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お題提供・色彩の綾

 恋人ごっこ。


「紗知さん、もう直ぐバレンタインデーですね」
 ニッコリ笑顔を添えて、あからさまな期待を込めた口調で、由樹が開口一番に言ってきた。
 吐いた息が白く煙る真冬の朝には似合わない、眩しい笑顔。なにが楽しいのか、私にはさっぱりわからない、理解不能の微笑み。
 適度に日焼けした肌、長身、端整な顔立ち。世に言う、イケメンの彼はクラスメイトで隣人である。だが、その隣人に対して、バレンタイン用にチョコレートを私が準備していると思っているのだろうか。
 だとすれば、馬鹿なんじゃないの? と、言いたくなる。期待する相手を間違えているだろう。
 第一に愛嬌を振りまけば、いくらでもチョコレートは貰えるだろうに、何故、よりにもよって私にねだろうとするのか、気が知れない。
 どうして私が、由樹にチョコレートをあげなければならないというのだろう。
 物心ついた頃から既に定着していたバレンタインイベント。十七になる今まで、父親にすら義理チョコをあげたことのない私だというのに。
 これまでの隣人付き合いでも、一度だって由樹に対してチョコレートをあげたことなんて、なかったというのに。
 馴れ合いも媚びも嫌いだ。親にさえ、お小遣いが欲しくても甘えるのではなく、労働を対価にした。しっかりしているといわれる反面、子供らしくない、可愛くないと何度、親に愚痴られたことだろう。
 私は両親が年をとってから生まれたひとりっ子だったので、両親は私を甘やかしたかったらしい。
 そのことは中学からの隣人付き合いがある由樹も既に承知しているはずだ。
 どんなに逆立ちしたところで、私がチョコレートを男子にあげるタイプには見えないだろう。
 笑顔で周りの皆を惹きつける由樹とは反対に、私は無表情で周りを遠ざける。ついたあだ名は氷の女王。クラス委員長をしているから女王なのか、他の意味が揶揄されているのか知らない。あまり知りたくもない。
 第一にクラス委員も面倒事に関わりたくないという、集団意識が組織だって、後々の人間関係に後腐れしない生贄を差し出したにすぎない。
 教師陣からすれば成績優秀者の私は物わかりがよく、周りから信頼されているように映ったようだ。
 全員一致の投票はあっさりと可決され、女子のクラス委員長という雑用係を押しつけられた。
 まったく厄介なことになったとしか言いようがない。
 何故なら、笑えることに、私は信頼されているどころかクラスメイト、特に女子とは没交渉関係にあると言えるのだから。
 担任からの伝達事項を伝えても、彼女たちは私をまるで見えない存在のように扱う。反応がないのでちゃんと伝わっているのかどうか、確認しようがない。
 この間など、伝達不足で私が責められたのだから、嫌になる。
 まあ、やり方は陰険ではあるけれど、イジメと断定するほどではないのは、私にあまりダメージがないせいか。
 下手に仲良くなるより、距離を置いてもらっていた方が、気が楽だと思う性質だから、面倒臭いな、の一言で終わってしまう。
 原因は群れることを嫌う私の性格と、やたらと女子にウケがいい隣人のせいだ。
 面倒事を押しつけられた私と異なり、自ら立候補して満場一致で男子のクラス委員長に収まった彼の人気ぶりがこのエピソードでわかるだろう。
 クラスの女子は、先に女子のクラス委員を決めさせた担任を呪い殺したくなったのではないかと思う。
 私も呪いというものが効果的であったのなら、実行していたかもしれない。きっと、推薦ではなく立候補でクラス委員が決まっただろう。それは間違いなく、私ではない、誰か。
 実際は丑の刻参りをする気概など持ち合わせていないし、おまじないや占いすら信じない。
 そんなことを由樹に話したら、「紗知さんは超現実的だね」と言われた。クールだ、とも。
 クール、私が氷の女王と呼ばれる所以か。
 私は無言、無表情で由樹に視線を返した。
「勿論、チョコくれるよね?」
 そう言って由樹は、両手のひらで何かを受け止めるような形を作って、こちらに差し出してくる。
 私の喉を突いてきた言葉は、
「馬鹿じゃないの?」
