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 2,乙女心なんて、知るかっ!


 宮廷魔法師の寮の自室に舞い戻ったディードは、制服の上着をベッドの上に放り投げるとクローゼットを開けた。
「別に、そんなにかしこまった格好じゃなくてもいいんだろ?」
 高級レストランとなれば、正装しなければならないだろうが。そう考えながら、薄手のジャケットを引っ張り出すディードに、ロベルトは頷いた。
「そうですね、構わないと思います」
「じゃあ、さっさと行こうぜ」
 寝室を出て、居間を横切りながらジャケットを着込んだディードの、シャツの襟が折れ曲がっているのに気がついて、ロベルトは手を伸ばした。
「団長、ちょっと待ってください、服」
「あん?」
 振り返ったディードは、ロベルトがシャツの襟を直してくれるのを黙って見守った。
 そこへ、「失礼します」と部屋に入ってくる人影があった。
 それは宮廷魔法師たちの部屋の掃除をする係りの女性。黒いメイド服に白いエプロンの女性は、ディードとロベルトを前にして、一瞬立ちすくむ。
 前後関係を抜きにして、この現状だけを見れば大の男が二人向き合って、しかも片方の手が、相手側の肩に回っている。なにやら妖しげな雰囲気はある……かもしれない。
 だが、普通はそこから発展するものなどないはずだった。
 あるわけない。
 なのに、女性は微かによろめきつつ、何かに確信するように言った。
「ああ……やはり、そうでしたのね」
「……?」
 ディードは微かに嫌な予感を覚える。そして、悲しいことにそういった予感は、外れたためしがないから困る。
 ロベルトと目を合わせて、改めて女性を見やる。それから、ロベルトは驚いたように目を瞬かせた。
「マリアンヌさん? えっ? 今日、もしかしてお仕事だったんですか?」
「何だ、知り合いか?」
 王城に仕える人間は掃除係りだけでも、膨大な人数がいる。持ち場を決められているというわけではなく、サイクルによって持ち場担当を変えているのだろう。
 宮廷魔法師も、前は担当を限定していたが、ディードが団長になって交代制をとった。そうしないと、団長は常に国王に付き従うポジション。犬猿の仲と誰の目にも明らかなディードとジルビアが終始、一緒に行動を共にするというのはいつ爆発するとも知れない爆弾を抱えるように危険なこと。
 反対意見もなく、スムーズにこの提案は可決されて今に至る。
 と、まあ、魔法師団の事情は置いておくとして。
 ディードはロベルトを横目で見やり、マリアンヌという女性を観察する。ディードにとっては初見の相手、年頃はロベルトと同じくらいか。まあまあの美人ではないかと思う――正直、ディードにしてみれば他人の顔の美醜なんて、あまり興味はない。人から童顔を何かと揶揄されるので、ロベルト辺りには意趣返しとして「女顔」とからかったりするが。
「……もしかして、約束していた相手って奴か?」
 こそりと、ロベルトに問う。彼は小さく頷き返してきた。そして、ハッと何かに気がついたようにロベルトはマリアンヌを振り返った。
「あ、もしかして、俺と付き合えないって言うのは、今日お仕事だったからですか? それだったら、そうと言ってくださったら良かったのに。俺、てっきり交際を断られたのかと」
 一縷の希望に望みを繋ぐように、ロベルトは笑いかける。
 しかし、マリアンヌは首を横に振った。
「いいえ、ロベルト様。……わたくしはもう、アナタ様とはお付き合いできません」
「…………そう、ですか」
 と、ロベルトはあっさりと引き下がった。
「…………」
 ディードはそこで引き下がっていいのかよ? と、思わないでもなかったが、自分自身恋愛には疎いので的確なアドバイスが送れるとも思わない。
 ただ、この場の微妙な空気を緩和するように口を開いた。
「ええっと、その、何か、コイツに足りないところあったか?」
 足りないところは多々あっただろうとは思う。しかし、誰かと付き合い出したら、一応、その相手に誠意を尽くしていたのは間違いない。
 誰にでも優しいのは、恐らく変わらないだろうが、二股などかけるほどの器用さはなく、付き合っている相手がいる場合に、別の女性から交際を申し込まれても断っていた。
 誠実であったのは間違いないはず。
 では、それ以外の何かに問題があったのか。それとも、マリアンヌの方が心変わりしたのか。
「わたくしは真実に気づいてしまったのです」
 マリアンヌはディードを見つめ返すと、そう告げた。
「真実?」
「ロベルト様はわたくしを愛してくださってはいませんでした」
「…………そうなのか?」
 ディードはロベルトを振り返ると、彼は慌てたように首を振った。
「そんな……だって、お付き合いして二週間ですよ?」
 二週間で、振られたのか? と、突っ込みそうになって、ディードは唇を捻じ曲げた。ダメ押しをくらった相手の傷口に塩を塗りこむような悪趣味は――年上のイトコと違って――ない。
 押し黙ったディードを前に、ロベルトは言葉を並べた。
「まだ、愛とか……そんなところまで」
 ゼロから始めて、一歩ずつ――少しずつでも――相手を好きになろうとしていたロベルトにとって、愛と呼べる感情を成熟させるにはまだまだ道のりが遠い。
「好意はあったわけだよな?」
「それは、当然です。俺を好きになってくれた、それだけでとても嬉しかったんですから」
 ……それって何か、違わないか? と、ディードは思う。
 つまり、自分を好きになってくれる相手なら、誰でも良いということではないか?
