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薔薇同盟・後日談
 危険な勘違い


 他の騎士たちの邪魔が入らないタイミングを見計らって、私は執務室に飛びこんだ。
 そこには、まだこの世界のことを把握しきれていない女王――私に代わって、議会の議事録を確認する「太陽」と「月」の騎士がいた。
 二人に頼らないで、早く一人前の女王にならなきゃと勉強してがんばっていたつもりだけど、どうやらがんばりすぎて、周りに心配をかけていたみたい。
 確かに、睡眠時間を削って、夜遅くまでこの国の歴史の本とか読んでいたわ。それはこの国を知るには歴史を学ぶのが一番だと思ったから。
 でも、本の中で知ったこの国は、女王制度の始まりや貴族社会の功績といったもので……過去のローズが、そして私が変えたいと思うこの国の本当の姿は描かれていなかった。
 ブランシュたちに外に連れ出して貰って、この国の華やかな一面と治安が安定しない現状、貴族主義に洗脳された庶民の()り固まった価値観といったものを知ったわけだけど。
 でも、だからって、お父さんとお母さん――ディアマンとグリシーヌをくっつける作戦のように見せかけて、実は私を騙していたというのは、やっぱり許せないと思うのっ!
 だって、あんなに張りきった私ってまるでピエロじゃないっ?
 お父さんとお母さんが口を滑らせてくれたおかげで、なんだか恥ずかしい過去も暴露されちゃったし!
 学芸会のワカメ役の記憶は、綺麗さっぱり、消し去ったはずなのに。
 何で覚えているのよ、お父さん! お母さん! って感じだけど、……とりあえず、あの二人がどれだけ私のことを好きでいてくれているのか、わかったから……。
 ええ、何だか、もう……。
 私のことで盛り上がっている二人は、別の意味でアツアツといった感じだから……とりあえず、放っておいても大丈夫だと思うの。
 ある意味、あの二人の「ローズ」に対するちょっとばかり常軌を逸した熱狂ぶりを冷ますべきないんじゃないかと、心配になるくらいよ。多分、無理だと思うけど……。
 実際問題、グリシーヌとディアマンの二人が問題なく結婚できるようにするためには、貴族主義を変えていくことなんだと思うわ。
 それは私がこの国を変えれば解決することよね?
 貴族だからとか、庶民だからとか関係なく、誰もが自分らしい生き方を選べるようにすること。他人の生き方を尊重できる社会にすること。
 私は大切な人たちを守りたい。それは危険からという意味だけじゃない。生き方やその人らしさ。そんなことも一つ一つ大切にしたいもの。
 だからこそ、がんばって一人前の女王になりたい――お父さん、お母さんが、私に仕えて良かったと心の底から思って貰えるような、立派な女王になりたい。自慢の娘になれるようにがんばりたいと思うの。
 けれど急ぎすぎて、答えを間違ってしまったら、目も当てられない。心配させていたら、本末転倒。
 今回のことで、突っ走りすぎる自分がわかったから、もう少し周りに目を向けないといけないわね。目を開いているようで、大事なことが見えていなかったら意味はないもの。
 そう。だから、ブランシュとヴェールには感謝しているわよ? まあ、騙されたことは怒っているけれど。
 普通に言ってくれたらいいじゃないと思ったわよ。誰だって、何で、あんな回りくどいことをするのよ、って言いたいと思わない?
 けれど、外へ連れ出して貰ったことは、改めて考えてみると良かったと思う。
 この国の華やかな一面とそうではない部分が改めて実感できた。それに皆で何かをするということも楽しかった。一人でがんばるより、皆で色々と考えていきたい。
 あまり怒り続けるのも、大人げないし。それに二人には、もう私は大丈夫だっていうことを教えてあげるのが、先決よね。
 なので、お礼をすることにしたというわけ。
 本当は他の皆にもお礼の意味を込めて作りたかったのだけど、数がそんなに作れなかったから、まずは二人に贈ることにした。アメティストや他の騎士たちにも日を改めて、贈りものをしよう。
 お父さんとお母さんにも、何かを贈るつもり。こちらの世界には父の日や母の日はあったかしら? ないのなら、そういう習慣を作るのも悪くないわよね?
