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 2,おかしな二人 (前編)


 先頭に俺を背負ったライディンが歩いて、やや少し後ろをカスター、その後ろをロバが牽く荷車を先導しながら商人さんが続く。
 ライディンの迷いのない足取りに、俺は不安を覚えて問いかけた。
「どこに向かうか、わかってるん?」
 もう五時間近く歩いているけれど、ライディンには疲れた様子は見えない。俺をずっと背負っているのにだよ? まったく、どんな体力してんのよ。
「バルスコアに行くんなら、国境の関所を通るんだろ? もしかして、通行手形を持ってないとか言うなよ」
「そんな密入国なんてしてないんよ。ちゃんと、手形だって持ってる。そういう二人は本当に俺たちに付き合ってくれる気あんの? 旅の仕度もなしに……」
「金なら持ってるからな、行く先々で必要なもんは揃えるさ」
「通行手形は?」
「そんなものは顔パスでオッケーさ」
「んな、無茶な」
 呆れる俺の目に、カルディアと隣の国との国境沿いの関所が遠いながらも見えてきた。関所の手前にはカルディアの国境警備隊が駐留する塞がある。カルディアも周辺の国みたく小さい国家だ。王制でここらの国の中では一番の歴史がある。今の王様は六十いくつだとかで、この国に立ち寄る時はいつも後継者の話が食堂や宿屋で行商人さんとの話題に上る。
 王様には二人の王子様がいたんだけんど、一人は子供を残してお妃様共々、殺されたって話。それは今から大体十二、三年前のこと。その王子様を殺したんじゃないかって疑われているもう一人の王子様と、死んじゃった王子様の子供……王様にとっては孫にあたる子供が、後継者候補に上げられている。その孫は俺と同じぐらいの年頃だって言う。名前は確か、カスターとか言ったっけ。
 ……あれっ?
 俺は思わず後ろをついてくるカスターを振り返った。
 お孫様とおんなじ名前だ。これって……偶然よね? お孫様にあやかっておんなじ名前をつけたってところだろうね。
 俺の視線に気がついたカスターがニッコリと笑う。
「ローレン兄様はいつ頃からこのお仕事をなさっているのですか?」
「えっーと、十歳の頃から便利屋は始めたんよ。こういう護衛の仕事はここ二、三年やね」
「お前、幾つだ?」
「十五だよ。ライディンさんとカスターさんは?」
「サン付けすんな、気色悪い」
「何なん、それ。知り合ったばかりなんだから、一応、気を使ってんのに」
 ブッーと頬を膨らませる俺にライディンは唇を歪めるように笑う。酷薄な印象。そんな笑い方がライディンにはよく似合う。ワイルド系って言うの? そんな感じ。
「俺は二十五だ。カスターは十二だな。お前より三つ下か」
「へぇー、十二? 大人っぽいね。礼儀もちゃんとしているし、偉いね」
「そんな、僕なんて。いまだ勉強中の身ですのに。僕と同じ年だった時にローレン兄様は自立していらしたなんて、ローレン兄様の方がご立派です」
「いや、俺の場合、自立しなければならんかった状況だったし」
「えっ?」
「俺の親、早くに死んでてさ。親戚なんていなくて、住んでた村の村長さんが引き取ってくれたんだけんど、その人も五年前に死んじゃって」
「まあ、そうなのですか。申し訳ありません、お辛いことを思い出せてしまいました」
 律儀に謝ってくるカスターに、ライディンが鼻を鳴らした。
「似たような境遇で何言ってんだ、お前」
 呆れたようなライディンにカスターは、ちょっとむきになって言い返した。
「でも、僕にはお爺様がいらっしゃいましたし、ライディン兄様も。生活の心配をすることなく育ちました僕はローレン兄様より幸せでありましたから」
「お前さ、何度も教えたろう。他人と自分の環境を比較して、不幸だとか幸せだとか、はかること自体、間違いだって」
 俺は少し驚いたね。ライディンが何だか凄くマトモなことを言ってるんだもん。……って、失礼だよね、知り合ってまだ数時間なのに。
 でもさー、初対面で見せた悪人相手に問答無用の態度はかなり心象悪いよ。もう、それで俺の中でのライディンは、何か無茶苦茶な人ってイメージで固まっちゃったんだよね。
「誰もお前の代わりになれないし、お前もお前以外の誰にもなれやしない。そんな中で、お前と他人の環境を比べたって、どうして同じだって、はかれるんだ? ものさしが違うもので比べて、同じも違うもないんだよ」
 シュンとカスターは目に見えてうなだれた。俺は気の毒になってきた。カスターは俺の環境に同情してくれただけなんよね。
「もっと優しい言い方出来んの、ライディンは」
 たしなめた俺にライディンは金茶色の瞳で振り返った。
「飴と鞭の使い分けは心得ているさ」
 ニヤリと笑い小声で囁いた。
 はっ?
