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 殺し文句で口説かせて


「よくもハメてくれたわね」
 不機嫌な声が車のドアを閉じると同時に、車内に響いた。声の主は憤懣やぶさかではないと言いたげな表情で俺を睨んだ。
 高校を卒業したばかりの十八歳という年の頃より大人びた顔立ちの花純は、下手すると社会人にも見えなくもなく、さらに言えば背丈があり、美人顔なのでキッと表情が鋭く尖れば、男でも気圧されるほどの迫力を持つ。
 気の小さい男ならびびるだろうが、俺としては毛並みを逆立てた猫のような姿を見ると逆に構いたくから、我ながら困りものだ。
 そういう猫にちょっかい出しても、ろくなことにはならないというのに。
「嵌めたって、何が?」
 澄ました顔で問い返せば案の定、歯軋りが聞こえてきそうな間を置いて、花純の声が跳ねた。
「今日よ、今日っ! 何で、ホワイトデーに私が嵐とデートしなきゃいけないのよっ!」
 握った拳を上下に振って抗議する花純を横目に見て車を発進させれば、慌ててシートベルトを締めた。
 花純は運転中は邪魔してはいけないという意識があるのか、窓の外に視線を投げて顔を背ける。その肩が怒りに震えてるのを見て、俺は喉の奥で笑いをかみ殺した。
 根回しして、一ヵ月前のバレンタインデーに花純に俺用のチョコを手作りさせたことを思い出す。それが今日の花純の不機嫌の要因だったりする。
 もっとも、根回しと言っても大したことはしていない。
 俺の親友で、花純の義兄である晴の嫁は手造り菓子を作るのが趣味だという。
 義妹や義母と仲良くなりたいと思っているその嫁さんに、バレンタインデーに二人と一緒にチョコ作りでもしたらと提案した。
 早速、女三人で手作りのチョコ菓子を作れば、当然ながらそれを食す人間が必要になって来る。花純自身は自分で食べるつもりだったらしいが、当然ながら付き合っている相手に贈るのだろうと、事情を知らない二人に詰め寄られたら、形だけでも真似ごとをしなければならなくなったわけだ。
 そこへバレンタイン当日、晴と一緒に花純の実家に向かえば、家族全員の前で手作りチョコレートの贈呈式となった。
 俺は花純の家族全員の前で爽やかに微笑んで、ホワイトデーにはお礼にドライブに連れて行くよと公言したなら、皆の視線の前に花純としても頷くしかなかった。
 その相手が、花純が言うところの「天敵」であるらしい俺でも。
 花純は、晴への秘めた初恋を暴いた俺を目の敵にしている。家族や晴の目がないところでは、平気で眉間に皺を寄せて仏頂面を見せるくらいに俺を嫌っていた。
 実家が大手企業を経営し、はてはその跡継ぎと目されていて、そして見た目もよろしい俺を相手にしても、だ。
 生まれてこの方、見た目や金目当てで寄って来る女が多かった俺の人生で、ここまで媚を売らない女も珍しく、気がつけば俺の方が花純にハマっていたというのだから、自分でもどうかと思う。
 餌に釣られない野良猫を飼い慣らそうとするのと同じくらい、苦労しそうなのは目に見えているだろうに……まあ、簡単に落ちて貰っても面白くないんだが。
 信号停止の際に助手席の花純に声をかけた。
「嵌めたって人聞きの悪いこと言うな。大体、お前の方からチョコをくれたんだろうが」
「よく言うっ! 晴兄に聞いたわよ。お嫁さんに家でのチョコ作りを提案したの、アンタだって! それをわざわざ貰いに家まで来た時点で、アンタの計画はお見通しよ」
 首をぐるりと回して、花純はこちらを振り返ると、噛みつくように声を荒げた。
「俺に食わしたくなかったって? じゃあ、そう言えば良かったじゃないか」
 花純と俺が付き合っていると、そう思い込んでいる家族の前で――と、言うまでもないことを薄い笑みに置き換えた。
 俺の口元に浮かんだ皮肉な笑みの意味に気づかないほど、花純は鈍感じゃない。
 ここ最近、俺が用意周到に張り巡らせた蜘蛛の巣の如き包囲網に、危機感を察知するほどには鋭い。まあ、それとて俺の綿密な計画からは逃げられやしないのだけれど。
 欲しいものは手に入れる主義の俺に、抜かりはない。
「それが出来ないから、アンタが憎たらしいのよっ!」
 憎まれ口を叩いて、花純は顎を反らしてそっぽを向いた。
 本当は嵌められた自分が悔しいんだろう。だが、事情が事情だから、俺が作ったシナリオ通りに動かざるを得ない状況に怒りをぶつけたくても出来ないでいる。
 まあ、言えるわけがないな。実は血の繋がらない兄の晴に片想いしていた――なんてことは、その晴の嫁相手にも。晴の母親相手にも言えないだろう。