 だった。あまりに予定調和だったので、私はオリジナリティーを演出すべく、セリフを付け足した。
「どうして私が、由樹にチョコをあげなければならないのよ?」
 素っ気なくあしらい、私は由樹の横をすり抜けた。
 朝の通学時間をくだらないことで潰していたら遅刻してしまう。無遅刻無欠席の皆勤賞を狙っているのだ。
 家の玄関ポーチを抜け、由樹の家の前を通り過ぎたところで、追いかけてきた由樹が横に並んだ。
「あれあれあれ、紗知さんは契約のこと、忘れちゃったのかな?」
 と、おどけるような口調で言ってきた。
 契約、その一言に思い出す。
 由樹は冗談のつもりだっただろうが、私は本気で忘れていた。というか、思い出したくなかった。
 学年が上がった春から、由樹と結んでいた契約。それは三月まで私が由樹の「恋人」であるというふりをすることだった。
 何でも由樹の父親が来月末を区切りとして、転勤することになったらしい。それに由樹もついて行くとのこと。
 私の家の隣人になった五年前も転勤であったから、予測される別離であったのだろう。由樹が社交的なのは、転校経験の多さから、周りに自分をなじませるすべを知り得ているからなのかもしれない。
 その三月まで、自分の彼女のふりをして欲しいと打診されたとき、どうして私が彼の転校問題に関与しなければならないのか、甚だ疑問ではあったのだけれど、説得されてしまった自分がいた。
 由樹はとにかく女子たちに受けがいい。女子に対してというより、男女問わず。転校生の世渡り上手もあるけれど、気が利くのが第一の理由だろう。屈託のない笑顔で裏表なんてないように見せるから、信用させるのか。
 そうして、女子に告白されることも多いという。
 だから、由樹としてはこちらで暮らす最後の一年を、その手の問題で煩わされたくないということらしい。
 わかるような、わからないような、困惑する私を前に、
「女の子泣かせちゃっての旅立ちなんて、後味悪いでしょ?」
 なんて、肩を竦めて言ってくれた。
 泣かすことを前提に話しているところは自意識過剰な気がする。そして私を彼女に仕立てようとする思考回路がやっぱり理解できない。
 五年近くの隣人付き合いとなるのに、まだ私は由樹という人間が掴みきれないでいるようだ。
「彼女ができれば、コクってくる女子もいなくなるでしょ? それが紗知さんだったら、皆、諦めてくれるはず」
 それは私が氷の女王だから?
 眉を顰める私に、由樹は言った。
「才色兼備の紗知さんに張り合おうなんて、考える奴はいないよね」
 成績は優秀だと言っても構わないだろう。学年で一番で居続けることに、私は努力しているのだ。私の両親は同年代の子たちの親より一回り以上、年輩であるから、あまり負担をかけたくない。一応目的があって、医者を目指しているから、大学にはどうしても進みたい。
 となれば、それなりに努力をすべきだ。甘えるのは何度も言うけれど、好きじゃないのだ。
 しかし容色に関しては、自分でどうこう言えるはずはない。私は由樹のように自意識過剰でも厚顔でもない。そして、自分を卑下する趣味も持ち合わせていない。
 ただ、視力が落ちてから掛けるようになった眼鏡が似合っていないと不評であることは申告しなければならないだろう。いかにもな黒縁眼鏡は、ちょっとレンズが大きくて、悪目立ちすぎるのは認めている。
 才色兼備という四文字熟語を私の代名詞にするのは違うのではないだろうか。 
 そして契約開始から十一ヶ月が過ぎようとしているこの時点で、由樹の目論見が見当違いだったと断言できるだろう。
 由樹の彼女ということになって、かれこれ。
 面と向かって文句は言われたことはないけれど、面倒な嫌がらせが増えたのは、この契約のせいに違いない。
 由樹の方も告白がまったくなくなったというわけではないらしい。
 彼女つきでも、それでも想いを伝えてくる子は多い。それが良いのか、悪いのか、私にはわからない。
 ただ、私の存在を理由に由樹は女の子たちの告白を断っているらしいから、少しは役に立っていると見なしても良いのだろうか。
 しかし、ていよく利用されているだけのような気がしないでもない。
 さらにチョコまでねだられて、どうして私がそこまで恋人ふりに付き合ってあげなければならないのだろう?
