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 8,さよならの後に


 コンコンとドアがノックされた。俺は荷造りを止めて、ドアを振り返った。
「はい、どうぞ」
 ドアを開けて入ってきたのは少し小太りの人の良さそうなおじさん。
 誰? 初めて見る顔だ。ここにやって来る知り合いはライディンとカスターだけのはずだけんど。
 そのカスターは今日はお城で大事な行事があって来られない。だから、ライディンも来られないはずで、だから俺は丁度いいから、今日、バルスコアに帰ろうと思った。
 ……ああ、ちょっと唐突すぎたね。今の俺の状況を説明しなきゃ、話が見えないよね。


 ライディンが仕組んだ一連の騒動が終わって、俺たちは屋敷を出たんよ。すると、今まさに突入体制のマリア隊長さん以下、国境警備隊の人たちと出くわした。マリア隊長さんは屋敷を一周した後、途中で合流するはずの俺の姿がどこにも見当たらないことで何かあったと察したらしい。そこで、乗り込んでいくかどうかを思案して、ライディンには敵わないし、自分まで捕まってしまってはカスターを助けることができなくなるという判断から、遅れて到着する警備隊を待った。そして、突入の号令を出すだけの場面でいきなり俺たちが現れたから……申し訳ないけんど、マリア隊長さんはかなり間抜けな顔で硬直した。
 そこへ、開口一番のライディンの一言は「遅い」だった。
「遅ぇよ、お前ら。あんまり遅いから、俺が一人でカスターを助けてしまったじゃねぇか。せっかく、国境警備隊に花をもたせてやろうとしたってのに、何をやってたんだ?」
「……はあ?」
 目を丸くして問い返す隊長さん。ライディンの背中で俺も目を瞬かせた。
 何? 何か、激しく事実と異なることを言ってるように聞こえるんやけんど。幻聴?
「ああ、もうそんなことはどうでもいい。奥の部屋にカスター誘拐犯をふん縛ってあるから、後の処理は任せた」
「ゆ、誘拐?」
「何だよ、ローレンを知らせに走らせただろうが。聞いてないのか? 俺の名を騙って、カスターを誘拐した奴が、これまた俺の屋敷を現場に取引を持ちかけて来やがったんだ。おそらくは、俺に濡れ衣をきせて失脚を狙ったんだろうが、馬鹿な奴らだ。誰を相手にしてると思ってんだ。返り討ちにして、とっ捕まえてやった。俺らはこのまま城に戻る。爺にショック死されたら困るからな」
 と出鱈目もいいところの話をでっち上げて、ライディンはゆうゆうと国境警備隊の間をすり抜けていった。
 無茶苦茶だっていうのはわかってたつもりだったけんど、ここまでとはね。自分のやらかしたことをあっさり、なかったことにしちゃってるよ。
 後で聞いた話だけんど、王族が犯罪に係わっていたというのは、やっぱり心象がよくないらしい。それに、暗殺者を捕まえてもアルフレッドの後ろ盾がある以上は、暗殺犯として公に裁けない。そこで、ライディンはとっさに誘拐犯に仕立て上げた。これなら、アルフレッドの存在と切り離して裁ける。そして、アルフレッドは表向きで病気療養することになった。これは事実上、幽閉処分なんだって。この事実を知るのはお城の一部の人だけらしい。
 まあ、これでカスターを狙う人間はいなくなった。王位継承者候補も消えて、カスターが事実上、王様の後継者になったわけだ。
 そして、俺はというとお城の近くの治療院に放り込まれた。二日は打ち身がひどくて殆ど起き上がれなかったけんど、六日目になると身体を動かしても不自由はなくなった。
 そこでそろそろ、俺としてもバルスコアの家に帰らなきゃと思うようになる。鉢植えが枯れちゃう前にね。で、荷物を詰めていたというわけで……。


「どちらさん?」
 俺はおじさんに尋ねる。もしかして、治療院の関係者? 利用料金を請求に来たとか……。
 ちょっと、待ってよ。ここを手配したライディンは経費はお城の方で落とすから、金の心配はするなって言ったんよ? ……あれ、嘘だったとか?
 うわっ! ライディンだったらあり得そう。……マ、マリア隊長さんから一応、宝石を取り戻してくれた謝礼金として、お金貰ったけんど……それで足りるかね?
