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 7,表か裏か


「まったく、あの男はっ!」
 全力疾走で走る馬上で、マリア隊長さんは悪態をつく。
 国境の塞を飛び出した馬は、ライディンがお父さんから譲り受けたっていうお屋敷に向かっていた。ライディンと暗殺者の計画を止めるためだ。
 遠回りでカルディアに入った俺は国境の塞でマリア隊長さんに面会を求めた。最初は取り次いでもらえないんじゃないかと、心配していたけんど、警備隊の人は俺がライディンに背負われていたことを覚えていた。それに、俺が差し出した青色の宝石にすぐさま隊長室へ案内してくれた。
 そこで、俺はマリア隊長さんに盗賊に襲われた一件で、ライディンが伝説の暗殺者と取り交わした計画を話した。
 信じてもらえないとは心配しなかったよ。マリア隊長さんもライディンならやりかねないと思ったんやろうね。
 そして、俺はライディンとカスターがもう既にカルディアに戻ってきていることを知らされた。半日前だというから、俺とおんなじで夜通し歩いたんだろう。そういえば、暗殺者と交わした約束は四日後だ。道程で一泊の休みを取っていたら、その約束には間に合わない。
 俺はライディンの計画が決して冗談ではなかったことをここで悟る。
「……もう、間に合わんの?」
 絶望的に呟く俺の手を取って、マリア隊長さんは走り出した。
「間に合わせる。行くぞっ!」
 こうして、俺は馬上の人となったわけ。
 前方に大きなお屋敷が見えてきた。ここが、ライディンの家? 大きいよ。それだけでライディンのお父さんがお城でどれだけの地位にいるのかわかる気がした。
「正面突破は、無理だな……あの男とまともに戦えるわけがない。とりあえず、忍び込んで様子を見て、殿下をお救いしよう。時間が稼げれば、警備隊が来てくれる。ことが公になれば、さすがのあの男も計画を断念せざるを得ないだろう」
 マリア隊長さんが屋敷の手前で馬を止めて言った。俺は頷く。
 門扉が閉ざされているので塀を登る。裏山を遊び場にしている俺には造作もない。マリア隊長さんも馬の背を台にして塀を飛び越えた。カスターもそうだけど、マリア隊長さんも女の人にしては身のこなしが凄い。
「手分けして、カスターを探したほうがいいよね」
「だが、一人では危険だろう」
「平気、逃げ足だけは早いんよ。それに時間が勿体ないし」
「わかった、気をつけろ。貴殿は右回りに、私は左回りに調べていく。何か見つけても一人で飛び込むな。そこで待機して、私が追いつくのを待て。良いな?」
「うん」
 俺は頷いた。俺一人でカスターを助け出せるとは言いがたい。素直にマリア隊長さんの指示に従おう。
「よし、行け」
 隊長さんの号令で、俺は庭を横切り建物に張り付いた。そうして、右回りに建物の内部を調べていく。でも、窓にはカーテンが重く垂れ下がってて、部屋の内部を確認するのは難しい。どこかで、中に入れるところを探したほうが良さそうやね。
 取りあえず、窓に耳を当てて、部屋の内部を探る。ここは誰もいなさそう。窓を割ったら、気付かれるよね。……しょうがない、次に行こう。
 一つ一つの部屋を調べていく。大きなお屋敷だから、部屋数が半端じゃない。それに、一階だけじゃなく二階にも部屋がある。地下室なんてあった日には、日が暮れちゃいそうだ。焦る自分を落ち着かせようと、大きく息を吸ったところで、背後から声が掛かった。
「遅かったな」
 悲鳴を上げそうになって、俺は慌てて口を塞いだ。ゆっくりと後ろを振り返るとそこに立っているのはライディンだ。気配も何もなかったから、確信はしていたけんど。
「……ライディン」
「来ないのかと思ったぜ」
 薄い笑みを唇に浮かべて、ライディンは俺を見下す。
「お前が俺たちの話を聞いていたことは、とっくに気付いていたさ」
「知ってて……何で?」
「お前に何ができるよ? お前にできるのは観客程度の役割さ。舞台には関係ない」
 言って、伸ばしてきた手が俺の首根っこを掴む。簡単に持ち上げられてしまう俺の身体。俺は手足を使って、暴れるけど全然、ライディンには当たらない。
「静かにしろよ。特別席に案内してやるからさ」
「……カスターは?」
「囚われのお姫様は、もう一人の主役の登場をお待ちさ」
 まだ、無事だ。俺はそれを聞いてホッとした。後は時間を稼いで、警備隊の増援がくれば大丈夫だ。
「……何で、こんなことをすんのよ? カスターを裏切って楽しい? 戦争がしたいん?」
 俺は逆らうのを止めて、ライディンの真意を問う。ライディンは金茶色の瞳で俺を見ては笑う。
「確かめたいだけさ、俺は」
「……確かめる?」
 それは何を?