 それはあまりにも無節操で。どんなに誠意を尽くしたとしても……やはり、感情的に行き違いが生じても仕方がないのかもしれない。
 相手は――女性の方は――好意を受け入れてもらえた、その時点で両想いになったのだと認識していたら、それは一つゴールをクリアした感覚なのだろう。
 しかし、ロベルトとしてはこれから、関係を築いていくつもりでスタートラインに立ったと思っているのなら、この両者の距離は遠い。想いは重ならない。
 この事実に、気づいてしまったら――大抵は女性側が先に気づくのだろう――途方に暮れる。
 愛されていないと、思ってしまってもしょうがない。
 ……そういうことなのか? と、ディードは心の中で首を捻る。
 唸るディードを前に、マリアンヌは両手を組んで祈るように目を伏せた。
「……それでも、わたくしはロベルト様をお慕いしておりました」
「えっ? じゃあ、何も別れなくても」
 良かったんじゃないか? と、尋ねるディードにマリアンヌは緩やかに首を振った。
「だからこそ、わたくしは身を引くのです。ロベルト様には、お幸せになって頂きたいから」
「……はあ、それはありがとうございます」
 ロベルトは少し戸惑うような間を置いてから、淡く微笑んで礼を言った。
 ……そこ、礼を言うところじゃないだろ? と、ディードはまたしても思う。
 具体的に何が間違っているのか、わからないが。
 幸せになって欲しいと言うのは、振った相手が言うものではないし、振られた相手がそれに対して礼を言うのは……やはり、おかしい。
 何故なら振られた時点で、不幸ではないのか?
「いいえ、礼には及びません。ロベルト様、どうか、末永くディード様とお幸せに」
 祈りの姿勢から、マリアンヌは熱い視線をロベルト共にディードに送って、まるで偉業を成し遂げたかのような、満足げな笑みを見せた。
 そんな彼女に、ディードとロベルトはマヌケな顔を見せた。
「えっ? …………あの……マリアンヌさん?」
「ちょっと、待て。何で、そこで俺の名前が出るっ?」
「……お二人の愛を秘め事にしたいのは、わかります。ですが、どうかご安心ください、ディード様。お二人のことはわたくしと姫様の胸の内に仕舞っておきますので」
 そう告げるマリアンヌに、ディードは「へぇ〜」と頬を引きつらせた後、拳を握って叫んだ。
「あのっ、脳味噌腐れ女かっ?」


「この腐れ頭っ! テメェ、あの女に何を吹き込んだっ?」
 再び、王族が居を構える離宮に乗り込んだディードはわき目も振らずに、王妹セイラの部屋へと向かった。
 ドアを蹴破る勢いで、突入。開口一番、ディードは叫んだ。
 一応、相手は姫君である。まだ十七歳という、少女である。あまりにも乱暴な言葉遣いに、後を追いかけてきたロベルトだけでなく、セイラ姫の護衛として付いていた宮廷魔法師ラウル・ルディアと宮廷騎士たちもまた、目を丸くした。
「団長?」
 困惑気味のラウル青年は――目が細いことを除けば、美形である――部屋の片隅に置いていた椅子から腰を浮かせた。
 そんな彼をディードは無言で見やった。
 ラウル・ルディアという宮廷魔法師は、禁欲的に任務をこなす真面目な青年で滅多なことでは慌てない。しかし、ディードの表情に何かしら感じたものがあったのか、ゴクリとつばを飲み込むようにして、開きかけた口を閉ざした。
「ラウル、それに他の奴もちょっと席を外してくれ」
 低い声で告げたディードに、彼らは逆らわない方が懸命だと思ったのか、そそくさと部屋を後にする。
 ラウルの後に続いて、この場を辞しようとしたロベルトだったが――思わず、ディードの後を追いかけてきてしまったが、ディードの剣幕にしり込みしてこの場から立ち去ろうと思った――ガシッとディードに腕を掴まれた。
