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 呪文


「得意の絵を描いてあげる」
 そう胸を張って言った僕に、君は笑ってくれた。
「しょうがないから、モデルになってあげるわ」


 くだらない毎日を、笑っていられた日々はもう遠い。
「あの子に振られた」と、泣いていた友人を笑っていたっけ。
 思えば、僕はヒドイ奴だったな。
 でも、つられて笑う友人の顔を見ていれば、それでいいんだって思っていた。
 笑っていられれば……何も怖くないと。


 どん底に落ち込んでいても、君が笑ってくれれば、僕もまだ君を笑わせることができるんだって。
 そんな些細なプライドで、僕は生きていられたから。
 君が落ち込んでいるのを見れば、決まりごとのように僕は言う。
「得意の絵を描いてあげる」
 まるで君を笑わせる呪文のように、繰り返して。
 君を笑わせて。
 僕も笑っていられた。


 いつからだろう、僕が笑えなくなったのは。
 僕の瞳から色を失くしたように、世界が褪せて見えるようになったのは。
 そして、君の笑顔が見えなくなったのは……。


 君と出会うずっと前から、僕は絵を描いていて。
 いつの間にか、周りにも認められるようになっていた。
 それがちょっと、誇らしくて、もっと、認められたいと思った。
 目指すところが高くなるにつれて、僕の自信も喪失していった。
 何を描いても、全然駄目な気がして。何を描いても、無駄な気がした。
 君は、「そんなことないよ」と、僕を慰めてくれたけれど。
 そのひと言が、余計に僕の絵が駄目だと言っているようで、耳を塞いでしまった。
 君の目を見るのが怖くて、顔を逸らした。
 君の声から耳を塞いだ。


 ……君に嫌われたら、お終いだとわかっていたのに。
 僕は君から逃げ出した。


 卒業と同時に、街を出て……。
 それでも描くことは止められなかった僕は、絵を描いていたけれど。
 どんな風に描いても、描いても、納得できなくなっていた。
 そんなとき、ちょっとした事故で腕を怪我してしまった。
 怪我自体は大したことはなかったんだ。すぐに直ったよ。
 でも、僕はその怪我を理由に絵を描くことを止めてしまった。
 思い通りに描けないということが、辛くて。
 筆を折った。絵の具を捨てた。
 だけど、真っ白のキャンバスを前にすると、絵が描きたくなる。
 君の笑顔を描いていた頃に、戻れたら……。
 そう何度も、願ったよ。
 虫のいい話だね。
 君を遠ざけたのは、僕だったのに。
 それでも、君は……。


「まだ、絵を描いていますか?」
 たったひと言、寄せた葉書を僕に送りつけてきた。


 君は何を思って、僕にあんな葉書を送ってきたのだろう?
 僕が絵を描き続けていれば――別れたあの日のままに、僕が変わっていないと?
 僕が絵を描くのを止めていれば――僕が変わったと?
 そうして、見つける答えに、君は何を求めるの?


 君の笑顔が見えなくなったように、僕には君の考えがわからない。
 今、君が笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか。
 ……でも、それでも、僕は君にこの手紙を書いています。
 この手紙が君に届いて、もう一度、君が僕にチャンスをくれるのならば。


 僕らが笑って過ごした、タンポポ丘の桜の木下で――僕は君を待っています。


 そして、君が来てくれたのなら、僕はあの呪文を唱えよう。


                                  「呪文 完」

イメージソングは「続・くだらない唄/BUMP OF CHICKEN」です。