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 1,後悔先に立たず


 人間には生きていれば、あん時、こうしておけば良かったと、思う瞬間ってのはあんの。
 俺の人生、まだ十五年だけんど、そんなこと数え上げたらきりがない。
 例えば、三日間放置していたミルクを飲んで腹痛にもがき苦しんだ時は、やっぱりすっぱい匂いがしていた時点で止めとけば良かったと、本当に後悔したんよ。
 他にも食料がなくて、しょうがないから裏山で採取したキノコを食ってさ、それがワライダケっていう一種の毒キノコで、口にした瞬間から腹がよじれるくらいに笑い出していた。何もおかしくないのに笑うんよ、口が勝手に。おかげで酸欠になって死にそうになったんよ。
 あん時も何だか嫌な予感はあったんよ。そういう予感に限って、当たるんよね。
 じゃあ、何で自重しなかったんだって、この話を聞いた奴らは呆れ顔で言うけんど、三日も飯を食っていない状況では、正確な判断なんてそう簡単に出来るものじゃないと思うんよ。
 ただ一つの発見は、人間ってさ水だけで三日も生きられるものなんだなってこと。記録更新に挑むつもりはないけんどね、うん。
 まあ、何にしても後悔先に立たずって感じだ。よく言ったもんやね。
 あん時もちょっと嫌な予感はしてたんよ。
 伊達に修羅場をくぐってきたわけじゃないんよ。ま、自慢できる修羅場じゃないけんどね、食中毒なんてさ。
 ……話を戻すよ。
 っても、あん時、俺が置かれていた状況から説明しなきゃね。
 いや、その前に俺のことを話さなきゃね。でも、あんま語ることなんてないけんどね。
 俺の名は、ローレン。十五歳。
 金髪に緑色の目が外見的特徴だな。十五にしてはちょっと小さい。でも、成長期だし、これから良い男に育つ自信はあんのよ。
 見た目だけだと貴族の血が流れているんじゃないかって言われたことあんからね。少しは見目が良いって事だな。
 でも、全然、貴族の血なんてないんよ。俺の父さんは軍人で隣の国との戦争に出掛けていってそのまま死んだ。俺が生まれる前のことだから、十五年前だ。
 母さんは俺が二歳の時、姿を消した。要するに俺は捨てられたわけなんね。女手一つで子供を育てるのは大変だったと思うんよ。敗戦国だったし。
 それで俺は村の村長さんに引き取られたんよ。
 ……その村長さんも五年前に死んじゃった。
 俺は十歳で自活していかなければならなかったわけだ。
 戦争が終わってもまだ苦しかったからね。同情を覚えても、実際に救いの手をさし伸ばしてくれる程、周りには余裕がなかったんよ。今はそうでもないけんど。
 というわけで、俺は便利屋を始めたの。
 例えば、子守が必要な時とか、ちょっと手が欲しい時に俺を雇って貰うわけ。お金に余裕がある時で、人手が欲しい時に俺を雇うの。それだったら、皆も俺のことを負担に思わないんじゃないんかなって思うんよ。
 本当のところはどうだか、わかんないけどね?
 で、コツコツと日銭を稼ぎながら暮らして来たわけ。まあ、これで腐りかけのミルクに手を出す俺の日常が、少しわかって貰えたんじゃないかと思うけんど、どう?