 慌てて財布の中身を確認する俺に、おじさんが「よろしいかね?」と穏やかな声で尋ねてきた。
「あ、うん、どうぞ」
「私はハートネットというものだ。今回は愚息が多大な迷惑をかけたようで、謝りにきたのだよ」
「えっと、もしかして……ライディンのお父さん?」
 俺の問いにおじさんは頷いた。
 俺はビックリして、マジマジとおじさんの姿を上から下へと眺め回してしまった。
 だって、全然似てないんだもん。
 ……そういえば、アルフレッドにライディンはお父さんが本当のお父さんじゃないって言ってた。それってホントのことだったみたいだ。どこにもライディンの面影を見つけることはできない。
「……本当に申し訳ない。うちの息子は親の私でも理解しかねることを度々、やらかして。今回もカスター様を国外へ連れ出していたとか」
「あ、それは……カスターが言い出したことなんよ。俺が怪我したのを見かねて、助けてくれようとしたんよ」
「一応、カスター様からもそう聞いてはおるのだが。後の騒動はうちの息子の仕業なのだろう? 君の怪我も」
「あ、まあ、……でも、終わりよければ全て良しって言うし」
「君はうちの息子を恨まないのかね? ひどい仕打ちを受けたのだろう。あれは人を侮辱することを前提にしたような話し方をする。嫌な思いを沢山したのではないのかね?」
 と言うおじさんの問いに俺は考えた。
「ええっと、怖い思いはさせられたのは確かだけんど。嫌な思いは……そんなになかったと思うんよ。結構、優しくしてくれたしね?」
 俺を利用するためとはいえ、歩けない俺を背負ってくれたし、薬も塗ってくれた。……うん、そんなに嫌な思いはしてないね。
 笑っておじさんに目線を返すと、おじさんは呆れたような顔で俺を見ていた。
「今の息子を優しいと、褒めてくれるのはカスター様と陛下だけだと思っていたよ」
 ややあって泣き出しそうでいながら、それでも嬉しそうにおじさんは笑う。
 昔、おじさんにとってライディンは自慢の息子だったんだろうね。でも、急激に変わってしまったライディンに、おじさんは戸惑いから抜け切れていないみたいだ。
「俺……昔のライディンなんて知らないけんど、今のライディンはそんなに嫌いじゃないよ。強いし……口は悪いけんど、そんなに間違っていることを言ってるわけじゃないよね。聞いてて、俺、考え方を改めさせてもらったんだよ。そういうの、ホント、良かったって思うんよ」
「ありがとう」
「お礼言われることじゃないと思うけんど」
 戸惑う俺は、おじさんの後ろに話の本人が立っているのに気付いた。
「ライディンっ!」
 何でここにいんの? 今日は来られないはずなのに。
 仰天して声が出せない俺の前に、ライディンは部屋を横切ってやってきた。自分のお父さんを完全に無視して、俺に向かって言う。
「お前のことだから、今日あたり逃げ出すだろうと思ってな」
「逃げ出すなんて……人聞きの悪い」
 ライディンに言葉を返しながら、俺はおじさんを見た。おじさんは何だか、さっきより一回り小さくなったように俺の目には写った。そりゃ、息子に無視されたら立場ないよね。
「実際に、逃げ出そうとしてるじゃないか。荷造りなんかして」
 病室の寝台の上に広げた俺の荷物に目をやって、ライディンはつと手を伸ばしては一冊のノートを取った。
「何だ、これ?」
「あ、それは日記みたいなもんやね。どんな仕事をしたか、記録してんの。後々、トラブルに巻き込まれた時のためやね」
「ふーん、学校行ってないわりに字も書けるんだな」
 感心したように呟いて、ライディンはノートを捲ってく。
 ああ、何を勝手に読んでんのよ。ここ、数日、動けなくて暇だったからパーレンさんの仕事の依頼から始まって、今回の一連の騒動まで書いちゃったよ。ライディンのことを無茶苦茶だとか最強最悪だとか、色々書いてるんよ。それを読まれたら、闇討ちにあうかも……。
 戦々恐々と震えている俺に、おじさんが控えめな声をかけてきた。
「それでは、私はここで失礼させてもらうよ」
「あ、え、……うん」
「本当にありがとう。もし、何か困ったことがあったら言ってきてくれ」
「あ、それは、こっちこそ、あんがとね」
 俺の言葉に頷いて、おじさんは開けっ放しのドアから出て行った。
 チラリとライディンを見上げると、おじさんの後姿を横目で見送った後、一瞬だけんど、端正な顔に苦い表情が過ぎらせた。それは俺の目の錯覚とかじゃないと思う。
「……俺、ライディンが変わった理由、わかったかも」
 ポツリと呟いた俺を、ライディンは小首を傾げて見下ろしてきた。
「何だって?」
「……ライディンはあのお父さんに自分を見限って欲しいんじゃないん?」
「……ほう、それで」
 笑って俺を促してくる。
 えーと、もしかして、俺の考えって間違ってる? それで馬鹿にして笑ってるん?
