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 秘密の花園


 深く澄んだ湖の、水底のような透明な青が、幼い瞳に宿っていた。
 その瞳が熱心にこちらを見つめている。
 カネリアは自分に注がれる視線に気付かないフリをして、目の前の男たちを睥睨(へいげい)した。
 老若合わせて、十人ほどの男たちがカネリアの緋色の視線を前に縮こまる。
 ようやく完成したカネリアの新たな居。その出来栄えに、彼女が下す言葉を暗澹(あんたん)たる気持ちで怯えながらに待っているのが、手に取るようにわかった――ただ一人を除いて。
 人間にとって、魔族は恐怖の対象でしかない。
 瞳に宿るべきは、小動物の怯え。ご機嫌を損ねないように、媚びへつらう卑屈。
 なのに、青い瞳の目には、髪の色と同じような赤い炎が燃えていた。その炎も、怒りや憎しみといったものではなく、好奇心に満ちた情熱に似ている。
 カネリアがチラリと緋色の瞳を差し向けると、青い瞳の幼子は微かに笑った。ゆっくりと瞬き、瞳を細める。
「――ご苦労だった」
 ツイと顎をそらして、カネリアは無垢(むく)な笑みから視線を外す。
 男たちに背中を向けながら、彼女のためにしつらえられた寝椅子に腰を下ろした。繊細な彫刻が施され、上質の布地で作られたクッション。
 腰を下ろしたカネリアは足を組み変え、際どいドレスの裾から艶かしい肢体を覗かせつつ、言った。
「――後は、一人世話係を用意して欲しい」
 ザワリと男たちがざわめき、互いに視線を交わしあう。
 屋敷を用意しろという無理難題を押し付けられ、村の財政は圧迫した。そうして、村に居座ろうとする魔人の女が、村人たちにとってどれだけ厄介な存在か、カネリアとてわからないわけではない。
 ただ、カネリアは人間たちと争うつもりはない。
 魔人の男たちと違って、女であるカネリアは闘争に興味はないのだ。求めるのは平穏。
 バゼルダという名の村から平穏を奪い取った自分が、それを望むのは間違っている気もするが。人ではないカネリアには、こういう方法でしか、何かを得る術を知らない。
「村の代表は誰だ?」
「オレですが――」
 男たちの間からおずおずと、カネリアの眼前に進み出てきたのは痩身の男性だった。彼の足元には、青い瞳の幼子がついて回った。子供の父親か。
「では、お前に我の側役を命じる。日に一度、我の元に参れ。それ以上の干渉はするな。お前らが我に干渉しなければ、我もお前らに危害を加えるつもりはない」
 そう言ってみたが、男性の――しいては、村人の目に宿る怯えは消えなかった。
 微かに落胆の吐息をついて、カネリアは手を振った。
「もう良い、下がれ」
 その命令に男たちが下がる。父親に手を引かれる幼子が、部屋を出る一瞬、カネリアを振り返った。
 父親の恐怖を身近で感じながらも、全く意に関した様子などない無垢な青い瞳がそこにあった。


                  * * *


 カネリアが無垢な青い瞳に再会したのは、バゼルダ村に身を寄せてどれほどの月日が経過したのか。
 幼かった子供は父親の面影をなぞる様に、若者へと成長していた。
「新たに村の代表になりました、フランです」
「……フラン」
 青年の名を口にすれば、フランは頷くように微笑んだ。
「父は病に()せり、代表の座を退くことになりました」
「そうか。それは致し方あるまい」
 カネリアにとって瞬きの月日も、人間にとっては成長し老いるだけの時間が流れている。
 若かったフランの父親も、最近では目に見えて年を重ね、老い衰えていた。
 どれだけの月日を要しても、フランの父親の目から消えることがなかった怯え。それが男の負担になっていたのだろうと思えば、刻まれた皺の深さに納得せざるを得なかった。
 きっと今頃は、病床で己の肩の上に乗った荷を降ろした気になって、ホッと息をついていることだろう。
「では、新しい世話役を探す必要があるな」
 今度はもっと、豪胆な男にすべきか。
 しかし、バゼルダ村にそんな男がいるだろうか?
 村にいついてからこちら、村人たちとの関わりを極力避けてきたが。それでもフランの父親の背後に見えたこちらに対する畏怖(いふ)の念は、村の総意であるだろうと思われる。
 思案に暮れるカネリアの耳に、若々しい声が響いた。
「私にカネリア様のお世話をさせてください」
 真っ直ぐにこちらを見つめてくるフランに、カネリアは一瞬迷った。
 そうして、その迷いに戸惑う。
 何を迷う必要がある?
 フランというこの青年が、こちらに歯向かおうとも、人間の能力は知れたもの。戦闘経験のないカネリアでも、魔法で人間を一人相手にすることなど造作もない。
「……良いだろう。お前に側役を命じる」
 カネリアが声を響かせれば、フランは屈託のない笑みを浮かべて、手のひらを差し出しながら言った。
「よろしくお願いします、カネリア様」


