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 荊姫に口づけを

- 前編 -


 お伽話に出てくる姫は、往々にして待ち人だ。
 ときには百年の年月すら超えて、(いばら)が取り囲んだ城の奥で、ただ一人、運命の王子を待ち続ける。
 だからこそ、男たちは我こそはと荊に立ち向かっていくのだろう。
 しかし、荊に守られている姫はお伽話の姫であって、俺の知っている荊姫は待ち人をただ待ち続けるような殊勝(しゅしょう)な性格はしていない。
 自らを守る荊をむしろ武器にして、迫りくる男たち返り討ちにする。
 今日もまた、恐らくは犠牲者が一人、生まれるであろう予感を抱きつつ、俺は観客席から競技場の広場を見下ろした。
 地面を蹴る(ひづめ)の音が駆け抜けた後、二本の槍は相手の急所を狙うべく交差した。
 白馬に跨り、白銀の鎧で身を固め、深紅のマントを翻した騎士は、相手の槍を絡め取り弾き落して、栗毛の馬の上から金色の――趣味が悪いとしか言いようのない鎧を着込んだ騎士を横殴りの一撃で、地面へと叩き落す。
 己の主が勝者であることを誇るように、白馬は前足を高らかに上げ、嘶いた。
 二本脚立ちした馬上で白銀の鎧の騎士は体勢を崩すことなく、手綱を引き絞り、手にした槍を掲げて勝利を宣言する。
 瞬きのうちに決着がついた試合に、観客は息を飲み、それから白銀の騎士の勝利を讃えるべく、両の手を打ち鳴らした――が、
「この腑抜けがぁっっっっ!」
 白銀の騎士は兜の内側から声を響かせ、対戦相手に恫喝(どうかつ)した。割れんばかりの拍手はその一声に寄って、刹那に音を失った。
 しんと静まり返る広場に、声は白銀の騎士の怒りを空気に伝播し、隅の隅まで伝えてくる。それは競技場を特等席で観戦していた俺の耳にも、確実に。
 何をお怒りになっているのだと問うのは、愚問だろう。
 くそ暑い初夏に、全身鎧を着込まされたなら、誰だって恨みごとの一つも言いたくなるだろう。
 いまどき、鎧はないだろう、鎧は! 機動性、機能性、様式美、ありとあらゆる面から言って、鎧は既に二百年近くも昔に廃れた代物だ。
 今や、古式ゆかしい公式行事の際に着用するくらいだ。それだって最近は簡略化していた。
 王宮の歴史博物館の片隅で鎮座しているような鎧を、何が楽しくて燦々(さんさん)と輝く太陽の下で着なければならない?
 それが白銀の騎士の言い分だろう。お怒りはごもっとも。
 そうして今回、略式ではなく正式な形での馬上試合を催したのは、他でもなく相手を立ててのことだ。
 一国の王子との試合で、さすがに略式鎧では問題があっただろう。まあ、怪我をされたら困るというのが、大半の意見だろう。槍も先端を潰したものであるから、余程のことがない限り怪我なんぞしようがない……と思うが。
 金色の鎧の騎士は地面に落ちたまま、動いていない気がするが……白銀の騎士の剣幕に飲まれてのこと――と、しておこうか。
 一応、兜までつけてやったんだから、頭の打ちどころが悪くて死んだということは、ないだろう。ないない。あったら、困る。
