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 1,何が男のロマンだっ?


「朝っぱらから一体、何だってんだよ?」
 宮廷魔法師リゲル・ダリアが超絶美貌の顔色を変えて、ディードの前にやって来た。そんな彼に噛み付くように問い返す。
「カイが、泡吹いて倒れましたっ!」
「何でっ?」
 カイ・ギドールは女性恐怖症という欠点があった。女性が側に近づくと、それこそリゲルが言ったような症状を引き起こす。だから、カイには女性と接点の少ない仕事を回すようにしていた。
 今日は王族兄弟、三男のウィラードの護衛の――護衛というのは建前で、実質は監視の――仕事だったはず。
「それが、ウィラード殿下が……」
 リゲルは言いよどんで、口を閉ざす。
 発言に困るようなことなのだろう。
「あの馬鹿っ! ウィラードはどこだっ?」
「……自室です」
 リゲルの言葉を受けて、ディードは駆け出した。その後をリゲルが追い、ロベルトもまたつられるように追いかけた。
 宮廷魔法師の寮を出て、王宮へと向かう。王族兄弟が住まうのは本宮の裏手にある離宮。そこへの渡り廊下を走りぬける途中で、ディードは護衛を引き連れてやって来る国王一行とすれ違う。
 真っ白の衣装を身に纏い、背中まで伸びた金色の長い髪。女性のような面立ちのなかで、エメラルドグリーンの瞳がチラリと、ディードを見た。
「…………」
 言葉を交わすとろくなことにならないと、一応、心得ている――心得ているのだがいつだって上手くいったためしがない――ディードはそのまま、通り過ぎようとしたがハタリと気づく。
 エメラルドグリーンの瞳っ?
 二つ年上のイトコの瞳はサファイアブルーだ。
「何のつもりだ、ジズっ?」
 グイッと踏み込んで、急停止をかけたディードは振り向き様、一見国王と見える青年の首根っこを掴んだ。指に引っ掛かった金髪が頭部からするりと剥げて、薄茶色の短髪頭が現れる。
「ジズリーズ殿下っ?」
「ジズリーズ様っ?」
 リゲルとロベルトは目を丸くした。
 国王と瓜二つの顔をしている王弟が、何で国王の格好をして、ここにいるのだ?
 仰天する二人を余所に、問題のジズリーズは穏やかに微笑んで、ディードを見つめた。
「やはり、兄上にはバレてしまいましたか。やはり、これは愛ですね?」
「愛じゃねぇっ! 気色悪い単語を発するなっ! それと、俺を兄と呼ぶなって言ってんだろうがっ! それより、どういうつもりだ、ジズ? 何であの馬鹿の格好をしているっ?」
 二つ年下のイトコ、ジズリーズを――王族兄弟の次男――睨みつけ、ディードは彼に従う護衛たちに目を向けた。
「ディード様〜、これには訳がぁ、あるのですぅ」
 間延びした口調で口を差し挟んできたのは白髪の青年。黒髪を苦労から真っ白にしてしまった彼は、宮廷魔法師団副団長のフォルテ・リッチだった。
「……訳?」
 職務に忠実なフォルテが進んで、このような真似事をするとは考えられない。ディードは先を促すように、顎をしゃくった。
「それがぁ、今日の昼食はバーネル国の大使との会談を兼ねていましてぇ」
「ああ」
「ですがぁ、バーネル国は四方を海に囲まれた土地柄故にぃ、主に魚を食べてお肉は召し上がらないと言うのですぅ」
「……で?」
「そこで魚メインのメニューにしたところ、今度は陛下が魚は食べられないと言うのですぅ」
「……ジズ、あの馬鹿はいつからそんな偏食体質になった?」
 幼少の折は共に食卓についていたディードは王族兄弟が、亡くなった王妃の教育方針の元、好き嫌いのない人間に育ったのを、己自身のこととして――母親が宮廷魔法師団団長を務めており、子育てをしている余裕がなかったため、ディードはイトコたちと共に王妃に育てられていた――知っていた。
 半眼で問いかけるディードに、ジズリーズは首を傾げた。
「さて、ジルビア兄上は幼少の折から、好き嫌いなされない方だったと思いますが」
 穏やかに微笑むジズリーズに、ディードはこめかみが引きつるのを実感した。
「知っていて、何で身代わりをしてるんだっ? お前はっ?」
「私はただ、フォルテ殿が困ったと、頭をお抱えのようでしたので助言しただけです。では、好き嫌いのない私が兄上の代わりを務めましょうか? と」
 この場合、王弟ジズリーズがすべきことは、フォルテに国王ジルビアが好き嫌いのない人間であることを教えてやることだろう。
 しかし、ジルビアもジズリーズも臣下を振り回すことを一種の趣味としていた――国民の為に心血注いで働いているのだから、多少の我が儘ぐらい許せよ、と言って。
「……あのぉ……もしや、私ぃ……」
 顔面を髪と同じように蒼白に染め上げて、フォルテは仰け反った。
「……まんまと騙されていますよ、フォルテさん」
「……ええ」
 リゲルの言葉に、ロベルトが頷いて、フォルテは「がーん」という擬音を背負いそうな悲愴な顔つきになった。
「――それで、あの馬鹿は?」
 フォルテのお人好し具合を知っているディードは、彼の失態を責める気にはなれず――本気でジルビアが魚を苦手としていると思い、バーネル国の大使との昼食会談の場をどうしようか? と真剣に悩んだ末、ジズリーズの差し出した餌に食いついてしまっただけなのだ――低く声を押し殺して、ジズリーズに付き従っていた護衛の騎士たちに問う。
