ブルーバード事件 〜青い鳥は君のために歌う〜
序章 笑顔の裏で
建国七百十六年の歴史を誇るフォレスト王国。
ノーウサス大陸の半分以上を国土に治める、この国の中央に座する王城は、幾つもの建築物を堅牢な塀の内側に抱え込んで、自らの存在を誇示するかのようにそびえ建っていた。
その王城敷地内の中央で優美な姿を朝日に輝かす王宮は、いつにも増して騒々しかった。
年に一度の恒例行事で、国王ジルビアが七家の――王家から国土を預かり、王に代わって各地区を治めている特別階級貴族の――統治区に視察に出かけるのだ。
――今日はその出発日。
王宮の一角にある団長室で、
「じゃあ、ラウルとシリウス。奴のことは頼んだぜ」
フォレスト王国宮廷魔法師団<<十七柱>>を担う、若き団長ディード・クエンツは二人の部下を、金髪の間から覗くエメラルドグリーンの大きな瞳で見上げた。
二十一歳になりながら、どう頑張ってみたところで十代前半にしか見えない童顔の彼は、キリッとした眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せて表情を不機嫌そうに装うことで、実年齢に近づけようとしていた――が、やはり十代後半に見えるかどうかといったところで、かなり虚しい努力であった。
そんなディードの視線を受けて、二人の宮廷魔法師は頷く。
「――はい」
金髪に目が極端に細いことを除けば、美形のラウル・ルディアが頷く。
その彼の隣で、銀髪に青灰色が氷を思わせる瞳の超絶美形青年シリウス・ダリアは、長い睫を震わせるようにして微かに目を伏せた。それは余計な口を利かないシリウスの了解の合図だろう。
「ま、お前ら二人なら大丈夫だと思うけどな」
軽く肩を竦めながらディードは、不機嫌そうな顔でさらに渋面を作った。
最も信頼が出来る二人を送り出してしまうことに、不安を覚えなくもない。
国王が不在となる王宮ではあるが、ディードを悩ませる種は――王族兄弟は――まだ四人も居残っているのだから。
しかし一番厄介なのは、あの国王ジルビアだろう、と。
ディードは国王の姿を脳裏に浮かべて、こめかみに青筋を立てた。
女性のような顔立ちをした国王ジルビアは、臣下を振り回すことを一種の趣味としている。そんな彼が視察日程を黙々と遂行するだろうか?
前回の視察旅行に同行したときのことを思い出して、ディードは無意識のうちに握った拳で――ダンっ! と、執務机を叩いた。
「団長?」
ラウルがこれでもかというくらい細い目を見開いて、何事か? と問いかけるようにこちらを覗き込んできた。
我に返ったディードは、「あ、いや、何でもない」と慌てて言葉を濁す。
ジルビアに思いっきり振り回されてしまった苦々しい過去は黙殺する。
実際のところ、記憶から抹消したい。
ついでに、奴の存在自体消し去りたいが――国民から王を奪うわけにはいかないだろう。
あんな国王でも、この国には必要な人材だ。
……そう、臣下にとっては、はた迷惑な国王でも。どれだけ、大迷惑な奴でもっ!
ディードは思わず握りこんだ拳の内側で、爪が食い込む痛さに気づいて、冷静さを自らに求めた。
……そう、どれだけ迷惑な奴でも……奴は、国王だ。
ジルビアは何億という国民を抱える、この大国を破綻なく統治している――それは誰彼と容易く出来ることではないはずだから。
それだけは、百歩譲って認めざるを得ない――ああ、どれだけ臣下にとっては大迷惑な人間でもなっ!