 そんな王子を立ててまで行った試合が、一瞬で勝負がついてしまったら、馬鹿馬鹿しくてしょうがない。
 白銀の騎士は怒りもあらわに、兜を脱ぎ棄てた。
 一つにまとめていた髪をほどけば、流れるように広がるは紅蓮の赤。炎のように波打つ赤い髪は深紅のマントの背に落ちる。
 その髪に包まれるは、髪の印象に負けない目鼻立ちの際立った美貌だ。
 深紅の薔薇(ばら)と称される華やかな顔立ちは、男のものとは明らかに違う。声も怒りの震えを取り除けば、どこまでも透る高い声をしていた。
「その程度の腕で、妾に勝負を挑むなど片腹痛いわっ! 赤ん坊から出直してこいっ!」
 痛烈な皮肉を口にして、美貌の騎士は白馬の首を巡らせて競技場を後にする。
「……また姫はお勝ちになったな」
 隣で、同僚のゲイルが呟く。俺は「そうだな」と頷いた。
「これで何連勝だ?」
「九十九勝だな」
「大陸にある諸外国は我が国を除いて、四十だったよな。そのうち、諸国の王子から申し込まれた試合はこれで、何件目になるんだったか」
 指を折りながらのゲイルの問いかけに、俺は端的に答えた。
「四十件目だな」
 我らが王国の未来の担い手、エステル姫は大陸の王侯貴族相手に向かうところ敵なしということになった。
「って、オイ。……どうするんだよ? 最後の相手にまで勝ってしまったら、姫の婿はいなくなるじゃねぇかっ」
 ゲイルは血相を変える。
 既に結婚適齢期に突入したエステル姫の婿の条件は、姫に武術で勝つこと。
 大陸の中央に座し、北から南へ、西から東へと向かう商人たちの交易の場として栄える我がメイアン王国は、大陸でも一、二の繁栄と権威を誇る。交易によって得た国家の財政は潤沢で、軍の――騎士団の整備に抜かりはない。国内外の治安にも目を配らせ、それ故に商人たちは少々高い通行税を支払っても、この国を利用する。集まる金は治安維持を目的に騎士団整備の費用として回され、町の端々で盗み、喧嘩などの犯罪にも目を光らせたなら、損を出したくない商人たちが我が国に集うという仕組みだ。
 ある意味、これだけの軍隊が整っているのなら、勢力拡大を望んでも叶うだろうが、我がメイアン国の国王陛下のお望みは愛娘のエステル姫の幸せな結婚と、孫を抱くことという実に凡庸な……もとい、平和的な思考の持ち主であるから、騎士団は軍というより警察機構と化している。
 国王陛下の願いを叶えるべく、姫の婿選びが始まれば、己が国の王子を婿入りさせようとする国は多かった。我が国と縁戚関係になれば、色々とおこぼれに預かれると夢想してのことだろう。
 そうして、結婚を条件に申し込まれた試合は九十九。剣術、槍術、弓術問わずの勝負はすべて姫の勝利に終わっている。
 国内の主要貴族の子息たちと同様に、婿入りを希望した諸外国の王子たちも、姫は完膚なきまでに叩き潰した。
 そうして「深紅の薔薇」と称される一方で、姫にはもう一つの異名がついた。
 荊姫――不用意に近づけば、怪我をする。
 俺たち眼下で、競技場の広場に担架かが運び込まれるのが見えた。悪趣味な金の兜が外された下で、岩のような面をした男が白目を剥き、口から泡を吹いていた。
 鎧の上から、肋骨でも折ったのか。……折られたのか。鎧の上から?
