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 女王の決心


 アメリアは馬上から、赤茶色の瞳に再建されていく街並みを映した。
 雲一つない蒼天の下、釘頭を叩く音がまるで鐘を打ったように響く。
 天空へと突き抜けていく音に、傷ついた街並みを撫でていく緩風(かんぷう)に、アメリアは祈りの言葉を捧げた。
 天に召された者たちへ、安らかに眠れよ、と。
 声にならない声は鎮魂歌を奏で、アメリアは悲しみに揺れる瞳を瞼の奥に隠して、黙祷(もくとう)した。
 市街の復興状況を確認するという名目で、アメリアは騎士数名を伴って、街へと出ていた。そんな視察団の眼前を、木材を積んだ荷車が抜けていく。
 古びた荷車の車輪が、石畳の上を転がる――ガラガラ、ガタン。綺麗に整備されていたはずの路上は、荒れていた。
 乱れた音に目を開けば、立ち往生する荷車に道が塞がれ、動きを封じられた人々の怒号が飛び交う。
 僅かに殺気立つ空気は、癒えきらない日々の痛みか。
 少し前までは、車道を走るのに苦労などなかったはずだと――ままならない現実に歯痒さが募れば、声は怒気(どき)に染まる。
 アメリアの傍らから、馬から降りて駆け出す白い人影があった。
 王族親衛隊長の制服を寸分の崩れもなく着こなしたギルバートが、喧騒(けんそう)の中心へと割り込んでいく。
 思わず縋るように追いかけようとして、思い止まる。彼が乗っていた馬の手綱を握って、別の騎士がアメリアの楯となるべく詰めて来る。
 先代の王が亡くなったばかりの現状に置いて、アメリアの存在を軽視する者は多い。
 こちらの存在を目にしながらも、決して荷車を止めずに行過ぎたことからも、アメリアは己が王として認められていないことを痛切に思い知らされる。
 自らの不甲斐なさに頭を垂れかけ、それから――声を張り上げる気力が人々に戻ってきたのだと、思い直して首を振った。
 栗色の巻き毛が頭の動きに合わせて、アメリアの肩で踊る。
 もつれた髪を指で直しながら、二ヶ月前の出来事はまるで嵐のようだったと、アメリアは記憶を反芻した。
 一過性の嵐。
 何の前触れもなく平和だった日常を壊して通り過ぎたそれは、傷跡だけを残して、また何事もなかったかのような日常を繰り返す。
 壊されたものは多く、胸の傷は深く。
 だけど、日常の繰り返しに埋没していると、何もかもが嘘だったように思える。
 平和だった日々が嘘だったのか、あの嵐が嘘だったのか。それすらもわからなくなる。
 歴史を積み重ね、コツコツと築き上げたはずのもの。
 それは何事があっても、揺るがないと信じていた。妄信していた。
 だけど、あまりの(もろ)さに、唖然とする間もなく。
 宝物は手のひらから、零れ落ちていった。
 父は亡くなり、国は傷つき。〈ゼロの災厄〉と言う、彼女にとっては遠くに感じていた黒い影が突然として、実体を持つ現実となった。
 双肩に圧し掛かる国の王としての重責を前に、逃げ出したくてしょうがなかった。逃げ出せたら、どれだけ楽だっただろう。
(――本当に、楽だったのかしら?)
 自分の心に問えば、答えは簡単だった。
 逃げだせる場所など、なかった。逃げ出したところで、世間を知らない自分があの王宮以外で暮らせたはずもない。
 甘やかされ、守られて、安穏(あんのん)とした日々を諾々と過ごしたそんな自分が、一人で生きていけるはずもなく。
 そうして、逃げ出せば楽になるという思考を持つほどに、甘やかされていた自分を知れば、己の愚かさが恥ずかしい。
 王族ということで様々な恩恵を受けたその事実を清算することもなく、逃げ出すなどとは泥棒に等しい恥ずべき行為ではないか。
 人々は〈ゼロの災厄〉に悩まされるこの世界で、唯一許された日常を健気(けなげ)に生きているというのに。
「――姫、今日はこれにて切り上げましょう」
 道を行き交う者たちを整理して、流れを元に戻したギルバートがアメリアの下へと寄ってきた。
 亜麻色の髪の間から覗く、深い緑色の瞳がこちらを見上げる。
 その目には、まだこの現場は危ういと、憂慮(ゆうりょ)する影があった。
 親衛隊隊長という立場から、彼にとってアメリアは絶対に守らなければならない存在だと言える。だから、ここにはおいて置けないと、案じる心は……。
(……わたくしが王であるから)
 アメリアはギルバートに無言で視線を返した。
 彼の心が、一瞬にして美しき女神に攫われたのを、アメリアは忘れていない。
 それこそ嵐の波にのまれるが如く。
 真面目一辺倒の騎士が女神対して抱いた感情を、どこまで己自身で理解しているのかは定かではないが。
 アメリアは時折、物思いにふけっているギルバートの横顔を見つければ、彼の心は旅立った女神の後ろ姿を思い出しているのだろうと考える。
(――本当は……)
 ギルバートは、彼女を追いかけて行きたかったのではないだろうかと、アメリアは推測する。
 この騎士は、己が剣で国を、如いては人々を守ることを先代の王に誓った。
 守るために剣を握った彼ならば、人々を守るために旅をする冒険者を同志と見なし、親近感を抱いても不思議はなかっただろう。
 そうして、彼女はギルバートの目の前で、魔族を前に惑い怯えることなく、凛然と立ち向かった。
 その強さに、ギルバートは心惹かれた。
 あっと言う間に彼の心は、サーラという女神もかくやというような美貌の冒険者に、掴まれた。
 周りからどれだけ恋情を差し向けられても、一向に気づきもしなかった鈍感男が――である。
 初心な恋心は火がつけば、瞬く間に燃え上がった。
 主従関係が染み付いて、こちらが間違っていても面と向って反論することがなかった――穏便に軌道修正を施してくれたが――彼が、アメリアを叱咤したのはサーラの影響があったからだろう。
 心を波に攫われそうになっていたギルバートに、アメリアは泣いて縋った。
 彼が誓いを立てた「王」という言葉を口にしたことで、ギルバートはアメリアを切り捨てられなかったのではないだろうか。
 あの瞬間、アメリア自身は計算して言葉を選んだわけではない。
 縋る相手がギルバートしかいなかった。彼を一番信頼していた。他の誰かでは駄目だった。
 だけど今、冷静に思い返して見れば、卑怯な気がした。
 後ろめたいのは、彼の誓いにあるような王に成れていない自分を知っているからだろうか。
 それとも、密かに抱いていた恋情を自覚してしまった意識が、罪を感じさせるのか。

