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お題提供・色彩の綾



 ブラッドローズ 〜紅薔薇の懺悔〜


 黄金(こがね)色の陽光の強さに焼かれて、燃えた身体が地面に黒く焦がされたかのように、くっきりと浮かび上がった人影に目を上げれば、君は白めく逆光の中で笑ったようだった。
 軽やかな声が下草を揺らす柔らかな風に乗って、僕の耳朶(じだ)を撫でていった。
 君は明るく声を弾ませながら、ドレスの裾を揺らして光と闇の境界線に立ち、木陰の下で涼む小さな僕を冒険に(いざな)う。
『ねぇ、一緒に行かない? 森の奥に面白いものを見つけたの』
 君が指差した彼方の緑。厚く塗り重ねられた深緑の奥にそびえ立つ古城を僕は初めて目にした。
 いつもは森に覆われ、誰の目にも触れるはずがなかったその城が僕たちの前に姿を現した意味を考えれば、決して近づいてはいけなかったのだろうと、今にすれば思う。
 けれど、森へは近づいてはいけないという大人たちの忠告は、君や幼い僕の好奇心を刺激するのに十分だった。
 無邪気な笑顔と共に伸ばされた君の白い指先に、導かれるように僕は腰を上げて、手を伸ばす。
 あと少し距離を縮めれば君に触れる。
 僕は焦がれるように背を伸ばし、身を乗り出して――そして、君の指先に触れた瞬間、夢は砕けた。
 夜が、彼方の思い出を塗りつぶして、現実に醒めた僕を冷ややかに包んでいる。
 丸い月の白銀色の光りが、石畳の上に僕の青い影を縫い付けていた。
 途方にくれたような人影の手に握られたそれを僕は自らの眼前に持ち上げる。月明かりを反射して鈍く光る銃身に、僕は緊張に震える吐息をついた。
 こぼした息に静寂は打ち破られ、合図を待っていたかのように、舞台の幕が開ける。役者が靴底をかつんと鳴らし、石畳を蹴って現われる。
 僕は今宵に用意された舞台へと視線を流した。その先には、月明かりを一身に受けて青白い光のドレスをまとっているかのように、優雅にたたずむ君の姿があった。
「久しぶりね、素敵になっていて見違えたわ。元気だった?」
 君は肩の上で髪を踊らせ、小さく微笑んで問う。
 真っ直ぐにこちらを見据える瞳は魔力でも宿っているかのように、僕の視線を惹きつける。
 目を瞑って、夢に逃げ出したいけれど、それは叶わない。
 諦めに似た吐息で、僕は返した。
「どうかな。……君は、あの頃と変わらないね」
 懐古するあの日の夢はもう遠い。
 恋に恋をしていた幼い少年の背筋も長く伸びた。
 あの日、君を見上げて背伸びをするしかなかった僕は、今では君を見下ろすようになっている。
 どれだけのときが流れたのだろう。
 指を折って数えることも、眩暈を覚えるほどの月日。砂時計の砂は、きっと天に届く頂きを作ってしまうだろう悠久なるときの果て。
 それなのに君は、あの日のままで在り続ける。
 今の君を現と定めるのなら、あの日の君は幻だろうか。
 実際に触れた指先の記憶は確かに僕の中にある。
 夢は続かなかったけれど。
「そう、そうね。私はあの日のまま――ねぇ、あなたも一緒に、来ない? 今ならあなたも仲間に入れるわ」
 雪花石膏のような白肌に、赤い薔薇が咲いたような唇が蠱惑(こわく)的にあの日と同じ声で、僕を誘う。まるで僕を試すように見つめる視線。
 陽射しの下の君なら、僕は迷わずにその手をとっただろう。
 僕は力なく首を横に振って、君に笑顔を返す。
 だけど……もう、あの日には還れない。
 僕がどんなに手を伸ばしたところで、君にはもう届かない。
 あの日の暑い日差しも、君が焦がした僕の心も。
 今は冷たく、悲しいだけ。
「一緒には行けないよ……」
 切なく響いた僕の声に、君は不思議そうに首を傾げる。
「どうして? 私が嫌いになった?」
 君を嫌いになることなんて、どうあっても出来るはずないだろう。それができたら、いつまでもあの日の夢に囚われていない。
「君が好きだよ。ずっと、好きだった」
