荊姫に口づけを - エピローグ - 数ヵ月後、姫の花嫁衣装を前に俺の相好が崩れるのを自覚した。 「しまりがない顔をしているぞ、ヴァン」 白薔薇のブーケを片手に、純白のドレスに身を包んだ姫は片眉を吊り上げて、俺を見上げてきた。 「お許しください、姫。あまりに姫が美し過ぎて、そんな姫を伴侶に頂く己の幸運に浮かれているのです」 瞳を瞬かせた姫は、白い頬を朱色に染めた。他の男には絶対に見せないだろうその愛らしさが、堪らない。口元が緩んでしまうのは、姫の責任だ。 「…………ヴァンは時々、歯が浮くようなことを言う」 そっぽを向いた横顔。ルビーの耳飾りを飾った耳の端まで、白い肌がほんのりと朱に染まっている。 「いけませんか?」 「まあ、ヴァンだけには許す」 姫は目元を赤く染めながら伏し目がちにそう言って、白絹のグローブに包まれた手を差し出してくる。その手のひらを包み込みながら、俺は笑って返した。 「はい」 二人並んで、結婚式が行われる式場へ向かいながら、俺は呟いた。 「しかし……こうして考えてみると、どちらが荊姫だったのか、わかりませんね」 「確かに、口づけで目覚めたのはヴァンの方だったかな。あれで反応がなければ、妾はどうしてよいのか途方に暮れるところだったぞ」 既に九十九人の求婚者が言い寄って来ていても、一向に俺が動く気配がなかったので、姫としてはかなり追いつめられていたらしい。 侍女たちに相談し、男をその気にさせる作戦を色々と考えた結果、入浴の場に俺を闖入させたようだ。 据え膳食わぬは男の恥、既成事実を作ってしまおう――という、よくよく考えれば、ちょっと恐ろしいような作戦が遂行されたという次第だ。 ……相手が本命だからといって、無謀ではないか? まあ、他の男が姫に許しもなく触れることなど、俺が絶対に阻止してやるが。 俺は、そのための荊であったのだろう。もっとも、目覚めさせられた荊姫の役割の方を何故か演じる羽目になっていた。 「目覚めと言えば、ゲイルには眠れなかった三ヵ月を返せと責められましたが」 そうして、陛下が「早く孫を抱きたい」というお言葉も、俺に向かってのことだったと判明した。常々、身分にかかわりなく家族愛を尊重する陛下が、姫の婿に対して身分を問うたりするはずがなかった。 忠義者の騎士団に身を置いていることで、俺が周りに感化され、国に仕える騎士としての立場を勝手に身分差の問題にすり替えてしまった。 結果、陛下の発言の際に行動を共にするゲイルが傍にいたことで、俺としては陛下からの命令だと勘違いしてしまったわけだから、同僚の責め句は聞き流すことにした。 「でも、概ね、めでたしめでたしですよね?」 俺が問いかければ、姫は軽やかな笑い声で応えた。 「――ああ、妾は世界で一番幸せな花嫁だ」 咲き誇る薔薇のごとく、俺の荊姫は可憐に微笑んだ。 「荊姫に口づけを 完」 |