朽ちる紅、堕ちた花
季節外れの白雪の上に、鮮やかな紅が咲いていた。花首が降り積もった雪の重さに耐えきれなかったのだろう。
堕ちた花の赤に、わたくしは血を連想する。
この企みが露見すれば、我が首は斬り落とされ、あの花のように紅を雪の上に散らすのだろうか。爛熟した果実のように花弁が腐り朽ちて逝くよりは、首を斬り落とされても咲く花のほうが潔く思えた。
白雪に落とした赤い雫を唇に例えられたあの娘の真実を誰も知らない。
本物の魔性は漆黒の髪に漆黒の瞳をもったあの娘だ。人々を魅了するその美貌に、一体何人の男が狂わされ魂を奪われたことやら……。
たおやかに微笑む紅い唇は、そんな男たちの血を吸ってあのように赤く色づいたに違いない。
そして艶やかな唇は、これからも血を奪い続けるのか。そのようなことは、わたくしが許さない。
真実を語る鏡は、わたくしの瞳を見つめて告げる。
あの娘を生かしておいてはいけない――と。
いずれ、あの娘はわたくしの全てを奪い去る。いや、もう既にわたくしの運命はあの魔性に握られているのかもしれない。
生涯を誓ったあの方が陰惨な死を迎え、抜け殻となったわたくしが、再び得た幸を奪わんとしている。
ああ、まことに。
王があの娘を見る目を思い出すだけで、おぞ気だつ。あれが実の娘を見つめる目であろうか。きっと魔性に魅せられてられるのだ。いずれ、理性を奪われれば、他の男たちと同様の末路をお迎えになられるだろう。そのようなことはわたくしが許しはしない。
金を与えて娘を始末するように命じた者も、あの魔性に魂を奪われた。あの娘を生かしたまま、偽りの心臓を差し出して騙そうとするなど、わたくしを愚弄するのも甚だしい。
そしてあの魔性も何食わぬ顔で、城に舞い戻って来た。王をわたくしから奪い、城の権力を握り、わたくしをこの城から追い出す算段を白き顔の奥、暗い情念を抱えて練っているのだろう。
あの漆黒の瞳を見つめれば、わかる。あの瞳に宿る醜悪な姿を見ればいい、あれこそが真の魔性だ。怒りと憎悪に表情を歪ませ、髪を散り散りに乱した魔性の姿をどうして、誰も気づかぬのか。
だが、このままあの娘にわたくしの運命を握り潰され終わることなど、許さない。
鏡は告げる。
毒を与えて、殺せ――と。
嫁入り道具として持ってきた真実の鏡は、わたくしの支えだった。常にわたくしとともにあり、わたくしを美しく映してきた。鏡に映ったその姿が、わたくしに自信を与えてくれた。見知らぬ国に後妻という立場で嫁入りすることに、不安がなかったわけではない。
しかし、鏡は云った。
――そなたの美は、誰にもおとりはしない。故に、かの国の王はそなたを妻にと求めたのだ。
ああ、そのとおり。
あの方もわたくしを美しいと褒めたたえてくださった。赤い花のような髪も、唇もあの娘に負けやしない。この身をあの方に捧げられなかったのは、無念であったが。
かの国からの縁談には、父さまも母さまも喜んでくださった。一介の騎士であったあの方を蔑む両親を見るのは忍びなかったが、豪奢な花嫁衣装に嫁入り道具を揃えて祝福してくださった親心は本物であっただろう。
かの国との縁結ばれれば、我が国も安泰だと、訳知り顔で語る大臣の言葉は、わたくしを震撼させたが。
王はわたくしを優しくお迎えくださった。しかし、時が経てば人の心は移ろうのか……。
最近では世継ぎを産めぬわたくしより、実の娘を身近に置いていらっしゃる。ああ、このままではあの魔性の娘に国は乗っ取られてしまうであろう。
兆しは今もすぐ傍に……。
――そなたは誰よりも美しい。
そう告げる鏡は、ときにわたくしの姿を歪ませる。醜く映るその姿にわたくしが恐れ慄くとき、あの娘の声がわたくしを嘲るように響くのだ。
「どうなさったのですか、お義母さま」
声と共に現われた娘は白々しく、物憂げな顔でわたくしを覗き、ご機嫌を伺って見せる。こちらを見つめるその漆黒の瞳に宿る魔性に、鏡が警告を発しているのだろう。
この見知らぬ王国で、唯一の味方である真実の鏡までも、わたくしから奪おうとするのか。
許さない。許さない。許さない。
帰る場所などないわたくしは、ここであの魔性と戦わねばなるまい。例え、相討ちになろうとも……。
――毒をもって、殺せ。
鏡が告げる。
ああ、云われずとも。秘かに手に入れた毒を娘が好む赤い林檎に染み込ませ、あの花を落としてくれよう。
鏡に向かって薄く微笑みかければ、銀色の表面に赤い髪を散り散りに乱し、朽ちた紅を歪ませた魔性の姿を見た。
「朽ちる紅、堕ちる花 完」
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