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 秘歌


 緩く渦を巻いて流れる風に、旋律を紡いだ声が踊っていた。

 ――貴方の為に歌う――それだけが、私の証――

 耳に入り込んできた音に顔を上げて、彼は流れてくる風の根源を辿った。鈴を鳴らしたかのような音色が切に響いて訴えるのは、はるか昔の恋歌。
 それは争い渦巻き暗雲立ち込めた闇の時代に生きた歌姫が、戦場へと旅立つ恋人に向って歌った詩。

 ――だから、私の声を聴いて――私を見つけて――
 ――この闇の中で、貴方の為に――私は希望を歌いましょう――

 例え、何があっても私の心は変わらぬから、と。
 歌姫は誓いを歌った。
 そうして、争いが終ったのなら、私の元へ帰ってきて、と。
 恋人へ訴えた。
 前線の戦況は芳しくなく、死に戦へと立ち向かう恋人に、私はここにいるから、と。
 帰ってきて、私を見つけて、と。
 遠くなる恋人の背中に声が枯れるまで歌った。

 ――貴方の未来に――――光りあれ――

 そんな恋歌を歌うのは、誰だ?

 風に導かれ、旋律の糸を手繰って、彼は歩みを進める。長く伸びた草が彼の歩みを止めようかというように、足元に絡みつく。
 緑の葉を指先で払い、靴は下草を踏みしだく。潰された緑の香が立ち上がり、空を舞う風に、歌声が揺れる。
 彼の唇は、声なく問う。

 ……誰が歌っているのだ?

 だって、この歌は……。
 歌姫がこの恋歌を口にしたのは、ただ一度きり。
 それを耳にした者もただ一人きり。

 これは恋人たちしか知らない秘密の歌。


                                    「秘歌 完」


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