後日談 「本物はどっち? (後編)」 レイテの名を騙り、強盗行為を行う不届き者を成敗するにいたっての作戦は単純だった。 強盗が侵出する街道で、狙われやすそうな格好をしていれば、向こうからやって来るでしょう――と。 レイテはいつものローブ姿ではなく、シャツにズボンというシンプルな装いの上に、丈の短いベストを重ねた。首元にはベストに色を合わせたアスコット・タイ。それだけで良家の子息に見えてしまうから、弟子たちはちょっとだけ理不尽さを覚える。 だって、怒れば鬼ジジイのようなのに。そして、根性腐れなのに。 ルーもまた女の子らしい格好をすれば、それらしく見えた。 問題はグレースであった。 人並み以上の長身と厚く鍛え上げられた体躯は、見るからに威圧感を出している。こんなおまけがいれば、強盗は寄ってこないだろう。 そういうわけで、グレースはレイテによって隠匿の魔法を掛けられた。レイテとルー以外には、グレースの姿は見えない。 こうして一行は、街道を歩くこと十分。 餌に釣られた強盗をおびき寄せるのに成功したわけだったが。 * * * 「――ほう、あなたが噂に聞く、千年を生きた伝説の魔法使いレイテ・アンドリューですか」 ニッコリと微笑んでいるのに、どこか殺伐した空気を感じるのは……何故だろう。 グレースは強盗を前にして、煌びやかに微笑するレイテの横顔に背筋を震わせた。 ピリピリとした空気は、針が混じっているかのように皮膚を突き刺す。 そんな雰囲気を感知せず、 「いかにも、我こそがレイテ・アンドリューだ。そうと知ったら、金を出せ」 と、強盗は無意味に胸を張り、髭に包まれた顎をツイっと上に反らした。 馬鹿馬鹿しい脅し文句である。 これが通用していたのかと思えば、さすがのグレースも頭痛を覚えた。 強盗の脅し文句は、ただレイテの名前を名乗っているだけである。そこに、本物であるかを証明するようなものは何もない。 それで強盗事件が成立してしまう背景はどういうことだ? グレースは目を剥いた。 強盗が出たからには姿を隠す必要もなく、隠匿の魔法を気にせずに声を上げても構わなかったが、実際に強盗を前にすると呆れて言葉が出なかった。 (これは……何かの冗談か?) 思わず、辺りを探ってしまう。 この強盗が噂となりグレースの耳に届くまで、猛々しく世に憚ったのは何かの後ろ盾があってのことではないかと疑った。だが、周りを見回すが協力者の姿は見えない。 これらの現状をから察すれば、被害にあった人間たちの方にも問題があるような気がしてきた。 何しろ、レイテ・アンドリューとのたまわっているのは、髭がちょっとばかり濃い小男だったのだ。 年の頃は四十過ぎだろうか? 背丈は身長が人並以上はあるグレースの、胸元にも届かない低さ。ルーよりも頭一つ小さく見える。 どんな言葉を並べたところで、この強盗の特徴は「とにかく、小さい」だ。 そんな小柄な体型は、意外にも肩幅も広くどっしりとしていた。 しかし、その太い身体は、鍛えたというより、食べるにあかせて肥えたといった感じである。そして、彼の短い足を見れば、動きは鈍重そうだった。小柄という単語から、すばしっこさを連想するには難しい。 これなら街道途中で襲われても、走って逃げれば追いつかれる心配はないように思えた。 それに「金を出せ」と、差し出してくる強盗の腕は、太いけれど毛深く短い。驚くほど、短い。 こちらが手を伸ばして頭を押さえ込めば、危害を加えようにも届くようには見えない。 ……つまるところ、この強盗の武器は「レイテ・アンドリュー」というその名で。 被害にあった人間たちが最も恐れたのは、この男というより「レイテ・アンドリュー」という名だった。 「…………カッコ悪い」 ルーが強盗を前にして、ポツリと呟く。 