 いつも決まった日銭が稼げるわけじゃない。農閑期なんかは農家の手伝いの仕事なんて極端に減っちゃうんよ。だから、村以外に出て仕事もするようになって、今じゃ近隣の国を跨いで仕事するようになったよ。
 とはいえ、このあたりは一つ一つの国が小さいんだ。山を一つ跨いだら、別の国だったりするから、凄いとか感心されちゃうと参るね。
 この時もカルディアって二つ山を越えたところにある国に行商しに行く商人さんの護衛の仕事をしてたわけ。
 護衛って言っても、俺はそんなに腕が立つほうじゃない。だから、正確に言えば護衛というより道案内やね。裏山を食料採取の狩場として育った俺は山歩きには慣れているの。で、仕事で色々な国を行くうちに、道に詳しくなったわけ。盗賊が出にくい裏道とか覚えちゃったから、俺でも護衛役が務まるんよ。
 そうして、行き道は何事もなかったんよ。商人さんは国で取れた毛皮や織物を売って、今度はカルディアで買ったワインや小麦なんかを荷車に積んで国に戻るんだ。
 今年、毛織物はカルディアで一種流行になってるとかで、予想以上の収入だった商人さんは少し浮かれたように俺にご馳走をおごってくれた。カルディアの城下町だったけど、そこは下町みたいで上品な人間は少ない感じだった。俺自身、上品とは言いがたいから文句は言わないけんどね。
 だけど、商人さんの太っ腹ぶりはイイ鴨見えたと思うんよ。何しろ、連れが俺みたいな小僧だったからさ。
 で、飯を食って店を出たところで案の定、いかにも悪いことしてますって雰囲気の男たちに因縁を吹っかけられて、いわゆるカツアゲにあってしまったんだ。
 まあ、もう国に帰るための仕入れは済んでたんで、商人さんはあっさりと財布を差し出した。当然、財布の中身自体はそんなに多くない。
 それが男たちには納得出来なかったんだね。店での商人さんの太っ腹ぶりはかなりの金を持っていると誤解されるに十分だったから。
 話は商人さんと俺が出し渋ってるって方向に進んだんだ。
 商人さんは取り敢えず、毛皮や織物を買った元手よりずっと多くの品を手に入れていた。それを国で売ればさらに手元に入るお金は増える。行商した手間賃以上の収入が見込めるので、男たちにとっては価値のないワインや小麦が無事ならって、手持ちのお金を全部出していた。
 そんでもって俺はといえば前金で貰った仕事料を出したんよ。商人さんと荷物を守って国に帰れれば、あと半分のお金が貰えたからね。ここで、男たちの機嫌を損ねて怪我させられたら、暫く仕事が出来なくなるよ。そうなったらもっと困るもん。
 ポケットの裏側まで見せて、全部を男たちに出したんだよ?
 けんど、男たちは納得しない。ヤバイな、って思ったんよ。
 俺と商人さんを囲う男たちの包囲網がジリジリと狭まってきたから。
 もう、こうなると怪我は必至だ。黙って殴られるってもの考え物だけど、下手に手出しして商人さんがひどい目にあったら残りの仕事料なんて貰えなくなっちゃうかんね。
 さっきも言ったように俺は腕に覚えがあるわけじゃない。一応、護身用に腰に二本の短剣を持ってるけんど、今まで威嚇用としてしか使ったことがない。この男たちの前にはそれも通用しそうにない。男たちの腰には剣がぶら下がっていたからね。
 俺一人だったら逃げることもできたけんど、商人さんを放り出すわけにもいかない。俺みたいな小僧が便利屋を名乗るには大人以上に信用が大事なんよ。
 そこで覚悟を決めて俺は商人さんに覆いかぶさった。
 ちょうど、一人の男の靴が俺の背中を蹴りつけた。
 痛かったよ。腐ったミルクで苦しんだ腹痛と、ワライダケで窒息しかけた息苦しさと比べたら……比べるものじゃないやね。あれはあれで痛かったし、辛かったし。
 分厚い靴底は硬くて、痛くて、涙が出てきた。
 そん時はやっぱり、こんな危ない仕事をやるんじゃなかったと思ったんよ。村で地道に農家の手伝いとか、子守の仕事をしていれば良かったってね。
 けんど、それだけの仕事じゃ成長期の俺の腹は満たせない。だから、少しくらい危なくっても護衛の仕事を優先させなきゃならんかったの。だって、頼れる人なんて俺には一人もいなかったんだから。
 母さんがいなくなって、親代わりだった村長さんが死んで、村の皆は優しいけんど、俺の面倒まで見ている余裕なんてないんだから。せめて、村にいる俺のことを負担に感じさせないようにしなきゃいけなかった。そうしなきゃ、居づらかったのは俺のほう。
 村を出て生活していく金も無い。寝床だけは確保されている村で生きていくしか十歳の俺には選択肢が無かったんよ。
 ゲシゲシと靴底がぶつけられる。
 もう、このまま、ボコボコにされて死んじゃったほうが何かといいんじゃないかっていう、妄想が背中に広がる痛みと共に沸いてきた。
 母さんに捨てられた俺が生きている意味なんてあんのか、わかんなかった。だから、便利屋を始めたんだ。人の役に立ってれば、こんな俺でも存在価値はあるだろうって思って。
 でもさ、俺、ホント役に立ってんの?