再び、頭に血が上りかけるのを実感して、ディードは気持ちを落ち着けるように、ゆっくりと言った。
「……お前らなら、大丈夫だろ……うん」
禁欲的に任務をこなすラウルと、他人に無関心なシリウスの二人の宮廷魔法師を見上げて、ディードはそう繰り返し、自分に言い聞かせた。
そして、やはり不安になった。懐刀の二人を手放すことによって、大変なのは……間違いなく、こちらではないのかと。
……忘れたいところであるが、迷惑な国王と同じ血を引く人間が王宮にはまだ四人もいるのだ。
* * *
今回の視察予定は、西区カインと南西区エルマの二つの区。
国王と護衛の宮廷騎士二名と宮廷魔法師の二名に、視察の目的の一つである各区の教育機関施設の見学にともない教育局長が同行する。これは今までの視察には珍しいことだった。
今年二十三歳になる若き国王ジルビアは団体での行動を嫌い、いつも護衛だけを連れての視察旅行だった。そこで見て取り入れるべきだと思ったことは即決断で、実際には各局の局長などの意見など聞きやしない。
ジルビアにしてみれば、教育局や保健局、その他もろもろの機関から欲しいのは執政に対しての余計な口出しではなく、今、国民に必要な施設の整備に必要な金額の草案だとか、それを実行に移す為の書類だ。
決定権は全て自分にあって、彼らには何も決める権利は与えない。
独裁的と言われようが、それが国王の特権だ。しかし、権利を主張するに対しての義務として、誰よりも国民のことを考えてやらなければならないことは、重々承知している――それが出来ずに、特権を行使するのは阿呆のすることだ。
ただし、国民と臣下はジルビアの場合、別物であるが。
「ねぇ、ジルビアお兄様。どうしても駄目なの?」
そう尋ねる声がして、ジルビアはサファイアブルーの瞳を動かした。その先には、ソファに腰掛けた二人の妹姫。今年十七歳になるセイラと、七歳のミシェルが仲良く座っていた。
「何度も言うが、今回は連れて行けない。わかっているだろ? これは公式なんだ。私的ならともかく――」
ジルビアは、髪をかき上げながら言った。王家血族によく見られる金髪を、国王は背中まで真っ直ぐに伸ばしている。
「お前をエバンスに同行させるなんて出来ない」
セイラが、この度の視察予定地である南西区エルマを、統治しているエバンス家の当主クライにゾッコンなのは、既に王宮で――いや、王宮以外でも――知らない者はいない。
今回の視察旅行に自分も同行させてくれと、セイラが言ってくるのは、ジルビアとて目に見えていた。
それに対する答えも、セイラは承知していたのだろう。
シンプルなワンピースに――だが、布地は最高級である――身を包んだ彼女は華奢な双肩を軽く竦めて、上目遣いにこちらを見上げた。
「ならば、クライ様にお会い出来なくて、私が残念がっていたと伝えてね」
「伝えなくても、クライなら承知してるだろうよ」
セイラの想い人であるクライは、既に彼女の気持ちを知っている――王宮の人間が知っていて、クライ本人が知っていなかったら、余程の鈍感と言うことになるだろう。
彼が、どこまで本気なのかはわからないが、クライがセイラの想いを真正面に受け止めているのは誰の眼にも明らかだった。
「だからって、言葉を惜しんでいては、愛は伝わらないわ」
恋愛至上主義を謳うセイラは、両手の指を組んで上目遣いに訴えてきた。
ミシェルも姉を真似て、ジルビアを見上げてくる。
血と言うのはなかなか因果なもので、たまに小うるさく感じてしまう妹たちだが、こんなときは可愛らしく思えてしまう。
「わかったよ。ちゃんと伝えるさ」
「お願いね、お兄様」
「お願いします、お兄様」
セイラの声に追随して、ミシェルも言ってきた。
十も年の差があるのに、まるで双子みたいだった。ミシェルは生まれたときに母親を亡くしており、セイラが母親役を買って出た。王宮にはそれこそ、乳母に適した人材が大勢いたにも関わらず、父とジルビアたち兄弟はセイラにミシェルを託した。
血の繋がりとは、そういうものだろう、とジルビアは思っている。
誰よりも信頼出来るもの。信頼すべきもの。
過去に兄弟ですれ違った経験を自ら持ちながら、それでも先の国王――亡き父、ゼノビアはジルビアたちに教えてくれた。
その教えを否定する者は、現在フォレス王家の兄弟のなかにはいない。
「ああ、伝えるって」