「当事者のお前が、消えるなっ!」
 怒り狂うディードの語気の荒さに、ロベルトは首を竦める。
 直情的なディードの感情表現は、ロベルトとしては見ていて飽きない。
 虐待されて育ったことで、一時期、感情を放棄してしまっていたロベルトにとって、感情のままに生きているディードは憧れで。コロコロと表情が変わるディードを見たいがために、彼に付きまとうこともしばしばであったが――この辺りが、今回の誤解の発端なのだろう――他人事として眺めていられる状況ではない今現在、ロベルトとしてはこれからどうしていいのかわからなくて、困るし、怖い。
「す、すみません」
 恐縮して小さくなったロベルトの耳に、暢気としか言いようのない声が割り込んできた。
「ディードお兄様ったら、一体どうしたの? そんな大声を上げて。ミシェルがビックリしているわ」
 部屋の中央に置かれた長椅子に、二人の少女は腰掛けていた。
 金髪にサファイアブルーの瞳の十代の少女が、件のセイラ姫。彼女の影に隠れるようにして、幼い顔を覗かせているのが王族五人兄弟の末っ子、ミシェル姫。
 誕生と同時に母親を亡くし、三年前に父親も亡くした末姫は兄弟たちによって育てられたため、やや人見知り傾向にあった。
 今日も母親役を引き受けたセイラに、べったりとくっついている。
 そんな人見知りの姫君であったが、何故か、ディードには懐いていた。その理由が、ディードの童顔にあるのか、血の近さにあるのかはわからない。
 しかし、今のディードを前にして、平常でいられるのはセイラだけだろう。
 背中から漂う不穏なオーラは、一歩間違えばこの辺り一帯を焦土に化すのではないかと思わせるほどだ。実際、ディードの魔力を持ってすれば、王城を刹那において破壊することも可能だろう。歴代の宮廷魔法師たちが組み上げてきた結界魔法も役には立たない。
「ミシェルも……ちょっと、席を外してな?」
 幼い姫君に笑いかけるディードであったが、エメラルドグリーンの瞳はひと欠片も笑ってはいない。
 ミシェルはセイラの腕にしがみ付いて、いやいや、と小刻みに首を振った。怖いのだろう。恐ろしいものを前にして、子供が縋るのは安心できる保護者の腕の中だ。
「一体、何事なの、お兄様? ミシェルの前では、お話できない内容?」
「……そんなことはないが。正直、お前の反応次第では、俺もさすがに堪忍袋の緒が切れる可能性があるからな」
 押し殺した声で告げるディードの背後で、ロベルトはもうしっかり切れていますよ、と心中思う。
「私が何かしたの?」
「マリアンヌという女を知っているな?」
「ええ、知っているわ。でも、どの子かしら? 同じ名前の女の子が三人いるのよ」
 王宮仕えしている人間の数から言えば、同じ名前の人間がいてもそう不思議ではないだろう。小首を傾げながら、セイラはディードを見返した。
「それにしても、お兄様から女性の名前を聞くなんて、珍しいわね。さては、お兄様にも春がやって来たのかしら」
「……セ……イラ……」
 ディードは気持ちを落ち着けようかとするように薄く笑いながら、浮かび上がる青筋を押さえ込むように、額に右手を添えた。
「お前の思考は……色恋しかないのかよ?」
「お兄様、人生において重要なもの、それは愛よっ! 恋よっ!」
「んなもの、なくったって人は生きていけるんだよっ!」
「ありえないわっ!」
 反論するディードをセイラは一刀両断で切り返した。ぷつり、と糸が切れる音をロベルトは聞いた気がした。
「テメェの思考の方がありえねぇだろうがっ! どういうつもりだっ? お前、ロベルトと付き合っていた女に、俺とコイツが愛し合っているのだと、言ってくれたみたいだな。……冗談も、大概にしろよ?」
