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 いのり星


 姉と妹、どっちが得かと聞かれたならば、私は間違いなく「姉」と答えるだろう。
 第一子が誕生した時点で偉業を成し遂げた気になっている両親にとって、二番目の子供の存在は、まだ見ぬ――訪れるかどうかもわからない未来のことだから、そこまで頭を回す配慮はない。というわけで、先に生まれた子は、両親の愛情と願いの籠った名前を貰う。
 ――どんな願い事も叶いますように、と。
 そうして姉は「カナエ」と名付けられた。
 ちなみに妹の私は「イノリ」だ。
 私は願いを叶えて貰う立場ではなく、祈る方に回された。明らかに損をしていると言えるだろう。
 そんな姉妹間に五つも年の差があればなおさら、姉は私の手が届かないスピードで様々なものを手に入れた。
 周囲には才色兼備と評判の、姉の後を追うように私が幼稚園、小学校、中学校、果ては県内一の進学校と評判の高校と同じ道を辿れば――別に狙ったわけではなく、通学範囲で結果的に辿らざるを得なかっただけのことだけど――それはもう己の存在に懐疑的になるくらい、比較されたものだ。
 それに私が欲しいなと思うものは大抵、姉が先に持っていたりする。
『私もこれが欲しい』と言えば、『それはお姉ちゃんのだからね』と言って諦めさせられ、代替え品が与えられる。
 別のものが欲しいわけじゃなく、新しいものが欲しいわけでもない。
 ただ一つ、「それ」が欲しい。
 なのに、もう既に持ち主が決まっているから、私には権利がないときた。
 同じ条件で「それ」が手に入らなかったのならば、私も諦めがついただろう。でも「姉」という立場は「妹」より先にスタートしている。
 同じ速度で走っていたら、どうしたって追いつけない。
 妹は「それ」を手に入れるためには、姉の倍の速度で走らなければならない。努力しなければならない。
 やっぱり、妹の方が損だ。世間の妹、弟の立場の皆さんは、きっと私の意見に賛同してくれるはずだ。
 そして、誰もが知っていると思うけれど、努力したって叶えられないことがある。
 私の祈りは、いつだって叶わない。
 だから……。
「ごめんなさい」
 私の口からこぼれ出た謝罪に、「えっ?」と、お姉ちゃんの大学時代からの友達で、会社の同僚でもあるナツキさんの、切れ長の目もとの奥で穏やかな瞳が瞬く。
 唖然と開かれた唇がやがて結ばれると、
「七夕の短冊なんて、さすがに子供っぽいよね」
 苦笑をこぼして言った。
 それから物静かで温和な人だけど、やっぱり男の人だと思わせる大きな手が、テーブルの上に置かれた薄紅色の長方形の紙を引き寄せようとする。
 紙の片側に紙縒(こよ)りが結ばれた短冊は、駅前商店街の七夕の笹に飾られるらしい。
 ここ数年前から、商店街の活性化目的に七夕に各お店で、お客様たちに短冊を渡して願い事を書いて貰っては、お店に飾るというイベントを全店で実施している。
 話に聞いた時は、そんなことをして活性化になるのかな? と、思ったけれど、意外と記念みたいな感覚で短冊を書くお客さんが多いらしい。
 今日、会社の飲み会で寄った居酒屋さんでは、皆がどんな願いごとを書いたのか見せあって盛り上がったと言う。
 ナツキさんはそこで「イノリちゃんにも」と余分に一枚、私のために貰ってきてくれた。
 飲み会終了後、お姉ちゃんを送って来たナツキさんは、笑顔で私に差し出してくれたというわけだ。
 ついでに言っておくと、酔っぱらったお姉ちゃんは居間のソファをベッドにして眠っている。
 まったく。見知らぬ相手には、猫の皮を被ったように才色兼備のオフィスレディを演じ切ってみせる癖に、居酒屋を出て会社の人たちと別れ、気心が知れたナツキさん相手になると、お姉ちゃんはぐでんぐでんの酔っ払いに変身してしまう。
 それでナツキさんの態度が変わるかと思えば、大学時代からもう五年になるから、お姉ちゃんのボロは既に承知済み。
 居間のソファに、骨を失くした軟体動物のようにくねくねと身を捩じらせるお姉ちゃんを運び込む際、私が平謝りにしながら『姉が迷惑をかけてすみません』と声をかければ、ナツキさんは大人の余裕ある笑みで『いつものことだよね、カナエのこれは』と、まったく気にした様子はない。
