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 ハロウィンの恋人


 私の恋人は人を驚かせるのが、大好きな人。


「Trick or treat! (お菓子をくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ)」
 そんな声が通りに飛び交う、ハロウィンの夜。
 薄闇に沈む街角を、オレンジ色の明かりが飾っている。口を開けたパンプキンからこぼれたロウソクの灯火に、揺れる影。
 天使や悪魔、包帯をぐるぐる巻いたミイラ男や黒いマント姿の吸血鬼。つばの広いとんがり帽子にホウキを片手にした魔女。
 大人より一回り小さいサイズの人影が通りをバラバラと駆けていく。
 キャラキャラと響く笑い声の賑やかさに、今宵は街全体が活気付いているように感じる。
 いつもは冷たく感じる部屋の空気が、熱っぽく感じるのは、窓辺に飾ったランタンのせい。
 きっと、あの人なら喜び勇んで、パンプキンでランタンを作り、仮装に凝って、街中に踊りだしただろう――そう思えば、知らずに部屋を飾りつけている私がいた。
 ピンポーン、と。
 玄関のチャイムが鳴る。その音に誘われるようにして、私はドアへと足を向けた。
 開いた扉の先には、狼男のマスクをかぶった子と白いシーツを頭からかぶってゴーストに扮装した子がいた。
 私を見上げると、声を揃えて口にする言葉は、
「Trick or treat!」
 明るく元気な声が、響いた。
 用意していたお菓子を手渡すと、靴音を鳴らして、可愛いお化けたちは去っていった。
 瞬きの賑やかさに取り残されて、私はそっとため息をこぼす。
 開いたドアから忍び込んでくる夜気が、私の熱をゆっくりと冷ましていく。
 私は熱を奪われるのを拒んで、ドアを閉じた。
 ――きっと。
 あの人なら、今宵のお祭りを心の底から楽しんだだろう。
 子供たちに混じって、街の人たちを驚かせて、明るい笑い声を街中に響かせたに違いない。
 あの人は、とにかく人を驚かせることが大好きで。
 家族、友人、知人――果ては、通りすがりの人間まで、驚かせて。笑わせていた。
 でも、妙に真面目なところがあって、嘘だけは口にしないというのが、ポリシーだった。
 そんな彼は、トレジャーハンターという、これまた冗談のような職についていた。
 船を駆って、海をさすらい、海底の沈没船からお宝を引き上げるというのが彼の仕事だった。
「デカイ真珠を見つけて来るから」
 意気揚々と海へ出掛けて行く彼の言葉を、皆は本気にしなかったけれど。
 嘘だけはつかなかった彼は、本当に大粒の真珠を幾つも見つけて戻ってきては、皆を驚かせた。
 黒く渦巻く嵐の海に出掛けて行って、何でもなかったような顔で帰ってきては、何度も何度も、驚かせた。
 私も何度驚かされたことだろう。
 私自身がすっかり忘れていた誕生日に、百本ものバラを贈られたときは、心臓が壊れてしまったんじゃないかと心配になるくらい、ドキドキした。
 真っ直ぐ、私を見つめて「好きだよ」なんて、言うんだもの。
 私の片想いだって思っていたから、泣いちゃうくらいビックリした。
 プロポーズも、実に彼らしい演出だった。
 四月一日のエイプリルフールを選んでいる辺り、本当か嘘か、迷わされた。
 嘘をつかない人だけれど、公然と嘘をつくことが許される日を選ぶから。
 私、貴方の言葉を信じていいのか、ドキドキしたのよ。
「今度さ、おっきなダイヤを見つけてくるよ」
「大きなって、どれくらい?」
「コインくらいの大きさかな」
 親指と人差し指で円を作って、彼は言った。
「そんな大きなダイヤなんて、あるわけないわ」
「あるよ。見つけてくるよ。だからさ、それをプレゼントするから、俺を貰ってくれない?」
「――えっ?」
「それを最後に、トレジャーハンターを引退するからさ。俺を貰ってよ」
「ええっと……それ、どういう意味?」
 回りくどい言葉で、私を戸惑わせて、貴方は笑っていた。
 青い空、エメラルドグリーンの海を背景に、白い歯を覗かせて。
「俺をお前のものにして。何でも言うことを聞くからさ」
「何でも言うことを聞くって……」
 じんわりと頭に染みてくるその意味。
 信じていいの? と、私は確かめるように尋ねる。
「じゃあ、もう危ないことしないで、って言ったら、聞いてくれるの?」
「俺を貰ってくれるなら、危ないことしないよ」
「ずっと、私の傍にいてって、言ったら?」
「ずっと、傍にいるよ。簡単には離してやらない。何しろ、仕事を失くしちゃうからね。養ってもらわなきゃ」
「私が貴方を養うの?」
「そうだよ。でも、おっきなダイヤがあれば、遊んで暮らせるよ」
「遊んでちゃ駄目よ。働かなきゃ――私、お店を開きたいわ。料理を出すの」
「じゃあ、ダイヤで店を建てよう。お前が料理を作って、俺は食べる」
「働くのは、私だけ?」
「お前が働けって言うなら、働くよ。言っただろ? 何でも言うことを聞くって」
「ダイヤを見つけてきたらでしょう?」
「うん。見つけてきたら。それをプレゼントするから、俺をお前だけのものにして。約束だよ?」
 笑って、碧い海へ出掛けて行った。
 危ないことはこれが最後だと言って。
 そして、その言葉通りに――最期にした。

