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 姫君の仰せのままに

 女装騎士は罠を仕掛ける・後編

 僕は決意をもって、男たちを虜にする色香を辺りにまき散らす。
 一分も待たずに、僕は注目の的となった。ダンスの申し込みをしてくる男たちを適当にあしらっていると、釣り針に引っかかった魚のごとく、男が釣れた。
 栗色の柔らかそうな髪――将来、薄毛に悩まされそうな男――栗色の瞳。健康的に日焼けした小麦色の肌は、どちらかと言えば武人。ちょっと僕より肉厚な胸板、頭一つ分飛び出た長身、太い腕は上着の袖をパンパンに張っている。
 この類の男を筋肉馬鹿と、世間ではいう。
 無駄に鍛えたところで、筋肉が鋼鉄の鎧に変わる訳じゃない。
 だから僕は身体をムキムキに鍛えたりはしない。そういう男は姫様の好みではないし、僕の美学にも反する。
 筋肉は見せびらかすものじゃない。脱いで初めて、その真価を問うのだ。それに筋肉ムキムキの男児が女装した姿を想像するといい。萎えるだろう?
「麗しき姫君のお名前をお聞きして、よろしいか」
 魅力的だと思い込んでいるんだろう笑顔を見せつつ、ディートリッヒ王子が僕に問いかけてきた。
「まあ、人の名を知りたいのでしたら、まずは自ら名乗るのが礼儀でありませんか?」
 僕は作り声で嫌みを混ぜ込んで言ってやった。初歩的なやりとりだ。名乗り合うところから始めなきゃならないとは。僕の名前を知らないのは当然として、己の名前くらいは名乗れよ。この一連から、王子の程度が知れる。
「これはこれは、私の知名度も存外に低いようだ」
 苦笑してもまだ名乗らない。これを誘いのきっかけにしようというのだろうか、つまらない男だ。背後で姫様の吐息が聞こえた。僕と同じく、つまらないと感じているのだろう。
 男の魅力は会話の知己にも現れる。大概、自分の自慢話をする人間はつまらない人間だと覚えていた方がいい。世間は自分が思っているより広いものだ。自分が一番だと思い込む馬鹿ほど、恥ずかしいものはないからね。人間なにより、謙虚さが大事だ。
 ――えっ? 僕が自慢ばかりしているって? 勘違いだよ。事実しか言っていない。
「以前、どこかでお会いしたかしら。あなた様のような素敵なお方、一度お目にかかったのでしたら、忘れたりしないでしょうに」
「私もですよ、麗しき人。あなたを今宵初めて目にして、私の胸の内が歓喜にどれほどうちふるえたか」
 うわぁ、何てありきたりな表現なんだろう。詩才はないと見た。脳味噌まで筋肉と化しているに違いない。ややげんなりするも、まあ、いい。別に王子と会話を楽しみたいわけじゃない。
 僕の任務はディートリヒ王子を抹殺――間違えた――誘惑して、メロメロにさせた後、男である僕に惚れたことを大々的に知らしめて社会的に抹殺……どうやら、僕は本気で王子を殺したいみたいだ。
 理性を保っているつもりだったけれど、姫様の夫候補が選ばれたことで、腸が煮えたぎるような怒りが僕を動かしていたようだ。
 結局、何だかんだと心の内で文句を垂れながらも、女装までしてここに来ているのは、王子を殺すため――待て待て待て。
 少し、冷静になろう。ふぅっと息を大きく吐けば、王子が僕の顔を覗き込んできた。いまちらりと胸元に目を走らせなかったか?