 とりあえずお姉ちゃんを居間に寝かせ、ダイニングでナツキさんにコーヒー淹れたところで、先程の短冊が渡された。ちなみに私たち姉妹の両親は去年から海外出張中。
 ナツキさんは私たちを頼むと、赤の他人なのに家の両親に任されてしまった。まあ、頼りにしたくなる気持ちはわかる。お姉ちゃんと同い年とは思えない落ち着きがあるから。
「あ、そうじゃなくてっ!」
 私は慌てて、テーブルの上を滑っていく短冊を、カルタとりをするみたいに、平手で叩いた。
 思わずぴしゃりと、ナツキさんの指先をはたいてしまった。
 しまった! と、後悔するけれど、時間は巻き戻せない。
 驚くナツキさんの指が短冊から離れた隙に、私は私のために用意された紙を自分のもとへと奪取する。
 しどろもどろになりながらも、とられないように胸元に手のひらで大事に短冊を抑え込んで、私は謝った。
「ごめんなさい、あの、欲しくなかったとか、そんなんじゃなくって……」
 要らないなんて、とんでもない。
 ナツキさんが私のために貰ってくれたのだとすれば、神様にお願いするために文字を書き込むことすら勿体ないと思うほどだ。
 私の宝物をしまってある鍵のかかる机の引き出しに、この短冊は大事に仕舞おう。誰にもとられないように、汚されないように。
 ここまで明かしたなら、大抵の人は推測するところだろう。そうです、私はナツキさんが好きです。
 でも、残念ながら、この恋は片想い。どうしてと言うなら、恐らく、ナツキさんはお姉ちゃんが好きみたいだから。 
 だけど、ナツキさんの想いはお姉ちゃんには届かない。何故なら、お姉ちゃんには絶賛遠距離恋愛中の恋人、タツヒコさんがいるからだ。
 そのタツヒコさんとナツキさんは何と、中学時代からのお友達。大学生になった二人の間にお姉ちゃんが割り込み、タツヒコさんと付き合いだして、かれこれ二年。
 ナツキさんは友情を裏切るわけにもいかず、切ない片想いをしていることになる。当然、お姉ちゃんたちは気付いていないだろう。
 私が観察した限りにおいては、その気配はない。
 気付いていたら、二人きりでデートをすればいいところを毎度毎度、ナツキさんを巻き込んで、家でテレビゲーム大会などしないでしょう?
 いいえ……そうじゃない。
 私は前に、ナツキさんがお姉ちゃんに告白していたところを見ていた。
 あれは、お姉ちゃんとタツヒコさんが付き合い出して、半年くらい過ぎた頃だったかな。大学三年生だったから、私は高校二年生だ。
 もう既に何回か、お姉ちゃんは二人を家に連れて来ていた。私も顔見知りになって何度か言葉を交わしていた。
 明るく元気なタツヒコさんに、落ち着いた物腰のナツキさん。正反対の組み合わせが何だか面白いと、こっそり思っていた。
 その日も二人は遊びに来ていて、私にも一緒にゲームで遊ぼうと誘ってきた。学校帰りだったので、私は部屋に着替えに、タツヒコさんはトイレか何かで席を立って、お姉ちゃんとナツキさんが居間で二人きりだった。
『……が好きなんだ。自分でも間違っていると思うけど』
 そっと。
 目を伏せるような横顔で、どうしようもないと、ため息をこぼすようにナツキさんの声が胸に秘めていただろう想いを告げていた。
 居間に通じるガラス戸越しにそれを聞いて、それを見て、着替えを済ませて戻って来た私は入って行けなかった。
 今思い返してみると私は、言わずにはいられなかったというような、途方にくれたようなナツキさんの横顔が印象的で、「お姉ちゃんの友達」という存在から、ナツキさんという一人の存在として見始めた気がする。
 あの日、お姉ちゃんは真顔で『どうするの?』と、問い返していた。
『どうするつもりもないよ。今のままで……』
 それがナツキさんの答えだった。
 お姉ちゃんはその答えを受けて、ナツキさんの想いを「聞かなかった」ことにしたのだろうか。
 態度を変えずに、友達のふりをするナツキさんに合わせたのだろうか。
 もし違う答えだったのなら、お姉ちゃんたち三人の関係はどうなっていただろう?