 童顔でありながら、凶悪かつ剣呑な表情の宮廷魔法師団団長に、彼らは腰を引かせながら――宮廷魔法師が本気になれば、何万という兵を瞬殺できることを知っている。そんな彼らの前では宮廷騎士の剣技など棒切れの突き合いでしかないことを熟知しているので――逆らわずに答えた。
「ジズリーズ様のお部屋にて、代行を」
 と、言ったそばからバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきて、廊下の影から黒い人影が――宮廷魔法師の制服である――飛び出してきた。
「大変ですっ! 陛下がおられませんっ!」
 クリッとした猫の目のような、目元涼やかな美青年エイドリアン・クルーは、ディードたちを目にすると半泣きで叫んだ。
「んなこったろうと、思ったさっ!」
 ブチリと血管を切って、ディードは声を荒げた。
 首根っこを掴んでいたジズリーズの身体をフォルテの方に押しやり、指に絡まった金髪のカツラを廊下に叩きつける。
「フォルテっ! 何としても、昼食会談を成功させろっ! エド、城の門番に入り口を固めさせろ、まだ外に出て行ってないかもしれない。捜索隊を結成して、城内をしらみつぶしに捜せっ!」
「は、はいっ!」
 指名された二人の宮廷魔法師はそれぞれ与えられた任務を遂行すべく――フォルテは床に落ちたカツラをジズリーズに被せて、国王の偽者を仕立て上げ、エイドリアンは踵を返して国王失踪の際に編成させる捜索隊を召集すべく――走り出す。
「リゲルとロベルトは俺に続けっ!」
 当初の目的地へと駆け出すディードを二人の宮廷魔法師は追いかけた。


「テメェら兄弟は、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりかっ?」
 ウィラードの部屋に入るや否や、ディードは目の前に広がった散々たる光景に声を荒げた。まだ目覚めて、一時間も過ぎてやしない。なのにもう、叫びすぎて喉が痛い。
「ディード兄者っ! 見てくれよ、俺って結構、イケてねぇ?」
 ディードの姿を、エメラルドグリーンの視界に留めたウィラードが笑って、問いかけてくる。
 そんなイトコを前に、
「何度言ったらわかるんだ、お前らはっ! 俺を兄と呼ぶのは止めろって言ってんだろうがっ! テメェら馬鹿兄弟と一緒にされたくねぇんだよっ!」
 渾身の雄叫びを上げると、ディードはゼイゼイと肩を上下させた。
 そして、目に映ったイトコの姿に顔を引きつらせた。
 イケてる? 何をもって、イケてると言うんだ、こいつは。
 三男のウィラードは、二人の兄に比べて顔つきは男性の逞しさを兼ね備えていた。体格もまた筋肉質で、どう見ても男のそれしか見えないというのに。
「……何やってんだ、お前」
 ディードはドレスを身に纏い、女装したイトコに溜息を吐いた。……明らかに女装した男でしかないイトコに。
「やっ! 俺もジルビア兄者やジズみたいに、なれんかなと思って」
 女顔の長男、次男はドレスを纏うだけで、誰の目にも女性と映る。しかし、三男はどれだけ化粧したところで、女装した男にしか見えない。
「……お前は、あの二人と根本的に違うだろ?」
「やっぱ、駄目か」
 ウィラードはドレスの裾をつまみあげ、短く刈り込んだ故にツンツンと尖った金髪頭を撫でる。
 落胆気味の彼の足元には脱ぎ散らかされた女物のドレスやら、靴やらが広がっていた。
「……もしかして、カイはこれに泡を吹いたのか?」
 ディードは付き従っていたリゲルを振り返り、ウィラードを指差す。
 幾ら女性恐怖症でも、男の女装姿にまで恐怖を覚えるというのは如何なものか。っていうか、絶対に女に見えんだろう、普通。
 呆れ返ったディードに、リゲルはもの言いたげな目で視線を横に流した。すると、そちらから、
「す、済みません、ディード様……カイ君が倒れたのは、恐らく私のせいかと」
 おずおずと進み出てきた美女に、ディードは言葉を失う。
 女性の美醜に対して、あまり興味のないディードであるが目の前の美女には思わず息を呑む。
 それは他でもない――その美女が、男なのを知っているからだ。いや、男の癖に女顔をした国王や王弟を知っているので、今さら男が女らしかろうが驚きはしないのだが……。
「……カインか?」
 恐る恐る尋ねるディードに、空色のドレスを艶やかに纏った美女は、やや顔を伏せながら頷いた。
「はい」
 あまりにも女らしい美貌と性格故に、普段から女性に間違えられる宮廷騎士団<<五色の旗>>の黄色部隊副隊長カイン・ナイトは、恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
 願掛けだと言って、腰の辺りまで伸ばした金髪に、フレッシュグリーンの瞳。その瞳の周りを飾る睫の長さは、女性陣が羨んでしょうがない。
 そんなカインの、恥ずかしげに俯く姿は初々しい乙女のようで――男が乙女に見えたら、何となくお終いだという気がする――ディードは軽い頭痛を覚えつつ、口を開いた。
「……一つ、聞いていいか?」
「は、はい」
「何で、お前まで馬鹿な真似をしているんだよっ?」
 護衛が何故一緒になって、女装しているのだ?