 薄く笑みを浮かべたライディンの表情からは何も見えない。わかんない。けんど、言葉を引っ込められる状況ではなさそうなんで、俺は続けた。
「ライディンが言ってたでしょ、自慢の息子だったって。それはさ、裏を返せば自慢の父親だったんじゃないかなって、思ったんよ」
「…………」
 無言で、ただ笑っているライディン。その沈黙が怖くて俺は口を開く。
「で、実は血が繋がっていないことを知ったライディンは、お父さんを裏切ってしまっている自分を、お父さんのほうから切って欲しかった……それで」
 ライディンが期待とか、裏切りにこだわっているのは、他でもない自分自身がそれを求められて果たせなかったから。
 カスターにおんなじことを求めて、それを試して、変わらないでいることを確認したかったのは、きっと、例え、どんなことがあっても変わらないものがあるのだということを信じたいからだ。
 血が繋がっていなくても、お父さんと自分の間に築かれた信頼関係は不変だと。そう確信したいからだ……って、俺は思うんやけど、違う?
 見上げた俺にライディンは笑ったまま言った。
「俺が、女が泣くの嫌いなわけは……俺の母親がそういう女だからだ」
「お母さん?」
「不実の子であることを知った俺が、母親に事実を突き詰めると、あの女は泣いて訴えてきたんだ。これを親父には言わないでくれってな」
「これって……ライディンが違う人の子供だってこと?」
「ああ」
「何で? ……そりゃ、お父さんにしてみればショックだと思うし。隠せることなら隠しておきたい気持ちはわかるけんど」
 大人の関係はハッキリ言って俺にはわかんないよ。
「そういう理由だったら、俺もまだ許せたかもな。だが、あの女は自分の病気が金を必要とする大病で、この事実が知れて家から追い出されることを心配したんだ。親父の心情より、自分の身を優先させやがった。それを泣いてこっちに言ってくる。お前は私を見捨てるのかってな」
「…………ライディンは」
「そこで一番腹立たしいことは、当時の俺は、その母親を見捨てられなかったってことだ」
 おじさんに対する裏切りを黙認してしまった。
 それが誠実で優しく真っ直ぐだった昔のライディンにとって、どれだけ心を痛めるものだったのか。
 実の母親と自慢の父親、どちらも選べなくて、どちらにも誠実でいることができなかったライディンは、そこで誠実であることを止めたわけだ。
「……いや、違うか。何だかんだと言いながら、親父との関係を父子としてつなぎとめておきたかったのかもしれない」
「……ライディンはお父さんが、何があっても自分を突き放すことなんてないのを知ってるんよ。だから、嫌われるようなことも、平気でできるんだと俺は思うんよ」
 実際にお父さんを見て、口では愚息なんて言いながら、ライディンに好意を示した俺をありがとう、と言った。
 ライディンを思っていなきゃ言わないことでしょ? ……まあ、俺には家族がいないから結局は想像だけんどね。
「お前、ホント、聡いな。頭の良い奴、俺は嫌いじゃないぜ」
 ライディンがニヤニヤと笑う。
 俺が密かにライディンを恐れているのを知ってての、言動だろうね。気に入られたら、カスターみたいにろくな目に遭いやしないんだから。
 できれば、遠くから眺める程度にお願いしたいよ。
「……それで、お前は逃げるわけか」
「だから、逃げるってのは何なんよ。俺は帰るだけでしょ、自分の家に」
「逃げるんだろ、カスターから」
 言って、ライディンはノートを返してきた。
 俺は内心を言い当てられて顔が引きつるのを自覚した。
「他人の心情に聡いのは、自分だけだと思うな。人生経験だけなら、お前は俺には勝てねぇよ。お前、カスターに惚れただろう」
「……それは言わぬが花ってもんでしょうが。何をあっさりバラすわけ?」
 顔を顰めてライディンを見上げる。
 ライディンはいつもの意地悪そうな薄笑いを浮かべて、斜めに俺を見下してきた。
「身分違いだとか、考えてんだろ。それでまだ、情が深くないうちに縁を切ってしまおうってな」
「相手は王様……女王様になる相手じゃん、俺が好きになってもどうしようもないでしょ」