 可能性を考えれば色々と頭を悩ませるけれど、現状はあの日があったとしても、何一つ変わっていないということ。
 才色兼備のお姉ちゃんは目立つから、自然と場の中心に立っていることが多い。そのせいか必然と、リーダー的存在になっていて、仕切り屋になる。
 お姉ちゃんの恋人、タツヒコさんは積極的に外へ出ていくタイプだ――そこが無難に、地元会社に就職を決めたお姉ちゃんやナツキさんと違うところ。タツヒコさんは広域に展開している大手会社に就職して、そのまま県外に支店に配属されてしまった。これは本人にとっては予想外だったらしい。出張辺りで、旅行気分を味わいたかったんだと嘆いていた。
 まあ、二、三年すれば、こちらに戻れるらしいので、お姉ちゃんとの間には別れ話や結婚など持ち上がることもなく、今も夜になれば携帯で連絡を取り合っている。
 と、話を戻して。
 大学時代からお姉ちゃんとタツヒコさんは二人で色々と計画を立てては、受け身体制のナツキさんを引っ張り回す。
 ゲーム大会では三人だと一人があぶれてしまうので、私がナツキさんと組んでお姉ちゃんたちのチームと対戦することになった。
 その後も映画やキャンプ、花火大会や海に行こうと、お姉ちゃんやタツヒコさんが言い出せば、私がナツキさんのお相手役に呼ばれる。
 そうして私を巻き込むのはいいけれど、私たちのことはあまり眼中に入っていないんじゃないかと思うくらい、二人はこちらを放って遊んでいるのだから、巻き込まれたナツキさんには申し訳なくなる。
 傍から見たら、五歳下の妹の面倒を見させるために、ナツキさんを引っ張り回しているようにも見えなくない。実際は二人の仲の良さをこちらに見せつけたいだけなのかもしれない。
 恋人であるタツヒコさんと変わらず仲の良いところを見せ付けることで、お姉ちゃんはナツキさんの「今まで通り」という答えに、応えているのかもしれないけれど。
 まったく、当てられるこちらの身にもなって欲しい。
 顔を顰める私にナツキさんは『あいつらは子供みたいで、しょうがないね』と、軽く肩を竦めて私の相手をしてくれる。
 余裕があるふりをして流しているけれど、内心は苦しいんじゃないかなと私は想像する。
 だって、私自身が苦しい。
 お姉ちゃんに恋をしているナツキさんの隣で、私はナツキさんに片想いしている。
 自分の立場をナツキさんに当てはめれば、苦しいよ。切ないよ。
 だから時々、お姉ちゃんが飲み会で醜態を晒すたびに、ナツキさんがお姉ちゃんに幻滅しちゃうえばいいのにと思う。
 今だって……。
「イノちゃーん、イノちゃーん」
 リビングの方から間延びした声が私を呼ぶから振り返れば、お姉ちゃんはソファの上で腹這いになった身体を反らした。顎を突き出し、両腕を身体にぴったりと添わせ、お腹を中心に足の爪先を揃えて後ろに反らし、弓なりになった無様な姿は……。

「名古屋城名物、金の鯱鉾(しゃちほこ)っ!」

 朗々と声を響かせて、二十三歳になる乙女は身体を張って芸を――これを芸と言っていいのか迷うけれど、披露(ひろう)した。
 …………アリエナイ。
 私は頬が引きつるのを自覚した。
 幾ら酔っぱらっているとはいえ、金の鯱鉾の物真似なんてする人がいる? しないわよね、する人なんていないよね?