「如何された」
「いえ、素敵な殿方にお目にかかって、心臓が興奮しているようですわ」
 僕はそっとドレスの胸元を押さえる。詰め物で胸を膨らませているとはいえ、元々は真っ平らだ。上から覗き込まれては、バレてしまう恐れがあった。
 デコルテが大きく開いたドレスが主流である以上、境界線はなかなかきわどい。
「少し、外の空気を吸いたいですわ。ご一緒していただけるかしら」
 小首を傾げ、上目遣いで王子を見上げる。姫様直伝の誘うような視線! どうだ。
 このとき、唇をやや半開きにされちゃうと、僕は姫様の前に撃沈するのだ。
 男は往々にして、易い生き物だったりする。
 王子も例外ではなく、名も知らぬ貴婦人――僕の誘いにのってきた。
「喜んで、お供させてください」
 エスコートしようというのか、片腕を差し出してくる。太い筋肉質の腕に僕は身体を寄せながら、二人揃ってテラスに向かう。途中で、王子は給仕のトレイから酒が入ったグラスを取った。僕に飲ませて酔わせるつもりなんだろうと推測すれば、案の定。
 上等だ、掛かってこいっ! 僕は差し出されたグラスを受け取り、飲み干す。酔った真似をすれば王子は僕を介抱するふりをして、宮廷の奥の部屋へと連れ込んでくれた。
 あまりに計画通り過ぎて、つまらないっ! 大体、女をこんなに簡単に手込めにできると思っている馬鹿が嫌だ。
 僕はベッドに押し倒され、のしかかってくるディートリヒ王子を押し返しながら、声を上げた。
「ああ、誰かっ!」
 悲鳴を上げながら、僕は身をよじり、ドレスを乱す。目撃者を呼び込み、王子に襲われている印象を与えながら、しっかりと僕が「男」であることを証明しなければならない。
 女であれば、黙認されてしまうのが、今の男尊女卑の社会だ。
 姫様がこんな男を婿に迎えなければ、後継者として認められないなど、世の中は間違っている。
 僕は怒りに似た咆哮で、今一度声を上げようとしたそこへ、鈴のような一声が場に割り込む。
「そこまでですわ、ディートリッヒ様」
 麗しき美声は、僕の姫様に他ならない。壁と同化するその特技を生かし、ちゃんと僕らを追いかけてきてくれていた。
 そして今は、真っ直ぐに背筋を伸ばし、顎を持ち上げ、唇をきつく結んで凜然と、未来の女大公の貫禄を見せつけている。
 姫様の姿を目にした王子は、雷に打たれた如く目を剥き、硬直していた。
 どこからともなく現れたと感じているのだろう。一瞬で気配を消し、また一瞬で女王然とした神々しさを纏う姫様に、僕はベッドから這い出て、その細い腰に抱きついた。
「お助けください。王子が私を無理矢理」
 抱きつきながら、どさくさ紛れに姫様の芳しい、薔薇の匂いを肺一杯に吸い込む。
 これぐらいの役得はあって良いだろう。浅ましく鼻を動かす僕を窘めるように、ふわりと金髪縦ロールのカツラ越しに、姫様の手を感じる。
「カール。もういいの、茶番は」
 そう言って、姫様はカツラをはぎ取って床に捨てた。
 さっさと外したいと思っていたけれど、ドレス姿の格好で頭だけ男の僕に戻るというのも、何だか居たたまれない気がする。
 カツラを返してほしいなんて、数刻前に思うとは誰が想像しただろう?
「どういうことです、これは」
 王子の声が微かに震えていた。
「セシリア姫。あなたは私とカール殿との仲を取り持ってくださるはずだったのでは」
 そうして続けられた言葉に、今度は僕が雷に打たれたような衝撃を受けた。
 ――はい?
「カール、ディートリヒ様は私の絵姿の端に紛れ込んだ……」
 声がしぼみ呆れた風に、姫様は僕を見た。
 だって、姫様。僕たちはいつも一緒じゃないですか。
 だから見合い用の姫様の肖像画に、僕の姿も描き込んでくれと画家に脅し――ごほん、お願いしていた。その結果、マントルピースの前で優雅に猫と戯れる、愛くるしい姫様の背後に、僕の姿が一幅の肖像画として描き込まれた。
「貴方に、一目惚れなさったの」
「えっと……あれ、男ですよ」
 今の女装姿と違って、騎士服の僕である。幾ら僕が美しいからと言って、女性に間違われるとは考えられない。つまり。
「ディートリヒ様は男色家なのよ」
「えーと……」
 既に姫が承知ならば、決定的ではないにしても疑惑の段階ながらある程度、周囲に知られていると見なすべきだろう。
 だとすれば、あれ、社会的に王子を抹殺する計画は?