 目を見張っていると、ライディンは少しだけ声音を柔らかくして言った。
「でも、他人の環境に目を向けるというその目線のあり方は悪くない。ただ、同情を相手に悟らせたら、それは相手にとってお前の優位性から見下げられていると誤解される可能性もあるんだぜ?」
 ハッと我に返ったようにカスターは顔を上げた。
「僕はそのようなつもりはっ!」
「わかってるさ。お前の善良さはな。だけど、誰もがお前を善良だと知っているわけじゃない。同時に親の居ないこいつが不幸だって決め付けるものもない」
「あっ……申し訳ありません、ローレン兄様」
「へっ?」
「僕は、僕の価値観で、ローレン兄様のことを不幸だと決め付けてしまいました」
 深々と頭を下げて謝罪してくるカスターに、目を瞬かせる俺。ええっと、俺はこの場合、どうすればいいん?
 カスターの同情はライディンが言うように一部、的外れだったんよ。
 確かにカスターは食うものにも困らない環境で色々な選択肢があって、俺より幸せだったんやろうね。でも、ライディンが言った、似たような環境が親がいないということなら、俺から見ればカスターもおんなじくらい不幸だと思うんよ。
 俺もそうだったように、カスターだって親に甘えたい時もあったと思うんよ。それはお祖父さんがいても、教育係として傍についててくれるライディンがいても、おんなじでしょ?
 だとしたら、かわいそうだ。俺よりまだ三つも年下なんよ。
 俺の方がカスターに同情しちゃう立場なのに、カスターは自分のことを棚上げにして俺に同情してくれた。それは優しさだ。いい子なんよ。
 カスターに大事なのは自分も同じ対象だってことを自覚することなんね、きっと。十二歳という年齢にしては達観しすぎて、自分を別位置に置いている。
 もっと子供らしさを……なんたらかんたらと、俺は思いつくままを口にした。
 カスターは真面目な顔つきで、俺の言葉一つ一つに頷いている。
「…………いや、俺なんかが偉そうに言えた立場じゃないけんど」
 俺はあまりにも真剣に聞き入っているカスターに及び腰になってそう言い訳した。
「どうしてですか? ローレン兄様のご忠告、僕にはとても身に染み入りましたのに」
 カスターは不思議そうに小首を傾げた。少し前のしょぼくれていた気配はなく、頬は健康そうにピンクに染まっている。もしかして、ライディンが言っていた「飴」って俺のことなん? そっとライディンの耳に寄せて小さく問いかけた俺に、彼はいい兄貴っぷりじゃないか、と笑う。
「何なんよ?」
 カスターの機嫌を好転させる言葉なんて幾つも知っているだろうに、ライディンは何で俺に?