 ライディンは俺を肩に担ぐと歩き出した。おそらくはそこから出てきたらしい部屋の窓をくぐって、屋敷内に入る。廊下を突っ切ってお屋敷の奥まったところにある部屋にライディンは入った。そこは窓がない部屋で、屋敷の規模に対してもあまり広くない。その部屋の片隅に置かれた椅子にカスターがいた。両手と胴体を椅子の背に縛られたカスターは俺の存在に気が付いて青緑色の瞳を丸くした。
「ローレン兄様っ!」
「カスターっ!」
 床に放り出された俺はカスターに駆け寄っていく。
「大丈夫? 怪我はない?」
「僕は大丈夫です。それより、兄様は? どうして、こちらに」
「ごめん。俺、ライディンがカスターを殺す計画を聞いちゃって……」
「ライディン兄様が僕を……」
 カスターは驚愕の瞳でライディンを見上げる。こんな風に縛られてもカスターはライディンを信じているらしい。人が良いにもほどがあるよ。
「それで、先回りして助けようと思ってたけんど……間に合わなくて」
 近づいてきたライディンが、俺の手を後ろ手に縛り上げた。締め上げられた縄が皮膚に食い込んで俺は微かに呻いた。
「ライディン兄様、止めてください。ローレン兄様に乱暴しないで」
 懇願するカスターを一瞥しただけで、ライディンは俺の口に布を突っ込んだ。
「観客はおとなしく舞台を見てろ、ホラ、主役の登場だ」
 ライディンが振り返った部屋の入り口に現れたのはあの暗殺者と、三十代後半ぐらいの男の人。
「……アルフレッド叔父様」
 カスターがその男の名を口にする。カスターとおんなじ青緑色の目をしたその人だけんど、その瞳を俺は汚いと感じだ。カスターの目が澄んだ水の深さを感じさせるものなら、この男の瞳は長い間放置した水みたいだ。よどんでる。嫌な目だ。
「……最初、話を聞いた時は担がれているのだろうと思ったが」
 低い声で叔父さん……アルフレッドは言った。ライディンは俺たちに背を見せて言った。
「それでも来た。何でだ」
「貴公の評判は聞いている」
「ろくな評判じゃねぇだろう」
 ライディンは軽く肩を竦めた。
「それで、俺がカスターを裏切ることもやってのけると結論に至ったわけだな」
「私の推論は外れてなかったようだな」
 アルフレッドはツカツカと部屋を横切ってカスターと俺の前に立った。そして、俺を目にし、顔を顰める。
「これは?」
「オマケだ。ま、俺も多少お情けがあってな。一人で死なせたら可哀想だろ? カスターもこいつを気に入っていたからな。いいお供だろうよ」
「この子も私に殺せと?」
「一人殺すも、二人殺すも大して変わらんだろう」
「服が汚れる」
「じゃあ、この話はなかったことにするか。自分の手も汚せないような奴が何を言ったって説得力もねぇっての、お前、もう少し考えたほうがいいぜ」
 ライディンはいつの間にか、俺の腰から抜いた短剣を片手にしていた。それで、カスターの戒めを解こうとする。アルフレッドは慌ててライディンを止めた。この叔父さん、カスターが強いことを知っている。
「待て、誰もやらないとは言っていない」
