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 下記の小説は、 二周年のお礼・バレンタイン小説として、書いたものです。
 少しでも、想いが伝わりますれば、幸いです。

                    「夜の夢/松原冬夜」






 ふたり星


 二月十四日。
 既に世間に定着したバレンタインデーが、女の子にとってどんな意味を持つのか。男の子だって、知らないはずはない。
「セイカ、幼馴染みだからって、気を使うことないぜ?」
 ツキヤ君はそう言って、ぶっきらぼうに私の手から小箱を受け取った。
 間違いがないよう細心の注意を払って、心を込めて作ったチョコレート。
 少しでも気持ちが伝わるようにと、悩んだ果てに、ツキヤ君が好きな青色のリボンで飾った小箱を眺めて、
「義理にも、金がかかるだろ。まあ、貰えるモンは貰うけどさ」
 唇の端を持ち上げて笑うツキヤ君は、中学校の制服の下一杯に、元気と明るさを詰め込んだかのような清々しさで、私が差し出したバレンタインのチョコを「義理」と決め付けた。
 ただ、その一言で。
 私の身体中の血が、水分が、凍りついた。
 今、私の身体に強い力で加わったなら、私という人間は粉々に砕けることだろう。
 ――ううん。力を加えなくても、もう私は砕けていた。
 なけなしの勇気をかき集めての一大決心は、言葉にする前に散ってしまった。
 粉々になった私の勇気は、雪の結晶のように美しくもなく、ただ恥ずかしさの熱に溶けて水に変わる。
 少しでも脈があると思ったのは、勘違いだった。
 ツキヤ君にとって私は、幼馴染みでしかなかったのだ。
 ――恥ずかしい。
 でもそれは、当たり前?
 私とツキヤ君の間には、二年の時間差がある。
 二つの年の差は、私とツキヤ君を高校生と中学生と言う、別の世界に振り分けるほどに大きい。
 家も隣で、家族ぐるみで仲が良くって。だから、名前も「星河」、「月夜」とお母さんたちが似たような名前にした。
 星と月、まるでペアみたいな名前のおかげで時々、姉弟と間違えられて。それを訂正するとき、ツキヤ君は怒ったように頬を膨らますけれど。
 私は嫌いじゃなかった。
 ツキヤ君と一緒にいること、それが予め定められていたような感じがして。
 そうして、ツキヤ君の傍にいることが、私には許されているのだと思い込んだ。
 勘違いも甚だしい。
 凍りついた私の身体の水分は、既に水へと還元されて瞳から溢れそうになる。それを堪えるのに私は必死になった。
 ――笑え、笑え。
 自分に、呪文のように言い聞かせる。
 私は笑った。頬を持ち上げ、唇を緩める。
 唇が緊張でカサカサになっているのがわかった。出掛けに、リップを塗ってくるのを忘れた。本当はお化粧をしようかとも思ったの。
 でも、あまりに仰々しいと、ツキヤ君におかしく思われそうだったから――お隣同士という関係なのに、近所の公園に呼び出している時点で、既に仰々しい気もしないでもないけれど――いつもどおりの格好で来たけれど。
 何だか、そんな私の全部が取りこし苦労で。笑っちゃう。
 ホラ、そんな自分は滑稽で、笑えるでしょう?
 少なくとも、笑っているように見せた――つもりだった。
 でも、少し不自然だったのかも知れない。
 ツキヤ君は私を見上げて、額に垂らした前髪の影で、眉をそっと顰めた。
「セイカ?」
 気遣うような声が、皮膚をかさつかせる冬の外気に、私の名前を呼んで白く響いた。
 凍えた寒空の下、弱々しい陽光を受けて灰色の梢の影を描く地面に、私は視線を落とした。
 俯いたら、涙がこぼれそうになるけれど。笑っているのも、限界だった。
 泣かないように、声を絞り出す。
 当たり障りのない話題と、振った話は少し前の私立高校の受験のこと。ずっと、気に掛かっていた問題だった。
「この間の試験、どうだった?」
 中学三年生のツキヤ君は、今年で中学を卒業する。
 来年は、同じ高校生という肩書きを持つことになるけれど、それでも私たちの間にある二つの年の差は埋められない。
 同い年だったなら、ツキヤ君の志望を聞いて、私も同じ高校を選べただろう。
 ツキヤ君は多分、同じ中学校の皆からも憧れの的だ。
 元気で、曲がったことが大っ嫌いで。いつも人の輪の中心にいる人。そんなツキヤ君に憧れるのは、私だけじゃない。
