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 15,君の声


 マスコミ報道が一段落したのを見計らって、俺は夏月の家を訪ねた。
 ピンポーン、とチャイムを鳴らして、ドアが開くまでの間、俺は柄にもなく緊張していた。どんな顔をすればいいのか、わからないんだ。
 ドアを開けて顔を覗かせた夏月は俺を見て一瞬、口元をほころばせたように見えた。直ぐに、顔を家の奥へと向けたため、確認はできなかったが気のせいではなかったと思う。
 俺と再び向かい合った夏月の横には秋良がいた。だが、その姿は……影が薄くなっているように見える。一息吹けば、かき消える風前灯火にも似た、儚い幻のようだ。
 俺の霊視能力が弱くなったわけではない。学校では相変わらず、クラスメイトの西村由香里にとり憑いている水子の霊がハッキリと質感を伴うほどに見えているのだから。
『あ、誠人君、来てくれたんだね? 良かった〜。誠人君には最後にお礼が言いたかったんだよ。今から誠人君のところに行こうかって夏月と話していたところ』
「……最後」
 言葉に詰まった俺に秋良は微笑む。
『僕、もう直ぐ消えるよ。だって、心配事はなくなったからね。生まれ変わるんだ。ありがとう、誠人君のおかげだよ。あ、ここで立ち話もなんだから、上がって。夏月、誠人君にお茶とお菓子を用意して』
「ああ、……線香を上げさせてもらってもいいか?」
 台所に消えていく夏月を見送って、俺はドアを閉めた。靴を脱いだところで、秋良に焼香の了解を求める。
『うん、どうぞ。ありがとね』
 秋良に先導されて和室へと向かう。仏壇には秋良の遺骨と遺影が増えていた。ロウソクに火をともして、線香に移す。
 手を合わせようとしたところで、安らかなる永眠を願う相手がここにいて、しかも本人は生まれ変わる気満々なのを思い出して、場違いな感じに止めた。秋良に向き直る。
『誠人君には幾らお礼を言っても足りないよ。本当にありがとね』
「あんまり連発するとありがたみが失せるから、いいよ」
 俺は素っ気なく言った。大したことなんてしていないようにも思えたからだ。
 死体捜査の推理だって思いっきり外れていたようなものだし……。
 山に埋められている? 庭先だったじゃん。しかも、犬の墓なんか掘り返して……。
 それに照れもあった。
『うん。でも、これだけは言わせて? 僕、誠人君に会えて良かったよ。誠人君には迷惑だったのかも知れないけど』
 揺らぐ影を見上げて、俺は首を振った。
「迷惑……では、なかったよ」
 転校初日に秋良を目撃したときは、せっかくの新生活を台無しにされた気がしたが。思い返してみれば……うん、悪くはない出会いだった。
「俺にとっても……良かったこともあったし」
 この見えるという能力が堪らなく嫌だった。でも、秋良と会ってこの能力でできることが見えた。
 俺には死人を救うことはできないし、除霊も。けど、もう泣いていた子供の前から逃げ出すことはないだろう。救うことはできないけど、慰めることはできる。笑わせてあげることはできる。
 一瞬でもいい、絶望に支配されたその涙を止めることができたなら、子供は自分が置かれた状況を冷静に見回す余裕ができるかもしれない。その先に何があるかはわからないけど。
 何もできないことを嘆いていたときより、何もできないことを自覚したときより、俺にでもできることを知ることができた経験は大きい。
『そっか。誠人君にそう言ってもらえたら、この十年も無駄じゃなかったって思えるよ』
「そうだな。お前がここで十年、踏ん張っていなければ夏月もまた殺されていたかもしれない。そしたら、俺は夏月には会えなかった……ぞっとするな」
 息を吐いた俺に秋良が声をひそめるように言ってきた。
『こんなこと言うと、誠人君に怒られちゃうと思うんだけど。ねぇ、誠人君。誠人君は夏月のことが好き?』
 こちらを真っ直ぐに見つめてくるその眼差しに、俺は頷いていた。
「ああ、好きだ」
 多分、一目惚れなんだと思う。
 初めて会った廊下で、ピンと背筋を伸ばして歩くその姿に俺は心惹かれた。誰にも媚びないというその強さに憧れたときから、俺は夏月のことが好きだったんだ。
「自覚したのは、今だな。……人に好かれることはあっても、俺自身は誰かを好きになったことなんてなかったから、お前に言われるまでは単に、憧れだと思っていたよ」
 苦笑して、俺は今までの自分の浅はかさを恥じた。
 一目惚れなんて、そんなものあるはずがないと思っていた。そう言って告白してきた女を俺は見下してきた。俺の見目の良い外見に釣られてきただけなんだって。
 でも、自分がその立場に立ってみれば、外見に表れるその人の性格と言うものがあるのだ。表情より雄弁な双眸やきつく結ばれた唇の意志の強さ。すらりと伸びた背筋の気高さとか。
 もう顔も名前も思い出せないけど、俺を好きだと言ってくれた女の子たちにお礼と侘びを心の中で呟いた。
『誠人君が夏月を好きになってくれて嬉しいよ。ねぇ、夏月のことお願いしていいかな? 誠人君なら安心して任せられるよ』
「うん、いいよ」
 簡潔に答える俺に秋良は笑う。
『じゃあ、夏月をお嫁さんに貰ってくれる?』
「それは飛躍しすぎだろ。第一に俺は良くても夏月のほうが俺に対して不満をもっているかもしれないじゃないか」
 調子に乗った秋良を睨んだ。そうだ。根本的な問題は俺の気持ちではなく夏月の気持ちだ。
