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 マリア


 僕の願いが叶うなら――お願いだよ、マリア。
 もう一度、笑って。

 この雨は、まるで君の涙のようだね、マリア。
 音もなく降り続ける雨に、僕は空を見上げて思う。
 空に薄く張り付いた雨雲から、しとりと、こぼれおちる雫は、アスファルトを黒く染めた。
 水たまりに落ちた涙が水面で弾けて、波紋を作る。
 揺れる波に濁る雨水。
 それは、僕の心のようだよ。
 あの日から、君は静かに泣いている。
 君のその姿を見るたびに、僕の心は暗く曇るんだ。
 君の涙を拭って、もう一度、笑って――と。
 願うことがどれほど酷なことか、僕にだって、わかっているつもりだ。
 それに、僕が君に何かを求めるような立場じゃないことも、理解している。
 ずっと傍にいると言ったのに、君を守ると約束したはずなのに。
 僕は、君の心を壊してしまった。
 目の前で潰される命に茫然と目を見開くしかなかった君に、僕は何もできなかった。
 鉄の塊が一つの命を引き潰していく様を君は目撃して、路面に広がる赤い海に悲鳴を上げて、君の繊細な心は壊れ、砕けた。

 現実から目を背けた君の瞳は、虚ろで。

 心は悲しみだけを詰め込んで。

 悲鳴を上げることに疲れた声は枯れて。

 君は静かに涙を流す。

 君の涙をぬぐうはずの僕の手は、空を掻くことしかできなくて。
 暗闇にしか存在することを許されなくなった僕は、君の傍に行けなくて。君との約束を果たせないこんな僕には、何かを願う資格なんてないんだろう。
 それでもね、やっぱり願ってしまうんだよ。
 泣かないで、マリア。
 もう一度、笑って。

 僕は君の笑い声を覚えている。
 とても明るい君の声は、晴れ渡る青空にどこまでも澄みわたって、響くんだ。その声を聞くと、僕も嬉しくなって、君の声を追いかけるように笑っていた。
 もうそんな懐かしい日々は二度と取り戻せなくて。
 僕はきっと一人、この暗闇の中で生き続けるのだろう。
 でも、マリア。
 君の世界には、風が吹いている。
 やがて、緩やかに吹く風は、空を覆った雨雲を払って、再び青空を取り戻すだろう。
 そうしたら、マリア。
 顔を上げて、涙を止めて。空にかかる七色の虹を探して見てよ。
 失くしたものを取り戻そうとするのは、とても難しいと思う。
 でもね、君の中に僕は生きているはずだよ。
 君と僕が過ごした日々を忘れないで。
 君を想った僕がいたことを思い出して。
 君の心で生きる僕を見つけて、僕の声を聞いて。

 僕は今も変わらず君を想っている。
 だから、マリア。
 僕の声が届くなら――お願いだよ。

 もう一度、笑って。


                               「マリア 完」

イメージソングは「MARIA/hitomi」です。

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