 彼の受験に合わせて、その高校を受験した同世代の女の子たちが、私は羨ましかった。
 ツキヤ君がいるから――という理由で進路を選ぶことを、私は安直だとは思わない。
 好きな人がいる。そういう風になりたい、と思う目標は、将来何かになりたいと思うくらいに大事な夢と、同等の価値があると私は思う。
 だってそれは、未来へ向かって歩いていく大事な指針なのだから。
 第一に、十四歳や十五歳で将来設計をして高校を決めている人なんて、確実に夢を持っている人以外は、成績が影響しているだろう。
 私なんて、先生に言われるがまま、県立の進学校に進んだ。
 成績が良かったのは、ツキヤ君に相応しい女の子になりたくて、がんばったからだ。
 人前に出るのだって恥ずかしかったけれど、ツキヤ君みたいになりたくて、中学時代は生徒会活動にも参加してみた。
 私の全ては、ツキヤ君を中心に回っていた。
 二つ年上の私が、年下のツキヤ君に憧れること自体が、そもそも間違いなんだろうか?
 でも、私にないものを持っているツキヤ君。
 彼の前向きな強さは、年上だとか、年下だとかの概念を私に捨てさせるに十分だったの。
 ブランコを囲った鉄柵に腰掛けたツキヤ君は、手にしたバレンタインチョコに目をやりながら言った。
「ああ、うん。まあまあ」
 不安を宿していない快活な声は、試験の出来を言葉以上に語っていた。
「私立は――学園だっけ、ツキヤ君が受験したの。やっぱり、サッカー部が強いから?」
 ツキヤ君は、中学校ではサッカー部に在籍していた。その実力は、県外からも推薦入試の話が来るほど。
 ツキヤ君は、地元を離れる気がないとその話を断って、一般入試で今回の試験を受けていたけれど。
 今回受けた高校に合格すれば、サッカー部に入部するのだろう。そうしたら、寮に入部することになると思う。通学するには、少し遠い。
 そして、ツキヤ君は学校の部活時間だけじゃなく、早朝とかこの公園までジョギングしたりして、体力作りをする努力家だから。通学で練習時間を削られるのは、嫌だろう。
 私はお隣さんという繋がりも、失くすことになるのかもしれない。
 幼馴染みという関係に縋って、どれだけ私はがんばれるだろう?
 来年もチョコレートを手作りする勇気を、私は持てる?
 例え持てたとしても、その一年の間にツキヤ君の隣には私が知らない女の子がいるかもしれない。
 そうしたら、私はどうしたらいいだろう?
 ツキヤ君が、誰かのものになるのが嫌だった。独占したかった。約束が欲しかった。
 だから、勇気をかき集めて、告白しようとしたけれど……。
 ――義理。
 ツキヤ君の一言は、私の存在や気持ちなんて、始めから眼中になかったことを告げていた。
「別に、サッカーするために選んだわけじゃないけれど」
「……違うの?」
 私が目を上げて問いかければ、ツキヤ君は困ったような顔を見せた。冷たい空気にため息がそのまま白い塊となって、
「成績もあるだろ? 滑り止めなんだから、確実に合格するところ受けただけだよ」
 ぶっきらぼうに吐き捨てられた声は、さっきのとは違っていた。
「……本命は、県立?」
「まあな」
「どこ?」
 私は身を乗り出していた。もしかしたら、私と同じ高校を選んでくれたのかもしれないという期待が、私の内側で膨れ上がる。
 また、勝手に一人で盛り上がっている自分に気付く。
 私が通う高校は進学校なだけに、レベルが高い。部活動中心で中学生活を送ってきたツキヤ君の学力は、ギリギリのラインだ。それに、サッカー部はお世辞にも強いとは言えない。
 ツキヤ君の進学の選択肢に、私の学校が入る可能性は低い。
 思い上がりもほどほどにしないと、いけない。
 ツキヤ君にとって私は、ただの幼馴染みだという線引きをされたばかりだというのに。
 だけど、情けないことに、私はツキヤ君の一言に期待してしまうの。
 傷つくとわかっても。傷ついても。
 どうしようもない。
 私はツキヤ君が好きだった。
 二つの年の差なんて、感じさせないくらいに。
 二つの年の差に、嫉妬してしまうくらいに。
 ツキヤ君の存在は、私の中で矛盾を生む。
 期待しちゃいけない。期待する。
 ツキヤ君の存在一つで、かき回されて。ツキヤ君に憧れて、私は背伸びをした。
 私は私でなくなる。
 だけど、ツキヤ君が好きだと思う私は私のまま。
「セイカには――関係ないだろ?」