「そうかい。じゃあ、お前の覚悟を見せてくれよ」
 ライディンは短剣の柄をアルフレッドに差し向けた。剣を受け取ったアルフレッドは握りを確かめるようにしながら、ライディンを横目に見た
「貴公のお父上には、何度も煮え湯を飲まされた。まさか、その息子が私と手を組むと言い出すとは驚いたよ」
 決心が付かないのか、時間を稼ぐようにアルフレッドは語りだす。ライディンは首だけで振り返る。
「お前が言っている父親ってのは俺の父親じゃねぇよ」
「何?」
「向こうは俺のことを実の息子と信じてるようだがな、その実は種が違う」
 突然の告白にアルフレッドは目を丸くした。
「それは……本当か」
「そうさ。俺はどこの馬の骨ともわからない男の子供だったのさ。それを知った時、品行方正で父親の自慢の息子であった男は、父親の期待に応える義理がないとして、本性をあらわにしたという訳さ」
 ライディンが突然、人が変わったのはそういう理由だったんだ。
「一つ疑問が解消されたところで、さっさと覚悟を見せてくれよ」
 周囲の驚きを余所にライディンはアルフレッドを促す。
「玉座を簒奪して、戦争を始めようってんだ。ここで、子供の一人や二人、殺すことなんて大したことねぇだろう? それとも何か? 手下に殺しを命じても、自分じゃ殺せないってか? 存外に根性がねぇんだな。期待外れもよいところだ」
 片足を軸にして、反転したライディンはアルフレッドに回し蹴りを食らわせた。もう何度も見せ付けられたけんど、大きな身体が軽々と吹っ飛ぶ。壁に叩きつけられたアルフレッドに暗殺者が駆け寄ろうとして、ライディンが投げつけたもう一本の短剣に足を止めた。
「…………何をいきなり」
 きしむ身体を起こして、アルフレッドはライディンを見上げた。
「いきなり? 俺は前から言っていただろう。覚悟も見せられないような奴とつるむ気はないってな。この男から話を聞いて、ここにやって来たのはその覚悟があったからじゃないのか? それをいざ、獲物を目の前に怖気づきやがって。……まあ、所詮、その程度の奴だとは思っていたがな」
 壁際のアルフレッドにライディンは詰め寄った。いきなり、牙を剥いたライディンをけん制するように、手にした短剣を抱えて前に突き出す。
 ライディンは一蹴りでアルフレッドの手から短剣を弾き飛ばす。
「餌に釣られてノコノコと出てくるな」
「……罠だったのか」
「その可能性は視野に納めていたんだろうが。それでも、俺という人間をわかったつもりでいたようだが読みが甘いな。俺はカスターを裏切れると同時に、お前も裏切れるんだよ」
 無茶苦茶な理論だけんど、ライディンに限って説得力があるから怖い。
「お前がカスターを殺したなら、それはそれで第二幕の始まりだったが、幕が上がる前にとんだ茶番で終わったな。この責任はどう取ってくれる?」
 ライディンは靴の先でアルフレッドの顎を蹴り上げた。仰け反って、壁に叩きつけられるアルフレッドの顔は血まみれだ。王族相手に……ここまでするか? っていうか、ライディンってばホントに怖いもんなし? 最強最悪?
