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 罪の花


 絶命の断末魔(だんまつま)が響いた。絹を引き裂くような悲鳴が鼓膜(こまく)を震わせる。それらに混じって、怨嗟(えんさ)の声がジェンナに(おそ)い掛かってきた。
「――裏切り者がぁぁぁぁっ」
 血に濡れた手が、ジェンナの頬をかすめて落ちる。爪が皮膚をこそぎ、微かな痛みが右の頬に走った。
 圧し掛かってくる体重を片手で受け止めて、ジェンナは僅かに目を(すが)めた。
 土色の瞳は暗く、剣に身体を刺し貫かれた男を見下ろす。絡まる腕を解けば、男の身体はジェンナの足元に崩れた。
 血が滴る剣を軽く振って、床に赤い鮮血の花を散らす。やがて、赤い命の花は、乾いて黒く枯れるだろう。
 この左の頬に咲いた裏切りの花のように……。
 ジェンナは無感動に、数刻前まで仲間と(かた)っていた者たちの死体を眺めた。
 コツコツと床を叩いて近づく靴音に、ジェンナは顔を上げた。
「裏切り者か。――私を裏切ればどうなるか、わかっているであろうな?」
 他の二人の冒険者を(ほふ)った爪を見せびらかせて、尖った耳を持つ――その特徴は、人間とよく似た姿の魔人を見分けることが出来る――男は言った。
 歪んだその口元を無感動に見やって、ジェンナは鏡に映すように嘲笑(ちょうしょう)を口元に刻んだ。
「わかっているさ。わかっているから、こうして、アンタに捧げものをしているんだろう?」
 ガデンという魔人に向って、ジェンナは足元に転がる冒険者の死体に、ブーツの先をめり込ませた。爪先で蹴り上げると、うつ伏せの死体を仰向けにする。
 心臓を刺し貫かれたショックに悶絶(もんぜつ)したまま固まった表情。瞳孔が開いた瞳は死んだ魚と同じように、空を虚しく映していた。
 ガラス玉のような瞳を冷たく見下ろして、ジェンナは手にした剣を死体の胸に再び突き立てた。
 そんなことをしなくても、もう死んでいる。
 それでも、ジェンナは死体をさらに嗜虐(しぎゃく)する。
 肉を刺す感触が、指先に伝わる。刃が骨を打つ音が、耳に届く。生気を失ったぬめる血が赤黒い池を作って、ようやくジェンナは手を止めた。
 伺うように顔を上げれば、ガデンは満足そうに笑っていた。
「面白い男だな、お前は。人間にしておくのが惜しいほど、冷酷だ」
「別に、冷たくはないさ。オレはオレが生きるためなら、同胞だって売る。それだけのこと」
 仲間と騙って、酒を酌み交わした相手でも。生き残るためならば、裏切り殺す。死者に成り果てた者にさえ、(むち)を打つ。唾を吐く。
 ただ一人のため以外なら、何だってする――それをガデンに見せ付ける。
 そうする事によって、人質の価値を強く印象付けさせる。
 人質は生きてこそ。
 そして、その人質がガデンの手に掌握(しょうあく)されているから、ジェンナは手を汚すのだ――生きていくために。
 その証として、ジェンナの頬には黒い花が咲いている。この花を咲かせたときから、仲間を裏切ることに躊躇(ちゅうちょ)する心などない。ただ冷たく、己の役割を果たすだけ。
「血が臭いな……」
 ジェンナは身にまとわりつく臭気に、眉間に皺を寄せ呟いた。
「そうか? お前はその匂いが好みだと思ったが」
 ガデンの言葉はジェンナに対する皮肉だった。同胞を犠牲にしてきたこちらへの当てこすり。
 軽く肩を竦めて、ジェンナはガデンに視線を返した。
「勘違いするなよ。オレはアンタのために、こうしているんだ。それを忘れてもらったら困るぜ」
「お前の働きは重々承知しているさ。そうだな、血の匂いを落したければ、湯を使うがいい。女を使わそう」
 そう言って、ガデンは背を向けた。
 無防備な背中を見やって、ジェンナはこの手にある剣がガデンを仕留める可能性と、自分が返り討ちを受ける可能性を天秤に掛けた。
 揺らぐ秤は、いつだって同じ方向に傾く。
 魔人の中では、戦闘能力に不安を抱えるガデンではあるが。それでも身体能力はジェンナの比ではない。
 剣が届く距離へ踏み込んだ途端、首が飛ぶだろう。魔法師の仲間がいれば、フォローして貰えるだろうが、急所へ一太刀浴びせることは、ジェンナの腕では難しい。
 精々、庇うために持ち上げた腕を斬りつけるくらいか。そうして、二撃目を繰り出す前に、ガデンの爪はジェンナの胸をえぐっていることだろう。
 そんな例を、過去に何度も目撃している。
 もう少し早く動ければ、また展開は違うものになるかもしれない。けれど、ジェンナは自分の限界を知っていたし、頼りにすべき仲間も既にガデンに(ささ)げた。
 ジェンナは傷ついた右頬を撫でて、足元の死体に唾を吐いた。
 いつか、自分も己の(しかばね)唾棄(だき)される日が来るだろうか? 
 今の運命に逆らったとき、魔族の爪はジェンナに死を与えるだろう。果たして、そんな決断を下すときが来るのだろうか?
 暫し考えれば、脳裏に浮かぶ面影に、ジェンナは首を振った。
 無造作に切った髪が、服の肩を撫でる。ザラリと神経に触る音に、眉を(ひそ)めながら低く呟く。
「……何があっても、生き延びてやるさ」
 どれだけ、血に汚れても。
 どれだけ、(ののし)られることになろうとも。
「…………そうだろ? シェリス」
 呻くように、ジェンナは妹の名を口にした。