 嫌われてはいないと思うけど、彼氏彼女というような恋愛感情があるのかどうか、甚だ疑問だ。
『じゃあじゃあ、夏月が良いって言ったらお嫁さんにしてくれる?』
「……こっちからお願いしたいくらいだ。家事万能そうだし。でも、夏月ってさ……恋愛とかには疎そうじゃないか? 俺も人のことは言えた義理じゃないけど」
 ちょっと先が思いやられる。くそ、モテるのと恋愛上手はまったく別物だよな。恋愛なんてまともにしたことがない俺が夏月相手にどこから始めりゃいいんだ?
『まあね〜。今まで近づいてきた男の子が男の子だったからね。うーん、そう言われると心配になってくるね。結婚して、子供を産んでちゃんと育てられるかな? それにそれに、結婚式だよ、結婚式っ! 夏月ってば着物とウエディングドレスのどっちが似合うと思う? 僕としては着物が似合うと思うんだけど。でも、誠人君とならチャペルで結婚式っていうのがはまりそうだよね? 夏月の花嫁姿か……見たいなぁ〜。ああ、仲人さんは誰に頼んだらいいのかな? ねぇねぇ、新婚旅行はどこに行く? 僕、イギリスかフランスに行ってみたかったんだよね』
「秋良、お前なぁ、どこまで妄想するんだ? っていうか……」
 睨んだ先の秋良の姿が妙に生き生きとして……オイ、お前、何だが、影が濃くなっているぞ?
「ちょっと待て、そんなに未練たらたらで成仏なんて……」
 そこで秋良も自分の身体というか……霊体がおかしなことになっているのに気付いたらしい。
 この間までと変わらない姿に、あれ? と首を傾げた。
『誠人君……どうしよう。何だか、身体が重いよ。さっきまでは凄く高いところまで飛んで行けそうなくらい、軽かったのに……』
「お前……成仏、できそうか?」
『……ごめん。できないというか、今はしたくない。だって、やっぱり夏月の花嫁姿を見たいよ〜』
「この馬鹿がっ!」
 俺は思わず怒鳴りつけた。さっきまでのしんみりした空気は何だったんだ?
 スッと戸が開いて、振り返るとコーヒーと茶菓子を持ってきた夏月は、秋良の姿が元に戻っていることに目を丸くした。
 そりゃ、そうだろう。もういつ消えるとも知れない風前の灯のような姿だったのに。
 浮いているのを除けば、普通の生きている人間と変わらない質感で俺の目に映る。それは夏月にも変わらないようだ。
『夏月、昨日の夜、お別れしたけど……ごめん、もう少し、僕はここにいるよ。だって、夏月のお嫁さん姿がどぉぉぉぉうしても、見たくなっちゃったんだ』
 両手をばたつかせ、身をよじらせる秋良。子供か、こいつは。
 夏月はテーブルというか、ちゃぶ台の上にコーヒーを置くと畳の上に座って、秋良を見上げ…………笑った。
 笑った?
『やっぱり、夏月はウエディングドレスがいい? 僕としては着物がお勧めなんだよ。父さんと母さんの結婚写真を昔見せてもらったことがあってね。すっごく、綺麗だったんだ。ああ、そうだ、誠人君はどっち着る? 片方が和装で片方が洋装っていうのも面白いかもしれないねぇ〜』
 夏月の笑顔に茫然自失していた俺は我に返り、すっかり花婿とされている事実に愕然とする。
 ちょっと待て。まだ告白も何もしていないのに、夏月の前で俺が花婿ととれる発言はまずいだろうが。
 この場で否定したら、もう二度と夏月に好きだって言えなくなる。だが、秋良の言動に追随して、夏月に拒絶されたら俺の立場はどうなる?
『やっぱり、タキシード? 誠人君なら紋付はかまでも似合いそうだよ〜』
 人の気も知らんと、秋良はぺらぺらと。
 その質感をもった霊体を今すぐ鷲掴みにできたのなら、その首根っこを締め付けて黙らせてやるんだが。
『そうだ。二人の間に男の赤ちゃんが生まれたら、秋良って名前つけてね』
「何で……?」
『それ、きっと生まれ変わった僕だから』
 どこから来るんだ、その根拠は。相変わらず、悲愴感のない秋良に軽い頭痛を覚える。
 それでも秋良と夏月が楽しそうに微笑みあっているのを見れば、自然と痛みは治まってきた。
 もう、夏月も秋良に対して自然に笑えるようだ。秋良がこちらに残るという選択が、自分への責任からではないことを知ったんだろう。
 秋良が死んでしまった後も妹への責任を感じていたように、夏月も秋良に対して責任を感じていたんだと思う。互いに互いを思いやった鎖は今、絆として新たな形を結ぼうとしている。それなら、秋良の成仏をもう少し先送りにして大丈夫だろう。
 そして、秋良がこちらに残ると言うのなら、それは俺にとっても都合がいい。
 秋良の存在があれば俺が夏月の側にくっついていても、不自然じゃないよな? 我ながらちょっと情けない間合いの取り方だと思うが。
 これから時間をかけていくさ。しょうがねぇじゃん。マジで人を好きになったのなんて初めてなんだからさ。
 夏月に目を向けると、印象的な瞳と目が合った。やんわりと微笑むと、夏月は畳に片手をついてこちらに身を乗り出してきた。戸惑う俺の耳元にもう片方の手を添えて囁いてきた。
 長い間、封印されていた声は小さくかすれていた。決して美声とは言えないけど、吹き掛かる甘い吐息と共に、その声は俺の神経をとろかせるように柔らかく響く。
「……ありがとう」
 たった一言のそれに、俺もまたたった一言、返す。
 目を見つめ、微笑めば、それだけで通じ合えたから。
「どういたしまして」


                            「君の声を聴かせて 完」



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