 不満が募って、意地悪くなったところで許して欲しい。
「軍資金だしてくれるのなら、買うわよ?」
「うわー。自分が貰うチョコの金、自分で出すのってミジメ。紗知さんには慈悲の心ってものがないんですか」
 責めるような口調の由樹に、私はしらけた目を向ける。
「どうして私が由樹にそこまで尽くしてあげなきゃならないのよ?」
「俺たち、恋人でしょ?」
「間違えないで。ごっこ、でしょ? 恋人ごっこ」
 ままごとと同じだ。真似っこ遊び。世の恋人たちの真似をしているだけだ、と私が説明すれば、
「世の恋人たちを真似て、チョコを贈ろうと考えたりしないんですか、紗知さんは」
 由樹は唇を尖らせ、子供っぽい拗ねた表情を見せた。こういう明け透けな感情表現が警戒心を解かせるのだろう。
 私のような無表情人間は底が見えないから、痛くもない腹を探られては疑心暗鬼によって敵を作ってしまう。
 第一に、どうして私から欲しがるのか。他の女の子に貰えばいいじゃない。煩わしさに冷たく返す。
「ない。由樹が言い出すまで、チョコなんて頭にも浮かばなかった」
「えー、それって、乙女としてどうかと思うんですけど」
「乙女になったつもりはないわよ。第一に私のどこに乙女要素があるっていうの?」
 女子高生になれば、化粧の一つも覚えていてもいいだろうに、私は色付きリップすら持っていない。そんなもの、今時小学生だって持っているだろうに、だ。
 大体、そんな洒落っ気があるのなら、眼鏡をコンタクトに代えるまでにはいかないとしても、もう少し女の子っぽいフレームを選んでも良さそうだろう。
 そうやって自分を冷徹に客観視している時点で、もう可愛くない。
 私、医者を目指すのをやめて、哲学者にでもなったほうが良くない? そんなことはできないとわかっているけれど。
「紗知さんは女の子でしょ?」
「男子でも乙女思考の子はいるわよ。性別で乙女を区別するのは早計ね」
 本当に、世の中には私より可愛らしい男の子がいたりする。第一に、女としても可愛くないんだから、私を乙女認定したら世の女の子たちが泣くでしょう。
 こんな女と一緒にするな、と。
 抗議が殺到すること、間違いなし。大体、私が女子から睨まれているのはそれが原因でしょ? 可愛くない女が由樹の彼女だから。
「紗知さんは可愛い女の子ですよ」
 由樹は小さく笑って、言った。
 ――よく言う。
 女の子を泣かせたくないと言ったのは由樹でしょ?
 つまり私は由樹の中では女の子として数に入っていないということだ。
 自分すら客観視してしまう私は本当のところ、ちゃんとわかっている。由樹が転校すれば、私は寂しい。ちょっと泣いてしまうだろう。
 何しろ由樹は、この不可解な無表情女に付き合ってくれる唯一の人間だ。私が医者を目指していることを理解してくれ応援してくれるから、気がつけば「好き」になっていた。
 その「好き」は、バレンタインの日にチョコをあげたいと思う、「好き」だろう、多分。
 今までチョコレートを誰かにあげる習慣なんてなかったから、実際には由樹に対する好意がどれほどのものか、自分でも測りかねている。
 でも、由樹は私が泣くと思っていないわけだ。
 それはつまり、私のことを何とも思っていないということ。そんな相手に幾ら恋人ごっこをしているからって、チョコレートをあげられる?
 彼女がいる人に告白する良し悪しは私にはわからない。けれど、想いを伝えることは大変な気力や勇気がいることだろう。だから、私にはそれを悪いことだと言いきれない。
 同時に、その気力がいることに私は自分が振り回されたくなかった。
 ――よそ見している余裕なんて、ないでしょ?