「……ライディン兄様、止めてください」
 カスターがライディンに訴えた。ライディンが肩越しに振り返った。
「カスター、お前が救おうとしている相手をちゃんと見極めての発言か、それは」
「えっ?」
「誰もお前の耳に入れなかっただろうし、いずれ、お前自身がその身をもって知るだろうと思って語らなかったが、この男がお前の両親を殺すように命じた張本人なんだぜ?」
「父様と……母様を……殺した?」
 呆然と呟く。カスターは自分の叔父さんが両親を殺したことを知らんかったの? 俺はカスターの横顔を仰いだ。凍りついた表情を見れば答えは一目瞭然だ。
 ……ああ、知らないから、知らなかったから、こんなに純真に育ったんやろね。
 憎しみを向ける相手がいて、その存在を知っていたら……人が人を理解できるなんて幻想、信じやしない。
 人は家族でさえも、殺し見捨てることができる人種なんだから。
 それは俺が一番、よく知っている。今でこそ、母さんの苦労を思って幸せを願うけんど、小さい時は俺を捨てた母さんを恨んだよ。憎んだ。幾ら、カスターでも目の前に両親の仇がいたらこんなに綺麗に育ってはいなかったと思うんよ。
「そして、そいつが実行犯だ」
 ライディンの指先が暗殺者を指し示した。暗殺者はライディンの視線に蛇に睨まれた蛙みたいに身動きできずに受け止めた。自分とライディンとの決定的な力の差を暗殺者はその身でもって知っているんだ。
 ゆっくりと暗殺者に歩み寄ったライディンは床に突き刺さった短剣を手にすると、クルリと手の中で回転させて、刃先を暗殺者の目に突き立てた。
「ぎゃゃゃゃっ!」
 こっちの背筋が震える絶叫を発して、暗殺者は転げまわる。
「こいつが何人の人間を殺したか、知っているか? どれだけ残虐な殺し方でお前の両親を殺したか、お前は知ってて、それでも俺を止めるか?」
「…………残虐?」
 問い返すカスターの声はかすれていた。
 俺はライディンに「止めろっ!」って叫びたかった。今さら、両親の死に様を聞かされて、カスターに何ができるっての? その事実はカスターを傷つけるだけじゃん。だから、止めてって言いたいけんど、口の中に詰められた布が声を閉じ込めて何も言えない。
「谷底から回収されたお前の両親の遺体からは、心臓が抉り取られていた。目もくり抜かれ、舌も切り取られていた。それも調べたところによれば、生きている間にだ」
 ……なっ……何なん、それ。絶句する俺にライディンは暗殺者を冷たく見下して続けた。
「谷底に馬車を突き落とすだけで事足りるところをこいつはわざわざ、二人を殺したんだ。自分の快楽のためにな」
「……快楽?」
「恐怖に引きつる奴らの顔を見るのが好きなんだと。それで生かしたまま、生爪を剥いで、指を一本一本、切り落とす。目玉をくり抜いて、舌を切り落として。ああ、中には顔の皮膚を剥がされて死んだ奴もいたな」
 吐き気がしてきた。もう、何も聞きたくない。
 人間がカスターみたいに善良じゃないって知っていても、こんなに残酷で残虐な人間がいるなんてこと、知りたくはない。ライディンもライディンだ。何で、そんなことを聞かすんよ?
 ……俺はハッと我に返ってカスターを見た。青緑色の瞳からツと涙がこぼれている。
「それでも、お前は俺を止めるのか。こいつらは死に値することをやったんだ。死んで償って当然だろう。言えよ、カスター、殺せって」
 ライディンの声が、低く腹底を抉るように響いた。
「……えっ」
「お前がわざわざ、手を下す必要はない。俺に命令しろよ。こいつらを殺せって。お前の両親にされたことをそのまま忠実にお返ししてやる」
 床に伏せたアルフレッドと暗殺者を睥睨して、ライディンは冷たい視線でカスターを促す。
「言えよ、ただ一言でいい。それで仇を取ってやる」
 俺はここでライディンの真意を察した。ライディンは、自分の力試しを戦場でしたかったわけじゃない。
 試したかったのは、確かめたかったのは、カスターの誓いだ。
 ライディンが教育係として付くことが決まった時、二人が交わした誓い。王様の後継者としてふさわしい人間になること、その期待を裏切らないこと。カスターがライディンの生徒として期待を裏切らなければ、ライディンはカスターを守る。でも、それが守れなかったら……ライディンがカスターを殺すという契約。
 …………ライディンがむざむざとアルフレッドにカスターを殺させるわけ、なかったんよ。ライディンの性格から考えたら、自分の獲物を他人に横取りされることを許すはずがないじゃん。
 初めから……初めから、カスターが自分の期待に見合う人間かどうかを確かめるために、仕組まれた茶番劇だったんだ。
 ここで、カスターが私怨に走ればライディンは迷いもなくカスターを殺すだろう。契約通りに……。
 そんなこと、させるものかっ!