 もっと俺が強かったらさ、男たちと渡り合って商人さんを怖い目に合わせずに済んだじゃないかって……。
 そう思うと背中の痛みより情けなさで鼻の奥がツンとしてくる。
 そこへ現れたのが、ライディンとカスターだったんよ。


「何をしているのですかっ!」
 甲高い声が響いたん。女の子のような声にしてはちょっと低いけれど、男の声にしては高い声。何にしてもまだ子供の声だった。
 一瞬、男たちの動きが止んだ。俺は顔を上げた。すると男たちの向こうに俺より年下だとハッキリわかる少年と、長身で均整の取れた体躯の二十代前半と思しき青年が立っていた。
「何だ、お前ら」
 男が一人、二人に向かって行った。前置きもなしに、少年に殴りかかろうとする男を背の高い青年が、少年の肩越しから伸ばした腕でいきなりはたき倒した。
 男も無茶だけど、青年の行動もなんていうか滅茶苦茶じゃん。
「それが、人に物を聞く態度か、ボケ」 
 青年は地に伏せた男の頭を靴で踏みつけ言った。
 ……ちょっと、待ってよ。正義の味方の登場にしては、やってることが男たちと変わんないけんど。
 でも、男たちの目は、完全に俺と商人さんから外れ、少年と青年に向かった。
「何だ、てめぇらっ!」
 うーん、何だかパターン化したセリフで男たちは青年たちに詰め寄る。
 俺は身体を起こして商人さんの身体を抱えた。商人さんには見たところ、怪我は無い。良かった。これで何とか残りの仕事料は貰えそうやね。
 俺は商人さんを背中に庇って青年たちの方に目をやった。
 男たちに詰め寄られる二人は悠然と構えていた。青年は相変わらず一人の男を踏みつけたまま、上半身を捻るようにこちらに向けている。その姿勢は下の男が身動きしたらバランスを崩して危ないと思うけんど……なんて俺の心配もよそに上体は身じろぎ一つしない。足腰が強靭なんね。
 腰に片手を置いて、青年は下から斜めに見上げるように顔を傾けている。遠めにも青年の口元に、男たちを小馬鹿にするような薄い笑みが浮かんでいるのが見える。
 その青年の傍らで少年は背筋を伸ばして立っていた。物怖じなんてしていない。青緑色の大きな瞳で男たちを真正面に見据え、よく透る声で一言一言をかみしめるように言った。
「何者かと問われれば、ただの通りすがりにしか過ぎません。差し出た真似をとあなた方は言われるでしょうが、どのような事情があれ、一方的な暴力を僕は僕の信条から見過ごすわけにはいきません」
 真面目な物言いに男たちは一瞬、珍妙な目で少年を見た。
「何だ、このガキ。なめてんのかっ?」
「なめられてると思った時点でお前らの負けだ」
 青年が胸の前で腕組みして男たちを見下した。
「何だと?」
「相手に答えを求める前に考えろよ、馬鹿共が。こいつの言っていることは至極最もな正論だろう。その言を理解出来ないお前らが口でこいつを打ち負かそうなんて無理な話だ。そんでもって、その程度の恫喝で怯むようなガキが大人相手に喧嘩を張ると思うか?」
 青年は酷薄に笑う。端正な顔立ちだけに凄みのある壮絶な笑みだ。怖い。
「賭けてもいいが、お前らはこいつに勝てないぜ。まあ、お前らの頭じゃ俺の有り難い忠告も理解できやしねぇだろうな」