「毒を吐いていた奴が甘い菓子をくれてやるなんて言って、どれだけの説得力があると思う?」
「全然、ないよね」
「つまりはそういうことだ」
「でも……カスターってライディンの言うことなら何でも聞きそうだよ?」
「例えば、ここでお前を殺せとカスターに命令してもか?」
「…………」
 恐ろしいことを言う。思わず身を引く俺は、ライディンの背中から転げ落ちそうになって慌ててしがみついた。
「まさか、本気じゃないよね」
「本気だとしたら? カスターはお前を殺すと思うか?」
 少し考えると、それだけはありえないと確信に似たものが、俺の首を振らせた。
「カスターはそんなことしないと思う……っていうか、しないよ、絶対」
 フッと吐息を漏らすように微かにライディンが笑った。
「なかなかに手強いんだ、あのガキは」
 何だか、変なコンビやね。ライディンはカスターを懐柔したいんかな? でも、今一瞬見た表情からは懐柔されないカスターを楽しんでいるみたいな。
「おや、あの行列は何なのでしょう」
 斜め下からの声に俺はカスターを振り返った。少年が見つめる先は街道を塞ぐように立ちはだかる塞の入り口。そこからのびた行列だ。
 カルディアの国境を越えるにはこの塞で出国、入国の審査をパスしないといけない。国境を越えて隣の国でも同じような場所があってそこでも審査が行われる。とはいえ、通行手形の確認で、大して時間をとられるものじゃない。人の出入りが多い時刻でもこんなに行列が出来ることは珍しい。
「何かあったんかな?」
「何かって、何だ」
 俺の呟きを耳聡く聞きつけたライディンが横目で俺を振り返る。
「ああ、別の国でだけんど、やたらと時間を掛けて通行手形を調べられたことがあったんよ」
「それで?」
「後から聞いたら近くの町で人殺しがあってて、その犯人が国境を越えるかもしれないってんで通行手形を入念に調べてたんよ。贋物じゃないかって疑われていたわけね」
「贋物なんて作れるのですか?」
「噂に聞いたところじゃ、それを専門にした業者がいるらしいんよ。手形の申請も手続きとか色々面倒だし、一端、犯罪者の烙印押されると手形の申請はなかなか通らないかんね」
「詳しいな」
「俺もね、申請に手間取った方なんよ。保護者がいないし、年齢が年齢だったからね。申請して、実際に手形を貰えるまで、半年近く掛かったから。俺みたいな人多いみたいで、そうなると手っ取り早く贋物を作ろうとする人いるみたいね。何度か、贋物の通行手形使って捕まった人、見たよ」
「その時の殺人犯も偽の手形を使って国境を越えようとしていたと?」
「名前はわかっていたから、国境を越えるとなれば贋物を作らないと駄目じゃない」
「何でそのような危険をおかして国境を越えるのでしょう?」
「国が違えば警察組織なんかが変わってくるからね。追跡されにくいんよ、国外に逃げたほうが。もっと、国同士協力すればいいと思うんやけど」
「仲良しこよしでいられたら、戦争なんてものがこの世にあるかよ」
 ライディンは鼻で笑った。認めたくないけんど、俺も同意見だ。
「……やね」
「でも、ちゃんと話あえば争わずに仲良く出来るはずです」
 カスターが青臭い理想論を語る。
「うん、そうなったら本当にいいけんど、人間って自己主義だからね、まず自分の言い分を通そうとするんよ。人の話を聞く前に、そこで全部にかたを付けようとするから、折り合いだとか妥協もなしに相手をねじ伏せよとする」
「自分の理想を押し付けていたら駄目ってことだな」
 ライディンがカスターに意味ありげな視線を向けた。
「僕は……」
「立派な志も良いが、お前だけで世界が成り立っているわけじゃない。もっと世界に見合った思想を持ったらどうだ?」
「僕は人間とは皆、理解しあえる生き物だと思っています」
「幻想だ。人間なんてそんな高尚な生き物じゃねぇよ」
「そんな」