人間の美醜に口を差し挟むのは褒められたことではないことは、ルーもグレースも重々承知していた。 実際、街中でこの小男が存在したとしても、それほど目を引くようなブ男ではない。ちょっと小さいことを除けば、この年代の男にはよくある容姿である。 しかし、我らが麗しき師匠の名である「レイテ・アンドリュー」を名乗るのが、こんな髭の小男だというのは。 ――――認めたくないっ! と、いうのが弟子たちの見解だった。 それは、他でもなくレイテ自身も思うことなのだろう。 誰よりも自らの美貌を自負している師匠であったから……。 「なるほど。あなたが、かの有名なレイテ・アンドリューですか」 レイテの玲瓏たる声が響くに至り、周りの温度が少し下がったような気がした。 グレースの腕に鳥肌が浮きたつ。背筋を悪寒が走る。 そうして、ルーはソロリとレイテから距離を取った。長年、彼と共に生きてきたルーの本能が、危機的状況を察しているのだろう。 自然、グレースもルーに見習い、ソロソロと後退した。 「それは――それは。かような有名人に、このようなところでお目にかかれて、恐悦至極」 唇に艶然とした笑みを刻んで、レイテは頬を傾ける。 サラリと、彼の額で銀髪が滑る音がした瞬間、小男を突風が襲った。 突如として吹き荒れた嵐に、小さな身体はゴロンと二転三転して、街道に転がった。 目を白黒させて、尻から座り込む小男の強盗。見開かれた瞳は呆然と、レイテを見上げていた。 小男には、突風の中で平然と佇んでいるレイテが信じがたいのだろう。 レイテの名前を騙れど、強盗自身は魔法を知らぬから、今の現象は自然発生したものだと考えているようだった。 そんな強盗を前に、微風にさわさわと銀髪をそよがせながら、レイテは煌びやかに微笑む。燦然と輝く美貌。 ――眩しい。 眩しすぎて、ルーとグレースは、もう師匠を直視できなかった。 完璧に怒っているレイテを見ていられるものは、余程の勇者だろう。 「いえねぇ、僕もまたレイテ・アンドリューに憧れて、魔法を習得した身の上ですから、是非とも力試しをしてみたかったのですが」 猫なで声を響かせて、レイテは白い頬に手を当てて微笑む。 その甘い笑顔の裏に沸き立つ怒りを、小男はどれだけ察知しているのか。ただただ、呆然と白皙の美貌を見上げている。 「生憎と、僕の相手をしてくださる方が見つからずにいたのですが――かのレイテ・アンドリュー自ら、僕の前に現れてくださるとは――これはもう、運命の奇跡とでも申しましょうか」 仰々しい言葉遣いであるが、水色の瞳は、ここで会ったからには逃がしはしない、と語っていた。 「あ、え、……その」 小男は困惑交じりの声を吐き出すが、言葉として成り立っていない。 「この機会に、是非ともお手合わせをお願いします」 レイテの指がスッと添えていた頬から離れ、小男の方へと爪が差し向けられた刹那、指先から放たれた閃光が強盗の髪を掠めて後方の地面を黒く焦がした。 ドスっという鈍い音が、一拍遅れて耳に届く。目を見開けば、槍を突き刺したかのような穴が黒く焦げた地面の中央に穿たれていた。 閃光をまともに身体に受けていたら、間違いなく風穴が開いていたことだろう。 魔法によって編み出された凶器。それを放ったレイテは、 「――さすが、レイテ・アンドリューですね。うまく避けられてしまいました」 水色の瞳を微かに細めると、喉の奥を鳴らすように声を響かせ笑った。 (――嘘スッ、今の絶対にわざと外したスッよっ!) グレースはルーと互いに手を取りながら、レイテの所業に震え上がった。 どうやら師匠は、この強盗をとことん懲らしめるつもりのようだ。 「しかし、今度は外しません」 レイテの頭上に突如として、強大な氷の塊が出現した。氷の塊が日差しを遮り、小男を中心にした一帯が暗くかげる。 