 後頭部に大量の冷や汗を掻いている私のことなどお構いなしに、お姉ちゃんは再び叫んだ。

「続きまして、オットセイっ!」

 金の鯱鉾と大して変わらない姿勢で、お姉ちゃんは身体を前後に揺らし、太もも辺りに添えていた両手をパタパタと動かした。
 くっと、私の背後で音がした。振り返ると、喉の奥で殺すような笑い声を立てて、ナツキさんはテーブルに突っ伏して笑っていた。
「カナエ、それ最高っ!」
 普段はあまり見られないような弾ける笑顔。ナツキさんは笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
 それから私を見つめて、ナツキさんは楽しそうに言う。
「カナエって、予測不能だよね」
 私がナツキさんから視線を引き剥がして、ソファの上の鯱鉾もどきに視線を戻せば、お姉ちゃんはストールを額にはちまきの様に結んでは、結び目をこめかみ辺りにずらして叫んでいた。

「酔っ払いサラリーマンっ!」

「わけ、わかんないっ!」
 私は思わず叫んでいた。正しくは、お姉ちゃんが酔っ払いでしょう、と全身全霊で突っ込みたかった。
 今、私の目の前で身体を張って意味不明な物真似をしている人が、「あの」お姉ちゃんだというの?
 幼稚園から現在に至るまで、私は何度「あの、カナエの妹」という目で見られてきたか。比べられてきたか。
 仕切り屋になって、生徒会などを盛り上げてきたお姉ちゃんは学校の先生たちの覚えもめでたく、成績も優秀。しかも結構、美人ときた。
 だけど私は、先を率先して歩くお姉ちゃんを見てきたせいか、人の後ろに隠れる――どちらかと言えば、裏方志望になっていた。
 あまり目立ちたくない。できればそっとしておいて欲しい。
 私はお姉ちゃんのように上手く立ちまわれない。表と裏の顔を使い分けるような器用な真似はできない。
 そう願うのに「あの、カナエの妹だから」と、表舞台に引っ張り出されれば、私はお姉ちゃんとは違うのだということを大失態という形で、晒してしまう。
 私とお姉ちゃんは違う人種だ。誰が見ても、どう考えても、同じにはなれない。それは極々当たり前のことであるはずなのに、同じことを求められて、比較されて、残念という顔をされる。
 それが私にとって重荷でもあったけれど……。
 ナツキさんは、私を相手にしていても、一時たりとも私をお姉ちゃんと比べたりしなかった。
 多分、キャンプ場で私と散歩するより、お姉ちゃんと一緒にいる方が嬉しいだろうに、私に嫌な顔一つ見せず付き合ってくれた。
 温和な声で、散策道の脇に咲いている花や植物の名前を教えてくれた。夜には星の名前を語ってくれた。
 今日だって、私のために七夕の短冊を貰ってきてくれた。飲み会の大勢の人たちに囲まれた中で、私のことを思い出してくれたのだとすれば、紙切れ一枚も愛おしい。
『何か、願い事はない? 書いてみたら?』
 優しい笑顔で差し出された薄紅色の短冊に、もしも願いが叶うなら、目の前にあるナツキさんの笑顔が、これからも永遠に壊れずにいて欲しいと、書き記したい。
 ――ずっと、ずっと。優しく笑っていて欲しい。
 私はそう祈る。
 だけどその笑顔は、私の中であの日のやるせない横顔と重なれば、目の前に見えているはずの笑顔も霞んでしまう。
 ナツキさんが幸せなら、あんな横顔を見せることはなくなるだろう。でも、それはナツキさんがお姉ちゃんのことを諦めたときで……そんな日は、来ないんじゃないかと思う。
 だって、酔っぱらって「金の鯱鉾」とか言っては、こんな恥ずかしい醜態(しゅうたい)を晒すのを見ても、態度が変わらないんだよ?
 普通だったら、幻滅するでしょう? ガッカリするでしょう?