「あのな、本気で理解しあえるのなら、お前に言われるまでもなく、もっと賢く生きてるだろうよ。戦争なんてもので全部を灰にするような真似もしなくてな」
 ライディンが言っているのは多分、俺の国のことだと思った。
 バルスコアも元々は王制だった。時の王様が欲を出して隣の国に侵攻したんが戦争の始まり。結局、負けて王様は殺された。隣の国の支配下に置かれての生活が始まるのだと思っていた。植民地になって奴隷として暮らすのか、そう戦々恐々としていたらしい大人たちだったけんど、隣の国では内乱が起こってこっちの国のことなんて構っていられなくなった。
 その後のバルスコアはまさに、捨てられた子犬や子猫みたいだった。生きるすべを身に付けなければ、のたれ死んでしまうから、大人たちは自治政府を作った。それがようやく、ここ最近になって国をマトモに動かし始めたけんど、冷静な目でみれば王様が欲を出さずに堅実に自分の国を治めていれば、バルスコアは灰にならずに済んだだろう。
 王様の周りには戦争に反対する人もいただろう。その言葉に耳を傾けていれば。
 そんな思ってもしょうがないことが、俺の頭を過ぎる。
 そうして、俺はカスターの理想よりはライディンの現実を受け入れてしまう。理想は理想なんやろうね。
「それでも、僕は人は人を理解出来ると信じています」
 カスターは挑むような目線でライディンを見上げる。ライディンはまたフッと鼻先で笑って、吐き捨てるように言った。
「信じたきゃ信じればいい。嫌でも、そのうち人間の馬鹿さ加減を見ることになるさ」
 意味深な言葉に首を傾げる俺だけんど、何だか聞くのが怖くて止めた。
 そうこうしている間に俺たちは行列近くまでやって来た。
「これに並ぶの? 顔パスじゃなかったん」
 少しだけ嫌味を込めた俺にライディンは金茶色の目で振り返った。一瞬、睨まれたと思ったけんど、よくよく見れば唇は笑みを刻んでる。
「顔パスだ。行くぞ」
 ライディンが促し、カスターが続いた。商人さんは戸惑っていたが、カスターが手招きするのでついてきた。俺たちは並んだ行列の横を先頭へと歩いていく。並んでいる人たちは俺たちが割り込みするんじゃないかという目でこちらを見ている。その視線に俺は顔を伏せた。ただでさえ、ライディンに背負われている格好で恥ずかしいのに。これ以上、注目浴びたら顔から火が出るだろうね。
 ライディンはそんな視線など、どこ吹く風だ。塞の入り口に設けられた審査受付に真っ直ぐ進んでいく。
 受付には国境警備隊の制服を着た男の人たちが五、六人、手分けして通行手形の検分をして荷物のチェックをしていた。荷の中身を用意したテーブルの上に広げてのチェックは今まで何度もこの塞を抜けてきた俺でも初めて見る光景だった。一体、何があったんやろうね。
 ふと、警備兵の一人が顔を上げて近づいてくる俺たちに目を見張った。突撃するような勢いで歩いてくるライディンに驚いたんか何なんか、ややあってその人は喉の奥、ヒッという悲鳴を上げて後退し、足をもつれさせては尻餅をついた。
 そして、「わあぁぁぁぁぁっ!」って大音量の悲鳴を発して塞内部に逃げていった。
 仰天したのは俺だけじゃない。周りの人たちも目を丸くしている。中でも驚いているのが警備隊の人たちだ。さっきの男の人ほどではないにしろ、怯えに似たものを顔に貼り付け、強張らせている。
「よう、マリア隊長はいるか?」
 ライディンは一人の警備兵に顔を向けた。その人もやっぱり、喉の奥で悲鳴を上げる。
「聞こえなかったか?」
 返事を返さない警備兵に、やや凄むように声を低くしてライディンは再び問う。
「マリア隊長はどこにいる?」
「中におられます」
「そうか、じゃあ、呼んで来てもらおうか」
 警備兵はコクコクと頷いたが、暫くそこに立ったまま泣き出しそうな顔で訴えてきた。
「……動けません」
 持ち場を離れられない、というわけではなさそうだ。顔色は真っ青で、まるで幽霊でも見ているようだ。腰でも抜かしたんか? と思ってしまう。
