海の果て
青い空の色なのか、蒼い海の色なのか。
紺碧の大海を望む展望が絶景だった。かすかに混じる潮の香りが肌に染み込むように、じっとりと風がべたつくけれど。
それもまた、この街の良さなのだろう。
彼女は、もつれた黒髪を指で梳きながら言った。
海から昇る朝日が綺麗なの、と。
「住み着く人もいるのよ」
「……そう」
先日の嵐の夜を思えば、この地に安住するのも悪くはないのかもしれないと。そんな考えが、チラリと僕の頭を掠める。
きっと、そうして住み着いた人たちがいたのだろう。
それは、この海の反対側でも同じかもしれない。
彼女の恋人はこの海を渡って、出掛けて行った。
僕と同じように、何かを手に入れるために。
嵐の海を渡って、吹きすさぶ猛烈な突風の中を抜けてきて。
ボロボロになった船の先端から、この島が見えたとき、宝島に辿り着いたと思った。
だけど……。
嵐の果てに流された島は、目的地とは大きくずれていた。
……一体、僕は何しに来たのだろう?
傷心の隙に、誘われるままに彼女の手を取った。
そうして、手に入れた一時の安らぎは、裏切りという大きな代償を抱えてしまった。
失うものは何もない、と思っていた。
旅立つときの約束さえあれば。
だけど……。
「人は弱いものよ」
考えに沈み、黙り込んだ僕の思考を読んだようなタイミングで彼女は囁いた。
「……とても、弱いものよ」
振り返った僕を見て、彼女は今にも消えそうな淡く儚い笑みを見せた。
「きっと、貴方の彼女も……今頃、誰かと一緒よ」
……そうかもしれない。
そう思うのは、僕が罪を犯したからだろう。
夕日に染まった紅い海を眺めて、私は考える。海の水色って、本当はどんな色なのかしら?
ときに蒼く、ときに紅く、ときに黒く。
移ろいやすい人の心に似て、様々な色を見せる。
海がどす黒く染まった日に、港にやって来た彼は、言った。
「約束をしたんだ」
黒い瞳に海を映して、自分自身に言い聞かせるように繰り返す。
「約束をしたんだ。帰ったら、結婚しようって」
「素敵な約束ね」
私はそっと微笑む。
あの人がそう言ったとき、私もまた、それは素敵な約束だと思った。
揺るぎのない強さで、その約束を信じることができた。
けれど……。
「だけど、……帰れない」
宝島を求めて旅立った彼だったが、嵐に遭って流されてきたこの港は彼の求めていた目的地とは違っていた。
手に入れるはずだった名誉と財産は、傷だらけの船と共に海の藻屑と消えた。
帰る術を失くしてしまった彼を家に誘ったのは、とりあえず休ませてあげたかったから。
でも、心のどこかで隣にいないあの人の空白を埋めたいと、思っていたのかもしれない。
旅立ってしまったあの人の、その空白の場所に。
彼が求めていれば、私もまた求めてしまったかもしれない。
一時の安らぎを……。
でも、彼は私に触れなかった。
「帰りを待ってくれている人がいるんだ」
帰れないと言いながら、彼は約束を口にした。
「もしかしたら、もう、その人は待っていないかもしれないわ」
少し前の私のように、待つことを諦めているかもしれない。
意地悪な考えに支配された私は彼に問う。
「ずっと、同じでいられると思う?」
「それでも信じていたいんだ」
彼の答えはどこまでも強くて。
……でも、その強さを誰もが持ち合わせているわけではない。
それは彼もわかっているのだろう。
約束の儚さに、諦めてしまう人もいるのだと。
……それでも。
…………どうか。
帰ってきて、と。
君は――。
貴方は――。
君を裏切ってしまった僕だけれど……。
僕の帰りを、願ってくれるだろうか?
貴方を裏切ろうとした私だけれど……。
私が待っていると、信じてくれる?
「海の果て 完」
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