 感謝の気持ちを表わそうとすることは、いいことだと思うもの。
 地球の文化がいいことばかりとは限らないけれど、悪いことばかりでもなかった。それはこの国でも同じこと。悪いことは改善していくべきだし、いいことはどんどん取り入れていって良いと思う。
 うん、自分がすべきことが少しずつだけど見えてくる。これは勉強ばかりしていたら、わからなかったことだろう。
 とりあえず、私は執務室の二人の騎士に、にっこり笑いかけた。
「ブランシュに、ヴェールも、お仕事お疲れ様」
「やあ、ローズ。どうしたの? 今日はまだ講義が残っているはずだよね?」
 女王半人前の私は、今のところ、法律などといったことを学んでいる。目下、私の仕事は勉強すること――それ自体は、変わらない。
 ただ、体調を考えずに無茶しちゃ駄目だということね。そして、学んだことは頭を使って考えなきゃ。知識として記録するだけじゃ意味がない。
「ええ、午後からの講義はこれからよ。その前に、二人に差し入れを持ってきたの。今回のことで、私も反省したわ。身体は資本よね。大事にしなきゃということで、二人には元気になれるおにぎりを作ったの」
「おにぎり? グリシーヌの手作りか?」
 ヴェールが食べ物の匂いでも嗅いだのか、執務机から離れて、いそいそと寄ってくる。
 食べ物に関しては、何でそんなに積極派なのよ、アンタは。
「いいえ、私の手作りよ。愛情を込めて作ったから、食べてくれるわよね?」
 二人におしぼりを渡しながら問う。
「それはもちろん。ローズが作ってくれたものなら、喜んで頂くよ」
「うん! これを食べたら、走り回ること請け合いよ! 体育祭のときにクラスメイトに差し入れしたら、皆、種目に出場する前から全力疾走して、駆けだしていったもの」
 私はお皿に載せた特製の三色おにぎりを二人の騎士の前に差し出す。
 ご飯が緑、赤、黄色と色づいているのは、混ぜ物をしたからよ。ちゃんと食べられるものを入れているから、身体に害はないわ、安心して。
 形は、お母さんのおにぎりと比べて、いびつだけど、そこは愛嬌ということで、大目に見て欲しいわ。
「へえ、ちなみに何が入っているのかな?」
 ブランシュが、手にした赤色のおにぎりを前に首を傾げる。ヴェールは既に、緑に色づけしたおにぎりを口の中へと放り込んでいた。
 本当に、食べ物には目がない奴ね、とそれを見ながら私は言った。
「赤色は唐辛子、緑色はワサビ、黄色は辛子よ!」
 私の言葉を聞かないうちから、ヴェールは執務室を飛び出して行った。
 ヴェールったら、そこまで大袈裟におにぎりの威力を見せ付けなくてもいいのに。まあ、これでちょっとした疲れも吹き飛んでしまうことは、証明されたわよね。
 刺激の強いものだから、ある程度は予測済みだけど――そんなに走り回るほど、美味しいのかしら?
