている。 騎士の中の騎士と呼ばれる団長自ら打ち合いの相手をしてくれるなんて、これほど上達への早道はないと……喜んだオレは、実に浅はかだった。 ヴェール団長はローズを殺そうとしたオレを実際のところ、許していないのだと日々の訓練を前に思い知らされた。 手加減なしの打ち合いは、本気で殺気立っていた。手元が狂ったとして、殺されるんではないかと戦々恐々する日々の連続。 さすがにオレも……泣きそうだ。 しかし、これも自分が仕出かした罪の代償かと思えば、甘んじて受けなければならないのだろう。 キシキシと痛む胃を抱え、オレは剣を鞘におさめるヴェール団長に頭を下げた。 「お相手、ありがとうございました」 礼を言って、他の騎士たちの元へ戻る。 壁に背中を預けるようにして、白と黒の騎士服に身を包んだ騎士たちは、オレに同情を含んだ視線を投げかけてきた。 それらの視線もここ最近で変わってきた。 ローズ暗殺事件への加担が発覚した当初、騎士たちからはハッキリと殺気と言えるものが投げかけられていたんだ。 ローズは夫がいる身でありながら、騎士たちに大人気だ。騎士たちの中にはあわよくば、自分もローズの愛人の一人にと、妄想している輩も少なくない。 女王の「太陽」と「月」の騎士との婚姻は議会に推奨されているが、実際に子供を成さなければならないというわけじゃない。 過去の女王には夫以外の愛人がいたり、またその愛人との間に子供が生まれていたりと、本当のところ、女王の相手は絶対に「太陽」と「月」の騎士でなければならないという決まりはない。 だから、横恋慕する騎士たちがいて――ローズの性格上、愛人を持つなんて発想はないと思うんだが――そんな騎士たちにすれば、オレは許されない罪を犯そうとした憎むべき相手なんだろう。 ぶつけられた殺気に、ローズ人気をひしひしと実感する。 ……ローズは確かに目鼻立ちがハッキリした顔立ちだ。ピンと跳ね上がった眉は、そのまま勝気な性格を現わしている。 意志が強そうな顔は、平和ボケした貴族の令嬢たちのぼんやりとした顔立ちより、はるかに 一年前の暗殺未遂事件のせいで――オレが関与し、引き金を引いたと言っても過言ではない――「地球」で育ったローズは、こちらに戻ってからもあちらの服を着ていた。 こちらでは例を見ない短いスカートから、男の欲情をそそる太ももが見えるにあたって……最近、騎士団で「生足同盟」なる会が発足していた。 オレも男だが……時々、男の考えることはわからない。 何でも健康美溢れるローズの生足を拝むことで、生きている喜びを女神に感謝する――というのが、同盟の主旨らしい。 確かに、こちらの服装観点からすれば、あまり女の足を拝む機会なんてないと思うし、ローズの健康的な太ももは、色気のある足をしていると思うが……「生足同盟」って、何だ? 仮にも、女王の騎士たちが、そんな不埒な思想を抱えていて、いいのかよ? と、突っ込みたくなる。 まあ、騎士とはいえ……男だけど。 しかも、あわよくばローズの愛人にと考えているような男たちだけど。 さらに「見えそうで見えないところに、魂が燃えるんだ」なんて熱弁をふるう……変な人たちだけど。 何だかんだ言って――騎士も、俗物なんだな。オレもその騎士の一員に数えられるんだと思うと、がっくりと、地面に両手両膝をつきたくなるけれど。 とにかく、ローズはまあ……要するに、男好みのする女だということだ。向こうでも派手な顔立ちで、遊び目的に男が寄ってきて困っていたらしい。 昔馴染みのオレとしては、今までローズを女として見たことがなかったが、騎士たちの色めき具合から、改めてローズを見てみると……容姿はこれからの成長に十分期待できる、いい女かもしれない。 性格も真っ直ぐで突っ走りがちだし、一度警戒を解いたら、オレ相手にも無防備な笑顔を見せるところは、何だか放っておけずに守ってやらなければならないという ……いや、オレの場合は、あくまで命の恩人として、恩義を感じるからこその庇護欲だが。 他の騎士たちも同じように、ローズを守るという使命については――命を燃やしていると言って過言ではない。 だからこそ、ローズに手を掛けようとしたオレの存在は憎まれるわけだが。ここ最近、ヴェール団長に足腰が立たなくなるまでしごかれているオレに、騎士たちも同情してくれるようになったのは……不幸中の幸いか。 