苦笑して答えると、ジルビアは普段着から正装へと着替えに取り掛かる。出発時間はもう間近だ。
絹のシャツを着て、タイを首に巻いていると、ドアがノックされた。
親の教育があって、ジルビアを初めとする王族兄弟たちは自分のことは自分で面倒を見ていた。一昔前なら、女官などに着替えを手伝わせていただろうが、シャツを着るくらい出来なくて何が国王なんだと、ジルビアは思う。
「入れ」
シャツの上に白地の上着を羽織りながら、ドアの外に声をかけた。服の下に入り込んだ長い金髪を指先で引き出す。サラリと流れる金髪は、見た目は華奢なのに服の布地をピンと張るほど鍛えられた、ジルビアの背中で揺れる。
「失礼します」
そう断って入ってきたのは、薄茶色の髪にエメラルドグリーンの瞳、細い顎と筋の通った鼻筋に、柔らかなふくらみを持った唇が、女性か? と、目を疑わせる風貌の青年が一人。
清涼感ある短髪に、無難にまとめたスーツをすきなく着こなした立ち姿は、男性の特有のものを感じさせるのだが――その柔らかな面差しには、思わずドレスを着せたくなる雰囲気があった。
とはいえ、それは国王にも同じことが言えた。瞳と髪の色は違うが、ジルビアの面差しは入ってきた青年と瓜二つと言ってよいほど、よく似ている。ただ、青年のほうが若干、幼さを残していたけれど。
「ああ、ジズか。後のことは任せたぞ?」
国王は、四つ年下の弟をサファイアブルーの瞳で横目に見やって、瞳と同じ色の宝石を埋め込んだカフスボタンを留める。
「はい。兄上がお帰りになるまでに“例の件”を片付けておきますよ」
王弟ジズリーズは、春風がそよぐかのような柔らかい物腰で優雅に頷いてみせた。
「片付きそうなのか?」
「ええ」
頬を傾けるようにして、ニッコリと微笑む。
女性的な顔立ちの印象に加え、性格的な柔らかな雰囲気をそのまま映したかのような微笑だが、この弟に限って言えば、こういう笑みを見せるときほど、真意がどこにあるのかわからない。
「自信たっぷりじゃないか」
ジルビアは唇の端を持ち上げるようにして、ニヤリと笑った。
こちらは、一見すると意地の悪そうな笑みだが、国王にはそれがよく似合っていた。
王と王弟は同じ顔形をしているが、表情から発声、口調に性格と、ことごとく似ていないと言われる。
そんな二人の兄たちを、セイラがソファの背もたれ越しに振り返った。
「お兄様たちったら、また何か企んでいるの?」
「企むとは、人聞きの悪いことを言うものではありませんよ」
セイラを穏やかな声音でたしなめながらも笑うジズリーズは――否定はしないようだ――駆け寄ってきたミシェルを抱き上げて、ジルビアに向き直ると、
「彼が協力してくれていますから――兄上がお帰りになるまでには、片付けておきます」
花のような笑顔を咲かせた。
「あの、お前が言っていた……?」
「ええ、彼の意図はわかりかねますけれど、どうやら目的は同じようですよ」
「何を考えているんだかな」
ジルビアは片目を眇めながら肩を竦める。
“例の件”について、関わってきている第三者の存在をジズリーズから聞いていた。その第三者が何を目的にして動いているのか、大体のことを把握しているはずのジズリーズがわからないと言うのなら、わからないのだろう。
否、まだ見えていないというだけのことか。
この聡い弟が既に十数手の先を見据えていることを、ジルビアは確信していた。
見えていなくても、何通りものパターンを予測し、必ずことを成すだろう。
そんなジルビアの心内を見透かしたようなタイミングで、王弟は口を開く。
「そうですね。ですが、兄上にご心配おかけするようなことには、なりませんよ」
「お前が、ヘマをするとは思ってないさ」
「はい」
王弟は、国王の信頼に応えるように、こっくりと頷く。
他の弟や妹はともかく、ジズリーズだけは兄貴としての役割を求められたことはない。
小憎らしいほどに出来た弟だった。それだから、信頼して留守を任すことが出来る。
ジルビアは、ジズリーズが望めば、いつだって王位をくれてやっても良い、とさえ思っている。
しかし、この弟は「私には裏方の方が合っています」と言って、執政には口を出すが、王位を欲しいとは一言も言わない。
こちらが玉座に飽いていることを見越していながら、代わろうとは言わないのだから、本当に小憎らしい。
「――そうだ。ここは一つ、賭けをしませんか?」
ふと、思い立ったようにジズリーズが顔を上げた。