 大声で叫んだ後、感情的になっては話が続かないと、ディードは必死に自分に言い聞かせる。
 ここは、冷静になれ。
 しかし、そんなことで落ち着いていられたためしなど、これもまたなく。
「それは仕方がないのよ、お兄様」
 セイラが大したことはない、というような調子で言うものだから、ディードのなけなしの理性も雲散霧消。
「何が、仕方がないってんだっ? お前、わかってんのかっ? 俺とロベルトは男同士なんだぞっ?」
「そう、だからこそ、彼女も諦めがつくのよ」
「諦めがつくってなんだよっ?」
 もう反射的に叫んでいるディードである。ロベルトは恐る恐る、口を挟んだ。
「それって……どういうことですか?」
 ここは、セイラの言い分をひとまず聞いた方が良い。そう思って、問いかけたロベルトを、ディードとセイラが半眼で睨む。
「こいつの言い分なんか、どうせろくなモンじゃねえだろっ?」
「大体、ロベルト、貴方が全部悪いのよっ!」
 両者に責められて、ロベルトは言葉に詰まる。オロオロと二人を交互に見やっては、二人の冷たい視線に所在無げに身体を縮めた。
「貴方が心もないのに、マリアンヌと付き合うから、いけないのよ」
「それは……付き合って欲しいと言われて」
「だから、付き合ったというの? 節操なしね。この一月前に、セレーネと別れたばかりでしょう、貴方」
 それはディードにとって初耳だった。まあ、ロベルトが付き合った相手のことなんて、一々聞いてなんぞいられない。だが、このままではセイラの言論に分がある。
「それだって……別れて欲しいと言われたから」
「貴方は相手の望みを叶えることが、誠意だと思っているようだけれど。彼女たちの想いの深さも測れずに、半端な気持ちで付き合うこと、これは誠実と言えて?」
「……で、でも……」
 何だか、泣きそうな顔でロベルトは反論しようとするのだが、セイラは彼が口を開かせるのを許さなかった。
「黙りなさいっ! 貴方のその間違った誠実さがどれだけの女の子を泣かしてきたと思っているのっ? 私は恋する乙女の味方なの。女の子の敵である貴方の言い訳に聞く耳なんて持たないわ」
「そ、そんな……」
 情けなく顔を歪ませるロベルトから、セイラへ視線を転じてディードは口を開いた。
「百歩譲って、この男が全面的に悪いとする」
 腰に片手を添えたディードは、あいたほうの手の親指を立てると、それで後方のロベルトを指差しつつ言った。
「そんな、団長までっ!」
「いいから、お前は黙ってろ」
 ディードにまで、沈黙を求められたロベルトはギュッと唇を結んだ。
「……それで、どうして俺とコイツが出来ていることになるんだよ?」
「だって、お兄様。マリアンヌはロベルトが好きだったのよ。なのに、ロベルトはマリアンヌを愛してはいなかった」
 キッと、ロベルトをサファイアブルーの瞳で睨んで、セイラは続けた。
「マリアンヌはつまり、失恋したことになるのよ。とても、傷ついたのよ。ロベルトが初めから、好意がないとハッキリしていれば、マリアンヌだって期待はしなかったでしょう。でも、間違った誠意で、マリアンヌのことをロベルトが受け入れてしまったから、彼女の心はもうズタズタよ」
 言葉を重ねることに感情が高ぶってきたのか、セイラはハンカチを引っ張り出してはギュッと握り締める。
「そんな彼女を放っておけて? いいえ、そんなことはできないわ。だから、私は考えたの。マリアンヌの心の傷を軽くできる方法がないかしらと」
「……それで?」
「見つけた答えは簡単よ。ロベルトがマリアンヌを好きにならない理由を作るのよ」
「……は?」
「ロベルトがマリアンヌを好きにならないという理由があれば、彼女は好きになってもらえなかったと傷つくことはないのよ」
「…………」
 この女は、何語を喋っている?