 組んだ腕を解いて、青年は肩を竦めた。
「てめぇら!」
 怒気もあらわの男たちに青年は腰に両手を当て、身を乗り出すように言ってきた。
「物凄く親切な俺は再度、忠告してやる。手を出したが最後、返り討ちにあっても文句なんか言えないんだぜ。それと、世の中には正当防衛っていう非常に便利な言葉がある。死にたければかかってきな」
 青年は挑発するように手の平を上向けて、人差し指と中指の二本の指でコイコイ、と動かした。明らかに男たちを怒らせ激昂させる言動を並べる立てる青年の、思惑通りに男たちは二人に襲い掛かった。
「カスター、手加減なんてするなよ」
 青年が少年に向かって言った。少年は殴りかかってきた男の拳を避けつつ、青年を振り返った。
「ですが……」
 美少年と断言してよい顔に戸惑いの表情が浮かんでる。
「手加減して自分が怪我してたら意味がねぇ。迷う前に即効で決めろ」
「わかりました」
 青年の説得に少年は小さく頷くと、身体を沈め伸び上がる勢いで一人の男の顎を殴りあげた。
 うわっ、あれは痛い。顎なんて急所だよ。
 仰け反って倒れる男の影から別の男が少年に飛び掛る。タンと少年は爪先で跳ぶと、身丈に対しては長い足をしならせて男の横面をボール遊びでもするかの如く蹴った。
 自分の倍はありそうな男を吹っ飛ばして、少年は涼しい顔で着地した。その背中に覆いかぶさるのはまた別の男。
 危ない、あれじゃ動きが抑え込まれちゃうじゃん。
 俺は思わず身を乗り出した。けんど、俺の心配をよそに少年は太い男の腕を掴むとグイッと引っ張って、折り曲げる身体の動きを利用して男を背負い投げた。仰向けに倒れた男の腹に躊躇もなく拳を叩き込む。
 少し前、微かに戸惑いを見せていたのが嘘みたいだった。
 青年は青年で襲い掛かってくる男を回し蹴りで吹き飛ばした。軸足は踏みつけた男の背中の上だ。青年の全体重を受け止めた男はグェッとカエルが潰れたような声を上げた。
 蹴り飛ばされた男とは別の男が現状の不利に、腰に携えた剣を抜いた。それを青年に振り下ろす。
「避けてっ!」
 声を上げる俺に青年の顔がこっちを見た。
 ニッと唇に明確な笑みが刻まれる。
 何で笑ってられるんよ?呆気にとられる俺の目に、青年が男の顔を鷲掴みして、横になぎ払うのが見えた。
 何があったん? 俺は残像として記憶に残った二人の動きを巻き戻した。
 青年は絶妙のタイミングで男の間合いに飛び込んでいた。近づきすぎた為に男は剣で攻撃するには身を引かざるをえなかった、たったその一瞬で勝負がついていたんよ。
 嘘でしょ?
 目を丸くする俺の前で勝負はついた。無傷の少年と青年は息を乱すことなく立っている。
 俺の視界に乱立していた男たちは全て地面に叩き伏せられていた。
 青年はコキリと首を鳴らして言った。
「つまらん、何だ、このざまは」
 男たちの背中を踏みつけ喚く。
「もう少し根性見せろ、馬鹿共が。準備運動にもなりゃしねぇじゃねえか」
 ゲシゲシと、少し前の男たちが俺にしていたように蹴りまくる。こん人に過剰防衛って言葉を教えてあげたほうがいいんじゃないん?
