トップへ  本棚へ  目次へ

蒼天の君・番外編
お題提供・色彩の綾


 想い花


「薔薇の花が好きだって言ったから、贈ったらアリィは喜んでくれると思ったんだ」
 そう呟くエスパーダは不貞腐れたように、唇を尖らせている。
 まるで子供みたいな横顔に私は何と言ってよいのか、反応に困った。
 二十六歳になるというのに、双子の兄であるエスクードに比べるとまだ十代の子供なんじゃないかと思うくらい、エスパーダは周りに対する配慮が足りない。
 気配りという点だけじゃない。どちらかと言えば、周りに対して年相応に見せるということに気が向かないと言った方が正しいだろう。
 普通は大人になれば、大人らしい行動を取ることを周りから求められるし、自らもそう努める。
 いつまでも子供っぽい我儘なんて、世間は許してくれないものだし、それは端から見ていても恥ずかしいものだ。
 第一に子供とは違い、大人には他人に何かねだったりするより、自ら動くことで我を通す知恵が成長とともに備わるものだ。
 ……まあ、エスパーダの場合は、その知恵も変な方向に空回りしていたわけだけど。
 フシール家の養女であり、血の繋がらない妹であるアリィこと――アリスエールに恋をして、彼女と結婚するために家を出ては、果ては誘拐未遂に、崖の上のお屋敷に監禁しようとしていたこととか……。
 私が見聞きした、エスパーダの数々の問題行動を思い返して、これ以上、考えるのを止めた方がいいのではないかしらと、こめかみに冷や汗をかいた。
 折角、エスクードの説得に折れて、今では周りにとけ込む努力をみせているのだ。その熱意にわざわざ、水を差すような思考はよろしくない。ここはエスパーダの前向きさに、私は大人として聞き手に徹するべきなんだわ。そう自分に言い聞かせた。
 多少、感情表現がいまだに幼く感じられたとても、それでもエスパーダは少しずつ変わり始めている。
 アリスエールと面影が似ている私に、エスパーダは良い感情を持ってはいなかった。アリスエールがこの世にいないことを思い出させるせいか、エスクードと共にフシール家に戻ってきた当初は、私のことを避けていた。
 だけど、ここ数ヶ月が過ぎて、エスパーダも気持ちの整理がついたのか、私と顔を合わせても踵を返して逃げることはなくなった。
 今日も薔薇園に花を摘みにきた私を目にしても、動くことはなく、ほんのちょとだけ所在なさげに佇みながら、私が花を摘むのをじっと見ていた。
 私が小さな剪定ばさみで薔薇を一本摘み取ると、エスパーダは少しだけ慌てた口調で、「勝手に取ったら、怒られるぞ」と忠告めいたことを口にした。
 彼自身、そういう経験があって、私に教えてくれようとしたのだろう。これは以前のエスパーダからすれば、かなりの歩み寄りと言える。
 私は微笑みながら、「庭師さんには許可を貰ったら、大丈夫よ」と、答えた。
 ローズジャムを作りたいので、薔薇の花が欲しいとエスクードに漏らしたら、彼が庭師に掛け合ってくれ、了承は貰っている。
 但し、景観を損ねるような伐採はしないでくれ――とのこと。
 随分、大仰な言い回しだ。きっと、ジャムを作るのにどれだけの量が必要なのか、わからない故のことだろう。
 こちらの世界では、調理法は至ってシンプルで、加工などしない。だから、ジャムなどといった保存法を知らないのだ。
 そういったあちらの世界のことを話している最中に、
『ローズジャムは紅茶によく合うの』
 と、話せばエスクードが興味を示したので、彼のために作りたくなったという動機は少し恥ずかしいからエスパーダには内緒にしておこう。
 花が群がって咲いているところを間引きするように、薔薇を摘む。
そんな私を眺めて、
 ――薔薇が好きだって言ったから、と。
 エスパーダがポツリと先ほどの呟きをもらした次第だった。
 私は花を摘む手をとめて、エスパーダの横顔を振り仰いでいた。
 瞳の色や肩にかかるまで伸ばされた金髪、顔かたちは双子であるエスクードとそっくりなのに、エスパーダは言動の端々に子供っほさを感じさせる。
 エスクードがたまに見せる邪気のない笑顔といったものとは種類が違う。幼稚な捻くれ方なので、相手が大人であるだけにどう対応していいのか、困るのだ。
 周りに気が利くエスクードは、そういった困惑を生じさせないよう先回りして回避するのだけれど。
 双子とはいえ、二人は全く違う人間だった。
 多分、エスパーダは双子だけれど「違う」ということを理解出来なかっただろう。だから、自分とエスクードに対する対応の仕方が違うことに腹を立てて、周りに手を焼かせた。