疲れた身体を引きずるようにして、騎士たちの間に戻れば、 「お疲れさん」 「今日もまた、団長の迫力は凄かったな?」 「大丈夫か?」 「ほら、これでも飲め。疲れがとれるぞ」 口々に労わりの言葉を並べて、オレを囲む。疲労回復に効果があるという薬湯をすすめられて、ありがたく受け取る。 騎士になったのは成り行きのところがあって、ローズ一筋的な集団の中に馴染めずにいたけれど、何だかオレもようやく女王の騎士として、他の騎士たちを志、同じくする仲間と感じることができた気がする――いや、だからと「生足同盟」に加わる気はないけれど。 感慨に 半分、貴族の血を引くが端から騎士として育てられたわけではないブランシュ団長の洗練された剣技は、オレにも学ぶところがある。 訓練の様子をよく見ようと身を乗り出せば、ブランシュ団長の青い目と視線がかち合った。 女でなくとも瞬殺されそうな美貌で、ブランシュ団長はニッコリと微笑むと、 「今日の相手は、アメティスト――君にしようか」 そう、オレを指名してきた。 「…………えっ?」 自分の名前を呼ばれたことに呆然としているオレの肩や背に、ポンポンと手が乗る。 振り返ると、同情たっぷり表情で騎士たちが声を揃えて、激励してくれた。 「――華々しく、散ってこい。骨は拾ってやるぞっ!」 ……嬉しいのか、悲しいのか。よくわからない、涙がこぼれた。 その後、ブランシュ団長が繰り出す鋭い突きに 他の騎士たちは汗を流すために、大浴場に行ったが、今のオレは風呂に入れば完全に溺れてしまうだろう。少し、身体を休める必要があった。 一歩、歩くのにも足が重い。二人の騎士団長を本気で怒らせた自分を呪いたくなる。 もう二度と、絶対に、ローズを裏切ったりしない。 固く決意しながら、控室のドアノブに手を伸ばせば向こう側から声が聞こえた。 「――それで、アメティストの様子はどう?」 穏やかな声音はブランシュ団長のものだ。それに応えるのは、副官のディアマン様だ。 「はい、騎士団の皆の間に溶け込んでいるようです。一時はどうなることかと思いましたが、意外に早く和解しましたね」 「何で、俺たちがしごくとアメティストが溶け込むんだ?」 不思議そうに問うのはヴェール団長だ。 「僕らが代りに怒ることで、騎士たちもこれ以上、アメティストに怒りをぶつけ辛くなるよ。僕たちがアメティストを穏便に許せば、 「そこまでお考えの、お仕置きだったのですね」 感心するディアマン様と同じく、オレもまた目を見張っていた。 ――ただのしごきじゃなかったのかっ! 「そういうもんか」 ブランシュ団長に言われるままだったのだろう、ヴェール団長が気のなさそうな声を吐く。 ……良かった、本気で怒っていたわけじゃなかったんだな。 オレは心の底から安堵の息を吐いた。 少なくとも、明日から生命の危機に怯えずに済む。 沈んでいた気持ちが一気に回復するのを実感する。人間というのは、結構現金だ。オレは足取り軽く、風呂場へと向かうことにした。 そんなオレの耳が遠くなったところで、 「しかし、アメティストと騎士たちを和解させるためとはいえ――少々、手厳しかったのでは?」 「まあ、それはしょうがないよ。僕たちも人間だ。大事なローズを傷つけられた怒りはなかなか抑えが効かなくて」 「手加減するの、忘れたな」 「グリシーヌにも、性根を叩き直すためにも厳しくしてくれと頼まれていたし」 「怪我させなかっただけ、御の字か」 「そういうことにしておこう。それに僕たちが、アメティストに対して明確な制裁を与えておかないと、彼としても気持ちの区切りがつけにくいだろう。罰を受けたということで、いつまでも後悔するのではなく、前向きに気持ちを切り替えて欲しいからね。それより、ディアマン。頼んでいた調査はどうなった?」 「ああ、はい。例の「生足同盟」の会員リストです」 「ありがとう。では、明日からは彼らを中心に叩き潰していくよ。いいね? ヴェール」 「――ああ」 「まったく、ローズ様のおみ足を観賞し、喜ぶなど騎士の風上にも置けません」 「その通りだね。このことがローズの耳に入る前に、是が非でも彼らには地獄を見せてあげよう」 次のような会話がなされていたなどとは知らず――騎士団には暗黙の了解があることを「生足同盟」の会員たちが それは――「太陽」と「月」の騎士を怒らせることなかれ。 「暗黙の了解 完」 |