 彼の船が、黒い海の藻屑となったこと。
 それもまた、彼特有の冗談で。ひょっこり帰ってくるものだと思った。
 だって、嵐の海から何度も帰って来たんだもの。今度だって、何事もなかったような顔をして、帰ってくるんでしょう?
 人を驚かせるのが大好きな人だったから。
 ……だけど、春が過ぎて、夏が終っても、帰ってこなかった。
 最初で最後の嘘を、彼はついたことになる。
 私はその嘘を認めていいのか、否か、いまだに迷っていた。

 ピンポーン、と。
 閉じた玄関を前に立ち尽くしていた私の耳に、再びチャイムが鳴る。
 サイドテーブルに用意していたお菓子を手に取り、ドアを開けた。
 あの人のことを思い出せば、胸がまた熱くなる。
 忘れられない、諦めきれない心があるから、私はパンプキンのランタンを作った。
 あの人がひょっこり帰ってきたとき、お祭りの用意をしていなかったら、ガッカリしそうだと思ったから。
 ……だから、お願い……もう一度。
「――Trick or treat」
 ドアを開けると、その声は私の頭の上から降りてきた。
 視線を上げれば、ちょっとだけ決まりが悪そうな私の恋人の顔がそこにある。
「ええっと、遅くなった。ごめん」
 ぺこりと身体を折り曲げて謝る彼を、私は視線を落として呆然と見下ろした。
「これ、約束のダイヤ。手を出して?」
 私の身体が動く前に、彼の手が私の手を引っ張る。
 肌に触れた冷たい感触。
 それは、大粒のダイヤの冷たさ? それとも。
「約束どおり、これで俺はお前のものだよね?」
 上目遣いに私の表情を探ると、彼はひんやりとした指先で私の頬を包む。
 私の熱を吸い取るように、彼はゆっくりと唇を重ねてきた。
 触れたかどうかわからないままに、彼の声が私の耳を撫でる。
「俺は永遠にお前のものだよ。だけど――」
 声を辿って、視線を動かした先にはもう、彼の姿はどこにもなかった。
 ただ、私の手の中にあったお菓子は消えて、冷たい輝石が一つ。

「――だけど、何でも言うことを聞くって約束は、守れそうにないや」

 整理のつかない頭の端で、彼の声が響いていた。

「――だから、寂しいけれど……俺のことは忘れていいよ。
 せめて、お前だけは幸せになって――」

 ハロウィンの夜は、死者がさまようという。
 私の恋人は、私を驚かせるために海の底からやって来た。
 サヨナラの言葉を告げに……。


                           「ハロウィンの恋人 完」