 俺は腹筋を頼りに身体を起こす。そして、ライディンに突っ込んでいく。頭突きを食らわせようとしたところで、ライディンの手が俺の頭を掴んで止めた。
 この馬鹿力っ! 片手で止めんなっ! 歯を食いしばって、ライディンの手を押し返そうとしたところで、パッと手が離れた。勢い込んだ俺は床に転がった。
「邪魔をするなって、言っただろう」
 服の襟首を掴まれた拍子に、俺の身体は持ち上げられて壁に叩きつけられた。背中を思い切り打ち付ける。くそっ! ちょっとは手加減してよっ! 背中が熱を持ったように痛い。骨が折れたかもしんない。
 痛い痛い痛いっ。死にそうに痛い。死ぬの、俺? 死んだらライディンのことを恨んでやる、呪ってやる、祟ってやるっ!
「さあ、言えよ」
 カスターに詰め寄るライディン。カスターは青緑色の瞳からポロポロと涙をこぼしながらライディンを見上げて、そして毅然と言った。
「いいえ、兄様。僕は復讐を望みません」
「……許すというのか、この最低な奴らを」
「許す……ことは、今の僕には無理です。ですが、僕にはこの方々を裁く権利はありません」
「両親を殺された、それだけで十分だろう」
「……いいえ。それは恨みの感情を正当化するものであっても、人が人を殺す動機になってはいけないのだと思います。どんな理由があれ、人が人を殺すことはいけないことなのですから」
「なぜ?」
「じゃあ、理由があれば人を殺してもよいのですか?」
「それなら、俺とお前の契約もはなから成立しないことになるな」
「契約は成立します。ただ、兄様が僕を殺すことは絶対にありません。何故なら、僕は絶対に兄様を裏切ったりしませんもの」
 ……強い。ライディンが最強かと思ったけんど、カスターも強い。
「それに兄様、今ここで僕が己の求める感情だけで叔父様を殺すこと、それを兄様に命令してしまっては、その行いは叔父様と同じです。僕は兄様に人殺しを命じたくありませんし、兄様に人殺しになっていただきたくありません」
 決然と言い放つカスターにライディンは軽く肩を竦めた。
「じゃあ、こいつらをどうするよ? 見逃すのか? もし、こいつらを殺して犯罪が露見することを恐れているのならその心配は無用だぜ。こいつらはお前を殺すことを前提にアリバイ工作をしてきたはずだ。こいつらはここには存在しない人間だ。殺してバッくれても誰も俺たちを疑えない」
 アルフレッドたちが凝らしたアリバイ工作を逆手に利用する……ライディンはどっちに転んでも構わないように先の先まで計算していた。ずる賢い。……敵に回したくない相手だ。アルフレッドがノコノコとやって来たのは案外、これが理由かもしんない。
「例え、状況がどれだけ僕に復讐を求めても、僕は殺人を認めません」
 どれだけライディンがそそのかしても、カスターは信念を曲げない。
「……いいのか、本当に」
「はい。……はい」
 俯いたカスターの目から涙が滝のように落ちる。本当はいいわけない。
 生きながらに切り刻まれて、殺された両親を思えば、目の前の仇を幾ら殺しても足りない。けんど、カスターは自分の信念と葛藤して、ただ一つの答えを選ぶんよ。きっと、何があっても。
 いつの間にか側に来たライディンの手が伸びてくる。また投げ飛ばされるかと身を縮ませると、ライディンは俺の口に詰めていた布を取って、縛り上げていた縄を解いてくれた。
「……えっ?」
「茶番は終わったからな」
「……アンタ、どこから計画してたん?」
