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蒼天の君・番外編
お題提供・色彩の綾


 手をつないで


 そのドレスは、前から見ればシンプルといってよいラインだった。だけど、腰の後ろをリボンで飾り、スカートは背後で左右に分かれ、膝の下で波打つように裁断された表スカートの、その下からオーガンジーっぽい、薄く透けるような素材のスカートが花びらのように二重三重と段を成して広がっている。一番下の段は後ろへと長い引き裾になっていて、花模様の刺しゅうが縫い込まれていた。
 表となる生地は純白なのに艶があって、真珠のようだ。スカートと同じように波の様に曲線を描いてカットされた胸元には、細かい刺しゅうが銀糸で施され、小粒の真珠が散らされていた。
 袖はなく、バックスタイルは編み上げ仕様の胴着。肩から背中と広く肌が露出している。同じように大きく開けた心もとない胸元には、所々、花のモチーフをあしらった二重の真珠のネックレス。首元には白い薔薇のチョーカー、真珠が小さな花の蕾のように耳元で揺れている。
 長い黒髪は緩く結われ、肩から胸元へと。頭の天辺には宝冠を模した銀細工の髪飾りが、縁に花模様を縫いつけたヴェールを留めていた。
 鏡に映った自分の姿を見て、思わず口元が綻んでしまうのは、このドレスがレーナさんを始めとしたお城の女官さんたちの手で作られたことを知っているからだろう。
 白と同化しそうな銀糸で丁寧に縫い込まれた精緻な刺しゅうの数々は、皆が一針一針、縫い込んだものだ。光りを受けるとその存在をさりげなく主張する。
 上から下まで、純白に揃えられた花嫁衣装に身を包んで、私は鏡に背を向け、ドレスアップを手伝ってくれた女官さんたちと向き合う。
 レーナさんたちは自分たちの手仕事に納得したように、力強く頷いた。
 中身の私はこの際置いておくとして、皆さんが作ってくれたドレスはその自信に見合うだけのものがあった。
 このドレスをすべて針と糸の手作業で作り上げられたということが、既製品しか知らない現代人の私には奇跡のようにすら思えるほどだ。
「エスクード様をお呼びしますね」
 準備が整ったことを確認すると、レーナさんが扉の向こうに声を掛けた。すると、すぐ近くに控えていたらしいエスクードと皇太子さまが、間を置かずに入ってきた。
 今日のエスクードは王宮で行われた舞踏会に出席したときのような正装に身を包んでいる。白を基調とした装いは贔屓目に見たとしても、やっぱり貴公子然としていて、素敵だと思う。いつもは自然に流されている金髪も櫛を入れ整えられていて、蒼い瞳が精悍な面立ちをいつもより引き立てているようで、見惚れてしまう。
 視線が合うと、エスクードは微笑んでくれた。優しい眼差しと共に「綺麗だ」と唇が囁いて、私の頬は喜びに熱くなる。
「――ほう、よく似合っているな、アリス。綺麗だ」
 皇太子さまがそうニッコリと笑って言ってくれた。その声に現実に返って、私はこちら見守る人たちを見まわした。
 どの顔にも優しく穏やかな色が浮かんでいて、私は胸の奥から溢れてくる想いを唇に載せた。
「あの、私のためにドレスを作ってくれて……ありがとうございました」
 お礼を口にした瞬間、じわりと目元が熱くなった。
 さっきまで嬉しくて浮かれていた口元は、微かに震えて、熱いため息を漏らした。同時に私の瞳からホロリと涙があふれた。
 ひっくっ、と喉の奥が引きつったような音を立てる。
 まるで子供みたいにしゃくりあげて泣く自分に、私自身が驚いた。でも、色々と胸に込み上げてくるものがあって、止められない。
 一年前――こんな日が訪れるなんて、誰が想像しただろう。
 私が誰かと結婚するなんて、私自身でさえ想像しやしなかった。
 好きになってくれた人も遠ざけて、独りで生きていくのだと思っていたのに……。
 頼れる人もいなかった私に、今は傍に寄り添って私を見守ってくれる人たちがいる。失くしたと思った大切なものが、見つかったときの安堵感にも似たものと、感謝の気持ちを伝えたいのに「ありがとう」という言葉しか出てこないもどかしさが、胸の内側を満たして、私の中から涙として溢れだす。
「アリス……」
 エスクードが一歩前に出て、私の手をとった。もう片方の手が私の目元に触れ、こぼれる涙の雫を拭いとってくれた。
「あ、あの、ごめんなさい、泣いたりして……せっかく作ってもらったドレスが汚れちゃう」
 私は慌てて手の甲で涙を拭おうとするけれど、エスクードの指先がそれを止めた。
「泣いても構わない。何か思うところがあるのなら、打ち明けてくれ」
 私の頬を両手で包み込みながら、俯こうとする私の顔を持ち上げる。