 エスクードはエスパーダを反面教師にした経緯があるから、「違う」ことを一足先に理解して、大人になったんだと思う。
 それでも端正な横顔はそっくりで、エスパーダの表情の素っ気なさは隣にいる私のことなんて、忘れているみたいだ。
 エスクードと夫婦という間柄になった私としては、少しだけ寂しいような錯覚に囚われた。
 ……エスクード本人に、私のことを忘れられてしまったら。
一瞬、そんなことを考えて本気で心配してしまった。私は慌てて、その思考を打ち消す。 繋いだ絆を信じていこうと心に決めたんだから、余計な心配は無用だ。
 エスパーダの蒼い瞳は、フシール家の薔薇園に咲き誇る色とりどりの花を眺めていた。きっと、この庭園でエスクードとアリスエールと共に一緒に遊んでいた少年時代に思いを馳せているのかもしれない。
 そう信じかけて、私はエスクードが語ってくれたエスパーダの問題行動を再び、思い出した。
 エスクードとアリスエールが仲良く遊んでいると、割って入って二人を困らせていたという。
 ただ、二人の仲間に入りたかっただけなのかもしれないそれは、だけどエスパーダの思考回路は常識からは捻くれてズレていたので、二人には通じない。
 喜んで貰えると思ったんだ――という言葉は、想いとは裏腹の結果を招いたことを語っている。
 未だに唇を尖らせているエスパーダの不貞腐れた態度に、私は疑問を抱く。
 一体、喜んで欲しいというエスパーダの想いは、何をどう間違えてアリスエールに伝わったのだろう。
 常識的に考えれば、エスパーダから花を贈られたら、アリスエールも普通に喜んだのではないかしら。
 エスパーダの常識が通じない我儘に周りが手を焼いて、彼を遠ざけ、彼自身も周りに対して頑なに反発していたなかで、アリスエールに恋をした。
 アリスエールはエスパーダに正面から向き合える子だったのではないかと、色々な人たちからの思い出話を聞いて、私が彼女に抱いたのはそんな人物像だ。
 恋をした皇太子さまに、アリスエールは真っ直ぐにぶつかっていったという。そして余命を宣告されても、自らの恋いを最期まで貫き通した彼女には打算なんて感じさせない率直さを垣間見る。
 私には、そんなアリスエールがエスパーダの贈り物に、ケチをつけるとは思えないのだけれど。
 どうして、エスパーダはアリスエールの反感を買ったのかしら。何か、常識外れなことをしでかしたに違いない、そう確信できてしまうところが……エスパーダという人なのだ。
 私が首を傾げていると、背後からため息混じりの声が言った。
「……エスパーダ、相手に贈るにも限度というものがあるっていうのを今後のためにも、覚えていろ」
 振り返ると、エスクードが呆れた顔をして立っていた。
 彼もまた、エスパーダの呟きを耳にしていたのだろう。
「お帰りなさい、エスクード」
 私は彼の元に駆け寄った。エスクードは毎朝行っているフレチャとのパトロールに出掛けていた。
 現在、皇太子さまはアールギエン帝国の建国祭に諸外国から訪れた賓客をもてなすため、王都に滞在中だ。その間、エスクードは皇太子さまの領地を管理するというお留守番――とは建前で、ちょっとした休暇を貰っている。パトロールが終われば、自由時間だ。
「ただいま、アリス」
 口元に優しい笑みを浮かべて、エスクードは身を屈めると私の頬にキスをした。
 それから私の手から剪定ばさみを取ると、赤やピンク、オレンジといったカラフルに咲く花の中から白い薔薇を一輪摘んだ。棘を取り除いたそれを私のこめかみに簪のように飾ってくれる。
 エスクードの鍛えた硬い指先が耳に触れて、私の背筋に悪寒とは正反対のものが走って、ドキドキしちゃう。
「綺麗だ、アリス」
 エスクードの率直な褒め言葉は、毎度毎度のことながら私の鼓動の早送りボタンを押すみたい。高鳴る心臓がまるで初な乙女みたいで、二十九歳の女としては恥ずかしいやら、だけど熱っぽいエスクードの瞳に綺麗に映っているのだとしたら嬉しいやらで、ついもじもじと身体を揺らしてしまう。
 血が昇り火照る頬を抑えて、私はエスクードに「ありがとう」と笑みを返すと、背後でエスパーダが声を荒げた。
「夫婦だからって、人前でイチャつくなよっ!」
 振り返れば苦虫を噛み潰したように、エスパーダが顔を顰めている。また、仲間外れにされたような気がしているのかしら?
「お前も、花が欲しいのか?」
 エスクードは真顔でエスパーダに問うていた。