 今日、カスターがここに来れないのは、お城で十三歳の誕生日を祝う式典があるからだ。そこで、カスターが正式に王様の後継者として発表される。
 そうなればもう、完璧に俺とは世界が違う人だ。
「浅はかだな。断ち切る相手を助けに来た時点で、もうその相手は、自分にとって腐れ縁だっての気付けよ。好きになっても、なんて言い訳は、もうお前には当てはまらんだろう」
 そんなことは言われんでも……わかってる。
「……俺にどうしろって、言うんよ」
「別に? お前がどういう選択を選ぼうが、俺には関係のないことだ。どうぞ、帰りたきゃ帰れよ」
 ライディンは突き放すように言ってきた。
 もう少し、思いやりというものを持ったらどんなんだ、この男。
「言われなくても、帰るよ。ああ、カスターにさよならって伝えといて。カスターと会えて良かったって」
「ああ、伝えといてやるよ。もう二度と顔も見たくないって、言ってたってな」
「なっ?」
 唖然と振り返る俺をライディンは鼻先で笑った。
「端的に言えばそうだろう?」
 二度と会えないと、会いたくないは、断然別ものでしょうが。結果的に会わないということを意味しているとしても。……まあ、嫌われたほうがいいかもね。少なくとも、俺のほうからカスターに会うなんてできやしないんだから。
「……アンタ、最悪だね」
 俺がそうぼやくのをライディンが訂正した。
「最高の間違いだろう」
「……最高に最悪のね」
 プイッとそっぽを向いて、俺は荷造りを再開した。その背中にライディンが言ってきた。
「ああ、爺がな、お前が国に帰る際は誰か護衛として同行するように言ったんだ。外に、待たせてある」
「護衛?」
「また、途中で盗賊にでも襲われたら、問題だと思っているんだろう。一応、お前は建前上、カスターを誘拐犯から助けるために一役買ったことになっているんだからな。命の恩人と言っても過言じゃないだろう」
「……誘拐なんて、アンタの口からのでまかせでしょうが」
「どっちにしろ、奴も仕事でここに来てるんだ。面倒でも同行させろ。道中の宿泊費は奴が出してくれることになる」
「……わかった」
 宿泊費と聞いて、現金な俺は護衛の同行を承諾した。
 宝石の謝礼金は大事にとっておかなきゃね。次の仕事がどんなもんか、わかんないんだもん。まあ、とりあえず、自分の中で気持ちが整理できるまでは、カルディアに来るような仕事は避けたいかな。
 ホント言うと、俺みたいな立場で仕事なんて選べやしないんやけどね。
 荷物を詰め込み終わると、それを背負う。病室を出て玄関口に向かう俺の後ろを、監視するようにライディンが付いてきた。
 いきなり蹴り倒されることはないと思うんやけどね。さっき、日記を見られているので……闇討ちが少し怖い。
 治療院の玄関に出ると、そこにいたのはマリア隊長さんだ。脇には立派な馬が一頭。
「あれ、もしかして護衛って……」
「ああ、私だ。道中、よろしく頼む」
「あ、こっちこそ。よろしくね」
 律儀な隊長さんに俺もおんなじように返した。
「では行こうか」
 隊長さんは馬に跨ると俺を引っ張り上げて自分の前に乗せた。
「馬で行くんだ?」
「そんなに早くは走らせない。私はライディンのように背負ってやることができないからな」
「別に……身体はもう平気だよ」
 密着したこの状態が続くというのは、ちょっと……。
 俺の照れを察したライディンが一言添えてきた。
「寝ていた間、基本的な体力が落ちてるんだ。今までみたいに歩いて山越えなんて、お前が考えるよりしんどいぞ。黙って乗っておけ」
「あ、……うん」
 ライディンに頷く俺に、マリア隊長さんが良いか? と尋ねてきた。
「あ、ライディン……ええっと、色々、あんがとね。さよなら」
 俺は馬上からライディンを見下ろして、言った。
 うん、おじさんに言ったように、俺はやっぱりライディンのこと嫌いじゃないね。
「……ライディンにも会えて良かったと思うんよ」
 そう言った俺を見上げると、ライディンは虫を払うかのように手を動かした。
「お前の感想なんか俺が知るか。しかもとってつけたような言い方だな。面白くもない」
 吐き捨てて、サッサと踵を返す。見送りに来てくれたわけじゃなかったん?
