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 14,夢幻は久遠の夢をみせる


 時が満ち、定められた任務を遂行するために訪れた死刑執行人に連れられて、ユージンの背中が去っていく。
 長い眠りで体力が削がれ、立っていることにも耐え切れなくなった身体を、冷たい床に下ろして、シエナは仲間の背中を見送る。
 シエナの隣でアルデリアは、死の道を行く背中を青い瞳に焼き付けて、心に刻み込むように口を開く。
「私……忘れないから」
 アッコールトが侵した罪。フレムデテーネの悲しみ。
 現実から逃げ出した自分の弱さ。
 ――そして、犯した罪。
 すべて、忘れない。
 シエナはアルデリアの肩を抱き寄せながら、同じように呟いた。
「忘れやしない」
 失くしたものに泣いたこと、怒ったこと。
 この手が潰してきた命の数々、その罪と。
 そして、最後に選びとった答えも。
 この命が続く限り、指先に温もりが繋がる限り、忘れない。
 二人の小さく呟いた声が届いたらしい。ユージンが一瞬だけ振り返った。
「――忘れることは許しません」
 キッパリと言い切りながら、彼は穏やかな笑みを見せた。
 そうして、決然と顎をそらし、顔を前に向けて、一歩一歩を刻んで行く。
 シエナは己の腕の中に太陽を抱きしめ、
「必ずや、お前の願いを叶えてみせる」
 消えていく仲間の背中に誓いの言葉を口にした。