「違うだろっ! っていうか、勝手に花を取ったら怒られるんじゃないのかよっ?」
 エスパーダはさっきと同じことを言う。
 過去の経験は根強いらしい。一体、どんな怒られ方をしたのかしらと、私が小首を傾げるとエスクードが嘆息混じりに告げた。
「お前みたいに、根こそぎ花を摘んだりしなければ、そこまで怒られはしない」
「…………根こそぎ?」
 私は今聞いたことを確認するよう、エスクードを見上げた。
 彼は眉をひそめると、私の視線に頷いて応えた。
「ああ、エスパーダが一度この庭の薔薇を全部、摘み取ってアリィの部屋一杯に飾りつけたというか……まあ、贈りものをした」
 エスクードの瞳が僅かに泳いだ。その思い出話はエスパーダにとってはあまり良いものではなく、同時に双子であるエスクードにとっても、同じ血を継いだ弟の目に余る所業は語るに抵抗あるもののようだ。
「…………全部?」
 私は目を丸くして、薔薇園を見まわしていた。何百では足りない、何千という花が咲き乱れている――この花たちを?
 幾らなんでも、一人では無理――と思ったけれど。
 少年期、既に魔法の才能を見せつけ始めていたエスパーダのことだから、魔法で一気に花を刈り取って、アリスエールの部屋に転送するといった芸当はできないことではなかっただろう。
 私は眩暈のようなものを覚えた。
 …………それはさすがに、贈りものとして喜んで貰えるというレベルを超えている。
 でも、エスパーダは花が多ければ多い分、アリスエールが嬉しがると無邪気に考えたのだろう。
 しかし、壊滅した薔薇園や薔薇に埋もれた部屋を目にすれば、アリスエールがどういう反応をしたのか、想像するのに難しくない。
「一杯あった方が、嬉しいだろっ?」
 エスパーダは自分に向けられた非難の視線に気づいたのか、声を荒げて自論を展開する。私とエスクードは無意識にエスパーダを、困ったさんを見るような眼差しで見つめていたようだ。
 私はエスパーダの隠れ家で、アリスエールのために整えられた部屋を思い出す。花や宝石、女の子が喜びそうなもので沢山埋めたあの部屋は、彼の考え方を象徴していた。
「……エスパーダ、今後のためにいっておくが、物量と気持ちは同じ秤では量れないぞ」
 私はエスクードの声を聞きながら、こめかみの花に手を伸ばした。
 たった一輪でも、エスクードが私のために見立てて摘んでくれた花は、この薔薇園に咲き誇るどんなに可憐な薔薇たちよりも私にとっては価値のあるものだ。
 エスパーダには、贈り手の気持ちを一つのものに託すという行為が頼りなく感じられて、数でしか表わせなかったのだろう。
 だけど、花を贈ろうと考えた時、見返りに花と同じ数のものを求めたというの? 違うでしょう?
 アリスエールが喜んでくれる――その笑顔一つが欲しかっただけでしょう?
 そのことに気づけば、エスクードの言葉がエスパーダにも理解して貰えるだろう。
 それには少し……いえ、かなり、時間が掛かりそうな気がするのは、色々と言葉を重ねるエスクードに対し、エスパーダの表情がなかなか冴えない点にある。
 言っていることが理解しがたいと、エスパーダは眉をひそめていた。
「はっ? でも、貰えるもんは沢山あった方が喜んでくれるだろ?」
「だから、物量で気持ちを買うような真似は無粋だと言うんだ」
 けれど、うるさいお小言から逃げることなく、エスクードの言葉に耳を傾けている彼は、やっぱり少しずつだけど変わりつつあるのだろう。
「でも、旦那は一杯稼ぐ方がいいって、メイドが話してるの聞いたぞ?」
「それは報酬の話であって、この問題とは違うだろ」
「じゃあ、兄貴は無職で飲んだくれの旦那の方がいいって言うのかよ?」
「お前は、問題がすり変わってるだろうがっ! 俺が言いたいのは、大事なのは気持ちの問題だってことで――」
 私はくすりと、微妙に噛み合わない二人のずれた、漫才のような会話に笑いをこぼして――もとい、議論に耳を傾けながら、薔薇園を見渡した。
 エスパーダの想いは形を間違って、アリスエールには届かなかったけれど、この庭園に咲く花たちを全て彼女に捧げたいと思った気持ちは本物だったのだろう。
 いつか、エスパーダが誰かに恋をしたときに、そのときは間違えることなく想いが届きますように……。
 私はそっと、祈った。


                            「想い花 完」

 本棚へ  目次へ

ご感想など頂けましたら、幸いです。掲示板・メールまたは→ から。
ポチっと押してくださるだけでも、嬉しいです。