 ツキヤ君はそう言うと、キュッと唇を結んで、そっぽを向いた。
 苛立たしげな表情を浮かべた横顔を見て、私はまた泣きたくなった。だけど、泣いたらツキヤ君が困ってしまうと思うから、私は「そうだね」と、笑って誤魔化す。
 拒絶された。
 わかっていたことなのに、やっぱり傷つく。
 どうしたら、いいのかな? どうしたら、いいんだろう。
 こうして、私の心は途方に暮れる。
 ツキヤ君は何も悪くないのに、私が勝手に一人で期待して傷ついて。
 ツキヤ君にしてみれば、いい迷惑だよね。
 でもね、私は本当にツキヤ君が好きなの。
 そっと、様子を伺うように動く黒い瞳があった。私を横目で見上げてくる。白い吐息がこぼれ、ふわりと立ち上った。
「――なあ、何でそんな困った顔をするんだよ?」
 ツキヤ君が怒る。
「まるで、俺が悪いことしたみたいだろ?」
 そうして、ツキヤ君のほうが困っているような顔を見せた。
 それを見て、私は自覚する。
 こんな風に私を見てくれるツキヤ君だから、好きになったんだ、と。
 誤魔化した表情も通用しないくらい、ツキヤ君は私を見てくれている。
 私、笑ったよ? なのに、ツキヤ君には困った顔に見えた。表情じゃなく、心の内側を見透かして。
 覚えているかな?
 小さい頃、町内の秋祭りで迷子になったときのこと。
 お母さんたちに連れられていったお祭りで、並んだ色とりどりの屋台に目を奪われて、私たちは迷子になった。周りは知らない大人だらけで。お母さんたちは全然見えなくって。
 不安だった。泣き出しそうなくらい。
 あと一秒、ツキヤ君が手を繋いでくれるのが遅かったら、私は泣いていたかもしれない。
 でも、ツキヤ君が私の手を握って言った。『大丈夫だよ』って。
 私の不安を見越して、『大丈夫だから』と慰めてくれた。
 お母さんたちと合流したとき、安心から泣き出した私の隣で、ツキヤ君も泣いていたよね。
 本当はツキヤ君の方がずっと不安だったのだと、気がついた。
 頼りにしたいお姉ちゃんが、今にも泣き出しそうで、どうしていいのかわからなかったから、精一杯強がっていたんだってこと。
 本当は私がしっかりしていなきゃいけなかったのに、ね。
 あのときから、ツキヤ君は私を見ていてくれた。見守っていてくれた。
 私の高校受験のときだって、誰もが合格間違いなしだと言って、私の不安を取り合おうとはしなかったけれど。
 ツキヤ君だけは、違っていた。
 受験の日の朝、わざわざ家の前まで出てきて、私に声を掛けてくれた。
『結果はさ、付いて来るもんだから。セイカが出来ることだけのことをすればいい。精一杯やって、落ちたんならしょうがねぇんだから、ガッカリするなよ』
 励ますと言うより、慰めると言った言葉に、私は笑ったことを昨日の出来事のように鮮やかに思い出す。
『ツキヤ君。それ、落ちること前提の話ぶりだよ』
『やべっ。――ま、まあ、とりあえず、やるだけのこと、やれってことさ』
 自分の失言に唸って顔を顰めながら、ツキヤ君は手を伸ばしてお守りをくれた。
『結果なんてさ、どうでもいいじゃん』
『そうかな?』
 近くの神社で買ったらしい学業成就のお守りは赤い色。私のために選んでくれたのだとわかった。微かに残ったぬくもりを包み込んで、ツキヤ君に視線を返す。
 背丈は今も昔も、私のほうが少し高い。ツキヤ君は上目遣いに私を見上げて、唇の端で笑った。
『そうだよ』
 どうでもいいわけなかったけれど、ツキヤ君が言うと、どうでもよく思えた。
 結果を出すためには、やらなきゃいけないことがあって。
 それをやらないことには、結果なんて出せやしない。
 私がしなきゃいけないことは、結果を出すことじゃない。
 まずはテストで、全力を出し切ることなのだと。
 ツキヤ君の一言で、自分がまず何をすべきなのかを知る。
『――今までやったことを出せばいいだけなんだよ。難しくないだろ?』
 ツキヤ君の言葉が、すんなりと私の心に染みてくる。
 私は私なりにがんばってきたつもり。
 だから、それを出せばいい。
 それに結果がついてこなかったら、そのときは私のがんばりが足らなかったのだろう。
 ならば、もっとがんばればいい。
『――うん』
 あの日のことを思い返して、私の心は決まった。
 結果なんて、どうでもいいんだ。
 ただ、私はツキヤ君が好きで。そのことをツキヤ君に伝えたいと思った。
 私が今日すべきことは、諦めることじゃないんだよね。