 幻滅して欲しい。見限って欲しい。そして、お姉ちゃんじゃなく、私を見て欲しい。
 ずるい私は、そんなことを願ってしまう。
 お姉ちゃんが酔っぱらって醜態を晒すのには、ちゃんと理由があるのを知っている。
 お姉ちゃんもまた、周りの期待に応えるために頑張っていたのだ。才色兼備、何でも出来るという評判は、生まれ持って得た才能じゃない。
 夜遅くまで勉強したりしていたのを私は知っている。お姉ちゃんも毎日、努力したんだ。
 ただ、お姉ちゃんは私よりちょっと器用で、度胸があって、物怖じしないから、軽々と成功させたように見せるんだ。
 けれど、ずっと頑張り続けるのが辛くなったとき、お姉ちゃんの表の顔が崩れる。素に戻ってしまう。
 今みたいに誰もが憧れるお姉ちゃんじゃなく、無防備で突っ込みどころが満載なのが、私の本当のお姉ちゃんだ。
 そんな素のお姉ちゃんを変わらずに受け止めたのが、タツヒコさんとナツキさんだった。
 二人の前だとお姉ちゃんは飾らない、いつものお姉ちゃんで明るく笑う。キャンプ場では子供のようにはしゃいで、花火の前では目をキラキラと輝かせる。
 ナツキさんがお姉ちゃんを好きになった理由について、私は悲しいくらい納得できる。
 それでも、お姉ちゃんに幻滅して欲しいと、考えてしまう。そして、私を好きになって欲しい。そうしたら二度と、ナツキさんにはあんなやるせないような顔をさせないから。
 私の心は醜く汚れて、そんな汚い心で祈ったって、願いは叶わないだろう。お星さまには届かない。
 だから、「ごめんなさい」と言った。
 いつだって、私の祈りは叶わずに、どんなに手を伸ばしても「それ」には届かない。
 ソファの上で屈託なく笑うお姉ちゃんは、酔っぱらっていても生き生きとしていて、魅力的だ。
 ――敵わない。叶わない。
 ぽろぽろと、私の目から涙がこぼれた。
「イノちゃんっ?」
 お姉ちゃんが泣きだした私にビックリして、素っ頓狂な声を上げた。ナツキさんも驚いて私の前に回り込んできた。
「イノリちゃん、どうしたの?」
 膝を抱えて床に座り込んだ私を二人が心配そうに見つめている。私はしゃっくりを上げて、「ごめんなさい」と言った。
「ええっ? 何で、イノちゃんが謝るの?」
 酔っぱらっていても、お姉ちゃんは私に優しい。
 私が心の中でお姉ちゃんを妬んでいるなんてこと、まったく想像してやしないだろう。
 お姉ちゃんと私は、あまりにも違い過ぎる。どんなに足掻いたって、私はお姉ちゃんにはなれないけれど……。
 でも、私には諦められないものがある。
 努力したって叶わないものがあると言ったけれど、私は努力しただろうか。自らに問いかければ、答えは出た。
 私は、「姉」と「妹」の間にある絶対的な差を理由にして、諦めていただけだ。
 お姉ちゃんを羨ましがって、私はお姉ちゃんとは違うと言い訳して、ナツキさんに振り向いて貰う努力を一つもしなかった。何一つ伝えていない。
 自分が出来る限りのことをやり尽くしていないのに、お姉ちゃんを妬むのは間違っているだろう。そのことに気づいたら、自分の情けなさにさらに涙が出てきた。
 そして、何かをしなければと口が動く。
 もうお星さまに祈るだけで、すべてが叶うと信じられるような子供じゃない。
 願いを叶えたいと思うなら、努力しなきゃ。手を伸ばさなきゃ。
 届かないかもしれない、傷つくかもしれない。
 それでも……叶えたい想いが私の胸の中にあるから。
「ごめんなさい。迷惑だと思うけど……」
 私はナツキさんを見上げて、告げた。
「――私、ナツキさんが好きです……」
 例え、ナツキさんがお姉ちゃんのことが好きでも、諦めたくない――そう続けようとした言葉は、お姉ちゃんの悲鳴に掻き消された。
「きゃゃゃゃゃぁ!」
 お姉ちゃんは頬を両手で包み込んで、叫んだ。その大音量に驚いて、私の涙はぴたりと止まる。
 ……しまった。つい勢いで告白しちゃったけれど、お姉ちゃんの前だとナツキさんだってどう反応していいのかわからないだろう。
 すっと冷静になっていく私と反比例するように、お姉ちゃんはバシバシバシと凄い勢いでナツキさんの背中を叩く。何をやっているのよ、お姉ちゃん。
「やったやったやった! 凄いよ、ナツ君。短冊効果だね! お星さまにお願いして、正解だったでしょ?」
 そう言って立ちあがったかと思うと、
「タツ君に連絡してくる! ついに、イノちゃんとナツ君がくっついたって! 後は任せた! 言っておくけど、ナツ君。イノちゃんを苛めたら、お姉さんキックが炸裂(さくれつ)するからね!」
 嬉々と声を弾ませて、携帯片手に飛び出して行った。
 っていうか、あの、お姉ちゃん? 電話するのに、どこに行くの? 私はあわあわと口元をまごつかせて消えたお姉ちゃんの姿を視線で追いかけ、ドアの向こうに消えて見なくなってからナツキさんへと視線を戻す。
 目があった途端に、告白の恥ずかしさが思い出され、頬に血が昇った。それと同時にお姉ちゃんが物凄い勘違いをしていることに気づいた。
 何か、私の告白成功? みたいな……。
 お姉ちゃん、自分が過去にナツキさんから告白されたことをすっかり忘れている。どうして? 酔っぱらうと、簡単に忘れちゃうの?