 見上げた俺に、ライディンは薄く笑う。意味深な笑いだ。
「最初からって言ったら? お前という存在を知って、カスターが興味を持つだろうってことから、あの日、お前らが立ち寄る食堂の周りをうろついていたとしたら」
「…………まさか、あの暴漢も? っていうか、俺のこと、前から知ってたん?」
「あの界隈じゃ、お前の存在は結構有名だぜ。子供の癖によく働くとか、なんとか。お前がよく利用する店を調べるのはそうたいした時間はかからなかったな。それと、あの暴漢を俺の差し金だと思っているようだが、俺がお前らを襲うように指示したわけじゃない。ただ、ちょっとお前の連れがかなりの金を懐に溜め込んでいるようだ、と口の端に乗せただけだ」
「…………俺を利用して、カスターを国外に連れ出すために?」
「聡いな、お前」
「お城じゃ暗殺者と取引なんてできないでしょ。……ちょっと騒ぎが起これば皆が集まってくるもんね」
「取引だけなら、城でも、できるんじゃないか?」
「駄目だよ、それじゃあ。決定的な力の差を見せ付けなきゃ、この計画は成立しないんよ。ライディンを味方につけなければと思わせるくらいにね」
「なぜ?」
 答えを知っているくせにライディンは問う。
 今度は俺が試されている気がするよ。居心地の悪さを覚えながら、俺は答えた。
「あの人がしたことを……」
 俺は横目でアルフレッドを見て続ける。
「カスターにもできるということを知らしめるためにね」
 カスターがその気になれば、ライディンを使ってアルフレッドを殺せるということ。頼みの綱の暗殺者が全然敵わないということを知らしめるためには、途中で誰かの介入があったら駄目なんよ。言い訳の付かない状況で、歴然とした力量を見せ付けなければいけない。
「敵に回したくないって危機感を持たせたところで、ライディンがそっちに寝返るって言ったら飛びつくでしょ。そんためには誰にも邪魔されちゃいけない。でも、カスターがいないことには暗殺者をおびき出せない」
 そこで俺が利用された。カスター自らが国外に出向くように仕向けるために。でないと、国境でマリア隊長さんに止められちゃうからね。
「でも……俺がカルディアに来ることがなかったら、どうしてたん? また、時期を見計らってた?」
 あんま気が長そうには見えんのよね、ライディンって。
「もう一つ、カスターの性格から見過ごせないことがあるだろう?」
「……あっ! 盗まれた宝石だ」
 お城から盗まれた宝石が行商人を運び屋に国外に持ち出されようとしているらしい、そうカスターに耳打ちしたら、正義感の強いカスターだから真偽を確かめようとするだろうそこでライディンの口車に乗って……。
「……どこまでも抜け目のない。もしかして、宝石が盗まれたのってライディンの仕業じゃないでしょうね?」
「まさか。俺なら足が付くような真似はしないさ」
 ……つくづく敵に回したくない男やね。
 俺は盛大なため息を吐いた。
 そして、いまだに泣いてるカスターに目をやる。押し殺した嗚咽が俺の心を突く。切ない泣き声だ。どうやってなぐさめたらいいのか、見当がつかない。ちょっと恨みがましい目で俺はライディンを睨みあげた。
「……カスター、泣いてるよ。あんなに泣かすまで追い詰めなくてもよかったでしょうが」
「追い詰めねぇと、泣かないだろう、あのガキは」
「何、それ? わざと泣かしたみたいな……。何でそんなことする必要あんのっ?」
