28,対決 感情が粘つくような 「何を以て、私を裏切り者と 皇太子さまは胸の前で両腕を組むと、エスパーダを 「膝をつけ、頭を垂れろっ! 三回廻って、ワンと言えっ!」 …………けれど、ちょっと間違っているような? 皇太子さまの冷静な態度が 「誰がお前などに平伏するかっ! オレに命令するなっ! てめぇこそ、泣いてオレに アリィというのは、アリスエールの別の愛称だろう。先程、エスクードと皇太子さまが推測していた通りの理由で、エスパーダは本当に動いているらしい……。 唾を飛ばさんばかりの勢いで、エスパーダは皇太子さまの言葉に返す。皇太子さまも即座に切り返した。 「こっちこそ、貴様に謝る筋合いなどあるものかっ! 貴様のせいで、エスクードがどれほど迷惑を被ったと思うっ?」 やっぱり皇太子さまはエスクードのことを考えて、今回の舞踏会に参加したようだ。 「知るかっ! 弟を無視して、お前に付くような奴を兄貴なんて思ねぇよっ!」 キッと鋭い瞳をエスクードに向けて吐き捨てた。 まるで味方をしてくれないエスクードを責めるような口調だ。 ……ええっと、何だか今までの会話が子供の口喧嘩に聞こえるのは気のせい? 「……いつまでガキなんだ?」 エスクードがうんざりしたような声で呟いて、それから私に少し下がっているよう態度で示しながら、背筋を伸ばしゆっくりとした足取りで前に出た。腰に佩かせていた剣を鞘から抜き、刃を月光に煌めかせながら声を出す。 「エスパーダ、お前を反逆罪で拘束する。大人しくしろ」 「くそっ! やっぱり兄貴は、そいつの味方をするのかっ?」 ガキと、エスクードが言っていたように、エスパーダは子供だった。 自分の欲しいものに執着し、周りの迷惑を省みない。自分が悪いことをして叱られているとしても、えこひいきと勘違いして、自らの非を全く理解しない。自分の味方をしてくれない相手は皆、敵だと単純に答えを出してしまう。 「お前が仕出かしたことを己の胸に手を当てて聞いてみろっ! 罰を受けて当然のことをしておいて、皇帝陛下にお仕えする俺の前に顔を出すのが間違っているのだと気付け、馬鹿っ!」 エスクードはエスパーダの未熟が腹立たしいのだろう、最後に暴言を付け加える。 ずっとエスパーダに煮え湯を飲まされてきて、それを弟が一欠けらも理解していない現実には、寛容なエスクードの堪忍袋の緒も切れて当然かもしれない。 ずっと苦労していたのね……。 私がエスクードにちょっぴり同情したその瞬間、エスパーダの手が動いた。 何かを払うような一振りに、エスクードと皇太子さまが踵を返すと、私の身体を抱えて後方に下がる。私の足は宙を浮いて、「あっ」と思った瞬間、エスクードの身体が覆い被さってきた。 そして重たいものを叩きつけるような音がした。姿勢を正し肩越しに音がした方向に視線を投げる二人に釣られて私も顔を上げると、さっきまで皇太子さまが立っていた部分の大理石が黒く焦げ、蜘蛛の巣のようなひびが入っていた。 その痕跡から、まともに直撃していたら大怪我を――下手したら命を落としていただろう。 血相を変えた皇太子さまが噛みつくように怒鳴る。 「何をするっ?」 「天誅だっ!」 「この馬鹿っ! これ以上罪を重ねて、お前の首をさらに絞めるんじゃないっ!」 エスクードが地面を蹴って、エスパーダへと駆け寄る。近づく彼を エスクードは走り寄る速度を緩めることなく手にしていた剣で火花を さすがに真剣で傷つけるのは躊躇したのか、逆手に持った剣の柄でエスパーダの顎を下から突き上げた。 その衝撃に首を仰け反らせ、バランスを崩したエスパーダは尻餅をつく。エスクードは靴底で彼の動きを封じようと片足を持ち上げた。その隙にまた指が鳴って、火の玉が弾丸のような勢いで飛ぶ。 エスクードはしなやかに身体を反らし、バック転で避けた。着地すると同時に立ちあがりかけていたエスパーダの足を横払いに蹴り上げる。足をすくわれたエスパーダは肩から地面に倒れ込んだ。 「魔術に頼るエスパーダは、身体能力ではエスクードに及ばない」 手に汗をかいてハラハラと接近戦を見守る私に、皇太子さまが冷静な声音で告げた。 「魔術師の弱点は己の魔術に頼りすぎて、反射神経を鈍らせていることだ。術を組み立てるための一瞬、必ず隙が出来る。その隙をエスクードは逃さない」 うん、確かに。動きはエスクードの方が早い。 エスパーダのマントを掴むと、それを絡めるように身体に巻き付け、エスクードは剣で地面に縫い付けて動きを封じた。 そうして片膝を弟の胸板に置いて、圧し掛かるように顔を寄せた。 「お前はどうしていつも、自分の理屈を他人に押し付けるっ? アリィは病で亡くなった! 殿下のせいじゃないっ!」 