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お題提供・色彩の綾

title.9 小さな強がり


 ――まあ、こんなことだろうと思ったわ。
 秋の空は変わりやすい。朝早くは陽気だった青空に薄い雲が広がりつつある空の下、城下町で、メイドのセレリアーナは主であるクロレンスの動向を見守った。
 彼に(たばか)られ――というか、間抜けな脅しに屈して、彼女は帝国第二皇子クロレンスのお忍びに付き合っていた。
 手を引っ張られるままに、城とは反対側へと歩きだした彼は、道の端で花を売る少女の前で立ち止まると、花を一つと少女に向かって注文した。
 小さな花を寄せ集めて作ったブーケをクロレンスは花売りの少女から受け取ると、それをセレリアーナへ捧げるように差し出し、いつもの如く調子のいい言葉を滑らかな舌にのせた。
「君の美貌の前では、この可憐な花たちも色褪せてしまうな、セレリアーナ。だが、花は枯れようとも俺の君への愛は枯れることなく永遠に咲き続けることを誓って、美しき我が花嫁にこれを贈ろう」
「あなたの花嫁になった覚えはありません」
 ぴしゃりと、セレリアーナは眼前にあるクロレンスの手を払いのけたい衝動にかられるが、彼が持つ花に罪はない。
 万物に宿る精霊たちを崇めていた古の王国ファーブニルの、生き残りであるセレリアーナには例え道端に咲く野草の花でも、愛おしさを感じる。
 懸命に咲いて、人の手に摘まれながらも、その美しさで見る者の心を和ませてくれる花。そこに宿る精霊の魂を包み込むように、セレリアーナは手渡された花束を受け取った。
 そこまでは良かったが、陶酔するクロレンスの斜め後ろで花売りの少女が恐縮したような声音で、もじもじと言った。
「あのお代を……お願いします……」
 セレリアーナは期待もせずにクロレンスを見つめる。案の定、彼はきょとんとした様子で首を傾げた。帝国の第二皇子はいつも城に訪れる商人から物を買うが、自ら代価を払ったことなどないのだろう。
 馬鹿だなんだと囁かれながらも一応、辺境のアルシュを預かる立場である。領地の財政関係の書類に秘書官からお小言を貰いながらも目を通しているだろうから、物を買うにはお金が必要なことはわかっているだろう。
 そう秘書官の目が光っていることもあるだろうが、領地経営に破綻はなかった。穏やかな町の様子や城での生活を反芻してみると、クロレンスは領主として民に嫌われてはいないのがわかる。
 一回り上の年長の使用人たちの昔話を小耳に挟めば、クロレンスが来る前のこの辺りは、中央に見捨てられた感が根付いていたようだ。
 アルシュは皇帝直轄領だが、実際は皇帝に任命された貴族が代わりに治めていた。それが帝国の皇子が直々に領地経営に乗り出した――実際は帝位争いから逃げたと噂されているし、馬鹿皇子とも囁かれているが、無茶な政策を見せたことはない。
 城の使用人たちも主の目に――その肝心の主が、メイドのセレリアーナを追いかけているのだから――怯えることなく、気楽に仕事をしている。むしろ、しょうがないと生温かい目で見守られ、自分たちがしっかりしなければと率先して動いている。本末転倒な感じがしないでもないが、人を動かすというそれだけを見れば、なかなか稀有な才能だろう。
 だが、全てを人任せにしているクロレンスが、出掛けの際に財布を持って来たと期待するには、クロレンスという人間は常識面においては実に頼りない御仁であった。
 そして、悪い期待は裏切ってくれないのだから、なかなかどうして。
 ――この人、後先のことなんて、考えていなかったのでしょ!
 お忍びで城を出てきて、町で遊ぶ気満々だったようだが、肝心の財布を持って来なかったようだ。
 用意周到に見えて、底が浅い。もしかしたら、これも馬鹿なふりなのかもしれないけれど、そこまで徹底的に馬鹿を演じなくてもいいのではないかと言いたくなる。
 ――いいえ、正真正銘の馬鹿なのかもしれないけれど!
 こめかみがピクピクと引きつるような感覚に耐えながら、セレリアーナは財布から銅貨を一枚取り出して、少女に渡した。
「これで足りるかしら?」
 少女は銅貨を受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます!」
「こちらこそ、綺麗な花をありがとう」
 セレリアーナは心の底からの笑顔を少女に差し向けた。
 花を売って得た代価が少女の生活を潤すことで、摘まれた花の精霊も自らの存在に喜びを覚えたのか、うっとりと心を(とろ)かすような芳香を放った。
 自然はときに荒々しく手がつけられないときもあるが、一つ一つの存在――そこに宿る精霊は人間側に優しく寄り添ってくれていた。
 ファーブニルで暮らした十六年間で知ったことをセレリアーナは、国を追われ六年が過ぎた今でも忘れてはいない。
 精霊たちの声は人間の言葉のように耳に出来るものではないけれど、見た目や香りといったもので語りかけてくれる。だから、故郷を離れても彼らが心の内側で息づいていると信じていられた。
 クロレンスに対する苛立ちも、精霊の存在によって癒されて、セレリアーナは傍らに立つ皇子を振り返った。そこでこちらを穏やかに見つめる緑の瞳に出会う。
「――何か?」
 てっきり自分の失態にしょぼくれているか、それがわからなくてキョトンとしているかと思っていたセレリアーナは、クロレンスの表情に逆に戸惑わされた。
「いや、良いものを見せて貰ったと思ってな」