 逆に呆然と見送るはめになった俺の頭の上で、マリア隊長さんの盛大なため息。
「別れの物悲しい情緒も何もない奴だ」
 ……ああ、ホント。何だか、さよならって感じじゃなくなったよ。
「では、行こうか」


 四日目に俺とマリア隊長さんはバルスコアに入った。普通、二日のところを四日掛かったのは途中で馬が足を痛めたらしいと言って、宿に二泊したからだ。
「あ、……あの角を曲がった先の奥が俺の家なんよ」
 案内する道を隊長さんが馬を歩かせる。角を曲がって、通りの奥まった先に俺の小さな家が見えてくる。
 家の前に辿り着いて、俺は隊長さんを振り返って礼を言う。
「あんがとね、送ってもらって」
「いや、これも私の仕事であるから……」
 一瞬だけ、隊長さんの表情が何か言いたげに揺れた。
 ……? 首を傾げたところで、いきなり聞き覚えのある声が俺の耳に飛び込んできた。
「お帰りなさいませ、兄様っ!」
 俺の家から飛び出してきたのは他でもないカスターだった。何でここにいんの?
「カスターっ?」
 身を乗り出して馬上から転げ落ちそうになる。ギリギリでマリア隊長さんが俺の襟首を引っつかんで引き戻してくれた。あ、危なかった……。
「大丈夫ですか、ローレン兄様」
「あ、うん……大丈夫よ」
 心臓バクバク言ってるよ。さすがに馬の上から落ちたらヤバイよね。でも、やっぱり、カスターの前だと大丈夫だって言ってしまうんね。
「どうして、ここにいんの?」
「ライディン兄様にお聞きになっていませんか? 僕、ローレン兄様の下で社会勉強をさせて頂くことになったのですけど」
「何、それ?」
 思わずマリア隊長さんを振り返ると、隊長さんは慌てて俺から視線を逸らした。
「隊長さん、知ってたんねっ!」
 隊長さんが俺に同行したのは俺を途中で足止めするためだったんだ。明らかに俺たちより後にカルディアを発ったライディンたちが俺より先に家に辿り着くためには、俺たちを追い越すしかない。
「私は……ライディンに……口止めされていて」
「やっぱ、口の堅い女はいいな」
 カスターの後ろから現れたライディンが流し目を送った。マリア隊長さんは顔を真っ赤にして「いや、そんな」と大いに照れまくってる。
「ライディンっ! これ、どういうこと?」
「カスターが言ったまんまだ。お前の仕事を手伝うことで、カスターに市井についての勉強をさせようってことになったのさ。世間知らずもよいところだろ、このガキは」
「お恥ずかしい限りです」
 ライディンの言葉にカスターは身体を小さくした。
「でも、そんなこと……」
 お城の人たちが許すの?
 信じられない思いでいる俺を前にライディンが語りだす。
「カスターが俺の名前を騙られただけでノコノコとついていって誘拐されたのは、世間に対する無知が原因だろう。城内部で大切に育てられて純粋無垢も良いが、それで悪人に利用される傀儡の王になっても良いのか? カスターの将来を憂うのなら今は多少のことに目を瞑って、カスター自身に色々なことを学ばせるべきじゃないのか? それとも何か? お前らはカスターが周辺諸国から愚鈍な王と蔑まれても構わないってか」
「…………そう言って聞かせたのね、偉い人たちに」
 よくもまあ、もっともらしいことを大口開けて言うね。第一に、誘拐事件はアンタがでっち上げた出鱈目でしょうが。
「口で俺を言い負かせる相手がいると思うか?」
 いや、誰もアンタが怖くて逆らえないだけでしょ。
 ふと、思い当たって俺はカスターに問う。
「あんさ、カスターはライディンの出鱈目を聞いたわけでしょ? それ何とも思わんの?」
「……それはどういう意味でしょう?」
「うーんと、嘘とかついても良いのかなって。そういうのどう思う?」
 純なカスターの性格を思えば、嘘八百を並べ立てるライディンは容認しがたいと思うんだけど。