「うふふふっ――」 不気味に響く笑い声に、氷の塊が小男へと落ちる――。 その強大な塊で、小男が潰すのか? 目を見張るグレースの眼前で、氷の塊が砕けた。粉砕されたそれは雪のように風に漂う。白い風に銀髪を躍らせて、レイテは水色の瞳で小男を斜めに見下ろして唇を歪めると、憎憎しげに呟いた。 「――――やりますね」 (何がだっ?) グレースは思わず突っ込みそうになる口を両手で塞いだ。 氷の塊で襲うと見せかけて、寸前で壊したのは、他ならぬレイテ自身だった。 小男からは魔力なんて一つも感じられない。呆然と目を見開き、完全に腰を抜かしている男に、レイテの魔法を防ぐ手立てがあるようには見えない。 なのに、銀髪の魔法使いは唸るような低い声で言う。 「さすがは、レイテ・アンドリュー。恐るべし。――しかし、僕も負けるわけには行きません」 レイテの身体が若干、前屈みに傾いだかと思った瞬間。 銀髪の魔法使いを中心に、強大な円が大地に描かれては、周辺を仕切って赤い壁を作る。その赤い壁は紅蓮の炎。 レイテから距離を取っていたグレースの背後に、突如として立ち上がった炎の壁が熱を伴って、服を焦がした。 ズボンの尻部分から煙が立ち上がるのを熱と共に感じて、グレースはギョッと目を剥き飛び上がった。 ルーもまたグレースに飛び火したそれに気がついて、「わぁっ!」と叫び、慌ててパタパタと小さな手でグレースの尻を叩き、延焼を食い止めた。 「大丈夫っ? グレースさん」 「じ、嬢さんこそ、大丈夫スッか?」 幸いに小さな火種だったので、グレースもルーも火傷を負うには至らなかった。互いの無事を確認して、弟子たちはホッと胸を撫で下ろしたが。 下手をしたら、火炎に巻き込まれて大火傷を負っていたかもしれない。 しかし、弟子たちの境遇など、どこ吹く風といった――もしかしたら、存在を忘れられているのではないか? と、グレースは危惧する――様子で、師匠は小男を向き合っていた。 「勝負です――」 玲瓏たる声が響く。 それに応えるように火の手が大きくなったと思いきや――突風が吹き、火炎を飲み込んで一瞬にして収まる。 何事もなかったかのような、穏やかな空気が辺りを占める中で、レイテはまたしても唸るような声で言った。 「なんと? 一瞬にして、僕の魔法を消し去ったっ!」 驚愕するように水色の瞳を見開いて、レイテは僅かに仰け反る。 その芝居掛かった師匠の姿を目視して、グレースは思った。 (…………これは、ひょっとして) もしかして、と。 ふとした考えがグレースの頭を過ぎる。それを裏付けるかのように、レイテは言った。 「かくも噂に名高き、レイテ・アンドリューですね。偉大なる魔法使いの称号は伊達ではありません。感服しますよ」 (……これって、もしや。自画……) 「偉大なる魔法使いという称号は、それに相応しい魔法使いにだけ与えられるという話でしたが……。今し方の僕の魔法を見事に消し去ったその手腕。さすが、レイテ・アンドリュー。あなたにならば、偉大なる魔法使いの称号も相応しい」 (――自画自賛っ! ――っていうか、大絶賛スッか、若様!) レイテが小男相手に投げている賛辞の全ては、レイテ・アンドリューに向けられたもの。すなわち、レイテ自らレイテを賛美している。 元から、己の美貌を自己認識しては謙遜などしない、自己陶酔気質がある師匠であったが……ここまでとは。 自分で自分を褒め讃えられる人間というものの本質を、グレースは知らない。 だが、そんな人種の人間が一旦、自らの名前が悪評に汚されていくのを我慢できないと思ったのならば、どうなるだろう? それを想像すれば、グレースのこめかみを冷たい汗が流れた。 不死の命を得、終わりのない人生に絶望を抱いていたレイテは、悪評に汚される己の名前など、瑣末なことだったのかもしれない。 