 片想いしていた晴自身にも言わずに、晴の結婚で花純の中では失恋という形で決着がついた話だ。
 その辺りのところを突いて、俺と付き合っているように花純の家族に見せかけたクリスマス。その後、正月にうちの新年会に花純を連れ出し、バレンタインには手作りチョコ。お返しのホワイトデーには二人きりでデートとくれば、傍から見れば、完全に恋人同士と称しても不都合のない仲だろう。
 花純本人は俺と付き合うのなんて「ありえない」と否定しているが――それを公言できない以上、周りには何も言い訳できない。
 今では完全に家族公認だ。
 だからこそ、花純は腹立たしいのだろう。何しろ「ありえない」相手なのだから。
「大体、よくわかんないんだけど」
 窓の外に目を向けたまま、花純は言った。
「アンタ、本気で私と付き合う気あるの? 惚れたなんて言っているけれど、単に、私をからかうのが楽しいだけなんじゃない?」
 それは結構、的を射ているなと、俺は唇で笑う。
 晴への片想いのことを誰にも打ち明けられずに、その秘密で俺に振り回されている花純を見るのは面白い。
 ちょっと突けば即座に反応してくる。こちらの顔色を伺ったりしないし、媚びたりしない――それが潔く見えるのだと言ったところで、花純にはわからないだろう。
 金や家柄といった付属品が俺と他人の間に距離を置く。敬っているように見せかけて、心の中では金持ちのお坊ちゃんなどと、見下してくれる奴らを日常的に相手にしていると、人間不信に陥ったところで許されてしかるべきだろう。
 不信が俺の人間形成に影響を与え、お前は何様だと問われたら、真顔で「俺様だ」と言えるくらい神経が図太くなったり、ちょっと性格が悪く腹が黒くなったとしても、許せと言いたい。
 まあ、そんな面を表だって主張すれば何かと衝突は避けられないだろうから、隠しているけれど。自分の本性を隠すほど、息苦しいことはない。
 だが、俺の外面や付属品にまったく注意を払わない人間がごく稀に存在する。それが晴だった。そして、その義妹の花純だった。
 俺の家にも金にも、そして見た目がいいらしい顔にも、一つも反応せずに。
 晴は俺を他の奴らと変わらない態度で友人として紹介し、花純は俺を――嫌った。
 こちらがうっかり藪蛇を突いてしまったとはいえ、面白いくらいに花純は俺を毛嫌いした。出会ってから三年、その怒りが続いたことに驚かされるほどに。
 俺を妬んだりする奴は大勢いたが、面と向かってそれを伝えてくる奴は少なかった。特に女は。だから新鮮だった。
 仏頂面で愛想なんて欠片にも見せない。ある意味、それは素顔と言っていいだろう。
 取り繕わない、装わない。その素顔が本物かどうか確かめたくて、ちょっかいを出していたと言った方が正しい気がする。
 そして、そんな花純の前では俺も本性を出せた。
 金持ちお坊ちゃんと見下してくる奴らには、そんなことはないんだと思わせるよう努力してきた。大学時代から会社に入って実績を作っても、それでも見下す奴は見下す。裏から親が手を回したんじゃないかって、影で自分の無能さを棚に上げて笑っている奴らがいることを知っている。
 だけど花純は、俺の努力を聞いて素直に感心した。
 取り繕わない一言は、ストンと俺の内側に入り込んできて、こいつは手放せないと思った。
「まあ、お前をからかって、楽しんでるってのは認める――」
「アンタねぇ……」
 呆れたようにこっちを振り返る花純の顔が横目の視界に入る。
「だけど、お前が欲しいって言ったことも嘘じゃないぜ?」
「それって、結局はオモチャが欲しいって言うのと同じなんじゃないの?」
「お前は俺のオモチャになりたいわけ?」
「オモチャになりたがる人間なんているわけないでしょ? 人形じゃないのよ。私にだって心はあるし、嫌なことは嫌よ」
「まあ、そうだな」
 俺だって人間だ。俺を透かして家や金として見られたって嬉しくはない。
 だから――俺を俺として見る、花純を手に入れたい。
「私はアンタのオモチャじゃないわ」
「オモチャにするつもりはないぞ?」
「じゃあ、どういうつもりで私をアンタの彼女みたいに扱うのよ?」
「何か、不都合があるか?」
「あるでしょ、私はアンタが嫌いなの。人の意思を無視して、勝手に彼女扱いするような奴はね――大っ嫌いなんだから!」
 腹の底から吐き出すように、声を大にして花純は言い切った。よっぽど鬱憤が貯まっていたのか、言い終わった後は妙に清々しい顔をしている。顔にでかでかと「言ってやった、スッキリ」という文字が書かれているかのようだ。