 ええっと、一応、こん人たちが正義の味方なんよね? 青年が男たちより凄く極悪に見えるのは気のせいなんかな……。
 呆然としている俺の前に紅顔がひょいと現れた。
「大丈夫ですか?」
 ピンク色の頬のいかにも健康的な少年がやや心配そうに眉根を寄せて、俺の顔を覗き込んできた。
「え、ああ、うん、大丈夫……」
 俺はそう応えながら男たちに蹴られた背中を撫でた。
 何だか、頭ん中が混乱して痛みを認識出来ない。骨は折れてなさそうだから、心配するほどのことはないんやろうね。
「あ、助けてくれて、あんがとね」
 俺が礼を言うと、少年は嬉しそうに笑った。その顔を見る限り大の男を叩き伏せた凄腕だとはどう見ても思えんのやけどね。
「いえ、お役に立てましたのなら光栄です。ただ、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ん? 何?」
 小首を傾げる俺に少年は後ろの男たちを振り返って問う。
「あの方たちはどういう理由であなた方を襲っていたのでしょう」
「ああ、それはあん人達がこっちの人の金を巻き上げようとしてたんよ。んで、俺はこん人の護衛なんね」
「この辺りじゃ見ない顔だな、それにその訛り。この国の奴じゃないな」
 男たちを蹴り倒すのに飽きたのか、青年がこっちに寄ってきて言った。俺の訛りは田舎じゃ普通だけんど、カルディア城下では珍しいんだろうね。でも……。
 見上げた俺からすれば、この下町に青年と少年の二人ほど似合わない感じがしないでもない。二人とも良い所の出の人だってわかる身なりなんだもん。何なんだろう、この二人。
「俺はバルスコアから来たんよ」
 立ち上がろうとしたけれど、背中が痛くてできなかった。混乱が去って、俺の頭が正常に痛みを認識し始めたみたいだ。
「バルスコアか、そりゃ遠い所から」
 ニヤニヤと笑って青年は形の良い顎を手に添える。
「遠いって言うほど、遠くはないけんど」
 上目遣いに青年を見上げた。スッキリした端正な顔をしている。切れ長の瞳は金茶色。狼の目を一瞬だけんど俺は思った。髪は薄茶色。綺麗に切りそろえられていて、それで上等な布地の服は貴族様と言われても納得しちゃうよ。けんど、唇に刻まれた笑みが世の中を嘲笑しているような、皮肉屋の印象を俺は持ったん。ちょっとだけ、嫌な感じがしたん。
「だが、一日で移動出来る距離でもなかろう?」
「まあね、山道が殆どだし……」
 言って俺は帰り道を思ってげんなりした。背中の痛みを押して帰るのはちょっと辛いね。
「その身体じゃキツイんじゃねぇか?」
 小首を傾げて青年が問う。何だろう、こっちの身を気遣ってくれる優しい言葉だけんど、声には含みが感じられて背筋が少しゾワリとした。
「お国に帰られるのですか?」
 微かに身を引く俺に、少年が横から問いかけてきた。瞬間的に俺の警戒心が瓦解する。
 ピンクに染まった頬と大きな青緑色の瞳。淡い金髪の美少年は俺がどんな人間かなんて全然かまわないような感じで、俺と目線を合わせるために地面に膝をついて覗き込んできた。すぐそばに迫った幼さを残した愛らしい表情。これが男なんて、とちょっと残念に感じてしまう。俺はドギマギしながら答えた。
「うん、ここでの行商は終わったかんね」
「では、大変ですね」
「まあ、……そうね」
 俺は苦笑した。すると少年が青年を振り返った。
「ライディン兄様、僕、この方をお助けしたいのですが」
「そう言うと思った」
「反対しますか?」
「俺はしねぇよ。面白そうじゃねぇか」
 ニヤニヤと笑って青年は言う。
 何? 何のこと? 目を見張る俺に少年は嬉しそうに笑う。
「あのよろしかったら、僕らをあなた方の旅のお供に加えて頂けませんか?」
「は? あ?」
「そのお身体では道中大変でしょう。ここでお知り合いになりましたのも、何かのご縁ですし、あなた方をお助けしたいのです。このまま見過ごしてしまうのは僕の信条に反します」
「……信条?」
 さっきもそういうことを言っていたような。
「はい。僕は沢山の人に助けられていますから、誰かがお困りの時はお助けしようと。お爺様から困ったときはお互いに助け合うものだと教えられましたし」
「はあ……それは偉いね」
「そんなことありません。人として当然のことですもの」
 あっさりとそんなことを言ってくる。できた子やね。俺はお金を貰うことを前提に人助けをしている。そうしなきゃ生活していけないからしょうがないんけんど、何だか、自分がとてつもなくセコイ人間に思えてくるんよ。
 少年の無垢な目に見つめられると。
「で、でも……」
 俺は商人さんに目を向けた。商人さんは「全てはローレンさんにお任せしていますから」とこちらに判断を任せてきた。でも、商人さんの態度を見る限り脅えているみたいだ。
 それは理不尽に因縁を吹っかけられて怖い目にあったせいなんかな?