                  * * *


「カネリア様、森へと参りませんか」
 カネリアの元にフランが通い始めて一年になろうかという頃、彼がそんなことを言い出した。
 甲斐甲斐しく働くフランに対し、多少の気安さを覚えていたカネリアは、口元を綻ばせる。
「何を企んでいる?」
 からかうような口調で尋ねれば、フランは頬を傾けた。
「カネリア様はずっと屋敷に篭りきりではありませんか。いい加減、外に出て陽を浴びなければカビが生えてしまいます」
 今さらだろう。恐らくは二十年近くが過ぎた月日、カネリアはこの屋敷の外に出た記憶がない。
 いつも身を横たえている寝椅子に、根が張ったように、カネリアは動かなかった。
 動けば、この偽りだらけの平穏が瓦解(がかい)するような気がした。
 村人たちがこちらを恐れていても構わない。この手のひらを血に汚すことさえなければ、それだけで良い。
 血に染まれば、自分の存在は噂となって魔族の男たちの耳にも入るかもしれない。そうなれば、うるさい求婚者たちがこの平穏を壊すだろう。
 そんな日が来ないことをカネリアはひたすら祈り、黙してきたのに。
 フランの誘いに、
「森では、陽は差さぬであろう?」
 カネリアは訝しげな視線を送った。フランはそれを受けて、青い瞳を細めて笑う。
「行ってから、確かめましょう」
 そうして、いつもの如く寝椅子に身を横たえているカネリアの元へと歩み寄ってきた。差し出された手のひらを前に、カネリアは目を上げた。
 魔族である自分に無防備に寄って来るフランという青年に、カネリアの好奇心が(うず)く。
 何を考えている?
 そう問いかけるも、幼い頃から変わらない無垢な瞳が。
 情熱的に燃える熱い視線が。
 ――答えを出していた。
「カネリア様に見せたいものがあるのです」
 声に導かれるように、フランの手にカネリアは自らの手を重ねた。
 指をそっと握り締めると、二人の温度差がゆっくりと同じになる。引かれるままに、カネリアは身を起こした。