 チッと舌打ちして、首を巡らせると他の警備兵たちはライディンの視線から逃げ出していった。
「マリアを呼びに行ったという感じじゃねぇな」
 何だか、化け物にでも出くわしたような感じやね。何なんだろう。
「こっちから出向くしかないか、中に入らせてもらうぞ」
 ライディンの問いに、一人だけ動けずにいた警備兵は、首が千切れんばかりの勢いで頷いた。
「どうぞどうぞどうぞっ!」
「…………」
 ライディンは俺を背負ったまま軽く肩を竦めた。最初に逃げた警備兵の後を追うように塞内部に入る。後ろで、カスターの「お勤めご苦労様です」という朗らかな声が聞こえる。
 俺はどうしても気になって、ライディンに問いかけた。
「あん人ら、知り合いなん?」
「知り合いって言ったら知り合いだな」
「何か、物凄く恐れられているみたいな感じやったけんど、何したん?」
「何って、ちょっと部下の鍛錬に付き合ってくれと言われて、相手してやっただけだ。まあ、それで十人中十人を全身骨折の重傷で治療院送りにしただけだよな?」
 後ろのカスターに確認を取る。少年は笑顔で頷いた。
「はい。あの時のライディン兄様は凄かったです。五人に囲まれてしまったところ、一人の足を掴みましてこうぐるりと一回転、振り回して」
 平和主義者に見えたカスターは、腕を振り回しながらライディンの武勇伝を嬉々として語った。素人の俺にすればライディンの馬鹿力には恐れをなすし、それでライディンの顔を見て逃げ出した警備兵の気持ちが痛いほどよくわかるんやけどね。
「カスターはライディンがやりすぎたとは思わんの?」
「やりすぎですか?」
 小首を傾げるカスターは少し考えるような間を置いた。
「でも、真剣勝負の場では手加減することは相手にとって失礼なのでは?」
「……なるほど、相手に礼儀を尽くしたからこそ、全身骨折の重傷者を十人?」
「結果的に不幸なことでしたけれど」
「……ああ、それは気の毒やね」
 俺は本気で心配したね。ライディンをカスターの教育係にしていて大丈夫なん?
 塞の内部、城壁に囲まれた内側は中庭のような広場だ。奥に建物が見えると、そちらの入り口から凄い勢いで走ってくる人が見えた。栗色の長い髪を振り乱して、駆けて来るのは女の人だ。マリアって言っていた隊長さんかな。
「あ、マリア姉様」
 カスターがそう呟くのが聞こえた。ふーん、国境警備隊の隊長さんは女の人だったんだ。制服の上に羽織った長衣の裾がマントのようにはためいている。
 顔の判別がつく距離まで近づくと、隊長さんは叫んだ。
「貴様っ! どの面下げて、私の前に顔出すかっ!」
 美人顔を歪め、顔を真っ赤にして噛み付くように喚く隊長さんに、ライディンは冷静な声で返す。
「どの面って顔を簡単に挿げ替えられるか、常識を考えて物を言え。それと、俺しか見えてないようだから言うが、ここにカスターがいるぞ」
「殿下っ!」
 隊長さんが再び叫んだ。俺は驚かなかったね。ライディンのすることだもの、大事な国の後継者をお城から連れ出すことも平気でやってしまいそうじゃない? カスターの名前が王様のお孫様と同じ名前だと気がついた時から、なんとなくこの展開を読んでいたけど。まさか、ホントだったとはね。
 ……いや、本音を言うなら、ちょっと、ビックリしたよ。
「お元気でしたか? お久しぶりです、マリア姉様」
 カスターは絶句して立ち尽くす隊長さんに、頭を下げて挨拶した。
「……殿下、またこの男によからぬ事を吹き込まれたのですか。何度も言いますように、この男の言動を真に受けてはなりません」
 頭を抱えながら隊長さんは訴えた。
「おいおい、俺がカスターをそそのかしてここに来たみたいな言い方をするが、俺は何も言ってやしないぜ」
「はい。ライディン兄様は、ただ御爺様の後を継ぐのであれば、今よりいっそうの見聞を広めるべきだと教えてくださいまして、それでは、どうすれば良いのでしょうと問いましたところ、市井の様子を見るのもまた勉強になると教えて頂きましたので、僕が僕自身の考えを持ちましてお爺様に許可を頂いて城を出てまいりました」