 そう自分に語りかける。それが由樹とのこの距離を壊したくない言い訳なのか、やっぱり自分でもわからない。
 恋人ごっこをしている間は、由樹の隣を私が歩いていても許される。それを賢しく計算してしまう自分はやっぱり可愛くないということだけ、冷静に判断できるけれど。
「おだててもね、その気にはならないから」
 このままだと自己卑下に走りそうになるのでブレーキをかけるように、私は口を開いた。
「おだてているわけじゃないのに」
「あのね、由樹」
 由樹に悪意はない。ただ知らないだけだ。由樹が言う可愛い女の子と、私が思う可愛い女の子が違うこと。
 例え、私が自分自身の気持ちを「恋」だと答えを出しても、私は由樹にそれを告げようとはしないだろう。
 それを説明しようと声を荒げようとした瞬間、由樹の指が私の唇に触れた。静かにという風で、私は既に何度か経験しているこの後の展開にそっと目を閉じた。
 由樹の気配が近づく。息が肌に触れる。体温が感じられそうなその距離で、私は小声で聞いた。
「誰?」
 学校へ向かう通学路だから、当然ながら顔見知りに遭遇することも多い。
 一応、私と由樹は仲の良い恋人たちと周囲に見せかけているのだから、口喧嘩をしているところを目撃させてはならない。
 恋人ごっこが、実際に「ごっこ」であることを知られたら、意味がない。
「――です」
 由樹の声がクラスメイトの名を応えながら、私の身体を抱き寄せる。
 私はちょっとだけ首を傾げて、第三者が見たら、恋人たちが朝っぱらから道路でキスしている――という、姿を演出する。
 十五分後には、私たちの「恋人ごっこ」のアツアツぶりがクラス内に流れている計算だ。
 一分ぐらい顔を近づけあって、それから何事もなかったかのように、由樹は私の手を握って歩き出した。
 ここまでやる必要があるのかと、いつも思うのだけれど、反論しても由樹は「いいから、いいから」と笑って取り合わない。
 由樹の彼女のふりをするのは、私としても利点がないわけじゃないけれど。でも、本当にいいのだろうかと思う。転校して後腐れなくなるとはいえ、前歴はつくだろう。私のような冴えない女が彼女だったと誰かに知られても、構わないの?
 由樹にとって私は、簡単に割り切れる存在なんだろうか。
「あーあ。ここまでやっていたら女の子からのチョコ、一つもないかもよ」
「紗知さんから貰えないなら、要らないし。まあ、紗知さんが他の男にチョコを用意しているっていうなら、話は違ってきますけど」
 紗知さんに限って、やっぱりそれはなさそうだし、と由樹は笑った。
「――断言したわね」
 私は半歩先を行く由樹の背中を睨みつけた。
 確かに私はチョコレートをあげるタイプじゃない。だけど、「限って」と断言するまで、私はその手のイベントに疎いと由樹は決めつけているのだろうか。
「チョコなんて、頭になかったと言ったのは紗知さんでしょ? 第一に、チョコはないでしょ、やっぱり」
 お父さんにチョコはあげられないでしょ? ――と、由樹は答えを出してきた。
 そう、私の父親は糖尿病を患っている。血糖値をコントロールするために食事に細心の注意を払っている人にチョコレートなんて、気軽に贈れるものじゃない。
 だから父にも、チョコレートなんてあげたことがない。
 私が医者を目指す理由もそこにあることを知って、由樹は「がんばれ」と応援してくれた。
 そして、俺を彼氏にしておくと良いですよ、と言ってきた。
『何か困ったことがあったら、直ぐに助けに行きますよ』なんて笑って。
 由樹がクラス委員に立候補したのは、生贄にされた私を助けてくれるためだったと思うのは、うぬぼれすぎだろうか。
 でも、一番近い距離で由樹は私を助けてくれるから。
 ――好きになっちゃったんだよ。
 恋人のふりだとわかっていても近くにいてくれるのが嬉しくて。そんな恋人ごっこの遊びが、由樹が私に友達以上の感情を持ち合わせていないことを教えるのだとしても。
「……救いようがないな」
 私はぽつりと呟いた。それでも私は想いを告げない。かといって、終わらせるわけでもない。
 こういうとき、他の女の子ならチョコレートを用意するのだろう。
 恋する女の子におあつらえ向きのバレンタインデーは目の前にある。告白しないまでも、チョコレートをあげて、自分もいっぱしの女の子であるということをアピールする手立てだってあるけれど。
 それでも私は一歩を踏み出せない。