 君を慕って後を付いて回った小さな僕を、君は一度も邪険にせず「私の小さな騎士様」と笑って、手をつないでくれた。
 君の快活な眩しい笑顔も、笑い声も――どうしようもなく好きで、堪らなかった。
「……今でも好きだよ」
 だから、ずっと探していたよ。
 君を取り戻す方法を見つけて、ようやく君に逢えた――と、僕は口にする。
 魔が棲む古城は獲物を探していた。うら若き乙女の血を欲して、あの城は君の前に姿を見せた。
 騎士を気取っていた僕は本当なら、君を守らなければならなかったのに……。
 僕は瘴気に当てられて、一歩も動くことができなかった。逃げ出すこともできない僕を守るために、君は牙を剥く魔物の前に、一人で飛び出して行った。
 鋭い爪が君を捉え、君の白い首筋に牙が喰い込むのを――あの日の僕はただ茫然と見ているしかなかった。闇の眷族(けんぞく)に攫われて、夜へと消えていく君を見送るしかなかった。
 けれど、今ようやく、僕は君を闇から解放できる。
 僕は手にした銃を持ち上げ、銃口を君に向けた。
「物騒なものを持っているのね」
 月影の下で黒光りする銃身を眺めて、君は呟いた。僕は小さく頷く。
 手にしたものの重さに、僕の腕が震えていた。
 この鉄の塊は君の命を一発の弾丸で奪う凶器だ。それを手にしている自分に嫌悪感が募る。
 それでも、この武器が君を呪いから解き放つのならば、僕は唇を噛んで君へと狙いを定める。
「ごめん、でも僕にはこの卑怯な飛び道具でしか、君を解放してあげられない」
 君の心臓に白木の杭を打ち込むなど、僕には出来ない。
 弱虫だと(わら)ってくれていいよ。僕は自虐に吐き捨てる。
「弾は、銀?」
「うん。……一発だけ、特別に譲って貰ったんだ」
 君には一発だけで、十分だと僕は知っていたから。
「そう……あなたは私を知ってしまったのね」
 僕は顎を引いて、そっと頷いた。
 君が獲物であり続けたのなら、君は既に朽ちていただろう。
 だけど、君は闇の眷族と化した。
 闇の眷族は時を止めて、永久に生きる。血を啜り、数多の人間を犠牲にしながら。
「……()えるの。どうしようもなく、止められないの」
 君は悲しげに呟いて、己の細い首筋に指を当てた。
 血の気の失せた白い肌は、月の明かりを受けて真珠のように輝いている。そこへ幾つもの赤い傷痕が走っていた。
 喉の渇きが堪え切れずに、爪を立てたのだろう。
 血が足りずに弱った身体は、闇の眷族特有の治癒再生も鈍る。
 その爪の痕は、君が飢えと戦った証だ。幾度も誘惑に屈しながら、それでも何度も戦ってきた。
「うん――」
「誰かに止めて欲しかった」
「――うん」
 知っていたよ。君の牙の犠牲者となった人たちの傍には、別の血痕がまるで薔薇の花のように咲いていた。
 餓えを必死になって堪え、自らの喉に爪を立てるほどに――君は苦しんだ。
 紅い薔薇は君の懺悔(ざんげ)の涙。血の涙を流して、君は罪を悔いた。
 だから僕は君をその苦しみから解放しよう。
「あなたが止めてくれるのね?」
「ごめん」
「どうして、謝るの?」
「あの日、君を助けてあげられなかった」
「でも、あなたは私を助けに来てくれた。今日、あなたに逢えて良かったわ」
 君は僕に笑いかけると、僕の手を取り銃口を自らの胸元に押し当てた。
「ありがとう、私の騎士様」
 背伸びした君の唇が僕の頬に触れる。僕と君の指が重なり、冷たい温度に怯えるように動いた僕の指が、引き金を引く。
 静寂のなかに鈍く響いた銃声は、じきに僕の慟哭(どうこく)にとって代わるだろう。
 君が胸に紅い薔薇を咲かせて――灰と散るまで。
 僕は君の最期を、幻ではなかった証にこの目に焼きつけていよう。
 サヨナラと、囁くように浮かべた君の清廉とした笑みが、どこまでも清く儚く、美しかったから……。


                  「ブラッドローズ 〜紅薔薇の懺悔〜」

イメージソングは「EVANESCENT/VAMPS」です。
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