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 王宮狂騒日記



 0,最悪の予感


「冗談だろ?」
 思わず呻いた少年に、国王は緩やかに微笑んで首を振り、否定の意を示した。
「俺を宮廷魔法師として……召還するって……本気ですか?」
 相手が国王であることを思い出して、少年は言葉遣いを改める。今さらではあるが。
「だって、それって、王宮に戻るってことなんだぜ。わかって……いるんですか?」
 乱暴になりがちな口調を押さえ込むように、少年は低く問う。国王はただ穏やかに微笑んで頷いた。
 少年は話にならないと、見切りを付けて後見人を振り返った。
「親父殿、こちらの国王陛下に何とか言ってくれないか? 俺が王宮に戻るってことがどういうことなのか。また、身内の甘さで周囲を困らせたら駄目だって……」
 そう言う少年の言葉を遮って、彼の後見人は告げた。
「お前を宮廷魔法師として王宮に召還する事柄については陛下から、他の六家と共にご相談を受け、我らは全家一致で承認した」
「何でっ? 俺は……」
 少年は唇を噛んだ。皆、自分に甘すぎる。それが腹立たしくて、たまらない。
「何で、そんなに俺に構うんだっ? 俺のことなんてもう、捨て置いてくれりゃいいじゃねえかっ!」
 父の犯した罪を、少年は知っていた。
 それは目の前にいる国王を殺し、王位を手に入れようとしたこと。
 その計画は未遂に終わったが、事件の傷跡はいまだに新しい。かさぶたを剥がせば血が滲み出るようなこの五年。その年月はあまりにも短く、まだ完全に癒されてはいない。
 そこへ事件の遺児である自分が戻るということは、傷口をえぐる行為であるということは少年にだってわかるというのに。
「捨て置けるはずはないよ」
 穏やかだが、芯の通った声で国王は告げた。
 少年が振り仰いだ先にあるのは柔らかな笑顔。慈悲深く、何者にも平等に差し向けられる微笑に、素直に甘えられていた日々は、完全に思い出の中。
 伯父である国王との関係を清算しようと勤める少年に対し、国王は昔と変わらない甘さで、笑いかけてくる。
「君は、私たちの大切な家族なんだ。家族が共に暮らすことに、誰が文句を言えるというんだ」
 何て、お気楽な発想だと、少年は笑いたくなった。
 この人は自分の価値をわかっていない。国王のためなら、命を捨てることを厭わない人間が山ほどいるということを、知らない。
 自分の存在は、そんな彼らから大事な国王を奪おうとした凶器の刃と変わらないのだということを。
 自分の思惑など、別にして。
 そう決定付けられたあの日から、家族という言葉に甘えられない現実があるというのに。
「私たちは家族なんだ。一緒に、暮らそう」
 国王は笑って、少年の手を取った。