「人を騙す嘘はいけないと思います。ですが、誰かのためにつく嘘は許しても良いものだと思います。ライディン兄様の嘘は真実を知っているローレン兄様には不愉快に感じられるかもしれませんが、僕が叔父様に殺されかけた……などということは僕を支えてくださっている方々に余計な心配を与えてしまいますから、ライディン兄様がつかれた嘘を僕は否定しませんし、できません」
「良い嘘は良い?」
「いけないことでしょうか?」
「……駄目ってことはないと思うんよ、それは、俺も」
 ただ、ライディンの嘘はハッキリ言って詐欺行為に近い気がすんのよね。
「……えっと、も一つ気になってたことがあんのよね」
「何だ?」
「ライディンのお屋敷でカスターは捕まっていたじゃない?」
「ああ、それが」
「どうやって捕まえたの? カスターは女の子で、ライディンは女の人には手を上げないわけでしょ? カスターも幾らライディンを信用しているとはいえ、捕まえようとしている相手に大人しく捕まるとも思えんのやけど」
「……………」
 微妙な沈黙の後、カスターが小声で囁いた。
「それはライディン兄様が縄抜けの術を教えてくださるというので……」
「……騙してんじゃん」
 騙されているカスターもカスターだけんど、騙すな、ライディン。こんな無垢でかわいい子を。非難の視線を投げかける俺とマリア隊長さんにライディンは真っ向から見返してきては堂々と言い切った。
「馬鹿が、間違えるな。嘘に良いも悪いもあるか」
 何、それ。人を騙しておいて、その言い草はあんまりでしょ?
「善悪の判断は嘘をつく本人にあって、嘘をつかれた者に騙されたと非難する資格はねぇんだよ」
「その言い分は変じゃん」
「何故? 騙された者はそもそも、騙されないこともできるだろう。いくら、こちらが騙そうとしたところで、頑固に騙されなければ嘘はただ意味を持たない音の羅列に過ぎない。そうじゃないか?」
「その言い分から聞けば、騙されたほうが悪いということか?」
 隊長さんの苦々しい声がライディンに向かう。
「意味のないことをいかにも意味のあるように捉えて、それに従い動いてしまうのは騙された者の責任であって、俺に非難される覚えはない。それに、カスターの言い分を尊重するなら、俺はカスターを傷つけないように嘘をついたわけだから、これは良い嘘だ。違うか?」
 違う。違うと言いたい。そんなん屁理屈でしょうが。
 でも、俺とマリア隊長さんは黙った。何を言ったところで、ライディンに口先で勝てる気がしないんよ。
 俺は降参するように両手を上げた。
「もういい。わかったんよ。ライディンに口で勝てる人なんていないってこと。確かにカスターはもう少し世間の勉強したほうがいいやね」
 一番近くの教育係が、どれほど信用できないかってことをカスター自身が自覚しない限り、俺なんかが何を言っても、ね。
 カスターに向き直って俺は聞いた。
「カスターはそれで良いの? 小さい家で、住み心地なんて良くないし、ご飯も特別おいしいわけじゃないし。それに俺なんかで良いの?」
「はい。勿論ですとも。ローレン兄様はライディン兄様が教えてくださらないことを僕に教えてくださいましたし、僕はもっともっとローレン兄様とご一緒したいと思いました」
 愛らしい笑顔で言われると、もう……何だか、どうでもよくなってくんのね。もう二度と会えないとか思ってたんよ。それなのに……。
「兄様はご迷惑ですか?」
 青緑色の瞳で見つめられたら……嫌なんて言えるわけないよ。俺は黙って首を振った。
「オイ、そういえば鍋をかけていただろう。ちょっと、見て来い」
 ライディンがカスターに言って、カスターは慌てて家の中に戻ってく。開いた扉の奥から何だか良い匂いがしてくるよ。飯作ってたん?