「そ、それは……ウィラード様が一緒にやろうと。も、勿論、私も最初は断ったのですよ? しかし、退屈だ、つまらないと仰られて……付き合ってくれないなら、城を抜け出すと」
「それを監視するのが、お前らの役目だろうがっ!」
 噛み付くように怒鳴るディードに、気圧される形でカインは言い訳した。
「わかっていますっ! わかっていますけどっ! 一時の恥で、殿下が大人しく城に留まってくださるのでしたら……そう思いまして」
「進んで女装したってわけか?」
「……情けない話でありますれば」
「情けなさ過ぎて、涙が出そうだ」
 何で、男が女の格好をしなければならない? それも王族の男子がだ。国民の手本となるべき者たちが……。
 こんな奴らに、国を任せている現状を知ったら、国民は不安になるだろ?
 長男と次男は、その辺りは抜かりなくフォローするのだが――というか、その二人の場合は女の格好をすれば女に見えて、誰も男だと思いやしないのだから、バレることはまずない。そこだけは心配に及ばないのだが――三男はどう見ても、女装の域を出ない代物ならば、この人物が王族とバレたあかつきには、国民の王族への信頼は地に失墜するだろう。
 ディードとしては、そんなことにも頭の回らないウィラードが情けなくなってくる。二人の兄貴たちは頭が回りすぎで、計算高く厄介ではある。しかし、馬鹿も馬鹿で問題だ。
「何で、そんなに女装がしたいんだっ? 男としてのプライドはないのかっ?」
 睨み付けたディードにウィラードは小首を傾げた。
「えー、男だからこそ、一度ぐらい女装してみたいじゃん。男のロマンだろ? ディード兄者も、やってみねぇ? 世界観、変わるかもよ。大丈夫、恥ずかしくないって」
「するかっ! 恥ずかしいのはお前の頭で十分だっ!」
 と、叫んだディードは部屋の片隅でモゾモゾと動いているものを視界に入れた。
 ウィラードとカインの女装に目を奪われて、気づかなかったそれは、筋骨隆々の上半身をむき出しにして、太ももまでずり上げたワンピースにその逞しい身体を押し込めようとしていた。その大男は――成人男子の平均よりはるかに、肩幅も広く胸板も厚い――黄色部隊隊長アルベルト・ローラン。
 部隊の顔、象徴として、強さだけを理由に黄色部隊の隊長に選ばれたアルベルトが、天然ボケであることはもう王宮内では今さら驚く事実ではない。
 だから、ウィラードに誘われて女装を抵抗なく着替えたのだろう。それはわかる。
「…………アルベルト」
 ディードはスゥッと大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出すように彼の名を呼ぶ。
 アルベルトは、そこで初めてこちらに気づいたように顔を向けてくると、言った。
「服が小さすぎて、入らないっ!」
「んなことは、着る前に気づけぇぇぇぇっ!」
 ディードは手近にあった長椅子の背もたれに手を置くと、魔法の能力でそれを天井高く持ち上げると同時に、アルベルトへと投げつけた。
 迫り来る長椅子を受け止め損ねたアルベルトが床に沈むと、ディードはリゲルを振り返った。
「リゲル、こいつら馬鹿の女装を解けっ! それから、俺が許すから結界魔法で二十四時間、この部屋に馬鹿三人を監禁していろ」
「もしかして、私も馬鹿の一人ですかっ? アルならともかく?」
 カインが傷ついたように声を荒げた。
 天然ボケのアルベルトをフォローする立場のカインもまた、微妙に天然だった。
「自覚しろっ!」
 ディードは部屋を出て、ドアを叩きつけるように閉じた。時を同じく、リゲルが室内に結界魔法を敷くのが魔力を通してわかった。
 これで、国家の恥が外部に漏れる心配は一つ減った。
「ご苦労様です、団長」
 一連の騒動を静観していたロベルトは、ディードにねぎらいの言葉を投げる。
「さっさと、出かけるぞ。これ以上、俺の貴重な休日を潰されてたまるかっ!」
「ああ、なるほど」
 ロベルトは、ディードが趣味ではない悲恋物舞台に付き合うと言い出した理由がわかった。
 城に留まっていれば、王族兄弟に振り回されるのは必至だ。
 それなら、男二人でデートでもするかのような一日を過ごす方が、平和的だろう。
「……そうですね、出かけましょう」
 ロベルトとしてもこれ以上、ディードと一緒に、王族兄弟に振り回されるのは御免被りたい。



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