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 君に贈る嘘


 この嘘を君に――。

 見渡す限り青く晴れ渡った空を見上げて、あの日を思う。
 天を覆うその青は、君を乗せた船が泳いだ青い海に似ているわね。
 漂う白雲は、波頭のように風に漂い揺れる。
 気のせいかしら、春風の挟間に潮の香りを感じるわ。
 桜の花びら舞い散る季節、君との最後の思い出が残した匂い。
 旅立つ君を見送る私に、君はいつもと変わらない笑顔で、手を差し出しながら「さよなら」と言った。
「一緒に行こう」と、誘った君に、私が首を横に振った時から、私たち二人の別れは決まっていた。
 君には沢山の可能性を秘めた世界が広がっていて、だけど、私は君とは違う。ここを離れては生きていけないの。
「どうしても?」と問う、悲しげな君の瞳を見ても、私は頷けなかった。
 君を失くすとわかっていても、この地を離れられない。
 人魚姫は最初から海でしか生きられなかったのよ。私も同じ、ここでしか生きられない。
 だけど、君は違うから。
 君は何も縛られず海を越えて、どこまでもその足で、歩いていけばいい。
 だから、私は君の手を放す。
「また――逢いましょう」
 離れる指先の温度を失くさないように、拳を握りしめて、これっきりだとわかっていた癖に、私は君に嘘をついた。
 君は私の嘘を承知していた癖に、笑って頷いた。
「――うん。また逢おう」
 ねぇ、どんな気持ちで、君は笑ったのかしらね。
 四年前のエイプリルフールの優しい嘘は、甘い思い出として、私の心を縛り付けて、今も変われない私がいる。
 ……君はどうしているかしら? 新しい恋を見つけた?
 君が今も私を想ってくれていればいい――なんて、嘘。
 ……今は幸せ?
 君が幸せならいい――なんて、これも嘘。
 エイプリルフールの今日、私は律儀に嘘をつく。
 なんてね、私はいつだって嘘ばかりついてきた。
 君がいないことが寂しくてたまらないのに――。
 ……君がいない日常に慣れたふりをした。
 君を諦めようと何度も心に言い聞かせたのに――。
 ……君へと募る想いは、文字を綴っていた。
 君へと届けようと言の葉に託した手紙は、一度も投函されずに私のポケットの中に戻って来る。
 私は四年前と変わらずに君が好きだけれど、君が――君の心が、どんな風に変わったのか、知るのが怖い。
 どこへも行けない、私。
 変われない、気持ち。
 私は自分の気持ちに嘘をついて、傷つくことから逃げ出した臆病者だ。
 君の新しい世界に、きっと私はついて行けなくて。呆れられるのが怖くて。嫌われるのに怯えて――踏み出せずに、この場に留まった。
 ……ねぇ、君は今どうしている?
 逢いたい――それも、きっと嘘。
 私から、君の手を放してしまったのに、今さらどんな顔をしてそんなこと言えるというのだろう?
 物思いにふけって辿る帰り道。風に再び潮の香りを嗅いだ気がして、私は顔を上げる。
 春の日差しの中に立つ人影を見つけて、私は目を丸くした。

 ――これはエイプリルフールの冗談?

「ただいま」
 懐かしい声が、一つも変わらずに私の耳に届く。
「何で、いるの?」
「また逢おうって、約束したでしょ」
 目を瞬かせる私を前に、悪びれた様子を欠片にも見せることなく、むしろ、してやったりと言いたげな顔で、君は笑った。
 四年の月日に少し面差しが変わった、だけど懐かしさを感じてやまない笑顔。
 茫然自失の私は頭が動く前に、問いかけていた。
「だって、あれは……嘘じゃ」
「エイプリルフールだから、嘘をつかなきゃならないわけじゃないよ。君が嘘をついたからって、僕も嘘をついたなんて思ってた?」
 君は頬を傾けて、笑う。
「……嘘でしょ?」
「本当」
「だって……」
「また逢おうって約束が嘘じゃなく本当だったこと、僕がここにいることで証明にならない?」
「何で……」
「帰ってこないなんて言ってないし。君と、一緒に行けたらいいなと思っていたけれど、何もずっとあちらにいるなんて、僕は言っていないよ?」
「……嘘でしょ?」
「本当」
「だって」
 さよならって、君は言ったじゃない。
 一緒に行けないと言った私を、君は悲しげな目で見たじゃない。
 それは二人の終わりを――別れを、悲しんでくれたからじゃないの?
 もう二度と会えないからじゃなかったの?
「君が勝手に勘違いしただけ。君が勝手に僕の気持ちを決めつけるから、ちょっと意地悪してみた」
「意地悪?」
「曖昧な別れ方をしたから、この四年、やきもきしたでしょ?」
 ニヤニヤと笑いながら、君は言う。
「えっ?」
「僕のこと、忘れられなかったでしょ?」
「なっ! 君こそ、私の気持ちを決めつけているじゃないっ!」
 四年も私の気持ちが変わらないって、確信していたというの?
 それで何も告げずに、別れたというの?
「ばっ、馬鹿じゃないのっ?」
 そう言いながら、馬鹿は私だと自覚していた。
 臆病者で、この場所から離れられない弱虫の自分が次の恋に進めるわけない。
 それはとても、明確なことで。
 そして、恋心を告げられずにまごついていた私を見つけてくれた君には、きっとお見通しで。
 ……だから、帰って来てくれたの?
「そう、僕って馬鹿の一つ覚えみたいに君のことが好きなんだ。でも、それはお互い様だよね。だって、君も僕のこと好きでしょ?」
 返って来る答えすら既に予測済みのような、余裕たっぷりの笑顔で君は問う。
「嫌い、嫌い、大っ嫌いよっ!」
 見透かされた恥ずかしさに、顔を真っ赤にして叫んだ。
「それこそ、嘘だね」
 君はクスクスと笑いながら私を抱き寄せ、嘘つきな唇を捕まえた。


                               「君に贈る嘘 完」

イメージソングは「四月馬鹿/Cocco」です。