「陛下はご存知なのですね?」
 ホッとあからさまに安堵の表情を浮かべる隊長さんに俺は申し訳なくなった。
 確かにカスターは王様から外出の許可を取ったんだろうけんど、城をこれから四日近く空けることは誰も知ってはいないはずだ。
 俺たちの旅に同行することになったのは成り行きだったし、それがカスター自身が言い出したことでも……今までに見るカスターの性格からすれば一度言い出したことを撤回するようなことをしないだろう……これからお城での騒動を思うと、俺は後ろめたい。
「はい、お爺様もご承知です。ライディン兄様がご一緒だから、とお許しくださいました」
 ライディンの護衛としての腕前に寄せた信頼なのか、それとも教育係としての? 後者だとしたら王様はライディンに騙されているんじゃないかと思ってしまうんやけどね。
「この男こそ、一番危ないと思うのですが」
 隊長さんは横目でライディンを見ながら呻いた。うーん、この隊長さんはライディン対して俺とおんなじような見解を持っているみたいやね。さっきの怒髪天をつく様子から、ライディンは相当に隊長さんに嫌われているみたいやけど。
「どうしてですか? ライディン兄様ほど腕の立つお人はおりませんのに」
「確かにこの男は強い。ですが、我が国の国境警備隊員の主力を治療院送りにするような男ですよ? おかげで、こちらは人員不足で、もし、この時、隣国に侵略行為が見られたならどうなったと思います?」
「……お前が、部下を鍛えてくれと言うから、ちょっと相手をしてやっただけだぞ、俺は」
「大怪我負わすほど、本気になるな」
「馬鹿か、あの程度の奴らを俺が本気で相手したと思ってんのか。俺は十分の一しか、手の内を見せてないぞ。お前こそ、部下を甘やかしすぎだ。十人掛かって、誰一人として俺を捕まえることすらできなかったじゃないか」
「己の常識外れを威張るなっ!」
 隊長さんは叫んでから、ゼイハアと大きく肩で息を吐いた。
「大体、何の真似だ。貴様から私の前に現れるなんて」
「ああ、それは簡単だ。俺たちの通行手形を作れ」
「はあ?」
 呆気にとられた顔で隊長さんはライディンを見た。それはそうだ。通行手形を必要とするのは他でもない国境を越えるからで、王様がいかにカスターに社会勉強と称して外出を許可しても国外までは許さないでしょ。常識的に考えて、俺でもわかるよ。
「通行手形?」
「お前の権限で作れるだろう、俺とカスターの分。仮のやつでいい、今すぐ作れ」
 ライディンは命令口調で言った。物を頼む態度かね、それ。
「何をふざけたことを言い出すんだ、貴様は」
「ふざけたこと?」
「そうだろうが、殿下を国外に連れ出すなど冗談でも質が悪いわっ! 今のところ、隣国との関係は友好的だ。だが、そこへ我が国の王族が勝手に入国して変に誤解をされて問題になったらどう責任取るつもりだ」
「俺ら二人で戦争仕掛けに行くとでも言うのか、馬鹿が。何も手形に俺らの本当の身元を記す必要なんざ、無いだろうが」
「馬鹿馬鹿言うな」
 顔を真っ赤に隊長さんは地団駄を踏む。せっかくの美人が台無しだ。
「たかだが小僧のお使いを国交問題まで持ち上げてんじゃねぇよ」
「お使いだと? 一体、何を企んでいるんだ、貴様は」
「俺を首謀者みたいに言うな。カスターがこいつらをバルスコアまで送っていくと言い出したんだぞ」
 そこで隊長さんはライディンの背中に張り付いた俺を見つけた。
「何だ、その子供は。お前の子供か」
「ああ、俺が十歳の時に生んだ子だ」
 冗談を冗談で返されて、隊長さんは叫んだ。
「男が子供を生めるわけないだろうがっ!」
「んなこと、常識で知っている」
 殆ど、無感情に近い声でライディンは言った。ライディンにだけは常識を語って欲しくないと思うんは俺だけ?