 チラリと俺は青年を盗み見た。少年はもう信じていい。けんど、連れの青年がこの上なく怪しく感じられるんは、俺の偏見?
「ふ、二人は兄弟なん?」
 少年が兄様と呼んでいたが、外見は全く血のつながりを感じさせない。どちらも端正な顔立ちでハッキリ言ってしまえば美形だが。
「名前を名乗っていませんでしたね。僕はカスターと申します。こちらは僕の教育係で、勉強から剣術、体術などを教えて頂いていますライディン兄様です」
「ライディンだ。こいつが言う、兄ってのは、まあ、さんとか様とかいう敬称みたいなもんだ。血のつながりはねぇよ」
「はあ……そうなん」
 剣の師匠さんね。一応、二人の腰には剣が下がっている。でも、さっきみたいに素手でも十分な強さだったから、武器を持ったら敵なしなんじゃない?
「あなた方のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
 カスターの問いに俺は頷いた。
「俺はローレン、バルスコアで便利屋の仕事をしてるんよ」
 俺に続いて商人さんが名乗った。
「私はバルスコアやこちらのカルディアで行商をしています、パーレンです」
「ローレン兄様とパーレン兄様ですね、よろしくお願いします」
 地面に膝をついたまま、カスターは深々と頭を下げてきた。
「あ、兄様?」
 俺は目を丸くした。いきなり、出会ったばかりの人間に兄様なんて言われたら、ビックリしちゃうよね、普通は。
「そうお呼びしては駄目ですか?」
 上目遣いでカスターは聞いてきたんよ。
 う、そんな、捨てられた子猫みたいな目で見ないでよ。自分の環境が環境だけに、弱いんよ、捨て猫とか捨て犬とか。でも、自分が食っていくだけで精一杯の俺には飼えない。申し訳ない罪悪感で素通りするしかない。だからそんな目で見られちゃうと困ってしまうんよ。どう見ても俺とカスターはつりあわないでしょう?
「……えっと、でも……」
「こいつは人類、皆兄弟なんて幻想にとらわれているんだ」
 ライディンが俺の戸惑いを察した様子で鼻で笑いながら口を挟んできた。
「……人類、みな?」
 俺はマジマジとカスターを見て、少年の正気を疑った。
 昔、とある人物がその言葉で世界平和を訴えていたことを俺は村長さんから教えてもらった。
 村長さんはその人を立派だと言ったけれど、王族とか貴族とか決定的な身分の格差があるなかで誰もが兄弟みたいに仲良くなんてできっこないと、俺は小さいながらに達観していた。だって皆が兄弟みたいに仲良くなれるんなら、どうして世界では戦争なんて起こっているの。
「馬鹿げた妄想だろ。最も、家族であれ殺しあっているのが人間だ。総合的にひっくるめたらさ、同種同類ってことで的を射た言葉かもしれんな」
 明らかに侮蔑の意味合いの笑みを浮かべてライディンは言った。
 ――人類、皆兄弟。誰もが家族殺しの狂気を秘めている。
 俺はカスターの善意的な言葉をここまでひねた解釈をするライディンに絶句した。
「ま、不都合がなければ勝手に呼ばせてやれ」
 ライディンは自分が吐いた毒にも気付かず言った。俺はなんとか首を動かして頷いた。
「ありがとうございます」
 カスターは嬉しそうに微笑む。その笑顔をちらりと見ると、この少年に兄って呼ばれるのもいいな、と思うんよ。
 カスターの思想や、ライディンの見解はともかくも。
「で、でも……俺たちに付き合うんなったら往復でも四日は掛かるんよ? いいん?」
「四日?」
 カスターの表情が曇る。そこまで考えてなかったみたいやね。
「別に構いやしないさ」
 ライディンがそう断言した。
「困ってる奴を助けるんだろう? お前の爺さんが教えたことだ。第一、俺らが帰らなくても心配なんてしないさ。お前と俺だぜ? 誰かがどうにかできる相手じゃないのは皆、知ってるだろう」
 多分、ライディンとカスターの腕前のことを言ってるんだろう。あの圧倒的な強さを知っていたら心配は……しないんかな? 