                  * * *

 戦を仕掛けた国があった。戦火に焼かれた国があった。
 殺された人々がいた。殺した人間たちがいた。
 悲しみに泣いた人々がいた。怒りに狂った人間たちがいた。
 一つの争いで、どれだけの人間が傷ついたか。
 知らぬとは、言わせない。
 何故ならそこに現実は、あったのだから。
 刻まれた歴史が、刻まれた傷が物語るのは――現実。
 繰り返される悪夢が、錯覚を引き起こすが、決して夢幻ゆめまぼろしではない。
 何故なら流れた血があった。痛みがあった。
 それを忘れることなど、許さない。
 思い出すのが辛くても、殺した罪を知れ。
 殺された者たちの悲しみを忘れるな――と。
 そんなことを語る資格は自分にはないのだろうと、ユージンは思う。シエナ同様に、自らの手は血に染まっている。
 戦火は敵味方を問わずに、命を喰らう。
 ユージンにとって、襲ってきたアッコールトの兵を殺したのが初めての殺人だった。
 首に掛かったアッコールトの兵士の手を振りほどこうとして、ユージンが掴んだのはまき割りに使う斧だった。
 家の手伝いで庭に出たところを、偵察任務をおった斥候(せっこう)のアッコールトの兵士に捕まったのだ。あちらとしては、目撃者の口を塞ぎたかったのだろう。
 子供であったユージンに構うことなく、手を掛けてきた。
 ギリギリと締め付ける指に、ユージンの視界は暗くなった。
 生存を求める意識が大地を這い、斧に触れた。それで兵士の横面を殴りつけたら、頭蓋が割れて、兵士は死んでいた。
 首に締め付けられた跡が残り、直ぐに呼吸を取り戻すこともままならなかった。あと少し、抵抗が遅れていたら、ユージンの気道は潰され、首は折れていたに違いなかった。
 殺したかったわけではない。
 ただ、殺さなければ、殺されていた。
 ――だから、殺した。
 正当防衛を主張できる立場にあったとしても、まだ十を数えたばかりの子供が背負うにはあまりにも重すぎた十字。
 ユージンは自分が仕出かしたことの恐ろしさのあまり、村から逃げだした。
 追って聞こえてきたのは、アッコールトの進軍。隣国の大軍は、フレムデテーネの地を蹂躙、破壊しながら駆け抜けた。
 侵略の報を聞き、村は、家族は大丈夫だろうか? と、家に帰ったとき、そこにはただ焼け野原が広がっていた。
 民家も田畑も、柱一本、草の根一つ残さずに炭と化していた。
 ユージンが斥候兵を殺したことで、アッコールト軍の逆鱗に触れたのだろうか?
 容赦なきまでに、徹底的に彼の村は燃やし尽くされていた。
 弟か妹か、わからぬ赤子を腹に宿していた母も。優しかった村人たちも。共に遊びまわった友達も。
 見分けがつかないほど黒く、炭化した遺体となって転がっていた。
 フレムデテーネを灰へと変えていくアッコールト軍の苛烈さは、すべて自分が原因なのではと、ユージンは罪悪に悩まされ、悪夢に苛まれた。
 そして、平穏を乱され良心を汚され、失ったものに絶望し、怒りに剣を握った。
 故国を思うことで、己の行いを正義と位置づけ、どうにかユージンは正気を維持した。  
 そうして、ユージンは復讐に黄金色の瞳を燃やすシエナと出会い、彼ともにアッコールトへ一矢報いる誓いを立てた。
 自分を追い詰めた現状に、復讐するために斬り捨てた人間は、数知れない。
 本当に正義であったのなら、どうして心はこんなに軋むのだろう、と。ふとした瞬間に、我に返る。
 犯した罪はそれがどんな現状であれ、許されないのかもしれない。死ぬまで背負い続けるのか。それが罰なのか。
 ならば、祖国が解放されるそのときまで、生きようと決意した。フレムデテーネへの滅亡に対して、本当に自分に原因があったのなら、国のために何一つ出来ずに果てることのほうが、罪深いことに思えたから。
 シエナがアルデリアを追って、死を選んだ瞬間――その決心が行き着く先を、ユージンは見つけた。
 ユージンには、シエナにとってのアルデリアのように命を賭けて愛するような大切な者はいない。戦争で家族を亡くしてからこちら、復讐という名の檻に心を囚われて、周りを見渡す余裕もなかった。
 だから、シエナがアルデリアに心を傾け始めたとき、彼のことが信じられなかった。
 フレムデテーネが受けた傷を忘れることが、アッコールトを許すということが、理解できなかった。
 でも、今ならわかる。立ち止まったままでは、何も変わらず失うばかりだということ。
 傷つけあった二人が、新たに紡いだ未来に、ユージンは希望を見つけた。
 ユージンには、大切に思う者はいない。けれど、誰よりも故国を思う気持ちは負けない。その思いがユージンを支える糧であったのなら、国のために命を落すことも辞さない。
 そうして、願うのは……。
 暗い地下牢を抜け、ギロチンが用意された処刑場へと向うユージンは、願いと祈りを込めて空を見上げた。
 厚く淀んでいた雲が風に流され青空が広がる。
 そこに光り輝くのは――希望。
 幾度、太陽が闇に沈もうと、月が灰になろうと。
 陽は昇り、月は巡る。
 ユージンがアルデリアとシエナに未来を託そうと思ったのは、二人が何事にも譲れない強い絆を繋いだからだ。
 仇同士であるにも関わらず、絶対に失えない存在として、彼らは互いに見つけた。
 そのように大切な者を持った二人なら、誰かが同じように大切なモノを失うような真似はしないだろう。
 互いの痛みに涙を流すことができる二人ならば、他人の痛みも理解できるはずだ。
 そして、二人は己の罪に命を捧げた。生涯尽き果てるまで、きっと彼らは罪を忘れない。

 ――だから、きっと。

 ユージンは断頭台へと昇りながら、願う。
 シエナとアルデリアが紡ぐ未来なら……。
 灰となった焼け野原に再び緑が芽吹くだろう。
 美しかった黄金色の大地が蘇るだろう。
 金の稲穂が揺れる波間を、くたびれるまで駆け回って。
 腹の底から、笑い声を響かせて。
 日向の匂いがする緑の草原に寝転がって。
 いつの日か、やがてこの空の下。
 誰の手も汚れることのない、穏やかな世界であったのなら……。

「優しい夢を――もう一度」

 そっと呟いて目を伏せ、ユージンは終らない夢をみる。


                       「堕ちる太陽と燃える月 完」

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