 ディードは目の前の姫君の言動が理解できずに、目を白黒させた。
 恋愛至上主義を謳う彼女のことを、恋愛なんて面倒くさいという、ひと言で片付けてしまうディードが理解できることなど、初めから多くはない。
 しかし、喋っている言語すら、共通の言葉を話しているのか? と、疑ってしまうほどにセイラの言い分は解読不能。
 そんなディードの戸惑いなどお構いなしに、姫君は持論を披露する。
「ロベルトに別に想う人がいるとする。だとすれば、マリアンヌの想いが通じないこと、これはしょうがないことなのよ」
「俺に想う人なんて……」
 いませんよ、と口を開くロベルトを、セイラ姫は睨みつけて一喝する。
「黙ってなさいっ!」
 姫君の激烈な怒号に、ロベルトはコソコソとディードの影に身を潜めた。
「貴方の事情なんて、知らないわ。大事なのは、マリアンヌよ。彼女の傷を癒すことなの。だから、お兄様にロベルトの想い人になってもらったの」
「何でそうなるっ?」
 いきなりの結論に、ディードは目を剥いた。
「よく考えてみて。お兄様とロベルトは同性同士。これは世間的にあまり認められた間柄ではないわ。まあ、私は愛があれば同性同士でも構わないと思うのだけど」
「俺は構うっ!」
 女とも付き合う気がないのに、何で男と付き合わなければならないっ?
 そう反論するディードに、セイラはコクコクと頷いた。
「それはわかっているわ」
 本当にわかっているのかよ? と、半信半疑のディードに姫君は続けた。
「でも、その問題はこちらに置いて」
 やっぱり、わかってねぇだろっ? 
「男性同士の恋。それは公にできないわけよね。つまり、ロベルトはお兄様との恋を世間的に隠すために――」
 仮定の話でも、やめてくれ。愛だの恋だの、頭がついていかない。
 ディードは泣きたくなった。
 何でだ? 何で、こんなことになっている? 今日は休暇で、何事にも悩まされることのない一日を過ごすはずではなかったのか?
「――マリアンヌと付き合うことにしたというわけ。これなら、マリアンヌはロベルトに利用された被害者なの。想いを告白しながら、受け入れてもらえずに失恋した女の子ではないの。被害者なの」
「…………」
「つまり、悪いのはロベルトなのよ。ね? これなら、マリアンヌも諦めがつくでしょう? 好きになってもらえないのは自分が悪いわけではなく、ロベルトが悪いのだって。彼にはもう揺るぎのない想いの相手がいるのだから、仕方がないって」
「……何でそんな……面倒くさいことを……」
「それはしょうがないわ。乙女心は複雑なのよ」
 セイラは、当然だと言わんばかりに胸を張って断言した。
 問題を複雑化しているのは、他でもないこの姫君ではないのか?
 しかし、きっと、セイラには何を言っても無駄なのだろう。
「……あの、……その場合、団長と俺の名誉は?」
 姫君の論が通れば、ディードとロベルトは世間一般に男色と定義づけられることとなる。その気もないのに、そう位置づけられること、これは汚点でしかないのではないか? 
 まあ、この噂が広がったところで、ディードの人となりを知るものは誰も本気にしないだろう。しかし、ロベルトに限っては噂を否定しかねる現状にあった。
 何しろ、ロベルトがディードを慕っているのは誰の目にも明らかなのだ。そこに恋愛感情はないと断言したところで、どれだけの者が信用してくれるのか。
 事後のこともちゃんと、考えてのことなのか? と、尋ねるロベルトに、セイラは少し考えた後に言った。
「名誉? お兄様は男性の貴方からも愛される素晴らしい殿方ということになるのよ。さすが、私のお兄様ねっ! ご立派だわ」
「違うだろっ! それに何度も言うが、俺はお前の兄じゃねぇ! 俺を兄と呼ぶなって言ってるだろうがっ! お前ら馬鹿兄弟と一緒にされたくないんだよっ!」
 そう叫んでから、ディードは気づく。
 そうだ、いつだってこの馬鹿兄弟たちにマトモに付き合うのが間違いなのだ。
 そんなことはわかっていたが……わかっていたが。
 ディードは脱力感に見舞われて床に沈んだ。
「……もう、いい加減にしてくれ」
 家族なんだと、あの日、伯父は言ったが。
 家族なら何をしても許されるというのなら、家族なんて要らないとディードは半ば、本気で思う。
 膝を抱えていじけるディードの元に、トコトコと末姫のミシェルが歩み寄ってきては小さな手でディードの頭を撫でた。
 小さな姫君は落ち込んでいるディードを慰めようとしているらしい。
「ディードお兄様、元気、出してください。お兄様が悲しい顔をしているとミシェルも悲しくなってしまいます」
 少し前まで、ディードの怒りに怯えていたというのに。
「あのですね、お兄様に特別のおやつを差し上げます。だから、元気になってください」
 健気な末姫に、ディードはホッと安堵した。
 長男は国王の癖に謁見をすっぽかす、次男はそんな長男の行動を増長させるし、三男は馬鹿だ。ひたすら馬鹿だ。上の姫君はというと、世間一般の常識よりも色恋ごとを優先した物の考え方をする――どいつもこいつも、問題児ばかりであるが。
 この末姫だけは、マトモなようで。何だか、救われた気になる。
「ミシェル、お前はいい子だな」
 感慨深げに呟いたディードの耳に、「まあ、ミシェルったら」とセイラが少し呆れ気味の声を吐いた。
「特別のおやつのことをお兄様に話したら、駄目よ。せっかく、ジズリーズお兄様とウィラードお兄様が、ディード兄様の眼からジルビアお兄様を逃してくださったというのに」
「…………」
 セイラの指摘にミシェルはしまった、という風に口を覆った。
「…………どういうことだ?」
 低く問うディードに、セイラはあっさりと答えた。
「どうもこうも、ミシェルが城下で発売されている限定シュークリームを食べたいと言い出したから、ジルビアお兄様が買いに出られたの」
「…………つまり」
 全ての元凶は、この末姫か?