薄茶色の前髪の間から覗くエメラルドグリーンの瞳が、悪戯を企むように煌めいているのをジルビアは見逃さない。
「賭け? 何を賭けるんだ?」
「私が失敗しましたら、兄上の望みを一つお聞きします」
「お前さ、自分が失敗するなんて欠片にでも思っているのか?」
ジルビアが目を細めてジズリーズを見やれば、王弟は柔らかく微笑んだ。
全く、自分の失敗を疑っていない余裕のある笑みである。
――いっそ失敗してくれたら、と思わなくもない。そうしたら、賭けを理由にジズリーズに王位を譲ってやるところだ。
「それで? お前が賭けに勝ったら何が欲しいんだ」
ジルビアは手の平を差し出すようにして、ジズリーズの回答を求めた。
「旅行をしたいと思います」
「旅行ってどちらに?」
セイラが身を乗り出して、聞いてきた。目的地が、エルマであったら自分も同行させてもらおうという魂胆だろう。
妹姫を振り返って、ジズリーズは柔らかな笑い声をこぼした。
「残念ながら、セイラが行きたい場所とはかけ離れていますよ。私一人では軽々しく動くこと叶わない場所です」
「国外か?」
王族が国を出て、他国に旅行するとなれば、それは外交だ。
「ええ。文通だけでは、少々飽きが来ましてね」
ジルビアの確認に、ジズリーズは頬を傾けて笑った。余程のことがない限り、この王弟は笑みを崩さない。
そんなジズリーズは十種の文字を解読出来る――言語においては七ヶ国語を使える――というと特技の持ち主で、諸外国に数十人という文通相手を持っていた。そこから得る情報は、外交官たちから得られる情報より、中身が濃い。ジズリーズの情報収集能力は、フォレスト王国の外交の切り札にもなっていた。
「ですが、気軽に出かけることは叶いませんので。宮廷魔法師をお借り出来たらと」
宮廷魔法師の移動魔法であれば、どんな遠くへも瞬きのうちに移動出来る。最も、その移動魔法は高等魔法なので、宮廷魔法師も日に一往復が限界だ。
そんな彼らを顎で扱うにはそれなりの理由がいる。
ジズリーズは、ジルビアに国王として、宮廷魔法師を動かして欲しいと言うことなのだろう。
大陸の半分以上を占めるフォレスト王国において、王宮がある王都ファーレンから港がある北西区スーザン、そして港町までの移動だけでも十日は要する。海外旅行など、それこそひと月程度の日程を組まねば実行出来ない。王族となれば、なおのこと気軽に出かけられるはずもない。
故にセイラも、想い人のところへ足蹴に通うことが出来ずにいた。
コンコンと、再びドアがノックされた。
「何だ?」
ジルビアは顎を反らして、ドアへと顔を向ける。
応答を待って、入ってきたのは白色の騎士服を着た女性。
フォレスト王国の宮廷騎士団は<<五色の旗>>という名の通り、五つの部隊がそれぞれ赤、青、白、黄、黒に色分けされている。
「ルカか」
ストレートの栗色の髪、浅黄色の瞳のその女性は宮廷騎士団のなかでただ一人の女性騎士で、白色部隊の隊長ルカ・アルマ嬢。凛とした美貌の女性だ。
「失礼します、陛下、ジズリーズ殿下――姫様方」
「もう時間か?」
ジルビアの短い問いかけに、ルカは簡素に答えた。
「はい」
「わかった。じゃあ、ジズ、後のことは頼んだぞ。それと賭けは了承だ。セイラ、ミシェル、土産に期待して――まあ、適当に迷惑をかけてろ」
普通ならば、「迷惑を掛けるな」と言うべきところであろうが。
それではつまらないと、ジルビアが唇の端を引き上げれば、ルカが困惑したように眉をひそめるのが視界の端に映った。
「お兄様ったら。私とミシェルはお兄様たちと違って、誰にも迷惑掛けないわ」
ジルビアが肩越しに弟妹たちを振り返れば、怒ったような口調ながら、それでもセイラは笑っていた。ミシェルは次兄の腕の中で、小さく手を振る。
そして、ジズリーズはどこまでも揺らぐことのない穏やかな声音で告げ、微笑んだ。
「お気をつけて――行ってらっしゃいませ、兄上」
嵐の前のなんとやら――か。
国王は王弟の笑みに対してそんなことを、頭の隅でチラリと思う。
嵐の中心はいつだって、風は凪いでいて穏やかなのだ。
大変なのは、周りだが……。
ジルビアはこれから展開されるであろうことを、この目に出来ないことを少しだけ惜しみながら、弟妹たちに背中を向けて手を振った。
「行ってくる」
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