 どちらにしても、色々とナツキさんに申し訳なさが募る。
「ごめんなさい、あの……」
 蚊の鳴くような声で謝罪する私に、
「今日は、イノリちゃんには謝られてばかりだね」
 ナツキさんが小さく笑って、小首を傾げた。
「……あの、本当にごめんなさい。私……」
「ねぇ、それは謝ることなのかな?」
「えっ?」
「短冊や……さっき、俺のことを好きだって言ってくれたこと。謝らなきゃいけないようなことなの?」
 ナツキさんの指が私の胸元を指し示す。手のひらの内側に抱いた短冊を示しながら、問われた。
「それは迷惑だった?」
「……違います。嬉しかったです」
「俺のことを好きだっていうのは、どうして迷惑だと思うの」
 ナツキさんの穏やかな声は、絡まった糸を解きほぐすようにゆっくりと問う。
「だって、ナツキさんはお姉ちゃんのことが好きでしょう?」
 私が告げると、ナツキさんの目が丸くなった。ビックリしたような顔に、私は何か自分が間違っているような気がしてきた。
 あれ? ……ナツキさんはお姉ちゃんが好きなんだよね。それとも、私にそのことを知られている事実に驚いているだけ?
「どこで誤解が生じたのか俺にはわからないけれど、……好みから言って、カナエは対象外だよ」
 ナツキさんの唇が苦笑を浮かべる。
「それにカナエにはタツヒコがいるし、俺は二人のことお似合いだと思っているよ。イノリちゃんにはそう見えない?」
 私は首を横に振った。
 タツヒコさんはお姉ちゃんと一緒に、はしゃぐタイプだ。二人が揃うと、場が明るくなる。ただ、二人だとパワーが有り余って多少、暴走気味になりがちだ。そんなとき、ナツキさんが穏やかに口を挟んでブレーキをかける。
 でも、ナツキさんとお姉ちゃんとだったら、向かう方向性が違う気がする。それがナツキさんの言う好みなんだろうか。だからお姉ちゃんはタツヒコさんが好きなの?
「……でも前に、お姉ちゃんに好きだって、告白していませんでしたか?」
 ナツキさんは困惑したような顔で首を傾げた。お姉ちゃんといい、ナツキさんといい、どうしてあの日のことを忘れられるのだろう。
 私がナツキさんに説明してみせると、困惑の表情が氷解して納得へと変わった。
「ああ、それはイノリちゃんのことだよ」
「――えっ?」
「俺がイノリちゃんのこと、好きになったって告白だよ。五つも年下の女の子を好きになって、間違っているかもしれないって、ね。だから、現状維持でと言ったのだけれど、カナエの奴、色々と気を利かせてくれたわけ」
 ナツキさんは片目を瞑る。
 お姉ちゃんが自分たちのデートに私たちを巻き込んだこと?