「違うっ! 奴のせいだっ! あいつがいなきゃ、アリィはオレを選んだ。そうしたらオレがアリィの病気を治してやれた」 「それは他人の命を奪う禁術だ、許されるはずがない」 「アリィの命が助かるなら、他人の命なんて知ったことかっ! 何だよ、お前ら。アリィが大事だとか言いながら、結局アリィじゃなくて他の奴を選んでいるじゃないかっ! その女も――」 エスパーダの目が不意にこちらを向いた。 皇太子さまの隣で事態を見守っていた私を、蒼い瞳が捉える。皇太子さまの心変わりを非難するはずだった瞳の剣呑さが、瞬く間に戸惑いを含んだ色合いに変わるのがわかった。 「――何だ……その女、……アリィ?」 エスパーダの声が掠れた。どこか夢を見ているような虚ろな響きが、今はいないはずのアリスエールを呼ぶ。 「……アリィ? 生きていたのか……」 動きを封じられながらも、エスパーダは首を持ち上げ、私を見る。皇太子さまが私を背中に庇うように前に出た。 「違う、彼女はアリスエールではない」 皇太子さまは冷たく切り捨てた。その声など、まったく耳に入らない様子で、エスパーダは私を見つめて繰り返す。 「アリィ、アリィっ……」 まるで迷子の子供が母親を求めるような声が私の耳朶に響く。 エスパーダのアリスエールへの執着は子供染みていて、周りには傍迷惑だけれど、彼女を慕う気持ちは紛れもなく純粋だと言えた。 そう、どうしようもない子供なのだ。ただひたすら、エスパーダの世界の中心は自分と恋慕うアリスエールだけ。 周りは自分を味方してくれない人は敵で――だからこそ、いつでも他人を排除できてしまう。 そうして、他人を排除してしまった世界で、縋る相手がアリスエールしかいない。 なんてことだろう。私は ……虚しいまでの、堂々巡りだ。 外に目を向けなければ、エスパーダはいつまでたっても子供のままだ。 「生きていたのか、良かった……アリィ……」 今にも泣きださんばかりに震えるその声があまりにも真に迫っていたから、私は思わず彼の方に身を乗り出していた。同じくエスクードも気勢が削がれたのだろう。エスパーダを抑える重心を僅かに後ろに反らした瞬間、風が吹いた。 ――風が吹いたと思った。 身体を冷たい温度が包んだと思ったとき、私は眼下に宮殿を見下ろしていた。広場にはエスクードが茫然と立ち尽くし、遅れて皇太子さまが玄関から出てくる。 「アリスっ!」 エスクードの声が遠かった。ずっと下で聞こえる。 ――えっ? 目を凝らして、私は眼下を見る。何もない空間を経て――私は空にいた。 足元が何もない状況で、私の身体は腰に回された一本の腕に支えられていた。肩越しに振り返れば、金髪に蒼い瞳の、唇の端に血を滲ませた青年が私を愛おしげに見つめている。 いつも私を優しく見守ってくれる面影と瓜二つだけど、でも違う。間違えようもなく、違う人だった。 エスパーダは魔術でエスクードの拘束から逃げ出し、空中へと逃げたらしい。 エスクードも魔法が使えるらしいようだったけれど、宮廷魔術師の地位まで上り詰めたエスパーダほどに熟練していないのだろう。 彼が自由自在に空を飛べるなら、フレチャを駆って空を飛びまわる必要はない。空中の落下速度を調整できても、エスクード個人の意志では空を飛べない。 その現実が今、私とエスクードの間に歴然たる事実として横たわっていた。 エスパーダがエスクードに運動能力で勝てなかったように、二人は能力を磨く方向性を違えたことで、双子なのに差が出来た。 そして今、エスクードが有利に見えていた状況は、私がエスパーダに囚われて逆転していた。 でも、エスパーダの蒼い瞳に映っているのは――アリスエールで、人質ではない。 駄目よ、間違えないで。私はあなたが慕ったアリスエールじゃない。 そう反論したかったけれど、声が出なかった。 喋れないふりをしている場合じゃないと危機感が囁くけれど、混乱に頭がついて行かない。喉の奥に大きな氷の塊を詰め込まれたように声は出ず、恐怖から奥歯が震えてカチカチと鳴るだけ。 「エスパーダっ! 彼女はアリィじゃない! 間違えるなっ!」 「うるさい、オレを エスパーダの振るった腕から生み出された魔術が、地上の二人を襲う。ガンっと石畳に何か重たいものを叩きつける音と、固いものが脆く崩れる音が響いた。 エスクードっ? 彼と皇太子さまの無事を確かめようと地上に目をやれば、広場には魔術が その向こうで僅かに人が動く気配が感じられ、 「――アリスっ! 俺を呼べ、何処へだって迎えに行く!」 エスクードの声が私の耳に届いた瞬間、星も月も、黄金色に照らし出された宮殿も私の視界から消え、突然電源が切れたパソコンみたいに私の意識はブラックアウトした。 |