「あのね、ツキヤ君」
 もう一度、私の中にある勇気をかき集めてみたけれど。やっぱり声が、緊張で震えた。
 言葉にしてしまったら、決定的な答えが返ってくるのはわかる。
 もしもそれが、私が望んだ答えじゃなかったとしても。
 また、がんばろう。
 ツキヤ君に好きになってもらえるような、女の子になればいい。
 だから、せめて――お願い。
 この気持ちだけは、聞いて?
「私――ツキヤ君が好きなんだ」
 決死の告白を前に、ツキヤ君は目を丸く見開いた。
「――なっ」
 驚いたように一声を吐いて、口を丸く開けたまま絶句。
 全く、予想もしていなかったの?
 それぐらい、ツキヤ君にとって私は対象外だったのかな?
 答えが見えた気がして、私の指先は震えた。既に、氷のように冷たくなった指先は、もう感覚なんか殆どないけれど。
「好きなんだ」
 私は自分自身の言葉を確かめるように、ゆっくりと繰り返した。
 すると、ツキヤ君はクシャクシャと自分の頭を掻き乱した。部活動を引退するまでは短く刈り込んでいた黒髪も、今は襟足が学生服の詰襟に掛かるくらいに伸びている。
 ツキヤ君は、長い髪も似合うな、と。私は場違いなことを思う。
 気持ちを言葉にしたことで、心に余裕が生まれたのかもしれない。
 駄目でも、また、がんばればいい、という覚悟が私を強くしたのかな。
「――お前は」
 ツキヤ君が声を発する。どこか怒ったような声だと感じるのは、私の気のせい?
 目を瞬かせる私の前で、唇を尖らせたツキヤ君は私を睨んだ。
「セイカは――何でそう、俺の先を行くんだよ」
「……えっ?」
「追いつこうと、努力している俺が馬鹿みてぇじゃん」
「……ツキヤ君?」
 首を傾げる私の手首をガシッと、ツキヤ君が掴んだ。
 小さかった頃の名残りはなく、力強く骨ばった大きな手は、グイッと私を引っ張る。
 次の瞬間、パズルのピースがはまるみたいに、私はツキヤ君の腕の中にいた。
 地面に描かれた二人の影が一つの絵になる。
 私の頬に触れる学生服は、冬の外気を吸って冷たく。
 でも、内側から響いてくる鼓動が、ツキヤ君の熱を私に伝えてくれた。
「お前の高校に合格したら、俺が先に言おうと思っていた」
「…………」
「俺が先に言おうと思っていたんだぞ? なのに、どうして追いつく前に言っちゃうんだよ」
 ツキヤ君は、私の肩に顔をうずめて、ふてくされたような声を出す。
 ツキヤ君の声が、言葉が、鼓膜を通して、私の頭の中に浸透してくる。
 難しいことを言われたわけじゃないのに、理解するのに手間取った。
 ねぇ、それって。
「……そんなこと言われても」
「わかっているよ。ガキなんだって。だから、追いつきたかったんじゃねぇか。少しでもさ、お前に相応しくなれるようにって」
「わ、私のほうがツキヤ君を追いかけていたんだよ?」
「はあ? 何だよ、それ」
 私を引き剥がすと、ツキヤ君はこちらを覗きこんできた。呆れたような顔を前に、私は早口でツキヤ君に憧れていたことをまくし立てた。
 そうして、言葉を出し尽くした私を前にツキヤ君は苦笑した。
「――俺のほうが、負けていると思っていた。二つ年下だし」
「私は、二つ年上なのにツキヤ君に憧れるのが間違いなのかもって、思っていた」
 ――すれ違いもいいとろだ。
「あー、もう。もっと早く、気持ちに素直になれってことだよな。そしたらさ」
「え?」
「優秀な、家庭教師に頼れたわけじゃん?」
「……あ」
 ツキヤ君が私の手に指を絡ませた。手のひらと手のひらが重なる。凍えていた私の指先が、ツキヤ君の体温でじんわりと温かくなる。
 二人の温度が、ゆっくりと同じになる。別々だった気持ちが、一つになる。


 帰り道で、ツキヤ君は言った。少し照れた横顔の、耳が赤い。
「俺さ。絶対に県立に合格したいんだよな。好きな女がいるから。だから、よろしく頼むぜ、セイカ先生」
 試験までは、もうそんなに時間はないけれど。
 二人で、がんばろう。
 二人でなら、もっと一杯がんばれる、と。
 繋いだ手が証明していた。
「うん。――こちらこそ、よろしくね」



                                  「ふたり星 完」

余談ですが、ツキヤは「北極星」の男の子です。


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