 俺は馬から降りてライディンの前に立った。ライディンは見上げた俺にニヤリと笑って言う。
「最高だろう、俺は」
「……はあ。もうよくわかんないよ。カスターに会えて嬉しいけんど、でも……結局、俺やカスターの立場は変わんないわけだし」
「ガキがくだくだ考えてもしょうがねぇだろう。色恋なんて一人でできるもんじゃねぇんだし。なぁ?」
 マリア隊長さんに同意を求める。隊長さんは今さっきまで照れていたのも忘れて嫌そうな顔でライディンを見返した。
「貴様がそれを言うな」
 ああ、……好きになったらしょうがないっていう典型的な例だね、マリア隊長さんは。
 ライディンの言うとおりかもしんない。考えたって、俺だけの一方的な片思いなら俺とカスターの関係は進展することはないわけだし。もしも、万が一、カスターが俺のことを好きになってくれたら……って、その前に、カスターに女の子としての自覚を持ってもらわないことにはそれも難しそうやね。
「そろそろ飯ができ上がる」
「ライディンが作ったん?」
「カスターもな。城ではできないことだな。大体、王族だからって何もかも人任せってのは間違いだと思わないか。己の面倒を見られない奴が国民の面倒を見られるのか?」
「……それは同感かな」
 頷いてから、ライディンの筋の通った正論に……俺はため息をついた。
 カスターがお城を出て俺んちで世間勉強することに納得しちゃってるよ、俺ってば。
 大体、世間勉強ってのはライディンがお城の人たちを言い含める建前だと思うんよね。結局、お城での生活に退屈したライディンが、カスターが少しばかり気に入った俺を利用してお城から出るための口実でしょ? 暗殺者が捕まって、カスターには敵がいなくなって、もうすこぶる平和な日々があるだけ……そんな生活はライディンには退屈だよね。
 ……そこで、俺を利用するんは止めて欲しいけんど。まあ、カスターとライディンとのこれからの生活は……面白そうかなとも思うんよ。実際はね。
「それで、何を作ったん?」
「野菜を煮込んだだけのスープだ」
「それは……失敗がなさそうやね」
 俺はひとまず安心した。うちの台所にある調味料で作れるのはその程度。配合さえ、間違えてなければ食べられるはずだ。
「お前も食うか?」
 ライディンがいまだに馬上のマリア隊長さんに呼びかけた。まさか、自分に声がかかると思ってなかったらしいマリア隊長さんは目を大きく見開いた。
「わ、私?」
「嫌なら食うな」
「誰も食べないとは言ってない」
 慌てて馬から降りようとして落ちそうになってる。
「何やってんだ、お前は」
 一歩踏み出したライディンが片腕で隊長さんを受け止めた。
「ラ……ライディン」
 恋する少女だね。もう顔が真っ赤で瞳も潤んでるよ。そりゃあ、憧れの相手に抱きとめられたらね。嬉しくてたまんないでしょ。何しろ、相手はライディンだよ。相手を叩きのめすことを目的としているような言動を取る男が……何か、企んでるんじゃないん?
 俺は良からぬ予感に背筋がゾワリとした。こういう予感に限って当たるんよ。でもって、回避不能なんよね。
 ライディンはマリア隊長さんを抱きかかえたまま俺の家の中に連れ込みテーブルの席に付かせた。
「長旅で疲れただろう、ローレンも」
 薄気味悪いほど優しい声で囁いて、ライディンは俺を強制的に座らせた。
「カスター、できあがったか?」
「はい、ただいまお持ちします」
 カスターが皿に盛ったスープを手にやってきた。
 ……ん? あれ? 何か見覚えのある具材が見えるんだけど……あれって、まさか。
「ま、とにかく、食ってみろ。理論的に言えばまずくはないはずだ」
 料理に対して理論も何もないでしょ。
「お前たちを思って作った料理だ。勿論、食うよな? 何なら食わせるか?」
 ライディンはそっとマリア隊長さんの頬に手を添えた。近距離に迫ったライディンの顔にもう夢見心地で隊長さんは頷く。しょうがねぇな、と薄笑いを浮かべてスプーンを取ると隊長さんの口元に運んでいく。
 それを見守っていた俺のところに、カスターがまた皿を運んできた。
「どうぞ、兄様もお召し上がりください」
 俺の前に皿を置いて、カスターは期待にみちた青緑色の瞳で見つめてくる。
「誰かのためを思って何かを作るなんて、とても素敵なことですね!」
 あー、こんなこと言われちゃったら食べるしかないんよね。俺は覚悟を決めて一口、口に運んだ。隣で隊長さんの低く腹の底から吐き出す笑い声が響いてくる。
 ……やっぱり、ワライダケだよ。
「噂に聞いた以上だな」
 頭上でライディンがそう呟くのが聞こえた。確信犯かっ!
 フフフフフッと少しずつこみ上げてくる笑いを何とか、喉の奥で殺しながら俺は明日になったらカスターを裏山に連れて行って、食べられるきのこと食べられないきのこについての講義をしようと心に誓った。 



                                   「便利屋日記 完」

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