 本当にこいつは――容赦ない。……いや、飾らないと言うべきか。
 この素顔は兄である晴は知らないだろう。
 花純は片想いしていた晴の前では、「妹」として在りつづけ、その恋心共々、素顔を隠していた。
 晴とその嫁さんの仲睦まじい姿を前に、凍りついた笑顔も泣きだしそうな顔も、涙を堪えた意地っ張りな表情も、恐らくは俺以外に誰も気づいていない。
 その素顔を隠すことなく解放してやりたいと、俺が思っているなんて、想像もしてないんだろう。
「それなのに私はアンタの彼女だって思われてるなんて、冗談じゃないわよ。晴兄が家に居なくても、アンタが家に入り浸ってても何も言わないなんて。大体、何でそんなに家に遊びに来るわけ?」
 眉間に皺を寄せ不機嫌に声を響かせる花純に、俺は車を道路の端に一旦停めて、目を向けて言った。
 さすがにここまで歯牙にもかけられないのは、俺としても黙っていられない。
 晴の結婚で、花純の片想いは終止符を打たれた。今まではどうしたって、花純の視線は晴に向いていた。
 叶わないと知りつつも、ずっと晴のことを目で追いかけていた。だから別に急いでおとす必要はなかった。むしろ、どこまでその気持ちが続くのか、見ていたい気もしていた。
 叶わないと知っていても、それでも想う気持ちを――飾らない純真さというものを、知りたかった。
 そうして今、花純の想いの対象は結婚し、距離を置いた。
 花純自身は暫くは恋愛をする気はないようだが、本人はともかく周りはどうだかわからない。この四月から、花純は大学生になる。余計な虫が近づいてくる前に、少なくとも俺を恋愛対象として意識させる必要があった。
 だから本心を声に乗せた。
 逃げられないように外堀を埋める計画もあったけれど……。
 一番はやはり――、
「お前に会うためだろ? 惚れた相手に会いたいと思って、会いに行って悪いことなんてあるのか?」
 俺の言葉に花純は驚いたように目を見開き、それから少しの間を置いて、首を四十五度ほど傾ける。
「……何だ?」
「何故かしら。普通、そういうこと言われたら、少女マンガのヒロインとかだと、ときめきそうじゃない?」
「少女マンガなんて読まねえ。っていうか、お前は意外と少女趣味だったか。だったら、今のでときめいたわけか」
 俺の問いかけに花純は首をきっぱりと横に振った。
「それが不思議なくらい、ときめかないから、我ながらびっくりするわ。私、本気でアンタのことが嫌いなんだわ。うん」
 自分自身の言葉に納得するように、花純は頷いた。
 こいつ……結構、手強いかもしれない。
 まあ、今までに好かれるようなことをしてきたかと言えば、否だ。あえて本性を、悪い面ばかりを見せつけた。
 お人好しの晴の隣で、俺が良い人ぶったところで、印象なんて欠片にも残らないだろう。だったら、悪印象でもいいから、花純に俺の存在を認識させることを選んだ。
 第一に、花純の前では本性をさらけ出せる。そんな女だから欲しいと思ったのに、本性を隠して手に入れようなんて本末転倒な話だろう。
 ならば、とことん俺の悪い面を見せつけて、それから始めようと考えていたわけだから、この程度の拒否にめげることはないが。
 予想以上に、道のりは遠く険しいのかもしれない。
 外堀は埋め尽し、逃げ場などないから、後は俺が本気になれば良いだけだった。今まで見せていない面を見せれば、印象は好転する。それはクリスマスのときに手応えを感じたから、計画は間違いないはずだ。
 花純の中での俺の評価は、ほぼゼロだ。底辺にあるのだから、これ以下には落ち込むことはない。
 挽回するのみだ。
「そこまで嫌いだっていうのなら――後はもう、俺を好きになるしかないだろ?」
「――はあっ?」
 目を見開く花純に、俺は余裕のある笑みを見せて―― 一瞬、弱気になりかけた自分自身に気づかなかったふりをして、宣言した。
「絶対、俺のことを好きだって言わせて見せるから、覚悟しておけ」
「何で私が、アンタを好きになんなきゃいけないのよっ!」
 と、花純の抗議の声を上げるのを聞き流して、車を走らせる。
 意外と少女趣味らしい花純の乙女心を――さて、どんな殺し文句でくすぐり、口説いていこうか。
 それを考えるだけで、楽しくなってくるから、遠い道のりも悪くはないだろう?


                          「殺し文句で口説かせて 完」



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