                        *** 


 フォレスト王国宮廷魔法師団<<十七柱>>団長、ディード・クエンツ、二十一歳の休日は窓辺に差し込む柔らかな日差しに始まった。
 毎朝と同じく、八時に起床。起きて、時間を確認して、ディードはどう見ても十代前半の童顔に皺を一本刻んだ。
「畜生、今日は休みだったっ!」
 休みの日くらいはゆっくり眠っていたいと思うのは、誰でも同じだろう。
 しかし、目が覚めた以上、大人しく寝ているというのはディードの性格には合わない。彼はベッドから起き上がると、クローゼットから服を引っ張り出して着替えた。
 そうして、上着の詰襟を閉じたところで、再び眉間に皺を刻んだ。
「何で、休みの日に制服着てんだよっ? 俺はっ!」
 染み付いた習性というものは恐ろしい。一日でも早く、この宮廷魔法師という役職から解放されたいと願っているにも関わらず、何をやっているんだ? 俺は。
 急ぎ、脱ぎ捨てようとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「団長、おはようございます、起きてますか?」
 その声を聞くまでもなく、ドア越しに感じる魔力で誰のものかわかる。というか、何であいつは俺のところに寄ってくるのか?
「何のようだ?」
 ディードがドアを開けると、そこに立っているのは中性的な――どちらかというと、女性よりな――面立ちの青年、ロベルト・エミリー。宮廷魔法師の彼は一応、ディードの部下だ。
 ロベルトはドアの隙間から険悪かつ凶悪に歪んだ童顔を見つけて、アイスグリーンの瞳を丸くした。
「……何だか、朝から不機嫌ですね。クレインさんみたいです」
「あの寝起き爆弾と一緒にするな」
 元宮廷騎士で青色部隊副隊長であったクレイン・ディックの寝起きの最悪さは、有名である。不用意に起こしにかかった隊員が、顔面を殴られて、魔法医師の下へ運ばれたという話は何度か聞いた記憶がある。そういったことがあってから、彼を起こすのは隊長であるデニスに一任されたわけだが、この起こし方も実に荒っぽかったと、伝え聞いた話。
「それで――何のようだ?」
「団長、今日の夕食、外に食べに行きませんか? 団長も、今日はお休みでしたよね?」
「はあ? 何でわざわざ、外に食いに行くんだよ?」
 宮廷魔法師の寮には専属のコックが二十四時間待機していて、いつでも好きな料理を注文しては作ってくれる。腕も、宮廷で行われる晩餐会などに助っ人として借り出されるほどで――下手に外に食べに行くより、ずっと良い。
「それが……約束していた相手が……その駄目になって。でも、もうお店に予約してあるし。だから」
「約束していた相手って、女か? ……お前また振られたのか?」
 言葉を選ぶ猶予もなく、核心を突いたディードにロベルトはそっと視線を逸らした。
 彼は虐待されて育った経験から、他人に嫌われることを恐れる故に――入団当初は、感情なんて排除していたのだが――誰にでも優しい。その優しさを自分だけのものと勘違いした女性にやたらとモテるのだが、それが決して自分だけに向けられたものではないと悟ると、女性たちは決まって別れを告げた。
 そうして、ロベルトが付き合った女性は入団してから五年も経たぬうちに、両手両足の指の数を超えた。
 今日もまたデートの約束をしておきながら振られたと言うから、ディードからすれば何が何だか、だ。
 もしかして、女に遊ばれているんじゃないのか? と思わざるを得ない。
 しかし、恋愛至上主義を謳うセイラに寄れば――ディードのイトコにあたり、王家の姫君――ロベルトが悪いのだという。
 好きでもない相手に優しくするのは、罪だとか、何とか。
 人間として誰かに優しくするのは当然のことじゃないのか? と、首を傾げるディードに対して、セイラは断言した。
『乙女心は複雑なのよ』
 ……もっと単純明快でいてくれ。
「飯だけか?」
 一日を費やすプランを考えていたのだろう。付き合い出したら、一応、その相手に合わせようとしていた。
 合わせたはずだった。だけど、相手には伝わらない。
 伝わるのは、ロベルトが相手のことを好きになれたらいいと、向き合おうとしている姿勢だけ。
 そこに気持ちが伴っていない、とセイラは訳知り顔で語ってくれた。
 わかるような、わからんような、理屈だ。
「あ、付き合ってくれるんですか? 良かった。せっかく買ったチケットだったんで、ちょっともったいないなーと思っていたんですよ」
「チケット?」
「舞台公演のチケットです」
「……内容は?」
「えっーと、今話題になっているそうです。「薔薇が枯れた」という……悲恋物」
「男二人で見に行く内容か? っていうか、デートに悲恋物?」
「いや……キースさんの話に寄れば、そういう悲しい恋愛ものを見て、自分たちはこうならないようにしようね、と愛を深め合うとか」
「キースに恋愛の手ほどきを受けている時点で、駄目だろ、お前」
 赤色部隊副隊長のキース・エレノアは、女性にモテたいがために騎士になったと公言してはばからない、厚顔無恥の無能男だ。隊長シオンが十六歳と言う年齢で、自分たちの上に立つことを不服とした隊員たちが嫌がらせで、副隊長に推薦された。
 考えていることは、常に女のこと。しかし、見た目は良いのだが、恥を知らない性格は女性に倦厭され、実際にモテたことはない。
 そんなキースがどこまであてになるかと言えば、全くもって「使えない」のひと言に尽きる。
「……やっぱり、まずかったですかね? 悲恋物」
「俺に聞くなっての。……まあ、いい。その舞台とやらにも付き合ってやる」
「いいんですか?」
「つまらんものなら、途中で寝るさ。少なくとも、ここに居るよりはマシだろ」
 下手に王宮に残っているよりは、ロベルトと付き合っていれば時間が潰せる。
「ここよりって……」
「いいから、行くぞ」
 変な面倒に巻き込まれるよりは、休日らしい休日を過ごせるだろう、ということでディードは部屋を出た。
 ……嫌な予感がするんだよなと、ディードはポツリと呟く。
「団長、制服で?」
 先頭立って歩き出したディードの黒い――宮廷魔法師の制服は黒の詰襟の上着に同色のズボン――背中に、ロベルトが問う。
「……ああ、そういえば」
 着替えようと部屋に戻りかけたディードに、声が飛ぶ。
「団長っ! 大変ですっ!」
 ディードが恐れていた一日の始まりだった。



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