「お前さ、カスターの性格をわかってねぇだろ」
「……えっ?」
「泣かないんだよ、カスターは」
「それが……?」
 それがどうしたっての? 問いかけて、俺は目を見張る。
「……ずっと我慢してたの?」
 夢で思い描いた両親の姿に涙をこぼしていたカスターが、寂しさを感じていないはずはない。でも……ライディンが言うにはカスターは泣かないらしい。それは泣くのを我慢しているに他ならない。
「自分より他人の感情を優先する奴だぞ」
 最初に会った時もそう、俺が両親がいないことを話すと「お辛いことを思い出させて」と謝ってきた。
 でも、辛いことはカスターもおんなじだった。けんど、カスターは自分のことを二の次にしてしまう。
「それを本人が自覚してやっている分には構わんけどな。無意識だとしたら一度、自覚させないと。お前も言っていただろう。ガキらしくって」
「それは……」
「こんな機会でもないと泣かないだろう。それに、お前がいるし」
「……俺?」
「後は任せた」
 言ってライディンは短剣をこちらに差し出してくる。やり逃げかっ! アンタ。
「……アンタが責任取ったらいいじゃんっ!」
「じゃあ、お前が奴らの相手をするか?」
 ライディンは俺を縛っていた縄をブンブンと振り回して、アルフレッドと目から血を流して呻いている暗殺者を視線で振り返る。俺は反射的に首を横に振った。
 無理っ! って言うか、怖いよ。
「……わかった」
 俺は背中の打ち身を我慢して、ライディンから短剣を受け取ると、カスターに近づいた。
「ロ…ローレン……兄様」
 嗚咽の合間に俺の名を呼ぶ。ボロボロと涙を溢れさせながら、青緑色の瞳で見上げてくるカスターに俺は笑いかけた。
「ちょっと待っててね。今、縄を解くから」
 短剣で縄をザックリと切る。解放されたカスターは椅子からずり落ちるようにして俺に寄りかかってきた。俺はカスターを受け止めてそっと抱きしめた。
「ご、ごめんなさい……今すぐ、泣き止み……ますから」
 俺はカスターの頭を肩口に抱き寄せて、そっと髪を撫でた。
「あんね、泣き止まなくてもいいんよ、そういうもんは、自然と止まるもんなんだから。だから、泣くだけ泣いて?」
「でも……ご、ご迷惑を……お掛けするわけには……」
「迷惑なんかね、カスターが泣いてることって」
「えっ……」
「じゃあさ、カスターは俺が親のことなんかで泣いていたら迷惑で嫌?」
「いいえっ! ……そんなことはありません」
 ブンブンと、力強くカスターは首を横に振った。
「それとおんなじことでしょ」
 俺はカスターに笑いかけた。
 涙でグシャグシャになった顔。せっかくの美少年……美少女ね、美少女顔が台無しだよと思う反面、こんな姿もかわいらしく感じてしまう。
「で……でも、僕は……泣く必要など…どこにもありませんのに。お爺様がいてライディン兄様がいて、……沢山の人々が僕のことをかわいがってくださって、こうしてローレン兄様ともお会いすることができて……とても、とても幸せですのに」
「ねぇ、それは違うでしょ? 幸せだったら泣いちゃ駄目なん? お父さんとお母さんを思って泣くのはいけないことじゃないでしょ? カスターは優しい子なんよ。顔も知らないお父さんとお母さんをいつまでも大切に思える……、それは悪いことじゃないんよ」
「でも、ライディン兄様は無様に泣くのはみっともないと……」
「…………」
 結局、ライディンが問題じゃん。何を教えてんのよ、教育係っ!