 俺には心配する対象がいないからよくわかんないけんど。心配するんじゃないんかな?
 ライディンみたいな大人なら二、三日家を空けてもそう心配はしないだろうけど、カスターは見たところ、十二か十三歳くらい。この年の少年が家を空けたら家の人が心配するでしょ、やっぱり。
 何よりライディンと一緒というのが俺にはヤバイ気がすんだけんど。行動とか言動にそこはかとなく危なさが感じられるんよね。何か。
「そうですね」
 カスターは納得した様子で頷いた。
 ……納得するんだ。
 余程、自分の腕に自信があるのか、カスターの家族は意外に放任主義なのか。カスターの人柄を見れば後者はちょっと想像つかんよね。ひねた感じがないもん
「で? 出発は?」
 ライディンが聞いてきた。
「あ、朝飯食ったら出発する予定やったんよ。宿に預けている荷物を受け取ったらそのまま……」
「じゃあ、行こうぜ」
「えっ? で、でも……」
「何だよ、同行に了承したんじゃないのか?」
 斜め下に見下すようにライディンは俺を見た。
「それは……二人がついて来てくれたら助かんよ」
 この二人の強い護衛があれば盗賊が出るために避けている道を選べる。どうしても盗賊が出る道を避けるとなると足場が悪いとか、遠回りだとか不便な条件が出てくる。不便だから誰も利用しない道は盗賊の狩場としては不適だから、盗賊に襲われることはまずない。
 でも、今の俺の体調だと急な上り坂だとかの悪路はかなりきつい。カスターとライディンという強い護衛がいれば盗賊が出る道を通っても大丈夫だろう。大の男を五人も素手で叩き伏せた腕前。言動から見る過剰なまでの自信は確証があってことだと思うんよ。
「じゃあ、いいだろ。何だ、立てないのか?」
 小首を傾げたライディンは俺の前に身を屈めた。
「や、立てないってことは……」
 ない、と言いかけた俺だったけれど声は続かなかった。
 伸びてきたライディンの腕が俺の背後に回り、いきなり俺の身体を持ち上げたんよ。膝の裏辺りを抱えられて、決して軽いとは言えない俺の視界は、俺の身長からでは決して見ることない高位置からの景観にあった。危うく、建物の庇に顔をぶつけそうになる。
 わっ、と頭をかがめるとそのままの勢いでライディンの背中に逆さに張り付いた。服の下の鍛え抜かれた筋肉に鼻をぶつけた。痛いって。
「担いでってやるよ」
 人を荷物みたいに言わんで欲しいよ。俺は腕を突っ張り背筋を引きつるように使って、何とか身体を持ち上げライディンを振り返った。
「そんな重いし……」
 何よりこんな格好で街中を歩くとなると、恥ずかしい。
「歩けるのか?」
 肩越しに振り返ったライディンに俺はグッと詰まった。
 背中は痛いし、ねじったせいか背筋あたりがつっているのがわかる。腕の力が抜けて俺は再びライディンの広い背中に逆さでぶら下がった。今、歩けと言われたら無理だと答えるしかない。
「おとなしくしておけ、ホレ、行こうぜ」
 ライディンは商人さんを促した。人を一人担いでいるなんて感じさせない軽やかな足取りで歩き出す。その背中で俺は逆さ吊りにブラブラ。この格好なら誰からも俺の顔は見えないから、もういいか。
 とりあえず、背筋の痛みが去るまでは……俺はそう妥協することにしたん。
 けんど、後悔した。頭に血が降りてきて気分が悪くなってきたんよ。
「待って待って待ってっ!」