だけど、ルーという生きる希望を得て、未来へと目を向け始めた今の彼ならば……。 ――瑣末だと割り切ってしまった問題だった。 ――どうでも良い問題だった。 しかし、それをどうでも良くない問題だと言って、現実を見ることを弟子たちは勧め――結果、この髭男だ。 己の美貌を誰よりも自覚している彼に、髭面は――マズイだろう。 もう完璧に導火線に火がついてしまった。それはレイテが背負っている後光の眩しさからもわかる。 そして、恐らく。 導火線に火を灯してしまったのは……自分たちだろう。 グレースは小男に対して、多少の罪悪感を覚えた。 強盗行為をしていた彼に、同情する余地はないはずだ。 レイテの名をその髭面で――髭面が悪いとは言わないが。少なくとも、レイテの美意識を刺激する顔で――騙った罪は罰せられて、然るべきものだろう。 ……しかし。 「あ、……うっ、その」 小男は回らない舌を動かしながら、眼前のレイテを恐怖に彩られた瞳で見上げた。 もう男にも、目の前の人物が何者であるか、わかったところだろう。 魔法が廃れたこの世の中で、これほど華麗に魔法を操れる者は多くない。筆頭に浮かぶのは、偉大なる不死の魔法使いレイテ・アンドリュー、その人だ。 「い、いや、俺はっ」 小男は尻餅をついた姿勢から、慌てて上体を起こして前屈みになる。両手を地面について、額を擦り付けるように土下座して、弁明の言の葉を口に乗せようとした。 「――ほんも」 多分、「自分は本物ではない」と言おうとしたのだろう。 だが、小男の声を掻き消すような音が降ってきた。 青天を引き裂いて雷鳴が轟いた瞬間、道の脇に生えていた樹木に雷が落ちる。 鼓膜を叩く轟音。震える大地。雷に打たれた木は、一瞬で燃え上がり、その身を二つに割られていた。 「――ひゃゃゃゃっ!」 ルーが驚きに飛び上がって奇妙な悲鳴を上げれば、グレースもまた腰を砕かれ、思わず地面に片膝をついた。 小男は伏せていた顔を上げ、樹齢は百年以上あったかもしれない樹木の哀れな成れの果てを目撃した。 もしかしたら我が身に起るかもしれない惨事を前に、小男は顔面を引きつらせて、レイテを振り返った。 誰もが言葉を失い、恐怖におののく中で、銀髪の美貌の青年はこれでもかというくらい艶やかに微笑みながら告げた。 「何か、仰いましたか? 今の雷の音で、よく聞こえませんでしたよ」 どうやら、師匠は小男の言い訳に耳を傾ける気はないらしい。あくまで、小男をレイテ・アンドリューに仕立てたまま、制裁を加えるようだ。 そうして、ニコニコと満面の笑みを崩さずに、小男の方に一歩踏み出す。 「さて、勝負の続きと参りましょうか。レイテ・アンドリュー、あなたには僕の最高の魔法をお見せしましょう。火責め、水責め、八つ裂き、鞭打ち、ありとあらゆる拷問、処刑法を取り揃えていますよ――あなたにはどれが相応しいでしょうね?」 明らかに魔法と関係ない言葉を並べて、レイテ・アンドリューその人は、鮮やかに微笑んで問いかけていた。 * * * 後日、グレースはフラリスの街の自警団事務所で『レイテ・アンドリューの名を騙った強盗の悲惨な末路』を噂として、耳にした。 何でも、本物が現れ偽者を散々懲らしめたという――。 そこまでなら、一件落着で終るのだが……。 懲らしめられた偽者は――処刑は免れたが(「死刑」と、レイテは冗談で言っているのだろが、レイテ以外には冗談にはならない)確実に寿命は削られただろう――本物の恐ろしさを盛大に語ってくれた。 それを嘘八百の出鱈目だと否定することは、現場を目撃したグレースには出来なかった。 そうしてここに、レイテ・アンドリューの悪鬼伝説がまた一つ加えられることになったのは……果たして、誰の罪だろう? 「本物はどっち? 完」 |