 目をぱちくりさせる僕を余所に、姫様は王子に向き直った。
「仲を取り持つとは、誤解です。私はあくまでカールを貴方様に引き合わせる手筈を整えただけのこと。まさか、こんないきなり部屋に連れ込むとは思ってもいませんでしたわ」
 だけど、姫様。僕に王子を誘惑しろと言っていた時点で、この展開は予測済みでは。
「お話になっていないのですか」
「先入観は禁物だと考えました。そしてカールが貴方の好意を受け入れるか否かを決めるのも、彼の意志で決めるべきだと」
 ディートリヒ王子の目が向けてくる熱い視線を前に、僕は慌てて首を横に振った。
 いやいやいや、僕の操は姫様だけのものですから――そう宣言したいが、混乱から声が出ない。ただ縋るように、姫様の腰にしがみつく。僕と姫様を引き離せる者などいないのだ。
「王子、残念ながらカールは貴方とは同じ趣向ではないようです」
「セシリア姫。貴女はそれを最初から御存じだったのでは?」
 皇子は苦々しく歪んだ唇から絞り出して言った。それに対して、姫様は厳然と返す。
「カールの性向について、私が知っていることやカール本人が思っていることなど、実際にどれだけ真実であることでしょう。ディートリヒ様とて、ご自分が最初から男性がお好きなのだとわかっておいででしたか?」
 静かな問いかけに、王子は無言で首を振った。この道に至るまで言葉に仕切れない葛藤があったのか、唇を強く噛んでいる。
「だから、私も確かめる必要がありました。カールが貴方様に心惹かれる可能性がないとは言い切れませんでしたもの」
 そうしおらしく言っていますけど、姫様。僕が姫様一筋なことは、御存じですよね?
 思わず口を開き掛けた僕の頭を、姫様の指ががっしり掴んで締め付ける。
 あの、ちょっと、かなり痛いんですけど?
 思わず呻いた僕の声を消すみたいに、姫様は凜然と声を響かせた。
「世間一般には、男と女の組み合わせだけが、性愛の対象として許されていますが、それは教会が植え付けた概念でありましょう」
「貴女はそれに疑問を持たれているのですか」
 ええ――と、姫様は頷いた。
「私は男女という概念の前に、人間一人一人と向き合いたいと思っております。ですから、ディートリヒ様。私の方から、貴方様との結婚話をお断りすることはありません」
 何ですって? 立ち上がり掛けた僕の頭を姫様の手が押さえ込む。僕の体勢が腰砕け状態とはいえ、何でそんなに力が強いんですか、姫様っ!
「私は男を愛するのに?」
 自嘲染みた笑みを唇の端に浮かべ、王子は斜めに姫様を見た。己の性癖が周囲に受け入れられるわけがないと、わかっているから、無粋を承知で早々に事に及ぼうとしたのだろうか。
 若干、同情を覚えるが、それでもいきなり押し倒すのは駄目だろう、お前。
 合意がなければ、どんなに愛を語って見せたところで暴行だと、姫様は仰っていたぞ。
「私も恐らく、貴方を愛することはないでしょう。ですが、友人としてならば、共に新たな世界を作っていけるのではないかと考えております」
「新たな世界?」
「男女問わずに、誰もが心から望む者と結ばれる世界。私はそんな世界を作りたいと思っておりますの。ディートリヒ様、そのために私に力をお貸しいただけないかしら」
 僕が推測していた道筋とは大きく異なったけれど、当初の予定通りに姫様は、王子の弱みにつけ込んで取引を提案した。
「具体的に何をすれば良いのですか」
 姫様の深遠なるお考えを瞬時に読み解ける頭脳は、王子にはないようだった。
 しかし姫様は表情を崩すことなく、言った。
「このまま、結婚話を進めてください。婚約者として、私に時間を与えて欲しいのです」
 王子の醜聞で結婚話が御破算になった場合、王子本人とカルバンクールにダメージが与えられる。だが、それは外交的にはあまり良くない手であることは確かだった。
 ディアチール公国が優位に立てば、二つの国の均衡が崩れる。それは下位に置かれた国に不満の種を植え付けるのだ。
 それに、王子との結婚話が消滅すれば、大公は新たな花婿を選び出すだろう。そいつを抹殺――じゃなかった、その結婚話を潰すために、再び姫様の貴重な時間が奪われてしまう。
 姫様はディートリヒ王子を味方に付けることで、時間稼ぎができると計算したようだ。
 男色家の王子相手ならば、操を心配する必要もない。殺すのではなく、生かすことで一石二鳥の効果を狙うとは、流石に僕が見込んだ姫様のことだけはある。
 感嘆に瞳を濡らす僕の斜め上で、姫様は極上の笑みを浮かべて言った。
「それに、これからのお付き合いのなかで、カールが貴方様に惹かれないとも限りませんわ」
 ――あれ、僕、餌にされています?
 疑問を覚える僕を余所に、王子の瞳がキラキラと輝き、声が朗々と響く。
「盟友の杯を交わしましょう、セシリア姫」
 姫様と王子の熱い握手が頭上でかわさるのを僕は呆然と見詰めた。
 今日もまた僕は姫様に踊らされ、全ては、姫様の掌の中に――。


         「姫君の仰せのままに 完」

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