 口元を緩やかに解いてクロレンスは微笑んだ。爽やかな笑顔にセレリアーナは睫毛を瞬かせる。
「良いもの?」
「ああ、君の笑顔だ。優しくて慈愛に満ちて、美しい」
 そう囁くクロレンスの声の調子がいつもと違うような気がした。
 口説かれている風に感じないわけではないのだけれど、感嘆が混じっているような――深く染み込む感じで、セレリアーナの胸の奥に響いてくる。
 普段、秘密を守るために被っているメイドという仮面が突然、透明になったような錯覚に陥る。素顔を見透かされただけでなく、身体まで裸にされたような気がして、体温が上がった。
「その笑顔を俺にも見せて欲しい、セレリアーナ。俺はずっと、その笑顔が欲しかった」
 囁くように乞われて、戸惑う。いつもなら、大袈裟な美辞麗句で熱烈に求婚してくるところだ。そんな調子なら、冷たくあしらえるのに。
「……私の笑顔は、相手によります」
 火照った頬を見られたくなくて、セレリアーナは視線を逸らす。
 その先にガラス張りの商店があり、陽の加減で鏡のように二人が映っていた。
 質素なコート姿のセレリアーナと渋栗色の上下で身を包んだクロレンスの二人は、かつては一国の王女であり、かたや帝国の第二皇子であるなど、誰にも想像のつかない組み合わせであるだろう。
 セレリアーナはいまや大陸に広く信仰している唯一神アインスの教義においては、異端として滅ぼされたファーブニルの王女だ。自らも異端の魔女として、捕まれば火刑に処されるであろう身である。
 六年前に命からがら炎にまかれた王国を脱し、帝国の辺境アルシュにあるエーファ城に住み込みのメイドとして偽っている現在、本来なら帝国の第二皇子であるクロレンスと釣り合う身分ではない。
 それでもクロレンスは、メイドであるセレリアーナを口説いてきた。六年間、何度も何度も振られ冷たくされても、懲りることなく。
 身分違いの恋を弁えない皇子に、エーファ城の皆はクロレンスを馬鹿皇子と呼ばわっている。それは一部では、帝位争いを避けるためにあえて馬鹿なふりをしているのだと言われてもいるけれど、彼の真偽は未だに以て、わかっていない。
 ――でも……。
 ガラスに映るクロレンスは少しだけ寂しそうな目で、セレリアーナの背中を見つめている。この角度からでは、彼にはガラスに映る己の姿は見えないのだろう。
 ――何故、そんな顔をするの? 振られても、それに気づかないふりをして、あなたは何もなかった顔をするじゃない。
 セレリアーナは先程、自分の素顔が晒されたと同時に、クロレンスの真実が見えた気がした。
 日常と化した馬鹿げた求婚劇は、クロレンスなりの演技ではないかと少し前に考えた。
 手応えのないセレリアーナを馬鹿なふりをしてクロレンスが口説いている間は、誰も二人の恋に危機感を抱かない。
 皇子とメイド、端から結ばれるはずのないものだ。例え、二人がその気になっても周りは許しはしないだろう。
 愛妾や一夜限りの相手ではなく、クロレンスは結婚を視野に入れているのだから、許されるはずがない。
 帝国の帝位は指名制であるから、第二皇子であるクロレンスにも十分、帝位が狙えるのだ。彼自身は帝位に興味などなさそうだが、周りも同じであるとは限らない。
 クロレンスがセレリアーナを本気で欲しがれば、彼を帝位に就けようとする者たちは即座に邪魔しに割り込んで来るだろう。最悪、セレリアーナは城から放り出されるかもしれない。
 そういった先をセレリアーナ自身は予測しているし、例え結婚は出来なくても一緒に傍にいられる現状を維持したいと思っているから、彼の求婚を拒み続けている。
 その結果が、六年だ。
 最初の頃は、クロレンスの口説きなどセレリアーナにとっては雑音でしかなかった。秘密を守り、一日でも長く生きること、それだけを支えに故郷を失くした悲しみに耐えてきた。
 でも、クロレンスの馬鹿げた言動が孤独を癒してくれたから。ときに本物だと思える優しさを感じたから、いつの間にか彼に惹かれていた。
 クロレンスの真意がどこにあるのかは、わからない。彼に真意を問うたことはないし、彼の本音を知ってしまえば、自分の感情が胸の奥から溢れそうでセレリアーナは、彼は馬鹿なふりをしてわざと身分違いの自分を口説いているのだと、そういう前提で距離を置いている。
 ――本気で身分違いの恋を叶えようなんて、思っていないでしょ?
 セレリアーナはガラスに映るクロレンスの影に向かって言いたかった。
 彼にとって自分は利用しやすい相手で、だから素っ気ない態度も拒絶にも傷つくことなんてないはずだ、と。
 なのに時折見せる優しさが、瞳に翳る寂しさが、彼の想いが本物であるかのように思わされる。それはセレリアーナが望んでも、絶対に手に入れてはならないものであるのに、だ。
 ――私はあなたの重荷になるの……。
 自分が抱える秘密が知れたら、クロレンスの皇子としての立場だけの話ではなくなる。帝国もまた唯一神アインスを信仰しているのなら、異端の魔女を妻にしようとするクロレンスもまた、窮地に追い込まれるだろう。
 ――だから……。
 本音になんて、気づかせないで。いつもの通り、馬鹿なふりをしてやり過ごして。
 それが皇子とメイドである、二人に許された今なのだから……。
 セレリアーナは祈るように、手にした花束を胸に抱いた。震える感情を押し殺し、涙を堪える彼女の代わりに、ぽつりと空が泣いた。


                             「小さな強がり 完」



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