 辛いものが好きだっていう友達のために作ってあげたのはいいけれど、私自身は、辛いものはそんなに得意じゃないから味見していないのよね。
 あんなに走り回りたくなるくらい美味しいのなら、もっと入れてあげるべきだったのかもしれないわ。
 おにぎりの中にも入れているんだけど、アメティストたちに作るときは、スプーン二杯にしよう。
「……ローズ、一つ聞くけれど、このおにぎりを味見したことは?」
「私、辛いものはあまり得意じゃないの。カレーも中辛までなら食べられるけれど、辛口は駄目なのよね。だから味見はしていないけど、昔、友達に作ってあげたときと同じ分量で作ったから間違いはないはずよ。それが?」
「……うん、……そうだろうと思っていたよ。ちなみに、そのお友達はこのおにぎりについて、何か感想を言っていなかった?」
「また作ってあげようかって言ったら、レシピを教えてくれたら自分たちで作るからいいって。遠慮深い子たちよね」
「……そうだね。もしかして、ローズは僕たちのこと、怒っているのかな?」
 おかしなことを聞くブランシュに、私は首を傾げる。
「怒っていないわ。確かに怒っていたけれど、二人には感謝しているのよ。だから元気になってもらいたいの」
「……そうか、辛さの限界を知らないんだね。グリシーヌのことだから、君が嫌いなものを食べさせるはずがないな。なるほど。……てっきり、復讐(ふくしゅう)なのかと思ったよ」
 ぼそぼそとブランシュが呟いている。
「ふくしゅう? 予習、復習はちゃんとしているわよ?」
 いきなり話が飛んだことに訝しげながら、私は答えた。
 ブランシュは表現しがたい顔つきで私を見つめ返して暫く間を置いた後、「うん」と、小さく微笑んだ。
 ……今の間は何かしら?
「そうだね、ローズには色々と知っていて欲しいな。――人体における辛さの限界とか……」
 また後半、ぼそぼそと呟いている。
 よく聞き取れなくて、私は右に傾けていた小首を左へと傾けた。
「――?」
「ちなみに、ローズ。僕もあまり辛いものは得意じゃないんだ。君が作ってくれたものだから、是が非でも食べたいところなんだけど」
 ブランシュが悲しげに青い目を伏せ、手にしていたおにぎりを皿に戻した。
「そうなの? じゃあ、無理して食べなくてもいいわ。ブランシュには違うものを作るから」
「ありがとう、ローズ。できれば僕は、君と同じものが食べたいな」
 甘い声で、上目遣いに切実な眼差しで見つめられたら、ちょっと乙女心が陥落しそう。
 何? その子犬のように哀願する瞳はっ! それはヴェールの必殺技じゃなかったのっ?
 恐るべし、金髪王子っ! ただでさえ、甘いマスクで乙女心を誘惑してくれるのに、そんな目で見つめられたら心臓が破裂しちゃいそう。
 一応、恋を夢見る乙女だけれど、今は恋にかまけている余裕なんてないんだから。一人前の女王になるのが先決、恋愛はその後よっ!
 私は動揺を隠すように、早口でまくし立てた。
「お、お菓子とか? グリシーヌの手伝いでお菓子作りをしたことがあるから、少しなら作れるわよ。甘いの、好き?」
「うん、大好きだよ。君が作ってくれたものを食べられるなんて、幸せ者だね、僕は。嬉しいな」
 爽やかな笑顔が眩しすぎるわっ! そんな笑顔を見せられたら、ちょっと張り切ってしまいそうよ。
「わかったわ! とりあえず、この残りのおにぎりはヴェールが食べるかしら。ああ、ヴェールのことだから、これくらいじゃ足りないかも」
「……いや、君の愛情たっぷりで、既にお腹一杯だと思うよ。今頃、感激して、涙を流している頃じゃないかな」
 ブランシュは一瞬、遠いところを見るような眼差しを見せた。
「まさか」
 私はブランシュの冗談を笑い飛ばしたけれど、午後の講義を受けるために執務室を出た先で、部屋に戻ってくるヴェールとすれ違う。
 私と目が合うと、慌てて翡翠色の瞳を逸らしたけれど……あら、ちょっと、涙目になっていたかしら。
 本当に感激したの?
 ヴェールはブランシュと違って無垢なところがあるから、そうなのかも。そういうところは、何だか可愛いと思うのよね。
 うん、やっぱり怒っているより、二人とは楽しい会話をしたいわね。もう少ししたら勉強の方にも区切りがつくから、そうしたら皆でまた、息抜きを兼ねて公園にピクニックに行くのもいいかもしれない。
 街の様子も自分の目で確かめられて、一石二鳥よね?
 ふむ、そのときはヴェールにはまた私の特製三色おにぎりを作ってあげよう。
 私はこれからの予定に期待を膨らませ、にっこりと笑った。
 さあ、今日もがんばろう!


                            「危険な勘違い 完」



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