 蒼い瞳が私の姿を映して囁く。
「前にも言ったように、俺はアリスのすべてを知りたいよ。不安も、不満も」
「不満だなんて……」
 私は大きく目を見開いて、エスクードを見つめ返した。
 どうして、私が不満を持つことがあるというのだろう。
 こんなに世界は優しくて、温かいのに、これ以上のものを求めたらきっと罰が当たる。そう思えるくらいに、今の私は幸せだ。
 だから、「不満」という言葉を持ち出されたことに驚いた。涙はビックリして、止まってしまった。そんな私にエスクードは小さく笑って、頬を傾ける。
「アリスはもっと、欲張りになっていいと思うが」
「そんな、私……」
「俺はもっとアリスに甘えて貰いたいよ」
「エスクード……」
 優しく甘い彼の声音に、私の胸の内で鼓動が騒ぎ始めたとき、わざとらしい咳払いが鼓膜を打った。
「あー、そこそこ。二人で甘い世界を作るなよ」
 声がする方に二人して目を向ければ、皇太子さまが呆れたような顔で、胸の前で腕を組みながら言った。
「エスクード、己は完全に私たちのことを忘れていただろう」
 皇太子さまの言葉の後ろで、女官さんたちが「うふふ」と楽しげに笑い声をこぼれさせた。
 いつかも、似たようなことがあった。そんな既視感。ダンスレッスンのドレスに着替えた私に、エスクードが周りの目もはばからず「綺麗だ」って言ってきたときのこと。
 あの時と違って、彼の気持ちも私の気持ちもハッキリしているから、腰を抜かすことはなかったけれど。
 顔から火が噴き出しそうなくらい、私の中で熱が上がる。
 だって、その、ね。……エスクードだけじゃない。一瞬、私自身も周りのことを忘れていた。申し訳ないやら、恥ずかしいやらで、周りの皆の視線から逃れるように、エスクードの背中に隠れて謝る。
「…………ご、ごめんなさい」
「いや、アリスを責めたわけではないが。まあ、よい。私たちは先に聖堂の方に行っている。手順はわかっているな? 鐘が鳴ったら、来るがよい」
「はい」
 エスクードが頷くのを確認して、皇太子さまは踵を返す。女官さんたちもそれぞれ、こちらに一礼すると、皇太子さまの後に続く。
 この世界の結婚式は、花嫁と花婿が揃って聖堂に登場するところから始まるのだと聞かされた。
 招待客が見守る中で、二人がこれからの人生を互いに手を取り、支え合って共に歩むこと、それを皆に示し、そうして、出席者から祝福を賜るのだという。
 皆が去った控室の沈黙に、くすりとエスクードの笑い声が響いた。
「殿下の言われる通り、忘れていたな」
 肩越しに振り返って告げた彼に、「私も」と小さく頷いた。
「さっきの続きだけど……」
 身体をこちらに向けて、エスクードは私の頬に手のひらを添えた。包み込む優しい温度は、私の火照り過ぎた頬の熱を少しずつ、癒していく。
「アリスが住んでいた世界とこちらの世界は、風習も文化も違うだろう。だから、そのことで戸惑うことも多いと思う」
「確かに……私の世界では、誰も彼もがダンスを踊れるわけじゃないかも」
 私はダンスレッスンで振り回された日々のことを思い出して、口元を緩めた。筋肉痛になったのが情けなかったり、ドレスアップさせられたり。
 舞踏会で踊らなきゃいけないと言われたときの私のパニックは、きっとエスクードたちには想像つかないだろう。でも今は、それも楽しい思い出だ。
 そんな例えが持ち出されるとは思ってもみなかったのか、私の言葉にエスクードは目を丸くした後、苦笑して、続けた。
「ああ。これからもアリスが驚くような要求をしてしまうかも知れない。だからって、それを呑み込んで我慢したりしないで欲しい。辛いことを一人で背負わないでくれないか、アリス」
 蒼い瞳が真っ直ぐに私を捉えるから、目が離せない。
「アリスのいいところは弱音を吐かず、自分で何とかしようとするところだと思うが……それが昂じ過ぎた時、アリスが苦しさに耐えられなくなったら、俺は何のために居るのだろう?」
 真剣なエスクード瞳の奥、微かな憂いを見つけて、私は少し考えた。
 きっとこの先も文化の違いに振り回されることがあると思う。
 だけど、それを一つ一つ大切な思い出に変えていく方法を私はもう知っているから、彼に向かって「大丈夫よ」と、微笑む。
「これからは、あなたと一緒に」
 エスクードが頷くと同時に、鐘が時を告げた。
「行こう」と、差し出されたエスクードの手のひらに、私は指を重ねて歩き出す。この手と繋いで行けるなら、きっとどこへだって、歩いて行けると、信じてる。


                            「手をつないで 完」

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