 末姫の願望を叶えるために、次男は長男に成り代わり、三男は馬鹿騒ぎで宮廷魔法師たちを混乱させ城内に足止めした。その隙に、長男は城外に出て、シュークリームを買いに出たという……。
 目の前が何だか暗くなるような、赤くなるような。フツフツと湧き上がる怒りにディードはゆらりと立ち上がった。
 そして、怒りの形相で二人の姫君たちを睥睨すると、叫んだ。
「テメェら、後で全員まとめて説教してやるっ! とりあえず、あの馬鹿を捕まえに行くぞっ! 着いて来い、ロベルトっ!」
 部屋を飛び出すディードをロベルトは慌てて追いかけた。


                       ***


「行ったか?」
 二人の宮廷魔法師が立ち去った姫君の部屋に、バルコニーから侵入した人影が問う。
 セイラはそちらに視線を向けると、ええ、と微笑んで頷いた。
「城下にジルビアお兄様を探しに行かれたのね、きっと」
「俺はもう、戻ってきているのにな?」
 淡いピンクの唇に、嘲笑を浮かべるのは金髪を背中まで伸ばした、サファイアブルーの瞳の青年。彼こそがディードの天敵であり、このフォレスト王国の国王ジルビア・フォレスであった。
「それにしても、お前まであいつを追っ払うとはな」
 片手にした小箱をセイラのほうに差し出しながら、ジルビアは小首を傾げた。
 箱の中にはシュークリームが六つ入っている。兄弟の頭数ともう一つは、ディードの分だ。セイラが城を出る兄に、注文していた。
「それはあいつに食わせるつもりだったんだろ?」
「勿論。でも、ジルビアお兄様とディードお兄様が鉢合わせしていたら、お兄様のお説教を聞かされて、おやつはお預けになっていたと思うの。だから、申し訳ないけれど、ディードお兄様には少し席を外れていただくことにしたのよ。後で、お兄様にもちゃんとお届けするから、ミシェルは心配しないでね」
 セイラは兄と妹に笑って告げると、ディードが出て行った後、部屋へ舞い戻ってきた護衛の宮廷魔法師にお茶の用意を注文した。
 ラウル・ルディアはそんな姫君の傍らに国王の姿を見つけて、細い目をギョッと見開いたが、やがて平静を取り戻した。
「直ちに、茶会の用意を致します」 
 驚くことは何もない。
 王族兄弟に、宮廷魔法師団団長ディード・クエンツが振り回されるのは、日常のこと。
 怒りまくるディードを尻目に、笑う王族兄弟たち。
 そんな子供たちを眺めては、喧嘩するほど仲がいいんだねと、亡くなった前国王は笑っていた。
 ……だから、見守る人がいなくなっても。
 変わらない愛情はそこにあって、繰り返される。
 これはいつもと同じ王宮の風景。
 愛すべき家族たちの肖像。
 ……そう、ラウル・ルディアは自分に言い聞かせた。
「んなわけ、あるかっ!」と、叫ぶディードの姿が脳裏に浮かんだが、それは見なかったことにしておこう。


 そして、ディードとロベルトは城下に、もう居ないジルビアの姿を求めて走り回る。
 こうして、彼らの休日は終わった。


                「王宮狂騒日記 完 ……ブルーバード事件に続く?


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