 こめかみに噴き出す汗に気付かないふりをして、
「まったく。信じられないくらい――お強くなったな、姫は」
 視線を遠方に投げ、感慨深く呟く俺にゲイルが突っ込む。
「お前が言うなよっ! 姫をあそこまで無敵に育てたのは、ヴァン、貴様だろうがっ!」
 何を隠そう、この俺、ヴァンベェールが姫の筆頭護衛騎士にして、武術指南役であったりする。
 向かうところ敵なしの姫が唯一勝てない相手が他ならぬ俺であった。どこでどう、道を間違えたのか。未だもって、よくわからない。
 最初に出会った頃のエステル姫は、それこそ薔薇のつぼみのように慎ましやかで、おとなしい、愛らしい姫だった。
 出会ったのは姫が十で、俺が十四のとき。姫はフリルがふんだんに使われたドレスに身を包んで、初めて相対する俺を不安げな眼差しで見つめたものだった。国王陛下の陰に隠れおっかなびっくり、こちらの様子を探るそれは小動物の臆病さにも似て、この国の後継者としてはやや頼りない印象を覚えたものだった。
 俺は過去に病弱だった母と幼い妹を亡くしていたため、余計に保護欲を掻き立てられた部分もあっただろう。
 姫をその目に止めたときから、俺が守って差し上げなければならないと、心に強く誓っていた。
 それと同時に、姫に自信をつけさせる意味で、剣術を手始めに教えてみれば、姫は瞬く間に強くなっていた。
 いや、何というか……大陸最強? ――強くなり過ぎです、姫。
「行ってくる」
 ぎゃんぎゃんと犬のように吠えたてるゲイルから遠ざかり、俺は姫のもとへと向かう。途中、同じく試合を観戦していた国王陛下と重臣たちが城へと引き上げるところへかち合った。陛下は俺を見ると、いそいそと近づいてくる。
「ヴァン、またエステルちゃんが勝ったね!」
 握った拳を上下に振って、嬉々と声を響かせる陛下は、自慢の娘の活躍に親馬鹿そのものである。威厳(いげん)なんて、これっぽっちも感じさせない主君を前に、俺は片膝をついた。
「……はあ」
 喜んで良いものかどうか、俺は迷う。あの岩面の王子が、我が姫の婿にならずに済んだことは良かったかもしれない。人間、顔じゃないと思うが、少なくとも俺より劣っている奴が、俺の姫の夫になるなど、むかつく。もし奴が勝っていたら、闇夜に乗じて俺が抹殺していてやるところだった―― 失礼。つい本音が出た。
 しかし、姫が勝ち続けるということは、陛下のお望みを叶えられない。
「早く孫を抱きたいよ、どうだろうね、ヴァン?」と、ことあるごとに陛下は俺に言ってくる。耳にタコができそうなくらいだ。
 そんなものだから俺とゲイルは、姫の婿取りが上手く行かなければ、首が飛ぶんではないかと冷や冷やしているところだった。まあ、陛下自身がその命を飛ばすことはないと思うが、この親馬鹿以外の何者でもない凡庸な――前言撤回っ! ――この無垢にして愛すべき国王陛下に忠義を誓う者たちは多い。
 一応、メイアン王国親衛騎士団に席を置いて給料を貰っている身としては、大臣たちや上司の凍える視線が痛い。
 この国で――いや、この大陸で陛下の反感を買っては、さすがの俺も生きていける気がしない。大袈裟だろうと思われるだろうが、マジです。本当。
 騎士をしていた父を亡くし、既に母や妹も亡くして天涯孤独に陥り、路頭に迷いかけていた幼い俺を騎士団で引き取るよう采配してくれたのが、他ならぬ陛下だ。陛下の筆頭護衛騎士だった父は、陛下の覚えもめでたかったが、母が病弱で生まれたばかりの妹も大病を患っていたこともあり「家族との愛に生きます」と臭いセリフで騎士団を退団したらしい。陛下も「愛に生きよ」と、別離は(さわ)やかなものだったと言う話だ。
 そして父はそう多くない騎士として築いた家財産を処分し、田舎の空気がいいところに家族を連れて引っ込んだが、二年も経たないうちに母も妹も亡くなり、父は馬車にはねられそうになった子供をかばって死んだ。騎士を止めても、騎士道精神は忘れていなかったようだ。