 三月が終わったら、恋人ごっこも終わるのに。そうしたら、由樹との繋がりすら、何もかも失くしてしまうのに。


 氷の女王は表情と一緒に、感情も冷凍保存してしまいましたと、さ。


 昔話のようにオチを付けて、失笑する私に由樹が言う。
「もしもね、紗知さんが俺にくれるものがあるっていうなら、何だっていいんですけど」
「だから、おねだりする相手を間違えているでしょ?」
「本当に?」
 肩越しに振り返った由樹の目がやけに真面目だったから、私は言葉に詰まってしまった。
「紗知さんからじゃないと意味ないんだけどな」
「それは私が……由樹の恋人だから?」
 小さく問いかけた私に由樹は首を横に振る。
「俺の好きな人が紗知さんだからでょ? だから、紗知さんからチョコが欲しいんですよ――俺は」
 由樹は立ち止まって、私を真正面に見据えた。いつだって感情に正直な明け透けな由樹の表情には、からかうような色は見えない。
 ただ、真っ直ぐに私を見つめるから、その言葉を信じたくなる。
「どうして……私なんて」
 人付合いが下手で、女の子らしさなんて欠片にもない。
「なんて――じゃないでしょ? 紗知さんだから、好きなんですよ。お父さんのために医者を目指して、がんばっちゃうところとか、カッコいいでしょ?」
「私は……」
「人に甘えようとしないところも、不器用だと思うけれど、それでも芯があってカッコいいんですよ、俺にとっては」
「私はただ……周りに入っていけないだけよ」
 周りに合わせるという努力が出来ないだけだ。
 群れで集うことが、何が何でも正しいとは思わない。けれど、群れの中に入っていけないのと、入れないのでは、意味が違う。
 一人でいる方が、気が楽な面であることは認めよう。でも、本当は単純に怖がりなのかもしれない。
 いまだって一歩を踏み出せないでいるのだから。
「それでも、紗知さんは がんばっているでしょ? 周り見えてないのが、ちょっと寂しいなと思うけど」
「……見えてない?」
 意外な言葉に私が目を瞬かせると、由樹は苦笑した。
「見えてないでしょ? 俺がこんなにも好き好きオーラを出しているのに」
「それ、ふり……」
「契約自体が作戦だって言ったら、紗知さん怒る?」
 今までの強気な様子は影をひそめて、ちょっとだけ不安そうな顔色を見せる由樹を私は唖然と見つめ返した。
「…………作戦?」
「そう、紗知さんの勉強を邪魔しない程度に傍にいて、周りを牽制する。ついでにバレンタインの話題で、ちょっと俺のことを意識して貰おうという地道かつ、まあ、あまり大っぴらにはできない作戦でした」
 さすがに卑怯だと感じたのか、顔の前で両手のひらを合わせて、謝罪の意を示す。
「――ええっと、あの……もしかして、転校するっていうのは嘘?」
「あ、親は転勤しますけど。来年は俺も受験生だから、環境を変えるのは良くないだろうと、親父だけ単身赴任です」
 いろいろな説明が一度に頭の中に流れ込んできて、爆発しそう。
「えええっ? な、好き? 私を?」
「そう、出会ってから一年目を過ぎた頃には好きでしたけど。でも、紗知さんは俺のこと、まだそんなに好きじゃないでしょ?」
「それは……」
 確かに私は恋人ごっこを始めてから、由樹を意識するようになったと思う。
 そして、私はまだ――自分から「好きだよ」とは言えない。
 今ここで由樹との恋愛に頭が一杯になって、目標が叶えられなかったら、それこそ目も当てられない。
 一歩を踏み出しかねる私を見兼ねたように、由樹は言う。
「ねぇ、紗知さん。契約を更新しませんか?」
「更新?」
「そ、期限延長。俺ね、紗知さんが他の男のものにならないでくれるなら、いつまでも待ちますよ? 紗知さんが目標に向かってがんばるの、好きだから。俺のことは目標を叶えるまで、キープでいいです。だから、恋人ごっこの契約延長、ね?」
 ゆっくりでいいからと言うように、由樹はそっと手を差し出してきた。
 由樹のね、そういう気配りができるところ、私は凄いなって思う。
 好きだなって思う。
 一緒にいたいって、思っちゃうんだよ。
 由樹の甘い言葉にほだされて、頷く私はズルイかな。
 少し待たせてしまう罪滅ぼしに、ちょっと奮発したチョコレートをバレンタインデーに贈ろうと考えながら、私は由樹の手に自分の手のひらを重ねた。


                              「恋人ごっこ。 完」


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