                  * * *


 フランの後に従い、森を歩く。緑の天蓋(てんがい)からこぼれる透明な光。肺一杯に入ってくる浄化された空気。ひやりとしたそれは、カネリアが何者であろうと関係なく、森に存在する全てのもの平等に等分されていた。
 森の静寂を、カネリアとフランの呼吸が微かに揺らす。
 魔人と人間という、支配する者と支配される者の二人の組み合わせであったが、そのおかしな組み合わせに眉を顰める者は誰もいない。
 ただ、カネリアだけがこの成り行きに少しだけ戸惑っている。
 瞳を上げ、先を行くフランの背中を見やる。
 痩身の肩幅はあまり頼りなるとは言えない細さであるが、カネリアのために道先に張り出している枝木を払って落としてくれている。
 森の中を不自由なく歩き回れるようにとの、繊細な心配りが何となくこそばゆい。
 我は魔族――。
 カネリアは純然たる事実を、自身に確認する。
 女であるが、魔族には変わりない。この世界に生きる人間にとって魔族は天敵に等しい相手ならば、何故、フランは……。
 この者は――。
 熱心な瞳で、我を見つめる?
 答えなど問い質すまでもなく知っている。それでも、カネリアはフランの背中に問いかけていた。
 この胸の鼓動(こどう)が漏れ聞こえてしまうのを恐れるように、声を張り上げる。
「フラン、お前は我を恐れないのだな」
 バサリと羽音が聞こえた。カネリアの存在に怯えて、鳥が飛び立ったのか。小動物は気配に敏感だ。カネリアがこの村に訪れて暫くは、森の獣たちが騒いでいたとフランが聞かせてくれた。
 怯えるのが、本来のあり方。それは小動物に限らず、人間も同じこと。
 魔族であるカネリアを前に、恐れを抱かないフランの方がおかしいのだ。
 鳥が飛び立った方向に一瞬目をやって、フランはゆっくりと振り返った。
「恐れる必要なんて、どこにあるのですか?」
 穏やかな瞳を瞬かせて、柔らかく微笑む。
「我は――魔族だ」
「でも、綺麗な人だ」
 フランが一歩、こちらへと距離を縮めた。息の掛かりそうな近距離でカネリアの瞳を覗いてくる。
 青い瞳にカネリアの姿が映れば、緋色の瞳にフランの姿が刻まれる。
 互いの瞳に映し出された動かない虚像。時が止まったような錯覚。
「貴方を初めて目にしたとき、私は幼心にとても美しい人だと思いました」
 何の照れ恥じらいもなく、フランはカネリアの美貌に対する賞賛を口にした。
 それだけで、カネリアの内側に熱が生まれる。
 今まで自分の身に捧げられた賛辞は数知れない。しかし、そこに本音が宿っていたことなどあっただろうか?
 魔族の男たちがカネリアを求めたのは、子を生むための道具として。そのご機嫌を得るために、彼らは甘い言葉などを囁いた。
 髪を、瞳を、肌を、美貌を――どれだけ誉めそやされても、カネリアはただ冷ややかな笑みと侮蔑(ぶべつ)を口元に共に飾るだけだった。
 だけど、フランの声が身体の内側に染みてくれば、心が揺れた。
「私は一目で、貴方に恋をした」
 幼子から若者へと成長しても、変わることのなかった瞳がカネリアを見つめる。
「…………我は魔族だ」
 唇から吐き出したカネリアの声は、頼りなく震えていた。
 人間であるフランを一瞬にして灰に変えることも出来る能力を有している――そんな自分が、自分で信じられなくなるほど、カネリアはフランの熱心な瞳に気圧される。
 息が――。
 呼吸する方法を忘れてしまったように、青い瞳に魅せられる。
「それが?」
 フランの手がカネリアの指先に触れた。
 炎を宿したかのような熱い体温に、ビクリとカネリアは手を引きかけるが、フランの指はしっかりと彼女の手を包み込んでいた。
「行きましょう」
 硬直するカネリアをフランが促す。背を向けて歩き出す彼に繋がれて、カネリアも歩き出す。
 ――熱が。
 指先を通じて、こちらにも伝わってきそうだ。
 森の冷たい空気を泳いでいれば、火照る頬を自覚する。耳元を流れる血流に合わせて、胸の内側で心臓が合唱している。
 心音は今にも、音の濁流となって身体を突き破り外へと溢れそうだ。
 これでは――まるで……。
「見てください」
 思考に沈みかけた意識をフランの声がすくい上げる。
 顔を上げれば、彼の肩越しに青い空が現れた。
 突如として、森が開かれていた。緑一辺倒の景色を裂いて広がる青空に目が吸い寄せられる。
 そして、その青空をそっくりそのまま映した湖面が、静かな水面を抱いて眼前に広がる。岸辺に咲き乱れるのは白い花々。
 微かにふぶいた風が波紋を作り、広がる円は湖面に複雑な文様を作りながら、日の光を反射させて宝石のように煌めく。
 揺らめく白い花が甘い香りを放ち、心がとろける。
「美しいと思いませんか?」
 フランの問いかけに、カネリアは「ああ」と頷いていた。
 自然が作り出した美しい光景を称える言葉を失くし、ただ素直に頷いた。
 ここには策謀(さくぼう)も怯えも、心の裏も闇も存在しない。
 ただ自然のままに、光があり、水があり、空がある。花がある。
 フランがいて、カネリアがいる。
 邪魔する者は誰もいない、二人だけの花園。
「魔族だとか人間だとか、区別してしまえば、確かに私と貴方は違うものでしょう」
 傍らでそっと声を吐くフランの横顔を、カネリアは見つめた。
「だけど、何かを見て同じように感じることが出来たのなら、決して理解できない相手ではない……私はそう思います」
 首が動き、フランの青い瞳がカネリアを真正面に捉えた。
「私が貴方を恐れない理由はそれです。貴方を理解したいと思うから、私は私の秘密の場所を貴方に教えました」
 微かに笑うフランは、空いた手を持ち上げると、茶目っ気たっぷりに瞳を躍らせ、唇に指を当てて言った。
「ここのことは、村の誰も知りません。道が入り組んでいるから、私だけが知っている。だから、カネリア様も内緒にしておいてくださいね」
「……どうして、我に教える?」
 反射的に問いかけるカネリアに、
「その答えを考えてください。私が何を想っているのか、理解してください。そうすれば――」

 ――――きっと。

 語られなかった最後の一言は、重ねられた唇の熱に溶けた。




                            「秘密の花園 完」

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