 根っからの騎士であった父の血筋もあったのだろう。幼い頃から騎士団の中で育ったので、俺の腕はメキメキと上達し、いつの間にか騎士団一になっていた。
 そんな俺を姫の筆頭護衛騎士にとりたててくれたのも、陛下だ。身分わけ隔てなく、才能のある奴を徴用する。
 野心は乏しいが、家族愛や人類愛に溢れている陛下に恩義を感じる者は多いのだ。
 だからこそ、陛下のご期待に添えない、もしくは裏切れば、多くの者から冷たい視線を浴びる。無言の圧力は、なかなかきつい。ゲイルなど、ここ数カ月、悪夢にうなされているようだ。そのうち発狂してしまうんじゃないだろうかと、危機感さえ覚える。
「だけど、困ったね。ヴァン?」
 国王陛下が片膝をついた姿勢の俺の前に、膝を抱えるようにして座り込んで、目線を合わせてくる。……ああ、まったく。雲上のお人が、自分と同じ目線に降りてくる。こんなことをしてくれてしまうから、憎めなくなってしまうのだ。これを陛下は計算でやっていないから、大抵の者は毒気を抜かれて、ほだされてしまう。かく言う、俺も。
「はい、陛下」
「わたしはいつになったら、孫を抱けるのかな?」
 こちらを見守っている重臣たちの視線が、どっかりと俺の肩に乗ってくる。うあああ、もう。ここで下手なことを言おうものなら、減給は必至。下手すれば、食事に毒を盛られるかもしれない。武術関係には向かうところ敵なしの俺だが、食生活に手を出されると勝てません。負けです、降参。
「……近いうちに」
 俺はそっと息を吐くように、告げた。近いうちって、いつだよ? と、ゲイル辺りが聞いていたら突っ込みを入れそうだが、これ以上の明言は無理だ。
 とにかく俺に出来ることは、姫に妥協させることだろう。何も相手が姫より強くなければならない理由はどこにもない。結婚の条件は、姫に勝つことだ。
 つまり、姫がその気になれば相手に負けてやればいいだけのこと。
 陛下が姫の婿取りの条件に、それを掲げたのは、他でもない。姫に選択権を与えるのが目的だった。
 姫を溺愛する陛下が、エステル姫に結婚を無理強いするはずがない。姫の勝利を無邪気に喜ぶ陛下は、姫の強さを信じ切っているのだ。
 そして姫に勝つという条件は、各国から申し込まれる見合いを穏便に断るためでもある。どの国も同じ条件であるのなら、相手方も黙って引き下がざるを得ないだろう。何しろ無様な負け姿を観衆に晒してしまったのだから。
 勿論、本当に同じ条件かと言えば、先に言ったように姫に好かれさえすれば、結果を変えられる。ようは如何に姫に好かれるかだ。それが真の条件。
 そして現在、姫に好かれた者はいない。相手の力量を見極められず、実力も伴わないまま勝負に挑む様な奴が、姫のお眼鏡に叶うはずがないのだ。
「本当かね、ヴァン」
 陛下の目がきらきらと希望に輝く。眩しい。眩し過ぎます、陛下……。
「ええ……恐らく……」
 姫はあのように勝気な荊姫へと育ったが、高慢で手に負えないかと言えば、そうじゃない。ただ、実力が伴わない無能な男が嫌いなだけだ。大言壮語を吐いて、自分を実際より偉ぶって見せたりするような、身の程をわきまえない奴が嫌いなんだ。
 まあ、そういう人間は姫に限らず、誰もが嫌うところだろう。
 姫の理想が高すぎるというわけじゃない。姫の理想に周りが追いついていないだけだ。その辺りに少し折り合いをつけて頂いて、だな。
「それは楽しみだね、ヴァン」
「……はぁ……」
 背筋に大量の汗が流れる。姫に妥協して貰えれば、まあ婿取りも難しいことではないはず。で、あるが……うん。
「期待しているよ、ヴァン」
 陛下が俺の肩を機嫌よく叩いて、去っていく。ぞろぞろと陛下の後に続く重臣たちが、「わかっているだろうな」と念を押すように俺を睨んで背を向ける。
 俺はその場に突っ伏しそうになるのを堪え、姫が引き揚げた控室へと向かう。まだ倒れるな、俺。本番はこれからだ。




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