「ああ、ご紹介が遅れましたね」
 現状のピリピリした空気をまったく意に介さずに、カスターがのほほんとした声で口を挟む。
「こちらは国境警備隊隊長のマリア姉様です。姉様、こちらは先程、お知り合いになりました行商人さんのパーレン兄様と便利屋さんという人々のお役に立つお仕事をなされているローレン兄様です」
 人の役に立つなんて、大げさやね。子守や農家の手伝いという小銭稼ぎの仕事が殆どなんやけど。
 俺を見つめる隊長さんに、俺は軽く会釈をして名乗った。
「どうも、ローレン言います」
「……マリアだ」
 隊長さんは改めてそう名乗った。俺なんかにわざわざ。律儀な人なんやろうね。絶対にライディンとは合いそうにない。俺は確信を持った。
「どういうことですか?」
 マリア隊長さんはカスターに問いただす。ライディン相手には話が進まないと判断したんやろうね、きっと。
「はい、実はローレン兄様とパーレン兄様が暴漢に襲われているところを、僕とライディン兄様は出くわしたのです。勿論、暴漢はライディン兄様がお片づけになり」
 あっさりと自分の手柄を省略したカスターに、マリア隊長さんはライディンを振り返った。
「まさか、殺してはおるまいな」
「カスターの前でそんなこと出来るかよ。後々、うるさいんだ」
 うるさくなければ、殺していたとでも言いたげやね、この人は。俺はつくづく、ライディンの無茶苦茶な性格に呆れる。
 渋面を作ったマリア隊長さんはカスターに向き直って話を促す。
「そこでローレン兄様たちがバルスコアからお出でになった方たちで、これからお国にお帰りなることを聞いたのですが、ローレン兄様は暴漢に襲われた折にお怪我をなさったようで」
「いや、大したことはないんやけどね」
 俺はマリア隊長さんに軽く手を振った。ライディンに背負われているこの格好では説得力に欠けるやろうけど、もう背中の痛みはかなり引いてきた。
「ですが、バルスコアまでは大変な道のりです。ローレン兄様のお怪我が気になりまして、僕のほうから同行をお願いしたのです」
「いや、しかし……」
「お爺様には困っている人々を助けるように教わりました。それは僕の信条でもありますれば、ローレン兄様たちとお別れするのは忍びありません。道中、お倒れにでもなったら大変ですもの」
「殿下のお志はご立派ですが、やはり殿下ご自身のご同行は。そうです、我が警備隊の者に送らせましょう」
 妥協策を持ち出したマリア隊長さんにライディンが冷たく言った。
「腕の立たない奴らで山越えか。こいつの話に寄れば山には山賊が出ると言うぞ」
「それなら尚のこと、二人だけでなど」
「お前らのとこの役立たずよりカスター一人のほうがどれだけ腕が立つか、お前だって承知だろうが。カスターをここに止めようとするのはわからんでもないが、こいつの意気地を挫くような真似をするな」
「……しかし」
「俺がついているんだ、お前らが心配するようなことにはなんねぇよ」
「貴様だから心配だというのに」
 マリア隊長さんは呻いてカスターを見つめる。少年はニッコリと笑って言った。
「大丈夫ですよ、マリア姉様。どうか、僕を信じてください」
「……わかりました。通行手形を用意しましょう」
 不承不承頷いて、マリア隊長さんは踵を返した。その後をライディンはついていきながら、カスターを振り返った。
「カスター、お前はそこでそいつと待ってな」
「わかりました」
 素直に頷いてカスターは商人さんとその場に止まった。


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