 俺はアルフレッドと暗殺者を足蹴りし、壁に追い詰めて二人纏めて縛り上げているライディンを振り返った。
「……ライディンが言ってたんは多分、泣くことで言い訳することなんじゃないんかな。時々、いるでしょ? 泣いて謝れば済むと思っているような奴が。あんね、泣いて謝って許されることなんて、そんなに多くないんよ。それを許されると勘違いして、泣いてる人はやっぱりカッコよくはないよね?」
「……はい」
「でも、何かに感動したり誰かを思って泣いたりするの、それは悪いことじゃないでしょ? それとも、カスターはそんな風に泣く人も、みっともないと思うん?」
「…………いいえ」
 少し考える間をおいて、カスターは首を横に振った。
「じゃあ、カスターも泣いていいんよ。それは誰もが持っている権利でしょ? 幸せであろうが、不幸せであろうが、関係ないんよ。俺の言ってることわかる?」
 瞳を覗くと、カスターは微かに笑う。
「はい、とても」
「じゃあ、思う存分泣いちゃって。俺の胸で良かったら幾らでも貸すから。あんま、逞しくないけんどね」
 そっと、カスターを抱き寄せる。カスターは素直に俺の胸に身体を預けてきた。
 薄い背中に手を回して、慰めるように撫でてやる。
 すると、ピンとカスターの背筋が伸び上がって、青緑色の瞳に微かな困惑の色を浮かべて、言ってきた。
「どうしましょう、兄様。もう……何だか、涙が出ないのですけど」
 まだ瞳は潤んでいるけんど、頬を雫がこぼれることはなかった。
「……それはもう十分に泣いたってことなんよ。そしたら、今度は笑おう、ね?」
「はい」
 頬をピンクに染めてカスターは力強く頷いた。もう、大丈夫みたいやね。
「泣き止んだか?」
 ライディンがやって来て、片手を腰に当てた姿勢で見下してきた。元凶の一つと言っていいくせに、何でそんなに態度がでかいんだ? この男は。
「はい」
 頷いたカスターはライディンを見上げて、それから少し俯いて小声で謝った。
「兄様には、みっともないところをお見せしました」
 ライディンにとっては泣いている姿がみっともない、とカスターは思ってんやろうね。謝ることなんてないのにね。ライディンはカスターをわざと泣かせたわけなんやから。
「ああ、そうだな。二度と、俺の前では泣くな。俺は泣く女は嫌いなんだ」
「………あ、はい。二度と、決して」
 唇をキッと結んで誓いを立てるカスターとそれを冷たく見下すライディン。
「………なっ」
 何なの、その言い草はっ、と抗議しかけた俺の声を遮ってライディンが続ける。
「俺の前以外でなら、泣いても構わん。感情の処理の仕方もこれからは覚えていけ。王になろうとするなら、これから先、笑うことすら許されない場面もあるだろうからな。状況を見極めて、甘える相手を選べ。俺は優しくはしない」
「はい」
 ま、回りくどい物言いやね。……ストレートに慰め方を知らないからって言えばいいじゃん。そうでしょ? ライディンが言いたいことって……俺の穿った見解?
「じゃあ、帰るぞ」
 ライディンが唐突に言った。
 帰る? ……帰る? ……ああ、二人はお城に帰るんだよね。
 俺の腕からすり抜けて立ち上がるカスターを俺は、座った姿勢で見上げた。気が抜けたからか、背中の痛みが増してきて立ち上がれない。
「どうしたよ?」
 部屋を出かけたライディンが俺を振り返る。アンタ、俺を投げ飛ばしたことスッカリ忘れてるでしょうが。
「……背中が痛い、動けない」
 上目遣いに怖々と訴えると、ライディンは舌打ちしながらも寄ってきて俺の身体を担ぎ上げた。
「今度は背負い賃を貰うぞ」
「俺を利用した、利用料から差し引いといて」
「ガキが言うじゃないか」
 面白そうに笑みを浮かべたライディンに、俺は思いっきり虚勢を張って、偉そうな顔つきに見えるよう注意しながら返した。
「ライディン相手にはこれぐらいあつかましくないとね」


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