「今夜、居酒屋で貰った短冊にも俺たちのこと、書いていたよ。もしかしたら、イノリちゃんには迷惑かも知れないっていうのに」
 さっき、お姉ちゃんが口走っていた短冊効果――自分のことを願わず、私たちのことを願ってくれたお姉ちゃんは、やっぱり優しい。
 それでも、ナツキさんが好きな相手は――。
「……あの、ナツキさんが好きな相手が……私って」
 頭の中に沁みてきた答えに茫然と見つめ返せば、ナツキさんは頬を傾けた。
「そう。だから、イノリちゃんが俺を好きだって言ってくれたことは、迷惑じゃないよ。それより、イノリちゃんはどう? 年甲斐もなく五つも年下の女の子を好きになっている男は、迷惑かな?」
 二十三歳のナツキさんと今年で十八になる私。傍から見たら、問題ありに見えるだろうか。それを気にして、ナツキさんは『今のままで』と言っていたの?
「……そんな」
 ナツキさんが私のことを好きだなんて言うのは、まだちょっと信じられない。だけど、迷惑だなんてことはない。あるはずない。
「――嬉しいです」
「でも、五つも違うよ?」
「それでも、私はナツキさんが好きです。ナツキさんこそ、私のどこが……」
 いいんだろう? と、問うのは気が引けて口をつぐんだ。ナツキさんは口元を緩めて、微笑んだ。
「うん。カナエに色々と話を聞いていて、興味を覚えたところもあるけれど。何だか、イノリちゃんってカナエの「お姉ちゃん」って感じだよね。カナエのこと、しょうがないと言いながら包み込んでいる感じがしてね。カナエって他人の前だと色々と気張ってしまうところがあるだろ? そんなに気を張り続けていて大丈夫かなって、タツヒコと心配していたんだけど。イノリちゃんに会って、心配する必要ないと思った。そして、カナエが羨ましくなったよ」
「羨ましい?」
「うん。気張っているカナエも、酔っぱらってどうしようもなくなるカナエも、ちゃんと受け止めてくれる。そんな風に自分のこと、包み込んで貰えたらいいなって、俺は年甲斐もなく思ったんです」
 ナツキさんの言葉は穏やかである分、私の内側にゆっくりと染み込んできて、苦しくなった。
 だって……。
「私――そんな、包容力なんてないです。お姉ちゃんのこと羨んだり妬んだりしているもの」
 心の本音を吐き出せば、自分の中の汚れた部分が辛い。こんなこと言ったら嫌われてしまうんじゃないかと思うけれど、それでもナツキさんには隠したくなかった。
「そう? でもそれは、カナエのことを認めているということの裏返しだよね。カナエのいいところを見つけてしまうから、羨ましくなったりするんじゃないかな? 妬んでしまうのは、自分の欠点が見えているってことでもあるよね」
 ナツキさんの言葉は、マイナス思考に走りそうになる私にブレーキをかけてくれた。
 ああ、そうだ。あの日から気になりだしたナツキさんの、こういうところが私、好きなの。
 穏やかな声で一つ一つ、色々なことを教えてくれた。
 花の名前や夜空の星。
 そして私が知らない、私のこと。
「そうやって落ち着いて、見るべきところを見ているイノリちゃんが、俺は好きだよ」
 それを言うならナツキさんもだ。
 ナツキさんも穏やかな目で、私のことを見つめてくれている。その瞳に映る私なら、私は私を好きになれそう。
「あの……私のこと好きだっていう言葉、信じていいですか?」
「うん、信じて」
 そう言って微笑む、ナツキさんの笑顔は嬉しそうに見える。それは錯覚じゃないと信じていいよね?
 私もまた笑って頷く。
 お姉ちゃんが自分と同じタイプのタツヒコさんに惹かれるように、私もまたナツキさんに惹かれたのかな。
 お姉ちゃんと私はやっぱり、姉妹なんだなと実感した。
 私はナツキさんの笑顔を見上げ、心の中で祈った。
 ――お星さま、お願いです。ナツキさんの笑顔がこれからも変わらずあり続けますように。
 そのためなら、どんなことだって頑張ってみせるから。
 どうか、私にナツキさんの笑顔を守らせてください、と。


                             「いのり星 完」



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