『――駄目だと決め付ける前に、貴方に出来ることから始めたら、どうですか?』

 脳裏に蘇るサーラの声が、アメリアの追憶(ついおく)の扉を開く。
 まだ数ヶ月も経っていない過去。
 だけど、どれだけ時間が経過しようと、刻まれた記憶は鮮烈だった。
 揺ぎなく透る玲瓏(れいろう)たる声を旋律(せんりつ)として紡ぎだすその唇を、アメリアは呆然と見つめていた。そんな自分に返してきたサーラの宝石のような、薄紫色の瞳は冷たかった。
 彼女の冷ややかな視線を前にすると、身の置き場のない心細さに泣きたくなった。
 でも、それはきっと……。
(わたくしは己に何が出来るのかも、わからなかったから……)

『――未熟だと知っているのなら、それを改めれば良い。何も出来ないと諦めるより、何かが出来ると信じ、己が目指す未来へと歩くことは、決して愚かなことではないはずです――私はそれを愚かだとは思いません』

(……わたくしに出来ること……)
 あの日から、それを探しているような気がする。
 ギルバートの誓いに相応しい「王」と成るために。
 彼が諦めてしまった恋心に報いるために。
(それまでは、この想いは明かさない……)

「姫――」
 ギルバートの声が耳朶に触れ、アメリアは彼に視線を返した。いつの間にか、馬上の人となっていた彼は、アメリアを先導しようと馬を前進させようとしていた。
「――城へ帰還します」
 決定事項のように口にするギルバートに、アメリアは唇を解いた。
「いいえ、まだ帰らないわ」
「――姫っ?」
 驚いたように振り返る緑色の瞳を見返して、アメリアは告げた。
「まだ目的を達していないわ。それが終えるまで、帰還することは許しません」
「しかし、まだ治安が」
「己が国の民人を恐れて、何が王なの?」
 アメリアは声を響かせた。
 親衛隊はもとより、遠巻きにこちらを見つめている国民たちにも届くように、腹の底から声を吐き出す。
 サーラのような威厳(いげん)のある声は出てこない。それが腹立たしいが、彼女と自分が違う人間であることをアメリアは知っていた。
(サーラが本物の宝石であるのなら、わたくしはまだ贋物のガラス玉……)
 だからこそ、本物になるための未来を目指す。
 ――王になるために。
「わたくしはこの国の王です。傷ついた国民の為に、何が必要なのか、この目で確かめなければなりません。その邪魔をすることは、誰であれ許しません」
 今は虚勢しか張れない。王の肩書きに見合わない自分を自覚している。
 それでも、王であることからは逃げないと決めた。王になると決めた。
 ならば、王として振舞おう。
 せめてこの国の人々が、王から――国から――見捨てられたと惨めな思いをさせないために。
 アメリアは凛然と声を響かせる。
 今は頼りない自分だけれど、この国を愛した亡き父王の想いを継いで。
 手のひらからこぼれ落としたものを、もう一度拾い直して。壊れたものを築き直して。
 強い結束力で、〈ゼロの災厄〉という困難な運命に立ち向かえる強さを、国民と共に養っていこう。
(――わたくしは、本物の強さを知っている)
 サーラは王になるためにどうすればよいのか、誰かに請えと言った。
 だけど、彼女自身が教えてくれた強さが、自分を王にするのだとアメリアは確信する。
(負けないから。諦めたりしないから――)
 俯かないで、前を見て。
 アメリアは馬の歩みを進めながら、横に並んだギルバートに言った。
「ギルバート、もうわたくしを姫とは呼ばないで」
「…………」
 真意を問うような視線がアメリアを見つめる。
「わたくしは、王です」
 赤茶色の瞳に決意の炎を宿してアメリアが言葉を返せば、緑色の瞳の奥に柔らかな光を溶かしてギルバートは微笑んだ。
「――我が女王の御心(みこころ)のままに」


                               「女王の決心 完」

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