 宿屋に戻って商人さんは預けていた荷物を受け取り、行商に使っている荷車に積み込んだ。車を引くのはロバだ。ロバを車に繋いでるところで、俺は堪えきれなくなって叫んだ。
「何だ?」
「頭に血が上って……じゃない、降りてきて……具合悪いんよ」
「てめぇ、人の背中で吐くなよ?」
 ライディンが掴んでいた俺の足を離した。いきなり、離さんでよっ! 悲鳴を上げる間もなく俺の身体はライディンの背中を滑って、頭から地面に落ちた。
「わっ、ローレン兄様、大丈夫ですか?」
 カスターが驚いて声を上げた。俺は首だけで身体を支えて逆立ちしていた。足はライディンの背中に引っかかっているので、全体重が首にかかっているわけじゃないけんど、この姿勢で大丈夫か? と聞かれたら、大丈夫じゃないと答えるんが、普通やろね。
 俺は両腕で地面を這って首逆立ちの状態から、身体を地面にソロソロと横たえた。
 しばらくして顔を上げると憂いを帯びたカスターの愛らしい顔に出会って、俺は裏腹な答えを返す。
「う、うん、大丈夫よ」
 何か、ますます体調が悪くなってる。背中の痛みだけだったのが、背筋の痛みに吐き気。今、鏡で自分の顔を覗いたら青い顔をしているだろうね。
 なのに、カスターの顔を見てると余計な心配を掛けちゃいけないって思うんね。何だか青緑色の瞳がウルウルと潤んでいるようで、それが俺のことを心配してのことだと思うと良心がチクリとするんよ。あの捨て猫の目だよ。
「でも、お顔の色が悪いですよ、ローレン兄様」
「や、俺は元々健康って顔色してるほうじゃないし」
 三日の絶食後に腐ったミルクやワライダケに手を出す食生活だ。紅顔なんてのは俺には縁のない言葉だよ。
「でも……」
「逆さの状態だったかんね。それでブラブラ揺れてたでしょ、ま、乗り物酔いみたいな感じだよ」
「……お医者様に見せては如何ですか? 背中のお怪我も気になりますし」
「いやいや、それは心配ないよ。もうだいぶ、楽になってきたし」
 俺は立ち上がろうとして、腰に走る激痛に中腰の姿勢で固まった。
「ローレン兄様?」
「だ、大丈夫、うん。何でもないんよ。ちょっと不自然な姿勢だったから」
 首逆立ちの状態の時、ややそり気味だったせいか、腰に負担が掛かったんやろうね。ぎっくり腰というわけじゃないけんど、動きをとろうとすると、ピリピリと痺れに似た痛みが走る。
 誰か、俺を呪ってんの? 俺、呪われるような悪いことした覚えはないんやけんど。
 唇を噛んで何とか背筋を伸ばす。でも、そこまでだった。
「たく、しょうがねぇな」
 ライディンが俺に背中を向けてきた。回し蹴りでも跳んでくるんじゃない? なんて脈絡もない恐怖に冷や汗をかいていると、また膝裏を担がれた。
「わわわっ!」
 背後に反る身体を俺はライディンの首に捕まることで止めた。結果、俺はライディンの背中に負ぶさる形になった。
「これだと両手が塞がるから何かあったときには対処しづらいんだ」
 毒づくライディンにカスターが言った。
「何かあります時は、僕が出ますから、ライディン兄様はローレン兄様をお願いします」
 金茶色の瞳が俺を振り返った。一瞬、俺を見て連れの少年に視線を戻すと、
「ま、いいさ。どうせ、後で釣りが来る」
 意味不明なことを言った。
 こん時、ライディンの言葉の真意を確認しとけば良かったんよね。


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