                  * * *


 身体を洗っても、血の(にお)いが消えたような気がしない。
 ……頬に咲いた花の香りか。きっと、裏切りの花が放つは血の(にお)い。
 ジェンナは鏡の前で自嘲(じちょう)する。
 気がつけばいつの頃からか、皮肉な笑みが口元を飾っていた。
 この笑みに、疑いを持たれたことは数知れない。不審がられるたびに、ジェンナは皮肉な笑みで、さらに口元を飾った。
 馬鹿馬鹿しいと、笑い飛ばすように。
 でも、口元に笑みを刻む度に、ジェンナは誰に対して笑っているのか、それすらもわらなくなりつつあった。
 (だま)される奴らか、騙している自分か。
 だけど、疑わしいと思いながら、最後までジェンナに付き従ったのなら――。
 ……騙される奴が悪いんだ。
 ジェンナは「裏切り者」と叫んだ仲間の残像を、頭を振って払った。
 ()れた髪を掻き上げと、滴る水滴が傷ついた右頬に染みた。顔を(しか)めれば、鏡越しに心配そうな顔が見えた。
「……ジェンナ兄さん」
 枯れ葉色の髪と朽ちた葉色の瞳――華やかではないその色合いは、汚れた自分たち兄妹には相応しい。そう思うこと自体、自嘲的で。ジェンナは喉の奥をクッと鳴らす。
「兄さん……」
 ツと、距離を縮めて、近寄ってくる妹にジェンナは首を傾げた。
「どうした、シェリス。そんな顔をして」
 泣き出しそうな顔の妹に、ジェンナは努めて陽気に笑いかけた。
 二人が顔合わせできる会合は、限られている。ジェンナがガデンに対して、その働きを認められたときだけ。
 ガデンの周りをうるさく嗅ぎまわっていた冒険者たちを始末した今日――ジェンナは久方ぶりに、妹の顔を見ることが許された。
「大丈夫か? 何か、酷いことをされていないか?」
 妹の頬を包んで、その顔を真正面に見据える。()たれた痕はないかと目を凝らす。白い肌は微かに青ざめているものの、傷つけられた様子はない。
 ガデンは、こちらの働きに満足しているようだ。人質の価値をしかと理解しているのだろう。
「兄さんは……?」
 シェリスは涙に濡れた瞳で、ジェンナを見上げてきた。
 涙は、この会合の意味を知ってのものだろう。こぼれる涙を指先で拭ってやりながら、ジェンナは笑う。
「大丈夫だ。何も、問題はないさ。ホラ、ここにちゃんと生きているだろ。それとも、オレはお前の目には亡霊に見えるか?」
 ううん、と。シェリスは小さな動きで、首を横に振った。
「ああ、生きている。……それで十分だろ?」
 そっと、言い聞かせるように、ジェンナは囁く。
「兄さんが生きているだけで……幸せよ」
 シェリスもまた、自身に――ジェンナに、言い聞かせるように囁いた。
 汚れても、お互いが生きているなら、それでいい。
 そう二人で、誓い合った。
 どれだけの人間を犠牲にすることになっても。ジェンナは妹のために、人間たちを裏切り続ける。
 そして、シェリスは兄の(ごう)を知りながら、ジェンナの罪を抱えて、生きる。
 何のために、ジェンナが裏切りを働いているのか、知っている彼女は押し潰されそうな罪悪感を抱えながら、それでもジェンナのために生きてくれる。
 互いのために生きると誓って、ただ一人の血縁として残された兄は、妹は――ただ一人の血縁のために、罪を犯す。
 ジェンナの頬に、シェリスの両手の甲に黒く咲いた花は――罪の花。
 この生き方を間違いだと言うのなら、言えばいい――ジェンナはシェリスを強く抱きしめた。
 正しいのか、正しくないのか。
 そんなことは、生き続けてこそ、問題視される。死んでしまったら、終わりだ。
 断罪されるときが来るのなら、罪の花が枯れて朽ちるその瞬間(とき)まで。

 ――生きてやる。


                              「罪の花 完」

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